はじまりの日:①

「うぅーん……」


 とある街の上空にて、ふよふよと浮かぶ影があった。

 その者――リオは所謂いわゆる『天からの使い』であり、彼らは生まれ落ちてから一定の時期を過ごすと、個々の性質を表す名と共にそれに見合ったある能力を授かる。そしてその能力を用いて、下界の人々を助けるという義務を背負わされていた。

 リオに与えられた能力というのは、『其の者に起こり得る未来を体験させる』というものだ。それもただの未来ではなく、『限りなく最悪に近い過酷な未来』を、だ。

 上手く事が運びさえすれば、現在の自分の悪癖を知りその改善点に気づくことや、この先の未来の為に今自分が成すべき事柄を発見することが可能ではあるが、実際にはそう単純な話ではない。当人にとってあまりにも過酷なビジョンが、一切のフィルターなしにリアルに襲い掛かってくるのだ。そのため途中でギブアップする者や、精神を崩壊させてしまう者が続出してしまった。そういった場合は仕方なく、リオと出会う前の状態に記憶をリセットして済ませてきた。

 名を授かる以前から人間界に大いに興味を示し、特に漫画やアニメを――それも悲劇的な、残酷な展開のものを好んだリオには相応しい能力だったかもしれない。ただの娯楽と割り切って、ただ傍観しているだけで良かったのなら心から歓迎したはずだ。

 けれどリオたちの使命は――人々を助け、救い、導くことだ。なのにこの能力を通じて成長を遂げた者などいまだ一人もおらず、それどころか精神を病み、全てを呪い堕ちていく者ばかりだ。

 ゆえにリオは、こう言われることにもすっかり慣れてしまっていた。


 ――『この悪魔め』、と。


 最初こそやきもきした。どうしてそんなこともわからないのかと、リオなりに言葉を選んで助言もしたりした。そのうち焦れったくなり、ただ答えだけを教えたりもした。しかし誰も聞く耳なんて持たず、どんな手を尽くしてみてもことごとく誤り、最終的には記憶のリセットという何も残らない結末しか迎えて来なかった。


「ほんと、難儀なものだよねぇ……」


 その呟きは、現在リオが観察していた男女に対してのものだ。ついつい腕を組み、うーんと唸ってしまう。

 なぜあの二人はあんなことで悩んでいるのだろう。彼らの場合はただ自分の気持ちに素直になるだけでいい。それを後押しするためのたった一言を告げるだけで解決するように思える。

 そうすれば悩んでいる二人自身も、二人が大事に想っている子供たちも、皆が幸せになれるはずだ。その全容を傍目から見ればとっても簡単なことだ。

 しかしリオにはそうすることを許されていない、助けてはならない。

 あの二人には、姿。それはつまり、自分が助けるべき対象ではないということ、自制心を試されているということだ。

 もどかしいが致し方ない。それがリオたちの背負っている掟なのだから。


「――あの子たちは?」


 ふと目に留まった、公園に見える二人の人物。それは渦中かちゅうの男女の子供たちだった。

 以前に私服姿は目にしたことがあり、その際は小学校高学年ぐらいの年頃に見えたが、現在は学生服を着ていることから察するに中学生なのだろう。

 もしかしたら――と、ふわりふわり地上を目指して降りていく。


「んー。やっぱりあの二人、なにかあったんでしょうか」

「まあ……だろうなぁ」

「あんなに良い雰囲気でしたのにねぇ。この頃では顔すら合わせてない気がします、さすがにおかしーです」

「でも、なぁ。大人の事情ってもんだろ? オレたちが首突っ込むのもなーんか気が引けるっていうか」

「むむ~……」


「やーやー、はじめましてっ!」


 突如割り込んできた声の主に、少年と少女はポカンとした。

 それもそのはず、その者はなぜか背中に白い翼が生えていて、あろうことか宙に浮かんでいたからだ。一目でわかるほど異質な存在に頭がさっぱり追いつかず、完全に固まってしまっている。

 自分を初めて見た人間たちの反応に慣れっこだったリオは、嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「おっ。よかった、キミたちにはボクの姿がみたいだね」


