『結』

結唯――0週目:①

「――おい、結唯ゆい

「は、はひっ!」

「ずいぶんとくつろいでるようだが……オレの出した課題は済んだんだろうな……?」

「も、もももっ、もちろんなのですよ! ……もちろん、これから、やるところで~……え、えへへ」

「……」


 大好きな幼馴染、浅井あさい孝貴こうきくん――こーちゃんは、頭を抱えて、溜息を吐きました。


「オマエももう高校生になるんだ。しっかりしてくれよ?」

「た、たはは……」


 ――中学三年、冬休み。

 もうすぐ私たちは、高校生になります。

 その前に待ち受ける一大事――『高校受験』を控えている私たちは、最後の追い込みと称した勉強会を、ここ最近は特に頻繁に開いています。……とは言っても、私が一方的に教えてもらってるだけなのですが。

 こーちゃんは、こんな私にも嫌な顔一つせず――いえ、めちゃくちゃ嫌な顔をしながら仕方なく世話を焼いてくれる、とーっても優しい人です。

 彼がいなければ、私はどうなっていたかわかりません。

 友達は誰一人いなかったでしょうし、勉強は絶望的でしょうし、趣味の一つだって見つけられずにいたと思います。


 そんなこーちゃんとも――高校生になってしまえば、お別れです。


 私の成績では到底こーちゃんと一緒の高校など狙えません。何かの間違いがあっても、奇跡が起きたとしても、絶対に有り得ないと思います。

 こーちゃんが教えてくれて、こーちゃんが褒めてくれる。それがあったから、勉強は好きだと思えていました。

 それが今は、ただただ憂鬱です。

 どんなに頑張っても、こーちゃんとは離れてしまう。そんなの、やる気が出るはずもなく。日に日に別れの時が近づいていくのに、その時間も勉強なんてもので潰されていく。

 全てを投げ出して、こーちゃんと一緒にどこかへ逃げてしまいたかったです。


 そんな中、一縷いちるの望みを託したのは――『聖煉せいれん学園』を受験することでした。

 私の成績ではぶっちゃけぎりっぎりも良いところで、受かるのは奇跡でも起こらないと無理と、担任の先生にも、当然ながらこーちゃんにも言われてしまっています。

 なんでそんなキツいところを目指しているかと言えば――そこは、こーちゃんが第二志望にしている学校だからです。第二志望ともなれば、そこの学校へ通う可能性もわずかながら残ってくれます。

 でも正直、こーちゃんの頭の良さは半端じゃないです。聖煉なんかじゃー余裕でしょうし、もっともっと良い学校へ行っちゃうはずです。


 奇跡が起こって、私が聖煉に受かる。

 何かの間違いが起こって、こーちゃんが聖煉に来てくれる。


 そんな『奇跡』と『何かの間違い』の両方が起こってくれれば――こーちゃんとも、これからも一緒にいられるのでしょうか。



     ◇     ◇



「――こーちゃん」

「ん?」

「頬、つねってくれます……?」

「お、おう」

「……ひゃくないへふくないです

「い、いや……ちゃんと夢じゃない、ぞ……?」

はひへふまじですふぁー!?」


 ――起こってくれました。奇跡。


 私は見事、聖煉学園に合格致しました。

 ……でも、さほど満たされてはいません。決して嬉しくなかったわけじゃないんです。

 でも――こーちゃんがいないなら、この頑張りも、喜びも、奇跡も、全てが無に帰してしまうんです。


「んっし。これでこーちゃんは心置きなく、本命にのぞめますよね!」

「ああ。ほんと、肩の荷が下りたよ。おめでとう、結唯」

「ありがとーございますっ、せんせー! せんせーもどうかがんばってくださいね!」

「おう、応援さんきゅ」


 ……嘘、つきました。

 がんばって、なんて……思ってなかったんです。


 ――ねぇ、こーちゃん。

 『何かの間違い』で……落ちて、頂けませんか……?



