結唯――1週目:①
「――……
大好きな幼馴染の声が聞こえてきます。
でもなんだかすごく遠くからのような、
「おい、結唯?」
あぁ……何やらこーちゃんが怒ってます。でもこの怒られ方は嫌なやつじゃないです。ずーっとされていたい怒られ方です。
これは意識が覚醒してる途中なのかもしれませんし、本当に夢の中なのかもしれません。どちらにせよ私は、断固として眠り続けます。怒られ続けるのも、夢を続きを見られるのも、完全に
「――ふゃぁんっ!?」
急遽襲い掛かってきた抗えない刺激に、変な声を上げながら飛び起きてしまいます。
「ようやく起きたか」
「わっ、脇腹つっつくのはズルいです! はんそくです! セクハラですー!」
「なかなか起きないオマエが悪い。というかさっき目開けといてもう一回寝ようとしたろ、バカ野郎」
「そっ、それは……ななななんのことでしょうか~……」
「オマエ、マジでとぼけるの絶望的にへったくそだよなぁ」
そんなこんなで目を泳がせていた私は、ふと首を傾げました。
ここは……電車の中、でしょうか? 私はなぜこんなところへ?
「ったく、しっかりしろよ? これから大事な一戦が待ってるだろうが」
「……だいじな、いっせん?」
「おい、いっくらなんでも寝ぼけ過ぎだろう……? どんだけ神経図太いんだよ、知らねえうちに気持ちよさそうに寝やがって」
「あ、あっはっは~。仕方がないのですよ、激しいスイマーさんに襲われてしまったのですから。それから逃れる術など私ごときにあるはずもないのです」
「……睡魔、な。激しいスイマーってなんだよ、字面がこええぞ」
これはこれは大変失礼しました。寝ぼけてたわけじゃなく素で間違えてました。
激しいスイマーさん……怖いですかね? 普通にめちゃくちゃ楽しんでそうな人を想像しちゃいましたが。
「それで、これから何があるんですか?」
「……おい、マジか……オマエ」
まだ思い出せてなかったのかよ、と言わんばかりに溜息をつくこーちゃん。
「今日は、何月何日だ?」
「……なんがつなんにちですか?」
「…………」
言葉すら発せず、頭を抱えるこーちゃん。
「……今日は、な……二月、二日だ……。どうだほら、さすがにわかるだろう……?」
「…………ん、ん~」
「……お、おい。結唯……? ま、まさか、なぁ……?」
お化けか怪物にでも見ているかのように、震えるこーちゃん。
「――てへっ☆」
「…………ッ!!」
こーちゃんが歯を食いしばり、握った拳をぷるっぷるさせています。その口はきっと、私へありとあらゆる罵詈雑言を浴びせるつもりだったのでしょう。その拳はきっと、私の脳天へとお見舞いしてくださるつもりだったのでしょう。しかし彼の
ここが電車内であったことを心から感謝しました。大声を発しようものなら不審者扱いをされますし、暴力を振るおうものなら即犯罪者扱いです。周囲の人の目とは最強のバリアーです。わぁい。
「……今日、二月二日は、なぁ……入試の日だよ。――『
「――おぉっ!」
私はポンと手を叩きます。そういえばそうでした、二月二日とは決戦の日でした。もうずいぶん昔のように感じますが、あと少しでその日が来てしまうーって毎日のように絶望していたことを思い出します。
「ようやく思い出してくれたか……」
「はいっ、もーばっちし! 気分すっきり爽快です、もうなにもこわくないです」
「……オレは今のところ怖いことしかないんだが」
……でも、あれ? と、いうことは……?
(――そ。過去に戻ってきたんだよ、キミは)
「……っ!」
――天使さま! と叫びかけて、慌てて口を手でふさぎます。私が不審者になってしまうところでした。
しかしそのお姿は見えません。どこから声がするのでしょう?
(ビックリさせてごめんねぇ。心の中で念じれば話せるから、試してみてくれる?)
(……っ? ……! ……、っ! っ!)
よくわかんないです。私の声、ちゃんと届いてますかね?
(……いきなりは無理みたい?)
届いてなかったっぽいです。
(落ち着いて、ゆっくり……あぁ、そうだ。試しにキミの幼馴染のこと、心の中で呼んでみて?)
