結唯――3週目
「――……う……ん」
目を開けてみると、辺りは真っ暗でした。
暗くともそこがどこなのかはすぐにわかりました。どうも自室のベッドの上のようです。
ベッドの上ということは寝ていたのでしょうけど、少し変です。普段なら一度寝てしまえば朝までぐっすりなのですが、今日はどうしたことでしょう。
寝ぼけ眼でスマホの時計を見てみると、二十三時でした。なんだ、まだ寝たばかりじゃないですか……そう思い再び眠りに就こうとして、何やら違和感を覚えました。
表示されていた日付が、二月一日だった気がしたんです。もう一度確認してみれば、やはり二月一日。私の記憶にある日付と大分ズレがあります。
なんでこんな日にちなのでしょう? 夢でも見ているのかな――などと思っていたら、唐突に思い出しました。
天使さまにお願いをして、こーちゃんを救うために過去をやり直すことになったんでしたね。
しかし、このぐらいの頃ってなんかありましたっけ。なにかとーっても、大事なことがあったような。んー、頭がまだぼんやりしています。
二月……二月。――あっ。
そうでした。
明日、二月二日は……
……ねぇ、天使さま。
よりにもよって、こんな日に戻さずともよくないですかー!?
◇ ◇
こーちゃんと並んで座り、電車に揺られます。
心臓がやばいぐらい、ばっくんばっくんいってます。そういえば前に受けた時もこんな気持ちで挑んでいた気がします。なんだか懐かしいなぁ……とか言ってる場合じゃないです。
ふと隣を見ると――こーちゃんはものすっごく落ち着いていました。真っ直ぐ前を見つめて、微動だにしていません。さすがの貫禄です。
けどそんなにも熱心に、いったい何を見つめているのでしょうか。そう思って視線の先を追ってみると……とってもキレイな女性の方がいらっしゃいました。思わず双方を二度見してしまいますが、間違いないです。たぶんストッキングに包まれた美脚か、見えそうで見えないスカートの中身を必死で凝視しています。
さいてーです、この人! 私というものがありながら――じゃなくって、あろうことかこんな日になんちゅーことやらかしてんですか。
こりゃーちょっとばっかしちょっかいを掛けてやりましょう。びっくりして顔を真っ赤にして慌てふためくといいです。
こーちゃんの顔の前で、手をひらひらとさせます。……反応がありません。
頬っぺたをつついてみます。……反応がありません。
鼻をぎゅっと摘まんでみます。耳に息を吹きかけてみます。そのまま「だい好――」と
そ、そこまで集中していらっしゃるのですか? ああいった女性が好みのタイプなのですか? ……あらゆる点で私とはかけ離れ過ぎています、悲しみに包まれます。
などとバカを言っている場合じゃありません、真面目に由々しき事態なんですってば。まさか緊張のあまり目を開けたまま失神を――いやむしろショック死――!?
「……こーちゃん?」
おそるおそる声をかけてみると、ようやくビクっと動きました。まるで寝起きのようにぼんやりとしていて……あれ? これ、寝てただけなんですかね?
「だいじょぶですか? 目を開けたまま寝てましたよね? しっかりしてくださいね、これから運命の一戦ですのに」
「あ、ああ……」
なんとも歯切れの悪い応答です。全くこーちゃんらしくありません。
「……なんか珍しく本格的にダメそうですね。私たちは受験へ臨まんとしているのですよ? ――『聖煉学園』の」
ついさっきまでは、いつもの頼りになるこーちゃんだったのですが……んー、実はあんまり寝ていなかったのでしょうか。受験にはやはり緊張してしまうものなんですかね?
