結唯――0週目:②

「おーう、水瀬みなせ。ちょっといいか?」


 廊下を歩いていると、担任の神志名かしな先生に呼び止められます。


「お前、浅井あさいと幼馴染だったよな? んで、家もめっちゃ近いよな」

「あっ、はい。めちゃめちゃ近いです」


 昔は――心の距離も、そのぐらい近かったのですが。

 これがむかーし、こーちゃんに教わった『一抹いちまつの寂しさ』ってやつなのですかね。……むしろ、胸にポッカリと穴が開いたような気持ちです。


「あいつ、ここ三日ほど無断欠席してやがるだろ? その上電話にもでやがらねーから、そろそろ俺が直々に出向かなきゃならなくなりそうでな」

「……」


 そう……こーちゃんは、学校に来ていないんです。こーちゃんのアパートへ行ってみても、さっぱり反応がないんです。


「年頃の野郎なら学校サボるのなんか通過儀礼みてーなもんだし、教師がいきなり行くのもなんか大げさすぎる気がしてなぁ。――そこでだ、水瀬」

「はい?」

「これでも渡す振りして、お前が様子見てきてくんねえか?」


 『これ』と言いながら、こーちゃんが休んでいた間の配り物やらプリントの束を見せてきます。

 私は迷うことなく、笑顔でそれを受け取りました。


「はいっ。お安い御用です、せんせー!」

「おー、助かるわ。頼んだぞ、水瀬」


 私こそ、助かりました。

 会いに行く口実が頂けたのです。これでもう、会いに行くしかないんです。

 この数日、ずっと悩み続けていました。絶対、何かがあったんだと思います。それでも勇気が持てず、家に押し入ることもできず。「そっとしておこう」なんて大人ぶった言い訳を、何度も自分へ言い聞かせていました。

 私が困った時に助けてくれたのは、いつもこーちゃんだったんです。

 こーちゃんが苦しんでるなら、今度は私が助けなきゃいけないんです。


 ――ねぇ、こーちゃん。

 まだ……間に合いますか……?



     ◇     ◇



 いったんお家に帰って、ジュースを飲んで心を落ち着かせます。

 正直やっぱり、ちょーこわいです。ここ最近のこーちゃんの様子は尋常じゃありません。普通に話しかけるのすら怖いのに、家にまで押し入るだなんて……あの目線に射抜かれることを想像しただけでも気絶しちゃいそうです。

 でも、今行かなかったら、この先もずーっとダメです。もう二度とこーちゃんに会えない気がします。ほっぺたをペチンっと引っぱたいて、気合いを入れ直します。

 こーちゃんが住むアパートへ向かいます。一度でも止まるとまた動けなくなりそうので、着いたらすぐにインターホンを鳴らします。


「こーちゃん? いますか?」


 呼びかけながら、玄関をノックします。……やっぱりというか、無反応です。

 ドアの取っ手を握り、ゆっくりと倒してみます。がちゃり、という音がして――鍵は掛かっていなかったようでした。


「……ごめんなさい、こーちゃん」


 小さく謝りながら、目をギュっと閉じながら、ドアを開け……中へと入っていきます。

 真っ暗でした。それと、散らかっていました。洗われていない食器、そこらへんに放り出されたゴミ。何度もお邪魔していますが、こんな惨状は見たことがありません。

 ……お母様にも――京子さんにも、何かあったのでしょうか……?


「あの……こーちゃん、いますか……? 結唯、です……」


 震える声で呼びかけながら、足場の悪い室内を歩きます。リビングにはその姿が見えなかったので、こーちゃんの部屋へと向かいます。


「……こーちゃん? 入ります、ね……?」


 こんこん、一応ノックをします。が、反応などしてくれないでしょうから、返事を待たずにお邪魔します。


 ――……いません。


 そしてやはり散らかっています。教科書とか、辞書とか、ノートとか筆記用具が、すごい有様です。こんなこと、正常なこーちゃんなら、絶対にしません。


 ……こわい。


 これでは、もう――取り返しがつかない段階なのかもしれません。そんな不安が頭をよぎり、心が折れてしまいそうです。


 でも――助けたいんです。


 胸の前で、手をぎゅっと握り締めます。

 決意も新たに、再びこーちゃんを探すため――


 ――なにか、聞こえてきました。


 自分が立てる物音でかき消してしまわないよう、ピタリと止まります。そして耳を澄ませます。


 ――声?