 そして胸を撫で下ろす。これならば上手くいくかもしれない、と。


「……神か?」


 何とか再起動を果たした少年が口を開くが、本気でそう信じている様子ではなく、揶揄やゆするような口調だった。


「違いますよ、どう見ても天使さまでしょう!」

「いやいや、んなもんいるわけねえだろバカ」


 興奮しきって大真面目に答える少女に、少年は苦笑してとがめる。


「どっちもだいたい合ってるよ。ボクはいずれ神的存在になるかもしれない、見習い天使なの」


 ふふん、と得意げに胸を張る。

 ますます目を輝かせた少女とは対照的に、少年は更に呆れ返った。


「で? その天使さんが一体何の用だよ」

「はっ。ま、まさかっ、私たちのお悩み解決とかをしてくださるとか……!」

「おぉ、キミはずいぶんと察しがいいねぇ。そう、困ってる人たちを助けて回ってるの。修行の一環でね」

「……うっさんくっせえ」


 とうとう頭痛をもよおしてきたのか、頭を押さえ始めた少年。リオはそれを全く意に介さず、変わらずの笑顔で続ける。


「ボクの名前はリオ。正式には、リオ=プリーシア。キミたちは?」

「はい! この春に晴れて中学生となりました、水瀬みなせ結唯ゆいと申します!」


 少女――結唯はぴしっと手を上げ、元気よく答えた。


「キミは?」

「……」


 再度問いかけるも、少年はぶすっとした顔で黙り込んだ。絶対に教えてやらねえと言わんばかりに。

 そういう態度を取るならばと、代わりに結唯へと視線を向ける。その視線の意味に気づいた結唯は、笑顔で頷いてから答えた。


「こちらは幼馴染で同級生のこーちゃんです」

「おい、結唯?」

「ひゃうっ!?」


 勝手に人の名を――それも愛称を教えんなと脇腹を小突いた。わーきゃーとわめく結唯と、それを慣れた様子であしらっている少年を微笑ましく思いながら、リオは改めて挨拶をし直す。


「結唯ちゃんに、こーちゃんか。よろしくね」

「……こーちゃんはやめろ。孝貴こうきだ。浅井あさい孝貴」


 そんな呼び方されるぐらいならばと、少年――孝貴は渋い顔をしながらも名乗った。


「結唯ちゃんと孝貴くん。さっきチラっと聞こえたんだけど、『あの二人』ってキミたちの親のことだよね?」

「まあ、そうだな」

「そのことでなんか悩んでるみたいだったけど、ざっくりでいいから教えてくれない?」


 二人は顔を見合わせる。結唯は話したくて仕方がない様子で、それを予想していた孝貴は苦笑混じりに「好きにしろ」と答えた。


「んと、一昨日なんですが……五月二十九日は、こーちゃんの誕生日だったのです」

「おぉっ、『コンニャクの日』か。いい日に生まれたね、おめでとう」

「……こんにゃく? ――あっ、語呂合わせです? なるほどなるほど!」

「…………おい」

「あれっ、嫌いだった? コンニャク。美味しいのに」

「そですよ、こーちゃん。コンニャクは素晴らしいです」

「……いや、そうじゃ、なくて……だな」


 色んな意味で困惑してしまった孝貴は片手で顔を覆う。


「話を脱線させんな、って言いたかっただけだ」

「あ、ごめんごめん」

「はっ、そでした。コンニャクも大事ですが、それ以上に重大なこーちゃんのお誕生日のお話でしたね」


 結唯はポンと手を叩き、一つコホンと咳ばらいをしてから、気を取り直して話を再開した。


「私たちは誕生日にはいつも四人で集まって祝ってたんです。私のお父さんも、こーちゃんのお母さまも、その日は決まって早めに仕事を終わらせてくれていました。それなのに今年は、なぜか二人とも忙しいと言い出して……」


「もう中学生になったんだからお誕生日会って柄でもないだろ、とかなんとか二人して言ってたらしいんだがな。どうも口裏合わせっぽいっていうか……不自然というか、引っかかるというか」


「そうなんですよねぇ。それと私たちが中学に上がった頃からでしょうか。急に顔すら合わせなくなりましたし、ぜーったいなんかおかしいんですよ」


「喧嘩したってんならさっさと仲直りしろよって言えるんだけどな。見たところ喧嘩って雰囲気じゃないし、オレらには話せない事情がありそうなんだよ。正直どうしていいかわからない」


「……なるほど、ねぇ」


 一通り現状が呑み込めたところで、リオは考え込んだ。

 あの二人――隆則たかのり京子きょうこの様子がおかしいことには気づいていて、それを気にかけている。ならばこの子たちがその事情を知り、ほんの少し入れ知恵をした上で親たちの想いの後押しさえしてくれれば、即座に解決してくれるだろう。

