結唯――1週目:②

「……あっ」


 声をあげてから、しまったと思いました。


「ん?」


 いつもなら鉢合わせしないように気を付けていたのに、ぼーっとしちゃってました。疲れてましたね、色々あって。

 しかしこうして姿を見てしまうと、やはり気になってしまいます。ちゃんと、幸せに過ごせているのでしょうか……?


「よう。久しぶりだな、結唯。元気にしてたか?」


 その声に、表情に、ほっとしました。涙が出るほど、ほっとしました。

 私のよく知る、大好きな幼馴染がいました。


「うん。こーちゃんは――元気ですよね、どーせ」


 元気でいてくれてよかった。それだけで私は救われます。辛くも苦しくもあったけど、後悔なんてないです。

 涙はもう少しだけ我慢しましょうね、私。


「どうだ? そっちの学校での生活は」


 そこまで悪くはないですよ。学校生活

 まぁ勉強はダメダメですけど。


「んー、なんかそのセリフ、親みたいです」

「オレはオマエの保護者みたいなもんだからな。まあどうせ、勉強にはついていけてないだろ」

「あはは~。さっすがお父様、御見通しなのです」


 よくわかってくれてます。

 こーちゃんがいないと……保護者であり、先生でもあるあなたがいてくれないと、勉強なんてできないんですよ。ダメな子なんですよ。もっと面倒見てくれてもいいんですよ。

 思いっきり駄々をこねたいです。困らせて、怒られたいです。

 ……でも、ダメ。ですよ。わかってますよね、私?


「結唯だと聖煉せいれんはギリギリだもんな。なんでまたあそこにしたんだ?」


 ――あなたと、一緒に居たかったからです。

 当然そんなこと言えるはずもなく。


「……なんで、でしょうかね」

「……?」

「ほら。私って、物事をあまり深く考えないタイプじゃないですか?」

「まあそうだな」

「忘れちゃったんですよ。たぶん衝動的になーんかあったんでしょーけど……うーん、なんででしたかねぇ」

「オマエなあ……」


 ……ちゃんと、『私っぽく』……演技、できましたか?

 いろいろ、ありましたけど……私はまだ、私のままいられていますか。不安で押しつぶされてしまいそうです。

 もしこーちゃんに悟られてしまっては、たぶん持ちません。心配なんてされたら絶対に涙が溢れてしまいそうですし。仮に拒絶なんてされたら、たぶん――


「なあ、また勉強を教えてやろうか?」


 どくん、と胸が跳ねます。

 その言葉は、あまりにも甘美な誘惑でした。私の心を激しく揺さぶってしまいました。私はもう、こーちゃんの傍にいる資格などないのに。決心が今にも崩れ去ってしまいそうです。


「わっ。久々出ちゃいました、こーちゃんの上から目線。なっつかしーです」

「なんだよ。実際、頭の良さはオレの方が上なんだから別にいいだろうが」

「それはおっしゃる通りで」

「これまで何度、赤点や補修の地獄から救ってやったと思ってんだ? んん?」

「……返す言葉もございません」


 ――救ってくれたのは、からだけじゃないんですよ?

 もっともっと、いつも、色んな場面で……助けてくれてたんですよ?

 いま、この瞬間だって――救ってくれてますよ……?