 知らない人の声がしました。

 ……いえ、ちょっと違いました。

 聞き覚えのある声ですけど、聞いたことのない声色でした。


 これ――京子さんの声……?


「――孝貴っ……こう、きぃ……っ!」


 一際大きい声が聞こえてきました。今度は断言できます。

 京子さんの声です。聞こえる場所も、京子さんの部屋からです。

 二人とも、そっちにいたんですね――なんて呑気のんきに思いながら、そちらへ向かいます。

 何となく、そーっとその室内を覗いた瞬間……私は、固まりました。


 ……、だったんです。京子さん。


 ベッドの上に座り、長い髪を振り乱して、上下に揺れています。私とは比べ物にならないほど大きなお胸を揺らしています。

 なんで服を着ていないのか、なにをしているのか、さっぱりわかりません。けど、なぜか普段よりもキレイにみえて……どきどき、しちゃうような……不思議な光景でした。


「……不法侵入の上に、覗きとは……趣味が悪いな」


 不意にこーちゃんの声が聞こえてきます。でもその姿が見えません。


「あ、こ、こーちゃん? あのね、ちょっと先生に頼まれて――」


 ……こーちゃんの姿がどこにあるのか、気づいちゃいました。

 ――下、でした。京子さんの下。こーちゃんの身体の上に座って……――

 そこまで考えれば、さすがの私でもわかっちゃいました。


「あっ、あのっ、ごご、ごめ――」


 謝りかけて、言葉が詰まります。

 そういった知識はほぼ皆無です。そんな私でも、このぐらいは知っています。……知ってる、はず……です。自信がなくなっていきます。


 あの、『これ』って……、してもいいもの……でした、っけ……?


「――結唯」

「あっ、は、はい」

「帰れ」


 こーちゃんの声です。……でも、こんな声は聞いたことないです。

 京子さんの声も耳に届きます。……でも、こんな声は聞いたことないです。

 ……知らないです。わかんないです。もう、なんにも。


「……えっ、あ」

「……出てけ」


 ひるんで、あえいでいると……もう一度、こーちゃんに命じられます。

 ……こーちゃん、ですか? ……京子さん、ですか?

 幼い頃からの付き合いである大好きな男の子と、とってもお世話になった優しいお母さんは、変わり果てていました。

 目の前にいた人たちは――私の知らない人たちでした。


「――いいからっ、出てけよォッ!!」


 ビリビリと辺りが振動するほどの大声が発せられます。そこにめられた怒りの感情はひしひしと感じました。ですが、それ以上に……悲しみの色が恐ろしく濃かったです。

 反射的に逃げてしまいました。背後にあるなにかを恐れるように、拒絶するように……バタン、バタンと全てのドアを閉め、全力で駆け出しました。

 自分でもどこへ向かっているのかわからぬまま、ただひたすらに走り続けます。


 息を切らして、ようやく足が止まると……そこは公園でした。昔、こーちゃんとよく一緒に来ていた場所でした。

 呼吸が徐々に落ち着いていくに連れて、先ほどの光景がだんだんとよみがえってきます。

 ――知らない行為。知らない声。……知らない、人たち。

 あの行為がどういったものなのか、私にはまだよくわかりません。

 一つ、わかっているのは……あの二人は、ずーっとあんなことをし続けていて。そのせいで、変わってしまった……の、でしょう。

 そんなにも夢中になれてしまうほど、楽しい行為なのですか? あんなにも変わってしまうほど、恐ろしい行為なのですか?

 ……こーちゃんと、京子さんは、いま……幸せ、なのですか……?