 けれど――少し、危うい。

 あの親たちはそこそこ際どい精神状況にあり、この子たちも多感な十代半ば手前という年頃だ。双方がほんの僅か言葉の選択を間違えるだけで、事態があらぬ方向へ進んでしまうかもしれない。


 ――それに、そもそも……姿


 それは救うべき対象が、この子たちの方であるということ。それは見誤ってはいけない、と自らをいましめ直す。

 しかし……よくよく考えてみても、どうも同じことのようだった。おそらく何かしらの問題を抱えているであろう、精神的に未熟なこの子たちを成長させることができればいい。この子たちの成長は、きっと二組の親子全員を救うことに繋がってくれる。

 ならば、どうするべきか。その答えもすぐに出る……と言うより、自分達にはしかない。元々自分達の成すべきことはなのだから。


「ねえ、キミたち」

「はい?」

「ボクの名前、リオ=プリーシアって言ったでしょ。それはボクらの言葉で、『気まぐれ』や『好奇心』意味するんだけど」

「ああ、すげえ〝らしい〟な」

「し、失礼ではありませぬか、こーちゃん?」

「いやぁ、いいよ。それにはボクも全面的に同感だし」


 名前自体は嫌いじゃないし、確かに自分らしいなとは思っていた。

 けれど、能力の方は――と、自嘲気味に苦笑する。


「ボクらは名前を与えられる時、それに見合った能力ちからも一緒に授かるんだよね。で、その能力を用いて困ってる人たちを助けて回らなくちゃいけないの」

「おぉー……すっごく天使さまっぽさが出てきました」

「……天使ってそういう存在だったっけかぁ?」


 首を傾げ、難しい顔で唸る孝貴。結唯は祈るように手を合わせながら、興奮を抑えきれない様子で詰め寄った。


「つ、つまりその能力とやらを、私たちに使用してくれるということなのでしょうか……!?」

「そのつもりなんだけどさ。ボクってまだ上手くいった試しがないんだよねぇ……残念ながら」

「……なんだ、そりゃ?」

「ボクの能力ってのをさくっと説明すると、現在のキミたちにとって起こり得る未来を体験させるんだ。その未来では基本的に失敗することになるんだけど、何がダメだったのかを本人に気づかせるためのものなの」

「よ、よくわかりません……」


 結唯は声を震わせ、目を泳がせる。どうも理解できない話に突き当たるとそういった症状が出てしまうらしい。もう少し噛み砕いた説明が必要かな――とリオが口を開きかけると、孝貴がここに来て初めてこの天使に興味を示した。


「いや、それは……なかなかいいんじゃないか?」

「おぉ~?」

「要するに失敗例を見せてくれるってことだろ? それにかんがみて自分の直すべきところを見つけ出す。未来に予め何が起こるのかを知ってさえいれば、同じような失敗をすることもまずなくなる」


 それはリオへの確認と共に、結唯や自分へ言い聞かせるようでもあった。リオはそれを肯定するよう頷き、二人は納得した様子で頷きを返す。


「なあ、天使……リオって言ったか」

「うん?」

「それはつまり……オレたちがどうにかすれば、あの二人の悩みを解決してやれるかもしれないってことか? それを見つけ出させるために、その能力を使うつもりってことだよな?」

「そ。呑み込みが早くて助かるよ」

「な、なんと……! 天使さまってば、そこまで素晴らしい御方でございましたか!」

「ああ。本当だとすればありがたい話だな」

「でもまぁその分、なかなか辛い体験をすることになるかもしれないよ。さっき話した、上手くいった試しがないってのもさ。あまりにキツかったもんで、途中で投げ出しちゃってるんだよね。みーんな」

「う、うぅ……なんかそう聞いちゃうと決めかねますねぇ……」


 結唯は顔を引きつらせてしまう。あらかじめこうして釘を刺しておかないと、軽い気持ちで臨んだ者たちによる耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言を食らう羽目になる。とは言ってもそうしたところで結局怒り狂う者は多くいるものだし、それにすっかり慣れてしまったリオは「あーまたかぁ、わめかないでよーうるさいなー」ぐらいしか感じなくなっているのだが。


「まぁ、無理にとは言わないよ。言ったように、ボクは上手くいったことがないんだ。嫌なものを見るだけ見て、何も得ずに終わってしまう可能性の方が高いんだし」


 リオとしても行使する対象を選んだら、その成り行きを最後まで見守らなければならない。これまでの経験から生半可な覚悟や精神では乗り越えられないものだというのはわかりきっている。あまりに期待が持てず、ただ時間の無駄になってしまいそうなら、見限って他の対象を探した方が建設的なのだ。