首を傾げつつも言う通りにしてみます。
目を閉じ胸に手を当てて、いま隣に座っている大好きな幼馴染のことを想いながら――
(――こーちゃん。……?)
(おっ。そうそう、そんなかんじ。今の感じでボクにも話しかけてみて)
(……てんしさま? どーですか?)
(おっけー、おっけー。聞こえたよ、ちゃーんと)
やりました。
それにしても天使さまってば、ほんとーやさしくて、教えるのが上手で……まるでこーちゃんみたいですね。
(そんな風にすれば、いつでもどこでもボクと会話ができるから。何かあったら呼んでね)
(はいっ、ありがとーございます!)
(と言っても、助けることはできないからね。あくまで、話ができるだけだ)
(……はい。わかっています)
(この先、キミがどうなってしまうのかはボクにもわからない。どうか、心しておいて)
(はい。あの、天使さま)
(うん?)
(私のお願い、聞き入れてくださって……本当に、ありがとうございました)
(……)
(その上さらに、こんな激励の言葉まで頂いちゃって……やさしすぎますよ、ほんと)
(……ボクは、優しくなんかないよ。だって――)
(そーいうのは、私だって知ってることがあります。やさしいかどうかを決めるのは、本人じゃないんですよ?)
(……)
(天使さまは、とってもやさしいです。私が保証します)
姿の見えない天使さまへ向け、微笑みます。
こーちゃんや周りの人に気づかれ、不審がられようと一向に構いません。人が一番に微笑むべきタイミングって、こういう時なんだと思うんです。
(ほんっと、変な子だ)
すごく呆れたような声……だけど、笑ってくださっているようでした。
(キミのことは、責任をもって最後まで見守ってるからね)
(ありがとうございます、とっても心強いです!)
私はこの先、こーちゃんに頼らず生きねばなりません。それは私にとって、独りで生きるも同然でした。
でも、天使さまが見守ってくれている。そう思えるだけで、本当に心強かったです。
◇ ◇
天使さまのご加護があったからでしょうか。
なぜだかとっても不思議なことに……受かっちゃったんですよね、私。聖煉学園に。
不幸っていうもんだから、てっきり受験にも失敗して路頭に迷う感じを想像してたのですが。
(キミにとって合否はさほど意味を持たないってことじゃないかな)
(おぉっ、なるほどです)
私はパンっと手を合わせます。確かに私にとって高校選びの基準とは、そこにこーちゃんがいるかいないかってだけですもんね。いないならどこでもおんなじ、納得です。
(だからこれは単にキミが実力で勝ち取っただけ。素直に誇ってもいいんじゃない?)
(ん~……これはこーちゃんが勉強を教えてくれたからってのが一番ですし。残りは運か奇跡かでのものなので……あんまり自分の力、って実感が湧かないんですよねぇ)
(……そう。なら、仕方ない)
(あはは、すみません)
前回受かった時もあまり満たされていませんでしたけど、今回のはそれ以上です。それもそのはず、今回は『何かの間違い』など起こりませんから……起こっては困りますから。
こーちゃんはきっと、本命の学校に受かることでしょう。これからの行く末は明るいはずです。順風満帆な生活を送ってくれるはずです。こーちゃんにとって、正しい未来が待ち受けていることでしょう。
これでいい。……これで、お別れ。
これから私は、自分で選んだ運命に挑みます。こーちゃんの下を離れ、最後まで成し遂げてみせます。
最初で最後の、過酷で短い独り立ちの旅が始まりました。
◇ ◇
それは聖煉学園へ入学して、ふた月ほど経った頃のことでした。
「あれ? お父さん、珍しく早いお帰りですね」
入学直後からも忙しそうでしたが、この頃では私が起きている間に家に帰ってくることも滅多にありません。
なのに私より早いご帰宅とは。その周りのことで聞きたいことも多いですし、ご飯でも食べながらゆっくりお話しましょう。
「ちょっと待っててくださいね、晩御飯すぐ作っちゃいますので」
久しぶりに一緒の夕飯です。存分に腕を振るって――
「――っ?」
……はて?