 わかんないんです。わかんない……のに。


「……ぅっ、ぁ……」


 どうして、胸がこんなにも張り裂けそうなんですか?

 どうして……私は、涙を流しているんですか……?


「なんで……なんです、か……?」


 私の疑問に、いつも答えてくれた人は――もう、どこにもいません。

 涙の勢いが一層激しくなります。


「こー、ちゃんっ……ぁ、う……っく……」


 滂沱ぼうだとして流れ落ちるそれを拭おうともせず、膝から崩れ落ち……声にならない声を上げて、慟哭どうこくしました。


 ――こーちゃん……こーちゃんっ……。


 いつから、どこから――おかしくなっちゃったんでしょう。

 私は必死に記憶をさかのぼります。

 何がいけなかったんでしょう。こーちゃんを変えてしまった原因ってなんでしょう。


 聖煉せいれん学園に来たから? 受験に失敗したから?

 『何かの間違い』が起こってくれないかなと、自分勝手な想いを抱いてしまったから?


 私が――願った呪ったから。


「……私のせい、です」


 冷静な時であれば、もう少しだけ心に余裕があれば、ここまではっきりと断言はしなかったと思います。

 私がいっくら願ったからって、叶うはずもないんです。私なんかが、そんな影響与えられるはずもないんです。普段の私はもっと卑屈です。自分の力を過信しすぎです、今の私は。


 ――人を呪わば、穴二つ。


 誰かを呪えば、その力は自分にも返ってくる。

 私の願いは、私自身をも呪い殺そうとしているのかもしれません。


「ごめんなさい……」


 その一言を皮切りに、私の心は埋め尽くされていきます。


 ――ごめんなさい……ごめんなさい。


 おんなじ言葉しか繰り返さない、壊れたオモチャと化しました。


 ――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめ……――



「――お困りのようだね?」



 とつぜん、誰かの声がします。

 今度こそ、本当に知らない人の声でした。なぜかそんなことにすら、ほっとしてしまいます。

 顔を上げて、その声がした方を見てみると――不思議にもピタリと涙が止み、心が穏やかになっていました。


「……てんしさま?」


 気づいたらそう呟いてました。

 その人の見た目が、まんまそんな感じだったんです。自分がおかしくなってしまったのかと思って反射的に目をごしごしと擦ると、涙も一緒に拭われました。頬をつねったら、ちゃんと痛かったです。


「おっ、よくわかったねぇ。キミは見る目があるよー、うんうん」


 ――天使さま? ほんとに?

 だったら――!


「あっ、あのっ、天使さま!」

「うん?」

「その……助けて、くれませんか……?」

「これまた急だなぁ。まぁ、お安い御用だけど……」

「ほ、ほんとですかっ!?」


 嬉しくて飛び上がります。忘れてましたけど……まずは事情を話したほうがいいんですかね? どこからどう説明しましょう……んんん。


「あぁ、いいよ。悩まなくて。――わかってるから」


 下界の者のことなど全てお見通しというわけですか!

