独白:水瀬隆則

 僕には、幼馴染がいた。

 幼稚園の頃から仲が良く、どちらからともなくずっと一緒に過ごしてきた。小中学校はもちろん、高校や大学も同じ場所を迷いなく選んだ。僕に意気地いくじがないために、はっきりとした告白などもなく、気づいた時には恋人と呼べる関係になっていた。

 彼女といることが当たり前で、そんな日々が何よりも幸せで。この先もずっと彼女といられるなら、僕は他に何も望まなかった。……彼女との〝子供〟さえも。

 彼女は体が弱かった。僕は当然それをわかっていて、子を産めないかもしれないということを承知の上で、彼女と生きる道を――結婚することを選んだ。


 けれど――彼女は、子供を欲しがった。


 当たり前だが医師にも止められた。しかし彼女はがんとして譲らず、絶対に産むのだと言い張った。彼女には珍しく、子供のように駄々をこねて、今にも泣き出してしまいそうだった。

 そんな姿に心を打たれた僕たちは、彼女の想いを汲むことにした。

 妊娠にはさほど労することなく成功し、その後も何事もなく順調に日々が過ぎていった。お腹の中の子が女の子らしいことがわかると、『ゆい』と名付けるのだと彼女は元気にはしゃいでいた。僕たち夫婦にとって、唯一無二のかけがえのない宝物となって欲しい。そんな願いを込めたのだそうだ。


 ――しかし、恐れていたことは起こってしまった。


 出産は困難を極め、胎児と母体のどちらも危険な状態となり、医師にどちらの命を優先すべきかを問われた。

 突きつけられたむごい現実を前に、気が狂ってしまいそうだった。世界が激しく揺れ動き、自分が立っているのかも怪しくなり、意識さえうつろになった。

 けれども血がにじむほどに唇を噛みしめ、決死の思いで言葉を絞り出した。


「胎児を……優先、させてください……」


 きっと、彼女ならば――そうするだろうから。


 こうして父親となった僕だったが、この先長い自己嫌悪に囚われることになる。

 彼女の想いを汲めた。それは間違いない。仮に母体を優先してしまっていたら、きっと彼女は絶望的なまでの深い悲しみに打ちひしがれてしまっただろう。命はあったとしても、心が死んでしまったかもしれない。

 だから選択自体には後悔していない。そのことに関してだけは、墓前の彼女にも胸を張って会いにいける。

 それでも僕は――娘が生まれてきてくれたよろこびよりも、最愛の妻を亡くした喪失感の方が勝ってしまっていたんだ。

 その事実をなかなか克服できなかった僕は、娘には申し訳ないと感じつつ、彼女の『置き土産』と思い込むことにした。彼女がのこしたこの子を大事に育てる、守っていく。それが僕にできる彼女への手向けと思うことで、なんとか乗り切っていける気がした。

 成長するに連れて、彼女の面影を色濃くさせていく娘を素直に愛おしく感じるようになった。彼女がこの子の中に生きてくれている。今でも傍に居てくれている。娘の存在は寂しさを拭ってくれて、傷だって癒してくれた。

 だが知らぬ間に『生き写し』のように感じるようになってしまい、やがて『生まれ変わり』なんじゃないかとさえ感じるようになってしまった。

 娘の目が僕に向けられていると、彼女が見つめてくれているように感じた。その反面、今でも彼女に常に見張られている――そんな強迫観念に襲われることも多かった。その度に身の引き締まる思い……いや、戒められる思いを抱いた。


 大丈夫。僕の伴侶は、君だけだ。


 君を――咲希さきを裏切ったりしない。咲希が遺してくれたこの子だけを想い、生きていく。

 咲希のために。結唯のために。僕は、『あの人』の手を取ったりしない。……取っては、いけない。幼馴染と添い遂げられなかった僕たちだからこそ、尚更に強くそう思ってしまう。


 僕たちは、元は『唯』とだけ名付けるつもりだった。しかし咲希の死後、僕はこんなことを思った。

 素敵な人と縁を結び、頑張りが実を結び――想いが結ばれて欲しい。

 生涯を結ぶことが叶わなかった僕たちだからこそ、そんな願いを込めて『結唯』と名付けることにしたんだ。


 だから、結唯。

 どうか君は、僕たちのようにはならないでくれ――。

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