ぽふん、と柔らかい感触を背中に受けました。それがソファのものだということも、なぜ私が天井を見上げているのかも、しばらくわかりませんでした。
やがて視界に、ぬうっとお父さんの姿が映り込みます。私の身体の上に覆いかぶさったようでした。
「あ、あの……おとう、さん……?」
お父さんらしからぬ不可解な行動に、言いようもない不安や恐怖が
おずおずと顔を見つめてみれば……その目は、明らかに正気を欠いたように
「――〝
お父さんがその目で、私のことを私じゃない人の名で呼びます。それが誰なのかは、すぐに思い当たりました。
それは――お母さんの名前でした。
自分の命と引き換えに、私を生んでくれた人の名前でした。
どういうわけか、お父さんは私を……お母さんと勘違いしてるのでしょうか……?
「っ……!」
不意に、ぞわっとした感覚が全身を襲います。
抱き締められました。こんな情熱的な愛情表現、シャイなお父さんはしてきません。
体をまさぐられました。頭を撫でるぐらいはしてくれますが、明らかにそんな感じじゃありません。手つきも、触れる場所も、絶対におかしいです。
率直に言って――不快、でした。
――お父さん。やめて。なにをするの。
そう叫びたいのに、声が出ません。組み伏せられて息苦しいのもありましたが、恐怖やショックで体が完全に固まっていました。
呆然と天井を見上げたまま考えます。なぜ突然、お父さんがこんなことを……
――ああ。
少し考えれば、わかることでした。
こーちゃんは、お母さんと……親と、していたんだから。
私の場合も、親と……お父さんと、しちゃうんだ。
……こういうこと、しちゃうんだ。
そっか。
勝手に体が動いちゃってます。私の体のはずなのに、私の身体じゃないです。
ひとりでに声が出ます。私の声のはずなのに、私の声じゃないです。
あの時、京子さんが発してた声に似ています。
これ、って……こんな感じ、なんですね。
すごく……すごく――
――いたい。
体はたぶん、
こーちゃんも……こんな気持ち、だったのかな。
ごめんね……辛かった、よね。
ごめんね。
「……ごめんね――お父さん」
お父さんがこうなっちゃったのも、私のせいです。
こーちゃんの時みたいに。私がまた、わがままに、独りよがりに、自分勝手に――願っちゃったから。
巻き込んじゃって、ごめんね。
「……愛して、います――隆則さん」
お父さんの名を呼び、首に腕を絡めて微笑みかけました。
お母さんがどんな人だったのかも、どんな風にお父さんのことを呼んでいたのかも知りません。
それでも、精一杯演じようと思いました。
お母さんとして――『
だから、一緒に――終わろうね?
◇ ◇
それから数日が経ちました。……経ったよう、でした。
ずっと真っ暗な部屋な中、食事もとらず、意識が飛んでしまったタイミングで休む。時間や昼夜の感覚などさっぱり無くなってしまっていました。
その間ほぼずーっとベッドの上に横になっていたはずが、今は珍しく立っていたようです。こんな状態でも、ちゃんとお手洗いぐらい行けていたのでしょうか。
――などと呑気に考えていたのですが。
……あれ。
なんで?
なんで、お父さん――そんなところで倒れて……?
床へ横たわる、身体。
その周りに広がる、赤い色。
私が手に握る、包丁。
まさかこれ――私が、やったんでしょうか……?
同時に、なるほどとも思いました。
最期の時まで添い遂げることが叶ったなら、私の心はきっと満たされてしまいます。
だから、それさえ……お父さんの心を慰めることさえも、許してくれないんですね。
これが、『不幸』なんですね。
恨んだりはしません。でも――
「ごめんね……お父さん」
私のせいで、お母さんを――最愛の妻を失い。
私のせいで、人生の全てが狂ってしまった……可哀想な人。
「生まれて来ちゃって……ごめんね」
お父さん、前に話してくれましたよね。庭にある花壇のこと。
この家を建てる時、お母さんがどうしても欲しいって言ってたって。二人で色んなお花を育てるんだって。優しい声だったけど、寂しさや悲しさが隠しきれない感じで、話してくれましたよね。
いつか仕事が落ち着いたら、一緒にお母さんに喜んでもらえる庭を作ろうって。そう言った時には、晴れやかな笑顔を見せてくれましたよね。
その花壇を、こんなことにつかっちゃって……ごめんね。
でも、ここでなら、安らかに眠ってくれるのかなって。そう思ったんです。
ごめんね、おとうさん。ありがとう、いままで。
おやすみ――。
このあと、どうしようかな。
……
最後まで……私の、人生を――私の、不幸を。
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