「じゃ……早速今日、お願いしちゃいましょっか」


 ……ちょっとぐらい、いいですよね。

 反動でさらなる不幸が襲うことになっても、構わないですから。少しだけいいですよね。……お願い、します。

 誰に向けての言葉かは、わかりません。でもよくよく考えてみれば――たぶん、自分自身にです。

 このに及んで、まだむくわれたいと思っています。幸せにすがろうとしています。……弱いですね、私は。


「おう。学校終わったら適当にオマエん家行くわ」

「えっ、ええ……うち、ですかぁ……っ?」


 それは困りました。しばらくお掃除もろくにしていません。現在の我が家のあのような惨状を見られてしまうのは、恥ずかしいどころじゃ済みません。

 ……見られたら困るもの、他にもけっこーありますし。


「……? なんだよ。オレらが何かする時は大体オマエの家だったろ?」

「ま、まぁ……そですね、はい。私の家でよいです」


 仕方がありません。今日は早く帰って、そっこーでお掃除しましょう。最悪、リビングだけでもしておかねば。

 私の部屋とか、お父さんの寝室とかは、なんの用事もないでしょう? そこだけは絶対に入らぬよう死守しませんと。


「ああ。じゃ、またな」


 行ってしまう。こーちゃんが。

 今生こんじょうの別れというわけではありません。今日の夜、会う約束もしています。

 それでも久々に会えた喜びが強すぎて。一時の別れが恐ろしいまでに名残惜しくて。


「忘れ物ないです? 大丈夫です? 気を付けてくださいね?」


 もう少しだけ、声を聴きたくて。気付いたら、変なことを叫んでいました。


「これまた急にオカンになったな」

「さっきの〝お父様〟に張り合ってみました!」

「心配してくれるのはありがたいが、オマエは大丈夫なんだろうな?」

「だいじょーぶです! ……おそらく、きっと」


 少しでも引き延ばせないかと、見苦しく足掻あがきます。あからさまな突っ込み待ちのセリフを付け足します。


 こーちゃん、もう少しでいいから……構って?


 ――願い、儚く散りまして。……こーちゃんの、ばぁーか。


 その日の学校での生活は、いつになくぼーっとしていました。

 帰ったら、こーちゃんとお勉強会。そのことしか頭にありませんでした。



     ◇     ◇



「あれ? 隆則たかのりさんは?」


 それを真っ先に聞かれ、ビクっと身体が強張ります。


「……今日は、たぶん帰ってきませんよ」

「仕事か? 大変だな」


 否定も肯定もできず、弱弱しく微笑むことしかできません。


「……飲み物、取ってきますね」

「ああ。サンキュ」


 お父さんは……こーちゃんにとっても、お父さんみたいなものでしたもんね。

 それを、私が――。

 ……ごめんなさい、こーちゃん。

 こーちゃんの不幸、ぜんぶ引き受けてあげたかったのに。

 お父さん、奪っちゃいましたね……。


 飲み物と、お菓子をたっぷりとお盆に乗せて運びます。最近は何をする気力もないので、こういうものしか食べてません。そこまでお腹も空いてませんが、食事は生きるために必要な行程のはずです。ちゃんと食べます。


「結唯、まさかそれが夕飯か?」

「いえいえ。下校途中に軽く食べてきたので平気だと思うのですが、これは予備といいますか」


 『私っぽさ』を演じるため、さらりと嘘をつきます。変に心配させたくありませんので。


「……予備ってなんだよ」

「こーちゃんはもうお家で済ませてきましたよね?」

「よくわかったな」

「カレーのとっても良い匂いがしてましたので。そのせいでお腹が空いちゃった気がするのですよ、だからこーちゃんが悪いのですよ」

「……」


 ……本当に、良い匂いです。

 美味しいですよね。京子きょうこさんのカレー。いま京子さんのカレーを食べ始めたら、きっとドラム缶ぐらい食べそうです。決して大げさじゃなく、そのぐらい美味しく感じると思いますし、それだけ食べてませんから。


「よっし。じゃ、早速始めるか」

「はい。よろしくおねがいしますっ、せんせー!」


 これから始めるのは大っ嫌いな勉強のはずなのに、自然と声が弾んでしまいます。

 ――なんとなく、ですけど。

 この時間がたぶん、私の人生における最高潮なんじゃないかって。そんな予感がしていたんです。



     ◇     ◇



「やっぱり教えるの上手いですよねぇ。私の専属の家庭教師になって欲しいものです」


 こーちゃんの説明はわかりやすいです。

 勉強以外でもそうですけど、やっぱり楽しむのって大事ですよね。心持ちが違うだけで、成果が全く違いますよね。こーちゃんが高校三年間みっちり教えてくれるなら、大学はこーちゃんと同じとこ狙える気がします。……さすがに言い過ぎましたゴメンナサイ。


