5週目:②

「――追いかけなくていいの?」

「……」


 聞こえてきた声に一切の反応ができない。


「この後彼女、どうすると思う? 自首か……自殺か。まぁ後者だろうね、そうだったし」


 それを耳にすればさすがに、追いかけなければ――と頭では思った。けど、身体が一ミリたりとも動かない。

 それは果たして痛みのせいか……それとも――


「いいよ、じっとしてなよ。って言ってもどーせ動けないだろうし。どーせボクがさ?」


 ほっとした。……ほっと、してしまったんだ。

 こちらの胸中を見透かしたように、リオは言う。


「そう。この瞬間、キミにとってこの世界の結唯ちゃんは、もう存在と化したわけだ」


 ――どうでも、いい。

 もう死んでしまうのだから。もう幸せにはなれないのだから。……どうせ、巻き戻すのだから。

 否定が、できなかった。悔しくて涙が込み上げてくる。

 それでもリオの言葉で目が覚めたように、わざとらしく目を見開く。身体に必死に『立て、動け』と命令する。

 それは――単なる、『パフォーマンス』だった。オレは結唯を大事に想っている、救いたいと思っている。そう自分に言い訳をする為の、みにくい悪あがきだった。

 そうしたところで、何ができるわけでもないのに。

 父親を殺してしまった結唯を救う術など、持ち合わせてるはずもないのに。


「あーあ。どうしても犯しちゃうんだよねぇ、人間って」


 リオが心底呆れ切った口調で語り出した。


「『パンドラの箱』……いや、『見るなの禁忌』かな。『鶴の恩返しの〝ふすまの向こう〟』とか、『浦島太郎の〝玉手箱〟』とか。当然知ってるでしょ?」

「……」

「なーんでダメって言われてるのに見ちゃうのかなぁって、キミたちも思うだろ? ――でも、これが現実。キミもその例に漏れず、いっくら警告されたところで見ちゃうんだ。結局ね」

「……」

「わっかんないよねぇ。でもそこが、とても面白い」


 呆然と項垂うなだれているオレの表情を、にんまりとした笑顔で覗き込んでくる。


「こんなあからさまな挑発にも何も言い返せないんだねぇ。そんなにショックだった? せっかく警告してあげたのにさ。結局真実を見ちゃって、再起不能なまでに叩きのめされて。滑稽こっけいだよねぇ、キミってば。ほんっとーにさぁ」


 けらけらと腹を抱えてわらう。

 反論などできるはずもない。発せられた言葉のどれもが正しかった。

 リオは確かに警告をしていた。それをわずらわしく感じ、振り払い……オレになら必ず〝リオ〟にさえ想像もつかない未来を引き寄せてみせると、昂然こうぜんと挑んだ結果がこのざまだ。


「……オマエは……ずっと、わかっていたのか……?」

「そりゃーもちろん」

「これが……真実なのか? 結唯は、だから毎回死んだのか……?」

おおむね、そうかな」

「こんな……、許されざる行為だ、最大級の禁忌だ。親子が交わるだなんて、そんな――」


「――?」


 ……は?

 驚きのあまり、声すら出なかった。

 リオの声が、恐ろしいまでに低く、冷たくなる。明らかに怒りのこもった口調だった。


「うん、まっ。ここらが潮時しおどき、かな」

「……しお、どき……?」

「うん。意味わかる? 『潮時』ってね、『引き際』じゃなくって、『丁度いい時』なんだ」

「……」

「今こそキミは、全てを知るべき……いや、だ」


 おもい、だす……?

 オレが……何を、忘れて――


「まずさぁ。キミってば、いっつも上から目線だったよねぇ? 守ってやるとか、助けてやるとか、幸せにしてやるとか。ずいぶんと大口叩いてたよねぇ? 力なんてないくせに、強くなんてないくせに。事ある毎に今みたいにへこたれてばっかりで、廃人にさえなりかけてさぁ?」

「……」

「あげく……してやるー、だっけ? ――できてないよ、


 ぐうの音も出ない。本当にオレは……無力だった。

 そして、振り返っても――出来ることが、結唯の為にしてヤれたことが、もう何もわからなくなってしまった。


「キミが守ってあげるつもりでいた? それがそもそも違うよ。

「……ぎゃく?」


「そ。が、


 ――ドクン。

 心臓が、胸を突き破りそうなほど暴れた。

 ……守られた? オレが?

 どういう意味だ……誰に、守られたって……?


「では、ここで問題だ。結唯ちゃんが親と関係を持ってしまっているのは、さぁーなんででしょうか~?」


 ――ズキン。

 頭が、割れるように痛む。

 親と……関係を、持つ。


「今のキミなら思い出せるはずだ」


 ――ズキンッ。

 夢に出てきた――と思っていた、長い黒髪の女性。

 あれは……小夜子さよこじゃ、ない。オレのもっと身近な、もっとよく知る――


「――さぁ。その人は……だーれ?」


 ――


「あっ……」


 思い出した。全て。

 オレは――母さんと――


「結唯ちゃんってば健気だよね。キミがそんなことになるのが許せなかった。だから、キミに訪れる不幸を、全て肩代わりしたんだよ。

 ――つまり、過去にキミが母親と交わってしまったせいで、代わりに今は結唯ちゃんが父親と交わっているんだ」


 ……嘘だ。

 何かの間違いだ。デタラメだ。コイツが見せた悪夢だ。


 そう必死に言い聞かせても、心が受け付けてくれない。ただの往生際の悪い現実逃避だと、オレ自身が認めてしまっている。

 コイツのせいでも、誰のせいでもない。

 確かにオレは、自分の意思で……母さんと――


「――だいじょぶぅ? いまにも死にそうだけどぉ?」


 急にリオの顔が目の前に現れ、ビクっとってしまう。そこをリオは更に詰め寄ってきて、オレのことを至近距離で見つめながら……心底愉快そうに、歌うように語り始めた。


「ほんっとキミってば、ビックリするほど脆弱ぜいじゃくな精神力の持ち主だよねぇ。何度病んだら、何度心を折ったら気が済むの? 結唯ちゃんのほうが何百倍も強いじゃない」


 ……。


「誰かを守ってあげられるような主人公――ヒーローや勇者にでもなりたかったんだろうけどね。守られていたのは、キミの方なの」


 ……うるせえ。


「この物語に置けるキミの立ち位置は、勇者じゃなくだ。自分に力が皆無なことを認めようとしない、身の程をわきまえない、ワガママでおてんばなお姫様だ」


 やめろ。


「事ある毎に暴走して、出しゃばって。物語を引っ掻きまわす、勇者を窮地きゅうちに立たせる。とんだ傍迷惑はためいわくなお邪魔虫だ」


 ……やめろ。


「もちろんそんなキミにだって価値はあるよ。ドキドキ、ハラハラの展開を生み出すためには必要な存在だ。――実際、観てるボクは楽しかったよ? とーっても、ねぇ……?」


 …………やめて、くれ……ッ


「さいっこーに楽しいだった。他ならぬ、キミのおかげで。ありがとうねぇ、こーきくん?」


「うわぁああああああああああッ!!」


「あははははははははははははッ!!」


 その口に鋭い牙が見え始める。その頭に禍々まがまがしい角が生えてくる。その背中に生えた翼が、漆黒に染まっていく。

 ――気がした、だけだった。単なるオレの思い込みから生じた幻覚だった。

 コイツが悪魔だから、こんな目に遭わされているわけじゃない。

 悪いのは――何もわかってなかったのは――


 ――他ならぬ、オレだった。

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