 私は目をきらっきら輝かせます。


「おっ、おおぉ……! さっすが、天使さまですね! すっごいです、やさしーです、かっこいーです」

「ふっふーん。そうだろう、そうだろう。ボクならたぶん、キミの望み通りのことをしてあげられるよ」

「は、はいっ! ではさっそく――」


「――まぁ、待ってよ」


 もうすっかりその気になっていた私を、天使さまが制します。


「……はい?」

「いっくらボクが優しくてかわいくて全能だとしてもさ。――無条件でその恩恵を受けられるはずもないでしょう?」

「あっ……」


 もっともなお話でした。


「あのっ、で、では……どうすれば~……?」

「そうだねぇ。願いを叶える代わりに、キミはどうするか。何をしてくれるか。キミの覚悟の程が見たいの」

「かわりの……なにか……」

「そ。キミは、何を対価として差し出すつもり?」


 私は必死に考えを巡らせます。答えはすぐに出ました。

 ……ないですね。なんにも。

 悲しいかな、私には何にもありません。特技も能力も、この問いに答えを出せる頭も持ち合わせていません。

 唯一自慢できるものといったら――『幼馴染こーちゃん』がいることぐらいです。

 そんなこーちゃんのために、私がしてあげられること――

 ――あぁ。で……いいんじゃないでしょうか。


「あの、天使さま」

「うん?」

「こーちゃんを、助けてください」

「もちろんいいよ。で、キミは何を差し出す?」


「――『私』です」


 天使さまがピタリと固まり、目を丸くさせていました。


「私が、代わります。こーちゃんの不幸を、私が肩代わりします」

「……」

「なんとか、それで……お願いできませんか……?」


 天使さまが「ん~~~」とうなって、難しい顔をしています。

 これが却下されてしまうと……他の案がさっぱり浮かばないのですが。


「……べつに、構わないけど、さ。いいの? キミは、それで」

「はい」

「彼の現在の苦しみは相当なものだ。それ相応の不幸が、キミを襲うことになるよ?」

「はい」

「せっかく助けても、一緒にいられないかもしれないよ?」

「はい」

「……これはあんまり言いたくないんだけどねぇ」

「……?」


 深々と溜息をついた天使さまが、酷く言いづらそうに頭を抱えます。

 やがて私の顔をじっと見つめ、今日一番の真面目な顔をしながら言いました。


「あの親子――?」


 …………。


「あんな状態だからさ、もうどうにもならないんだ。学校にも仕事にも行かず、食事もろくにとらず、ずーっとあんなことばっかしてる」

「……」

「もう、心が壊れちゃってるんだ。あれじゃもう元の生活になんか戻れないし、体が壊れるのも時間の問題だ」

「……」

「もう、『死因が何になるか』って話なだけ。ボクの予想だと――『一家心中』が大本命かな」

「……」

「そんな状況を――そんな不幸を肩代わりするってことは、さ」


 また、言いよどみます。がんばって言葉を選んでいるみたいです。


「つまり――キミも、すぐ死んじゃうかもしれないんだよ?」


 天使さまとしては、脅しているつもりなのかもしれません。

 けれど私は……胸を打たれていました。


「……天使さま、やさしいんですねぇ。ほんとうに」


「……へ?」


 私としては素直にそう感じたのですが、天使さまはポカンとされてしまいます。こんな状況ですけど、すっごくかわいかったです。


「優しいです、ほんと。ご忠告、ありがとうございます。でも……私は、大丈夫ですから」

「……決心は、固いみたいだね」

「はい。すみません、石頭で」

「そこまで言うなら、もう何も言わないよ」

「わぁっ。ありがとーございます、天使さまの優しさってば底なし沼級ですねっ!」


 ぴょんぴょんと跳ねて喜びを全身で表現します。

 ふと何やら、天使さまが――これまでで一番優しく、ふわりと微笑んでくれました。


「……ほんっとーに、変な子だねぇ。――


「……はい?」

「なんでもないよ。さっ、やろっか」

「はい。お願いします!」


 こーちゃんをあんな目に遭わせたのは、私なのだから。

 私の自分勝手な願いから始まったことなのだから。

 私が、背負うべきなんです。迷いも、未練も、ありません。


 それと、こんな状況なのに……こんな状況だからか、色々わかっちゃうんです。

 私はこーちゃんが『好き』です。今までは『幼馴染として』、だと思ってました。

 でも、ここに至ってようやく気づけました。

 お付き合いしたり、結婚したり、子供作ったり。そうして幸せな未来を想像しちゃうような、『好き』だったって。


 ……同時に、ならない未来なんて、私にとっては無意味なんだって。気づけました。


 だから、いいんです。早く死んじゃうんだとしても。

 こんな私の命で、こーちゃんを助けることができるなら、それでいいんです。

 元々、一緒にはいられないはずだったんですから。……もう、一緒にはいられないんでしょうから。


 こーちゃんと一緒にいられない世界では、生きられないんですよ。……私は。

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