「オレだってそんな暇じゃねえ」


 ケチです。バカです。ぶーぶー。


「でも、ま。たまになら構わないぞ」


 前言撤回します。ちょーやさしーです。神様です。


「ほんとですか? ありがとです! こーちゃんの優しさってば底なし沼級ですねっ、湯水のように利用しても問題なさそーです!」

「よくわかんねえ例え方すんな、茶化すな。撤回するぞ」

「ごめんなさいでした」


 嬉しすぎて調子に乗ったのは認めますが、相変わらず手厳しいせんせーです。


「――っと。こんな時間か」


 楽しい時間とは早く過ぎ去ってしまうものだということを痛感してしまいます。

 時計さん、止まっててくれたら良かったのに。空気読んで仕事放棄しといてくださいよ、もうっ。そんな理不尽な不満をぶつけます。

 あぁ、離れたくないなぁ……――あっ。そうだ。


「ねぇ、こーちゃん」

「ん?」

「今日……泊まっていきます……?」


 ――……いま、私はなにを口走りましたか?


「……は?」


 こーちゃんに当たり前な反応をされてしまいます。私だっておんなじような反応したいです。


「泊りがけで、徹夜で勉強会か? やる気があるのは大いに結構だが、オレたちは明日も学校だろう。別に試験が近いってわけでもないんだ、続きはまた今度な」

「……そ、そですよね。はい……わかり、ました……」


 はぐらかされてしまいました。

 でも、こーちゃんらしくて安心します。まぁ少々真面目すぎる気もしますが。これが本気で勇気を出しただったとしたら、あまりにもあんまりな返し方でしたが。


「じゃ、また明日な」

「はい。またです」

「明日も途中まで一緒に登校するか? 昔みたいに」


 なんと。こーちゃんにしては素晴らしい提案です。ものすっごく嬉しいですが、明日の天気が心配です。ただの雨で済めばよいのですが、カエルが降ってくるぐらいは覚悟した方がいいかもしれません。実際にあった現象らしいです、ぶるぶる。


「……はいっ! あっ、じゃー起こしに行きますね!」

「バカ。そこまですんな」

「ふぁーい……」


 しょんぼりしていたら、こーちゃんが頭を撫でて来ました。昔からよく取る手法ではありますが、馬鹿の一つ覚えというやつです。私ももう高校生なんです、いつまでもそんなにチョロくは……ちょろ、く……

 ……まぁ許してやらんこともないです。


「む、むぅっ。またそうやって子供扱いするぅ……」

「今度こそ、じゃあな。おやすみ」

「んっ、おやすみなさいです。ばいばい、こーちゃん」




     ◇     ◇



 なんとも幸せなひとときでした。

 今日のような日は二度と訪れないと思っていました。

 楽しかったです。嬉しかったです。しかしその反面、私の中で何かがぷっつりと途切れてしまった気がします。


(ねぇ、天使さま。いらっしゃいますか?)


「――どうか、した?」


 心の中で呼びかけると、すぐにその姿を現してくださいました。

 わざわざお呼び立てしてまで、私が聞きたかったこと、それは。


「たとえば、いま私が……したら……こーちゃんは、どうなりますか?」


 手にした物の先端を、私の体のとある部分へ向けて見せます。

 天使さまがわかりやすく目を見張ります。気まずそうに顔を背け、言葉を選んでいる様子でした。


「……もう、あの時の彼の分の不幸は……引き受け終えていると思う。だからキミがで完結だ。この先のことはまた彼次第になるから、どうなるかはわからない」

「それなら……大丈夫そう、ですね」

「だいじょうぶ、って?」

「こーちゃんは、もう大丈夫です。この先の人生は薔薇バラ色です。きっと良い大学を出て、何かしらの偉業を成し遂げるような、素晴らしくカッコいい人になれるはずです。元々私がいなければ、そうなっていたはずなんですから」