(――ファボチキください)
……おろ? どこからか天使さまの声が聞こえてきます。
(あっ。ごめんごめん、間違えちゃった)
どうやら間違いだったようです。……間違い電話のようなものでしょうか? お腹が空いて出前でも取ろうとしていたのでしょうか。というか天使さまも『ファボチキ』を召し上がるのですか、なんだか親近感が湧いてしまいますね。
「うおわぁっ!?」
「ひゃうんっ!」
なんだかわかりませんが、こーちゃんが
「わ、悪い……」
「もっ、もぉ……今日はほんとーにどうしました? いつにも増しておかしーですよ?」
「……まじ、すまん」
あのこーちゃんが、しおらしいです。動画撮りたいです。……んなこと言ってる場合じゃないですね。くどいようですが、これから受験ですのに。
「私に反論しないあたり、もうダメダメです。はぁ、先が思いやられますね」
「こっちは受験の方は余裕だから、オマエは自分の心配だけしててくれ」
「……はぁい、せんせー。うぅ、余計に緊張しちゃうじゃないですか……」
急にいつもの調子に戻りやがりました。安心するを通り越して憎たらしいです、心配して損しました。ふんっ、ばぁーか。
◇ ◇
「おい、結唯? どうした?」
「は、はいっ?」
「いや……オマエ、受かったんだろ?」
「そ、そのようです……ね、はい」
「……なるほど、頬ならつねってやる。ちょっとじっとしてろ」
「いっ、いえいえ、間に合ってますので! わ、わぁいやりましたー!」
「いつになくおかしな奴だな」
『奇跡』とは二度も起こるものなのですねぇ。なんか知りませんが、聖煉学園には無事合格してしまいました。
おそらくこの学校の不合格は、私にとっては不幸じゃない。そういうことなのでしょう。今になって気づきましたが、実際どちらでも良かったですし。
二度も『何かの間違い』が起こらないこと。それだけが重要なのです。
「まぁ、なにはともあれっ! これで心置きなく、本命に
「……あー、んー。まぁ、そうだな」
「……? そーいうこーちゃんこそ、なんか変ですけど」
「い、いや? まあ、ぼちぼち頑張るよ」
「はいっ、ふぁいとーです!」
なんだか変な気がしますけど、気のせいでしょう。
今度こそ、頑張ってくださいね。こーちゃん。
◇ ◇
学校なんて行きたくありません。学校なんて消し飛んでしまえばいいと思います。こーちゃんといられない世界なんて滅んでしまえばいいと思います。
……おっかしいですね、私ってば少し病んでます? こーちゃんを救うためならと、確かに前向きな想いでやり直したはずなのですが……うぅーん。
「おーい、結唯ー?」
噂をすればなんとやら、でしょうか。こーちゃんの声がしました。
……あれ? けど、なんででしょう?
「んえ……どしました、こーちゃん?」
「まだ寝ぼけてそうだが、準備は済んでそうだな。ほら、さっさと学校行くぞ」
「えっ、えっ……? あっ、は、はい! しばしお待ちを!」
よくはわかりませんが、願ってもないお誘いです。こーちゃんの方からわざわざ呼びに来るなんて嬉しいです、けど絶対に何か裏があります。警戒を
「にしても、珍しいですね。こーちゃんの方から呼びに来るなんて」
「オマエが来ないから来ただけだ」
「はっはーん。さてはこーちゃんってば、私がいないと学校にも通えないのですか? 一人は寂しいのですか? そんなんで大丈夫ですかねぇ」
あからさまにからかってみますが、そのぐらいしか理由が見当たらないんですよね。別々の学校だけど、駅まででもいいから一緒に行こうぜーってことなのでしょうか。
「ああ、寂しいな。オマエがいないとダメだな」
……。
……はい?
「えっ、あ……ふぇっ!?」
「冗談だ」
ぷっちーん。
あなたは私の乙女心を
「もぉー! 高校生になっても成長しませんね、あなたって人は!」
「そっくりそのまま返すわ」
「む、むぅ~~~……」
でも……変わんなくて、よかったかもしれないです。
こうしてまた一緒に並んで歩けるだなんて、思ってもなかったですから。不幸になるといっても、このぐらいの幸せならばまだあるんですねぇ。
「そいえば今更ですけど、こーちゃんってどこの学校にしたんですか?」
「本当に今更だな」
聞いたところで何にもならなかったですし。素直に祝福なんてできる気がしませんでしたし。
まぁさすがに今なら、なんとか聞くだけなら聞けそうです。どんとこいです。
「見てわからないか?」
「……んぃ?」
「制服」
……制服?
