5週目:①

「――……こーちゃん?」


 ……?


「どしました。思い出にでもふけっていましたか?」


 ここ、は……?


「……結唯ゆい?」

「はい、結唯です。いつもコソコソ、あなたの背後に、張り付く人影! で、お馴染みの結唯です」

「……ガチストーカーじゃねえか」

「おぉっ、すばらしい洞察力です。ご褒美になんかあげます、何が良いですか?」

「独り心休まる時間か、プライバシーを」

「……それはちょっと難しい注文ですね」


 まだ意識も記憶も不明瞭ふめいりょうだが、徐々にうっすらと思い出してきた。

 オレはつい先ほど、結唯の家で何者かに襲われた。

 このいつになくぼんやりとする感覚。それに見覚えのある公園。

 これは、たぶん――


(――あぶなかったねぇ)


 脳内に直接、声が聞こえてくる。


(……サンキュ。助かった)


 意識を失い、下手すればそのまま殺されていたオレを、時間を巻き戻すことで助けてくれたらしい。同日の数時間前、結唯と公園でデートをしていた時のようだった。


(もうっ、世話が焼ける子だねぇ。ボクじゃなければとっくに見放してるぞ、大海のように寛容なボクの心を褒め称えるべきだよ)

(いや、ほんと助かったよ。後で何でもしてやるから)

(ん? いまなんでもするって――)

(……おいバカそれはやめろ)


 まさか問答無用であんなことをされるとは思ってもなかったが……本音を言うと、オレの心はおどっていた。


 ――ようやく念願の黒幕らしき存在と、相見あいまみえることが叶いそうなのだから。


 アイツだ。絶対にアイツが全ての元凶、これまで散々悩み苦しませてくれた諸悪の根源に違いない。それが誰なのかを突き止め、何とかすれば全てが終わる。

 ……『何とか』? そんな曖昧な表現でなくていい。オレの心はほぼ決まっている。

 今日この後、結唯の家にいることがわかっているんだ。不意を突かれることも後れを取ることもない。

 それなら、相手が誰だろうと――かもしれないだろう?


(ねえ、ずいぶんと物騒なこと考えてるみたいだけどさ)

(なんだ?)

(ボクは正直、オススメしないよ)

(……なんだと?)

(キミが、再びあの場へ出向くこと。オススメはしない……いや、やめといたほうがいい)

(……みすみす、見逃せ……っていうのか?)


 リオは答えない。その表情はまるで、人形のようだった。

 普段の憎たらしい笑みが――感情の全てが、跡形も無く消え失せている。その雰囲気には気圧けおされてしまいそうになる。

 でも――


(――ふざけんな)


 オレは吐き捨てるように続ける。


(オレは今日この時の為に生きてきたんだ。オマエのような胡散臭うさんくさい存在と関わったりもしたんだ)

(……)

(ここを越えなきゃ、救われないんだよ。結唯も、オレも。だから――)


 ――ヤってやるよ。なんでも、な。

 そこに何が待ち受けていようと構わない。必ずオレはこの手で望んだ未来を引き寄せて見せる。

 リオに背を向け、肩を怒らせて歩き出す。コイツとの腐れ縁も今日で終わりにしてやるんだ。

 見てろ、性悪悪魔が。






 ――警告は、したからねぇ……?



     ◇     ◇



 結唯との公園でのデートを終え帰宅したオレは、すぐさま金属バットを片手に外へと向かう。


孝貴こうき? どこいくの?」


 声を掛けられ、ビクっと反応してしまう。オレの動揺を勘付かれなければ良いが。


「あ、ああ……ちょっと、軽く素振りでもしたくなって」

「……そ?」

「すぐ戻ってくるから!」


 母さんは釈然しゃくぜんとしない様子だったが、言及される前に逃げるように飛び出した。


 結唯の家の前に立ち、見上げる。

 アイツはおそらく既に……この家の中にいるのだろう。まずはその正体を確かめねばならない。

 オレが襲われた際の状況を見るに、かなり好戦的なようだった。話し合いが通じる相手だとは到底思えないし、万全を期すためには相手に気付かれない必要がある。

 物音を立てず接近し、その正体が判明したら、死角から問答無用で一撃をお見舞いしてやる。


 最悪――〝って〟しまったとしても、構わない。結唯さえ守れれば、それで。


 インターホンを鳴らさず、声も掛けず、静かに玄関を開く。

 中は前回よりも暗く、禍々まがまがしく感じる。物音が立つのを恐れてドアは閉じずに、靴のまま上がる。

 一歩一歩確実に、丁寧に廊下を歩く。突き当りに見える、例の部屋――隆則たかのりさんの寝室は、今回も半開きになっていた。徐々にその室内も見え始める。緊張のあまり、ゴクリと唾を飲み込む。