「……」

「こーちゃんの未来は絶対に明るいです。……私とは全くの正反対に」


 この先、私に待ち受けているものなんて……きっとろくなもんじゃありません。それに以前に天使さまが仰ってた、『死因が何になるか』って段階にもう来ているのだと思います。

 だったら――その日、その手段ぐらい。自分で選んでも構いませんよね。


「キミは、強いね」

「……つよい? 私が?」

「よくいるんだ。ボクの能力ちからを納得した上で享受しておいて、最期には醜く呪いの言葉をまき散らしている人。特にボクに向けての誹謗中傷、罵詈雑言ったら酷いもんだ」

「……」

「その点、キミの心は驚くほどに穏やかだ。ここまで過酷な運命を真正面から受けきっておいてね」

「そんな……違うんです、私は。こーちゃんがいないと生きられないだけの、弱い子なんですよ」


 こーちゃんが、元気でいてくれる。それだけでいい。

 私自身が受けたことなど、すっかりどうでも良くて。お父さんのことは心から申し訳ないと思うけど……それでも、後悔はできなくて。これでよかった、って思えてしまう。

 ずるくて、ひどい。こんな形でしかこーちゃんの力になれない、弱い人間です。


「以前、キミがボクに言ってくれたじゃない。この場合も、それを決めるのは本人じゃないような気がするよ」

「……」

「キミは、強いよ。ボクが保証してあげる」

「……これは一本、取られましたね」


 ほんと、どこまでやさしいんでしょうかね。この天使さまは。

 こんな状況だというのに、ついつい笑顔にさせられてしまいました。


「構いません、よね? 天使さま」


 床に寝そべって、両手で握り締めた物を胸の前へ掲げます。

 ――『包丁』の先端を、自身の心臓へ向けて掲げます。


「……ボクは、見守るだけだ」


 天使さまがどんな表情をされているのかは、わかりませんでした。けれどその声の調子は、すごく暗かったです。

 最後に天使さまを悲しませてしまったのは、少々心苦しかったです。……でも、仕方がありません。

 これが私の、選んだ道だったんです。


「ありがとうございました、天使さま。おかげさまで、とってもステキな人生でした」


 穏やかで、満たされた想いでいっぱいでした。

 私はきっと、人生で最も晴れやかな笑顔を見せることができていたと思います。


 ――ばいばい。こーちゃん。



     ◇     ◇



 強い子だ。それは素直に思った。

 あんな目に遭っておきながら、恨み言を一切漏らさない。怒りや悲しみに呑まれることもなかった。彼女自身の心は、一度たりとも折れたりしなかった。

 その力の源は、『迷いの無さ』だろう。

 そこ自体は悪いことじゃない。しかし彼女には優先すべき事柄が最初から決まっていて、はなから悩もうとすらしていない。そこが問題だ。

 その主な原因として、彼女は自己評価が低すぎる。あまりに卑屈で、自己犠牲を全くいとわない。同時に幼馴染への依存心が膨らみ過ぎていて、今回のように平気で命すら投げ出してしまう。

 これはなかなか根が深い。このままだと彼女はきっと永遠にブレないだろう。反省したとしても無為に自身を責め続け、後悔をすればするほど何も行動を起こさなくなっていってしまう。いずれ思考すら停止して、幼馴染の不幸を一身に受け続ける避雷針と変わり果て、そこにのみ幸福を見つけ生き続ける未来が生まれてしまいそうだ。


 やはり――全ては彼に懸かっているみたいだ。


「さぁ……キミの方は、いったいどんな道を選ぶのかな。――浅井孝貴くん」

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