そういえば、なんだか見覚えありますね。ずいぶんと馴染み深い気がしますし、その格好のこーちゃんをつい最近までも見ていたような……って。
「そっ、そそそれは、まさか……?」
「ああ。お察しの通り、聖煉の制服だな」
「えっ……でもこーちゃんなら、もっと上のとこ……」
聖煉学園なんかに来てしまったせいで、こーちゃんはおかしくなったはずなのです。だから来ないものと思っていましたのに。
また……起こっちゃいましたか? 『何かの間違い』が。
「ここでやりたいことができたんだよ。それとも何か? オレがいたら不都合でもあるのか?」
嫌味っぽい口調で言いながら、笑いかけてきました。それはよく見るこーちゃんの表情であり、前回のような暗さや無念さを
「う、ううん! 嬉しいです、試験地獄への恐怖感が少し
「……最初っからオレ頼りかよ」
「いえっ、決してそのようなことは~……あは、あはは」
「あんまり甘えたことばっかぬかしてたら即刻見捨てるかんな」
「高校生になっても変わらず手厳しいせんせーです……」
……なにがなにやら、わけわかめ。ですけど。
こーちゃんと、また一緒に通える……のですか?
嬉しいですし、幸せですけど。その分、怖くもあって。
私は――不幸になるはずじゃ、なかったのでしょうか……?
◇ ◇
それからも変わらずな日々を送ってしまいました。
……いえ、変わってました。悪い方にじゃなく、良い方に。
こーちゃんはこれまで以上に優しく、たくさん構ってくれていました。毎日のように私に勉強を教えてくれて、登下校も毎日一緒で、お昼ご飯はもちろん晩ご飯もほぼ毎日一緒に食べました。
おかしいです。私は不幸になるはずです。
これでは以前よりも、幸せなんじゃないでしょうか……?
特別変わったことといえば、お父さんが多忙になったことぐらいです。滅多に家にも帰らず、週一回会えるか会えないかぐらいになりました。
しかし、それが……不幸、なのでしょうか。家に一人は確かに寂しいものですけど、そこまで言うほどでもないですし。むしろこーちゃんや京子さんがそのことを気にかけてくれたのか、しょっちゅう家にお誘いくださってますし。正直、なんともないです。
幸不幸の基準は私が決めるものではないのかもしれませんが……どう考えてもこーちゃんが受けた苦しみには遠く及ばないと思うんです。
……
『キミの覚悟の程が見たい』――そう言って対価とやらを求めてきたのは、ただ私の覚悟を見るためだけで……元から無条件で助けてくれるつもりだったのでしょうか。
だとしたら、やさしすぎませんか。いくらなんでも。
「ありがとう、ございます……天使さま」
私が不幸になるのはこれからなのかもしれません。だから、お礼を言うのは気が早かったのかもしれません。
けれど、きっと私は大丈夫だと思ったんです。
こんなにも優しいこーちゃんが傍にいてくれて、この先も一緒に生きていけるならば、不幸になることなんてありえませんから。
◇ ◇
『さき』と呼ばれ振り向いたのは、たまたま私もその名だったから。
心から申し訳なさそうに謝ってきたその人は、見るからに誠実そうな人で、本当にただの人違いなんだと感じた。
温和そうで、ユーモアも持ち合わせていそうな雰囲気の持ち主だった。けれどそれは、あくまで元気な時ならば、の話。今のこの人にはそんな余裕が無いように思えて。何よりも、目が酷く悲しげな色をしていて。
寂しい人、と思った。癒してあげたい、とも思った。
「もしこの後、お時間があるようでしたら……少し、お話して頂けませんか?」
同じ『さき』である縁から。その人に似ているらしいから。ただそれだけの、一時の気まぐれのつもりだった。
――
あなたにこんなにも
◇ ◇
「……どしました? そんな慌てたご様子で」
朝。お弁当を作っていたら、こーちゃんがやってきました。
なぜか息を切らしています。まだあわてるような時間じゃないですよ?