     ◇     ◇



 受験を終えた私は、熱心にこんなことを調べてました。


 ――散る。転ぶ。滑る。消える。崩れる。壊れる。破れる。敗れる。堕ちる。


 このような――『み言葉』、というのがあるらしいです。めでたい席や、大事を控えてる人には、決して向けてはいけない……不吉な、言葉。

 言葉には、『言霊ことだま』が宿る。何かを引き寄せる力があり、発した言葉通りの結果を呼び込む。


 最初はほんの悪戯いたずら心でした。受験で溜まったストレスを発散させるつもりでした。

 こーちゃんのバカー! って。『高校も結唯と一緒のとこ行ってやるよ』ぐらい言ってくれてもいいじゃないですかー! って。

 こーちゃんなんか、落ちちゃえばいいんだ。それでぶつくさ文句言いながらも、これからも毎日私と一緒にいればいいんだ。

 ……そんな風に思いながら。

 ノートに書き記します。口遊くちずさみます。心の中で、唱えます。

 事ある毎に、毎日のように。飽きもせず、無邪気に、ひたむきに。


 私は――願って呪ってしまいました。



     ◇     ◇



「――……え?」


 私は、耳を疑いました。


「だから、落ちたんだ」


 もう一度、同じ言葉をこーちゃんが発します。


「そ……、そうなの、ですか……」

「さすがに最初はオレも信じられなかったよ。だろ、って」

「……」

「だが悔やんでても仕方がない。これが現実だ」


 ずきん、と胸が痛みます。

 いつも自信たっぷりだった表情が、苦悩に歪んでいます。必死に自分へ言い聞かせている姿を直視できず、目を背けてしまいます。


「まあ、高校でもよろしくな」

「は、はい」


 あんなにも願った結果であるはずなのに、ちっとも嬉しくなかったです。胸が苦しかったです、痛かったです。


 この時既に、私はもう――こーちゃんの隣にいる資格、なかったんです。



     ◇     ◇



 こーちゃんと二人、学校へ向かいます。

 会話は一切ありません。幼い頃からの習慣だから、惰性だせいで。親の目があるから、義務感で。一緒に行ってくれるのは、たぶんそんな理由からです。


 隣を歩いてるはずなのに、遠いです。

 一緒にいるはずなのに、独りです。


 中学の頃のこーちゃんは、輝いていました。

 勉強は学年で一番できて、運動もそこそこできて。誰とでもすぐ打ち解けて、先生からも一目置かれていて。優しくて、カッコよくて。誰にでも誇れる、自慢の幼馴染でした。


 でも――聖煉に来てからのこーちゃんは、勉強しかしません。

 誰とも話すことなく、四六時中机に向かっています。先生に教えを乞うようなこともなく、ただただ独りで教科書に向かっています。


「す、すごいですね、こーちゃん。また学年一位ですか」


 元々部活や委員会などの活動をしながらでも、私なんかに勉強を教えてても、試験では上位の常連でした。そんなこーちゃんが、鬼気迫る勢いで勉強にのみ全霊を注いでいるのだから、当然の結果でした。


「……」

「……こーちゃん?」

「……だめだな」


 ぽつり、呟きました。


「だめだ、全然……ミスがあった。満点じゃなかった」

「……」

「こんなところでつまづくようじゃダメだ。だからこそ落ちたりする。次は絶対に失敗しない……今度こそ、失敗できない……」


 ……私に言ってたわけじゃなかったみたいです。

 自分自身を、責めていました。それだけ、こたえてしまっていたようです。

 受験に失敗してしまったことが。……こーちゃんの人生で、初めて明確な失敗をしたことが。




     ◇     ◇




 浅井孝貴は自室に引き籠る。

 カーテンさえ閉め切った薄暗い部屋の中を、勉強机に備え付けられたライトの微かな光だけが怪しく照らす。

 睡眠も食事もろくに摂らず、自分が持ち得る限りの時間を勉学へと費やしていた。


「――孝貴」


 母である京子きょうこの声がする。が、見向きもせずに引き続きノートへ鉛筆を走らせる。


「…………こうき」


 再度、呼ばれる。

 ――どうせ飯だろう、そこ置いとけ。邪魔すんな。

 そんな苛立ちを覚え、手の動きが少し鈍ってしまう。


「……ねえ――」

「うるっせえ!」


 椅子からガタンと立ち上がり、叫んだ。


「飯なら適当に置いといてくれ、邪魔す――」


 吐き捨てるように言いながら、振り向いた孝貴は――絶句した。

 母の目に――大粒の涙が見えたから。

 それだけじゃない。孝貴の記憶にある母の像と、かなりのズレがあった。

 顔色は蒼白そうはくで、頬はせこけ、髪はボサボサ、その目に生気は無い。衣服は汚れ、それも酷く着崩れている。

 いつも明るく溌剌はつらつとしていた母の姿は――どこにもなかった。


「ねぇ……こうきぃ」

「……」

「やっぱり……だめ、なのかな……?」

「……」

「がんばってきた、つもり。――でも、周りの言う通り……女一人で子育てなんて、やっぱ、無理……だった? ……アタシ、間違ってた……?」


 孝貴はようやく気付いた。

 自分が、どんなに愚かなことをしていたかを。

 それが――どれほど母を傷つけるものだったのかを。


「……ごめん」

「……」

「ごめん、な……母さん」

「あっ……」


 母の身体を、抱き締める。思いの丈のまま、強く、強く。


「母さんは……間違ってなんかいない。ずいぶん迷惑も心配もかけたけど……もう、大丈夫だから」


 涙に濡れる京子の目を真っ直ぐに見つめる孝貴の目は、強い決意の光を灯していた。


「オレがいるから……これからはオレが、守るから」

「……ん」


 やつれてしまった頬を、そっと手のひらで撫でる。

 乾いてヒビ割れた青紫色の唇へ、自らの唇でそっと触れる。


 ――この日、孝貴は。

 侵してはならない――禁断の一線を、越えてしまった。

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