「いや――オレはやるよ」


 リオと結唯は揃ってそちらを向いた。


「あの二人のためになるってんなら、なんだってしてやる」

「……」


 迷いなくそう答えた孝貴に、リオは内心溜め息を吐いた。

 その目や声からは確かな覚悟の色が見て取れるが、無鉄砲で自信過剰な者に見られる調子だった。こういうやからまれに見るものであり、決まって精神的に脆い。失敗や挫折ざせつの経験が全くと言っていいほどなく、いざそういった局面に対峙すればいとも容易く崩れ落ちてしまう、人生を甘く見ている典型だった。

 これじゃ期待は持てないな――と早くも諦めかけていたが、


「そしてオレが、オマエの成功者第一号になってやるよ」


 一瞬何を言われたのかわからなかった。


「……ボクの? 成功者?」

「ああ。オマエにはそれが必要なんだろ? これまでは残念ながら全滅だったらしいが、オレが絶対に成功して弾みをつけさせてやるよ」


 リオも結唯も声が出ない。二人とも目を丸くさせて、口すら開いてしまっている。



「待ってろ。オレが、オマエを、必ず――神にしてやるからな?」



 そう言って孝貴は不敵に笑いかける。

 当然リオは最初こそ呆気に取られてはいた。けれど――それを容易たやすく通り越してしまい、限りなく尊敬に近い感情を抱いてしまった。


「……いや、キミ一人を助けただけで成れるほど簡単じゃないけど」

「なんだよ、ったく……細けえなぁ。あー、じゃあ、アレだ。神に一歩近づけさせてやる――こんぐらいならいいのか」


 ――天使ボクにさえ上から目線とは……面白い子だ。


 ここまではっきりと、真っ直ぐな正の感情を向けられたことはなかった。

 この子はまだ幼く、現実を知らない。だからこそこんな台詞を平然と大真面目に言ってのける。それでも今この瞬間だけは、本気で自分のことさえ助けようとしてくれている。

 どうせそれを成し遂げるだけの力など現状では無いくせに、生意気にも大口を叩いて。憎たらしくもあったが、嬉しくもあった。可愛いとも、応援をしてみたいとも思った。


 そして……本当に、彼が口にした事が叶うのなら――。

 ……賭けてみようか。この酷く頼りない、とっても傲慢ごうまんな勇者に。

 是非とも見せて貰おう。未だ目にした事のない、成功者を――ハッピーエンドを。


 リオは自然と頬が緩み、胸が弾んでいる。思えば人間の創る物語にワクワクしたのなどいつ以来だろう。久しく感じてない心地よさだった。


「よっし、わかったよ孝貴くん。当たって砕けてこい、骨なら拾ってあげるから!」

「不吉なこと言うなよ……素直に激励とかできねえのか」

「安心して骨となりボクのコンニャク畑の肥やしとなるがよい」

「……んなもん作ってんのか、天使って。というかそれが激励のつもりなのか」

「ボクが直々に天まで連れてってあげるんだぞ、その上ボクの役に立てるという名誉までたまわれるんだぞ。なんとも素晴らしいことじゃないか」

「……」


 とうとう孝貴は黙り込んでしまう。これ以上相手にしてはリオの思う壺だと遅まきながら気づいたからだ。

 存分にからかうことができたリオは大いに満足した様子で、先ほどからずっと孝貴の顔を見つめたまま固まっている結唯の顔を覗き込み、笑いかける。


「結唯ちゃんは? どうする?」

「――ひゃいっ!?」


 どうも魂がお留守だったようで、上擦った変な声を発しながら大げさに仰け反る。結唯は慌てて無理やり正気を取り戻そうとしたのか、ぶんぶんと頭を振ってから、べちっと両頬を引っぱたいた。


「もっ、もちろんやりますとも! こーちゃんを一人にしては危ないですからね、心配ですからね」

「オマエはいつからオレの保護者になれるほど偉くなったんだ?」

「あははっ。頼んだよー、結唯ちゃん。孝貴くんってば、放っといたら何しでかすかわかったもんじゃないからねぇ」

「はいっ! 頼まれました!」

「……オマエらなあ」


 釈然しゃくぜんとしない様子の孝貴を尻目に、リオは目を閉じ……すぅーっと息を吸い込む。

 再びゆっくりと目を開くと……それまでとは打って変わった、靜かな微笑みを二人へ向けた。それを受けて、孝貴と結唯も真摯しんしに頷きを返す。


「それじゃ――いくよ、ふたりとも?」

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