「今日、早く出るって、言ったろ?」
「――あっ!」
すっかり忘れてしまっていました。なんたる失態でしょう。
「ご、ごめんなさい! お弁当がまだできてないので、今日は先に行ってくださいぃ……」
「遅刻すんなよ」
誠に口惜しいですが、お弁当はちゃんと作らねばなりません。今日は一人寂しく登校することにします。ざんねんむねん。
「弁当、楽しみにしとくからな」
こーちゃんにしては気の利いた一言です。私はぱっと顔を明るくさせます。
「はいっ! 必ずやご期待に添える物をお持ち致しますゆえ!」
そう、今日のお弁当はちょっと気合入れてます。
久しぶりに私一人でのお弁当当番の日でしたので、これまで京子さんに教わってきた成果を存分に発揮しようと意気込んでいました。
「これで、よし。っとぉ!」
んむっ、我ながら会心の出来栄えです。自然と鼻歌を歌いながら、後片付けをします。
遅刻をしないようにと釘を刺されたのもありますが、今の私はとっても上機嫌です。うずうずそわそわと、ちっとも落ち着いていられませんので、もう家を出ちゃいましょう。
自信作のお弁当を、ちゃんと忘れずに持って。こーちゃん家へ寄って、京子さんの分もお届けしてから。
いざゆかん、こーちゃんの待つ学校へ――!
◇ ◇
周りの目も気にせず、笑顔で電車を待ちます。
お弁当を渡した時の、こーちゃんの反応を妄想しながら。
――今日のは一段と美味いじゃないか。また腕を上げたな、結唯。
……言ってくれますかね、あの無愛想な幼馴染が。
――まぁ、悪くなかったな。
これぐらいがすごくリアルです。でも少し照れくさそうに言ってくれてればポイント高いです、うなぎのぼりです。
――これから先も永遠にオレの弁当を作ってくれよな、結唯。
あわよくばこんなこと言われたりしちゃって、きゃーきゃー!
……まぁ絶対に言わないでしょうけど。妄想するぐらい自由だと思うんです、夢見る乙女でいたいです。
なんてバカなこと考えてたら、電車の到着を知らせる駅メロが流れ始めました。座れずともいいのですが、なるべくなら隅っこの方へ行きたいので、早く乗り込めるよう前の方へ陣取り――
――――えっ……?
不意に、背後から衝撃を感じます。どうも、誰かに押されたようです。バランスを崩し、前へと一歩、二歩……三歩目を踏もうとしたところで、その先には足場がありませんでした。
反射的に振り向いた私は――
――……おかあ……さん……?
写真でしか見たことはありません。でも確かに、お母さんに見えました。
亡くなったはずの、お母さんが。確かに、そこにいました。
――ああ……怒っているのかな。お父さんのこと。
お仕事が忙しいのに、大変なのに。お母さんを失って寂しいはずなのに、苦しいはずなのに。そんなお父さんのこと、全く気にかけてあげないで……それどころか、すっかりどうでもよくなってたから。
私ひとりのうのうと暮らして、こーちゃんと幸せな毎日を送ったりしていたから。罰が当たったんですね。
一番楽しくて、最も生に
これが――私が受けるべき『不幸』だったんですね。
ごめんね、お父さん……お母さん。
……ああ、でも。
お弁当……渡したかった、なぁ……――
◇ ◇
あの人の寂しい目の理由を聞いた時は、気の毒にと思った。あの人に対してはもちろん、家族に対しても。
最初はただ慰めたいと思った。話していているのがただ心地よかった。会う度に想いが膨らんでいき、徐々に歪んでいってしまった。
大切な人を失った痛みは、いつか和らぐ。――癒してみせる。
死した人への想いは、いつか薄れる。――消してみせる。
生なき妻など、取るに足らない。いずれ必ず私があなたの心を占めてみせる。
しかし――生ある娘は、許せない。
敵わないかもしれない、という不安もある。だが一番の問題はそこではない。
娘がいる限り、あの人の妻への想いも消えない。娘を目にする度、あの人は妻のことを否応なく思い出してしまう。
妻の面影を色濃く残した娘は――生ある限り、あの人を苦しめ続ける。
だから、あの人のために。
母と仲良く一緒に、思い出となって消えていきなさい。
――ごめんなさい、隆則さん。
しばらくの間、また辛い想いをさせてしまうかもしれません。
けれど、私がちゃーんと責任を取って差し上げますからね――?
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