結唯――5週目

 ――……。


 ん……また……意識、飛んじゃってましたか……?

 身体がいつにも増してだるいです。すべての感覚がぼやけていて、目を開けるのも億劫おっくうです。

 まず感じたのは、いつもの感覚。……お父さんに、感覚。

 普段ならばお母さんの名を呼ぶぐらいしかできないその口が、今は何かを喋っていることに気づきました。また私をお母さんだと勘違いしての……お母さんへの、メッセージ……でしょうか?


「見て、わからないのかい……? 実に家族らしい……愛し合う二人らしい、だよ」

が許されんのは『親子』じゃなく『夫婦』だろうがッ!?」


 誰かと、話していました。……ここに一番いてはいけない、大好きな幼馴染の声がしました。


「……こー、ちゃん……? なん……で」


 ――、ここへ?


 ズキン、と激しく頭が痛みました。

 『また』。そう……前にも来た覚えがあるんです。そしていきなりお父さんに殴られて……殴られて、殴られて。

 これはその時の続き? それとも――


 未だ頭が覚醒しきってくれていない上に、こんな状況をこーちゃんに見られたという衝撃から、私のパニックは極限にまで達してしまっています。

 寝たまま顔だけを上げ、半ば無意識にその姿を確認しようとしたら――何やらその手に妙な物を握っていました。

 それは、お父さんがこーちゃんに買ってあげた物でした。昔はよく、家の庭で素振りをしていたことを思い出します。

 本来なら野球に用いる道具、『金属バット』。今この場で握っている用途としては、おそらく――


「やめ、て……」


 だめ、です。こーちゃんに、そんなことさせたら……私はなんのために――


「……オマエらが、やめろよ」

「ごめん、ね……こーちゃん。見ない、で……帰って……?」

「……なんで、だよ」

「だって……この人は、私の……――あっ、ん」


 ……お父さんも、今だけはやめて。逃げて。

 じゃないと、こーちゃんが――!


「――やめろって……言ってんだろォォッ!?」


「ダメぇっ、こーちゃんっ!!」


 思わずギュっと目を閉じてしまいます。ものすごく嫌な音が、鮮明に聞こえてきました。

 ――終わった。そう思いました。

 意識が遠くなっていきます。せっかく今日まで耐えてきたのに、こーちゃんが殺人者になってしまうのでは、不幸の肩代わりができたとは言えるはずもありません。何の意味もありません。そんな風に絶望に打ちひしがれていると――ふと、うめき声が聞こえてきました。

 はっとしてそちらを向いてみると、お父さんの後ろ姿が見えました。そして何をしているのかと思えば、こーちゃんを壁に追い詰めていたぶっているようでした。


 ――お父さんが、


 そう思った瞬間、勝手に身体が動き出しました。

 私にしては有り得ないほど俊敏しゅんびんな身のこなしで、こーちゃんが落としたバットをさっと手に取り、一切の躊躇ちゅうちょなく振り下ろします。


 お父さんの――頭、めがけて。思いっきり、叩きつけます。


「だから、ダメって言いましたのに」


 実の父をこの手にかけた。それはわかっていました。

 しかしこの時の私には――『達成感』しかありませんでした。


「この人は、――『』、なんですから。ねっ?」


 こーちゃんに向ける表情が、自然と笑顔になります。

 こーちゃんを殺人者にしないで済んだ。こーちゃんが殺されずに済んだ。

 この人の命は、私が背負わねばならなかった。私が、終わらせてあげなければならなかった。

 全部、守れた。これでいいと本気で思ってました。

 だから――満たされていたんです。……満たされて、しまっていたんです。


 ――こーちゃんの、絶望に染まった表情を目にするまでは。


 なぜそんな表情をしているのか、一瞬本当にわからなかったんです。

 その直後、私が殴った側であるはずなのに、逆にこちらの頭が殴られたような衝撃が襲ってきました。

 それでも――言葉を紡ぎ、ただ願います。


「今日、ここであったことは……忘れてくださいね? ぜーんぶ」


 どうか、忘れて。何事も無かったかのように、あなたは幸せに生きて。

 無茶なお願いをした、という自覚も痛いほどにあります。それでも……他に、どんな仕様がありましょうか……?


「……さよなら、こーちゃん」


 もうそれ以上何も言えませんでした。

 こーちゃんの視線をこれ以上受け続けることができませんでした。


 この時、初めて気づかされました。

 私が――根本から決定的に間違えてしまっていたことに。



     ◇     ◇



 あてもなく、ふらふらと彷徨さまよいます。

 今の私は返り血塗れです。誰かに見られでもしたら、即通報されるでしょう。そんなことを考える余裕など当然あるはずもなく……ただひたすらに、もう何もかもがどうでもよかったんです。

 そんな中、ぼんやりと思いを巡らせます。

 先ほどのこーちゃんは、バットを持参していました。まるで、この家に不審者がいることを――自分が襲われることをあらかじめ知っていたかのように。

 その相手がお父さんだと知った時、動揺しているようでした。それ以上に、すごく怒っていました。

 あんなにも怒って。あんなにも必死になって。お父さんにさえ、凶器を振り下ろして。……その理由って、何――


 ズキン、と……『また』、頭が痛みました。『また』、だったんです。

 ――ついさっき、頭が痛んだ時も。こーちゃんが『また』、この場に来てしまった……そう、思ったんです。

 そこまで思い至ったところで急に、すぅーっと何かが溶け込んできて……失っていた記憶が入り込んできました。


「こーちゃん〝〟……だったんですね……」


 その全てを思い出せたわけじゃありません。何度目か、というのもわかりません。

 けれど確かに、私は何度も死んでしまっていたようで。その度にこーちゃんが、酷く悲しんで、辛い想いをして。

 私がそうならないようにと、こーちゃんも時間を巻き戻してやり直してきた。私がこーちゃんに訪れる不幸な結末を許せなかったように。こーちゃんも、私のことを救おうとしてくれて――


 ……少し考えれば、わかることだったんです。

 こーちゃんと、京子さんがしていた場面を見た時。いずれ二人が死んでしまうのだと聞かされた時。私は、どんな気持ちでしたか?

 その立場が逆転した際の、こーちゃんの気持ち。私は少しでも考えたことがありましたか?

 きっと、おんなじ想いを……痛みを、こーちゃんに味わわせてしまっていたんです。私がこんなだから、いっぱい苦しめて。危ない目に遭わせて。あんな顔をさせて。

 私のせいで……何度も、やり直させてしまって。何度も、不幸にさせてしまっていたんです。


 私は――何も、わかってなかったんですね……。


「……もう一度だけ……やり直したい、なぁ……」


 こうしてわかった今ならば。再びあの時からやり直せたならば。

 ちょっとだけ、ほんのもう少しだけでも――



「うまく、ヤれたかも……ですよ、ねぇ……」

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