 ふと――何か、聞こえてきた。


 始めは何か、わからなかった。しかしすぐに脳裏をかすめるものがあった。

 ――……官能かんのうを……くすぐられる感覚が、あった……。

 これは……いつぞや妄想してしまった、結唯の……なまめかしい、声――


「――なんで」


 無意識に、声を出してしまった。

 この距離だ、その相手にも聞こえてしまっていたはずだろう。だが一切構わず、ソイツは何かを続けている。


「なに、してんだよ……?」


 再度、声を上げる。今度ははっきりと意識して。

 ソイツが――ソイツと、結唯が、何をしているのか。わからなかった。

 いや、その表現は正確じゃない。何をしているかは、わかる。目を疑うが、認めたくないが、わかってしまう。


「いくら幼馴染だからと言って……覗きとは、感心しないな」

「いいから、答えろよ……? ――……!」


 結唯と一緒にいたのは――隆則さんだった。結唯の――父親、だった。


「見て、わからないのかい……? 実に家族らしい……愛し合う二人らしい、だよ」

が許されんのは『親子』じゃなく『夫婦』だろうがッ!?」


 オレの頭がおかしくなってしまったのかと思った。

 その方がまだ救われたかもしれない。むしろ狂ってしまいたい、もう何も考えたくない。尚も目の前で繰り広げられている、残酷すぎる現実の光景から受ける衝撃は、オレの心の許容量を遥かに凌駕りょうがしてしまっている。

 親子でのは――最大の禁忌タブー、だろう……?


「……こー、ちゃん……? なん……で」


 うわごとのような結唯の声がする。完全に心ここにあらず――いや、恍惚こうこつとしていた。

 しかし次の瞬間、オレの手に握られた得物の存在に気付いたのか、はっきりと目を見張ったのがわかった。


「やめ、て……」


 ――やめろ、だと?

 かばうってのか……のことを?


「……オマエらが、やめろよ」


 ゆっくり、歩き出す。


「ごめん、ね……こーちゃん。見ない、で……帰って……?」

「……なんで、だよ」

「だって……この人は、……――あっ、ん」


 発言が途切れ、艶めかしい声が零れる。一層頭に血が昇ったのを――胸が煮えたぎったのをひしひしと感じる。


 この人が――なんだよ?

 父親だってか? ……、だってか?

 ――いや、だめだろ。こんなの。


「……だから、やめろ」


 両手にバットを握りしめ、天高く振りかぶる。


「――やめろって……言ってんだろォォッ!?」


「ダメぇっ、こーちゃんっ!!」


 結唯の声に、その勢いが若干抑制されてしまうが……それでも振り下ろしてしまったバットは止まるはずもなく、隆則さんの頭部へと――

 ――は届かず、隆則さんがすっと上げた右腕によりはばまれる。バットから発する金属音と――全身が総毛立そうけだつほど鈍い音が響いた。

 おそらく、折れた。隆則さんの腕が。


「っ……!」


 手に伝わってきた嫌な感触に一気に血の気が引き、ひるんでしまう。ひざが笑いだし、握力が失われ、バットを床へ落としてしまう。


「……駄目、じゃないか。せっかく僕が買ってあげた物を……そんな風に使っちゃぁ……?」

「あっ……う……」


 ゆらりと立ち上がる隆則さんの姿が異様に恐ろしく、無様にあえぎながら後ずさりしてしまった。


「どこまでも、悪い子だ」

「――ッぐう!?」


 隆則さんが左拳をオレの頬めがけて放ってくる。その衝撃の余り壁に背中から打ち付けられた。恐ろしく速く、重い一撃だった。


「――ッ!? がっ、は……ぁ」


 続けざまに腹に蹴りを入れられる。激しい痛みに、呼吸ができず身動きもとれない。

 尚も、蹴られる。蹴られる。蹴られる。幸か不幸か胃の内容物は無く、ただただ胃液だけが喉を逆流してくる。

 グッタリとしたオレの頭を掴み、背後にある壁へと叩き付ける。壁をぶち抜きかねない威力で……幾度も、幾度も。

 既に痛みを感じることもできず、意識もうつろだった。


 ……このまま、じゃ……死……――


 ――この状況にそぐわない、爽快な音が響き渡った。同時に、何かが砕け、割れるような音も一緒に。

 絶えずオレを襲っていた衝撃も止んでいる。一体何が起こったのかと、うっすらと目を開けると……隆則さんが、オレの身体に覆いかぶさっていた。

 恐る恐る、隆則さんの身体に触れる。――直後、妙な感触がして……自分の手のひらを見た。

 その手は真っ赤に染まっていた。

 その赤の正体は――『血』、だった。

 散々痛めつけられたせいなのか、思考放棄してしまったのか、ひたすら茫然自失していた。


「だから、ダメって言いましたのに」


 突如とつじょ声のした方向を、なかば無意識にゆっくりと見上げる。


「この人は、――『』、なんですから。ねっ?」


 ニッコリと笑いかけてきた結唯の顔は――赤に染まっていた。

 その手には、オレの金属バットが握られていた。


「今日、ここであったことは……忘れてくださいね? ぜーんぶ」


 結唯の姿を、ただただ見つめる。瞬きすらせず――


「……さよなら、こーちゃん」


 ――最期の姿を、この目に焼き付けるように。

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