4週目:⑦

「デート、って……こんなとこで良かったのか?」

「いいんですよ。最近、二人っきりでのんびり過ごす時間もなかったですし」


 結唯ゆいに連れられて訪れたのは、近所にある公園だった。

 ここならば確かに金は必要ない……が、なんでまたここへ? 内心首をかしげつつ、肩を並べて歩く。


「私には、このぐらいが丁度いいんですよ。ほどよくて」

「そうか。ならいいんだ」


 若干卑屈さを感じてしまう台詞ではあったが、その想いは結唯の晴れやかな笑顔によりき消された。喜んでくれているなら、それでいい。


「懐かしいですねぇ」

「だなぁ。しっかし、どこも変わってないな」

「最後にきたのって、いつでしたっけ?」

「いつだったか……二、三年は来てないと思うが」

「昔はよくここに来てましたよねぇ。遊具で遊ぶのなんかまれで、飽きもせずおしゃべりばーっか」

「ああ……丁度あの砂場の奥辺りで、作戦会議とかしょうしたりもしてな」


 正面左手方向にある砂場。その奥に見えるベンチに座りながら他愛もない会話をしたり。ベンチより更に奥のしげみの中に隠れ、こそこそと秘密の会議をしたりしていた。


「んー、でも……なんの会議してましたっけ?」

「……忘れたな」


 なぜか……先ほどから、どうにも思い出せない。

 ここにいつ頃から来ていないのか。ここで何を話していたのか。


「そんなもんなんですかね? 幼いころの記憶なんて」

「言うほど幼かったっけか?」

「う~ん……」


 結唯が腕を組んで悩み始める。オレも空を眺めつつ、記憶を探った。

 幼くはなかった……気がする。それこそ、小学校高学年……下手すれば中学に上がってからも来ていたように思う。

 でも……その辺りの記憶が、一番おぼろげになってしまっている。もっと昔の記憶の方が容易に思い出せるぐらいだ。最後に来た時期もそんな感じだが、作戦会議の内容に関してはそれ以上に何も思い出せる気配がない。


「……ダメだ、止めよう」

「……ですね。そろそろ頭が頭痛であいたたたたです」


 同じタイミングで頭を抱え出す。結唯の言う通り、若干頭が痛んできてしまっていた。

 再び、ゆっくりと歩き始める。

 学校へ通う時よりも、また一段と遅い結唯の足取り。それがこの場においては心地よく、特に意識せずとも自然と足並みが揃う。

 右手側に見える池をぼんやりと眺めながら歩いていた結唯が、おもむろにこちらを振り向く。


「ねえ、こーちゃん」

「なんだ?」


 その表情は、息を呑んでしまうほどに真面目であり、大人びてもいた。


「こーちゃんは、いま――幸せ、ですか?」


 結唯らしからぬ様相に、目をパチクリさせてしまう。少々小っ恥ずかしい気もするが、相手が真面目に聞いてるなら、こちらも相応の態度で答えなければいけない。


「そう聞かれると微妙なとこだが……まあ、悪くない日々を送らせて貰ってるよ」


 できる限り、自然な微笑みを向けようと試みる。が、当然そんなの慣れていない為、ものすごく不安だった。


「……そ、っか」


 そう言ってうつむいてしまった結唯は、少し寂しそうに見えた。

 ……言葉を間違えてしまっただろうか。そんな不安に見舞われるが――不意に、くすっと笑う声がした。


「なら私も、幸せ。です」


 再び顔を上げた結唯は、思わず天使かと見紛みまがってしまうほど――可憐に微笑んだ。



     ◇     ◇



「今日は本当に、ありがとでした」


 適当に公園内をぐるっと回り終えると、結唯がそう言いながら公園から出て行く。

 その後を追い、互いの家までの方角へ歩みを進めながら、正直な想いを述べた。


「オレは特に何もしてない気がするが」

「そんなことありません。お陰様で、さいっこーの一日になりました!」

「それはさすがに言い過ぎだろ」

「ほんとーにほんとなんですよ? 一生忘れません、生涯の宝物です」


 余計に大げさになってしまった。さすがにかなりこそばゆい。

 これ以上否定しても無意味な押し問答になりかねないので、恐縮だが結唯の気持ちを受け取っておく。


「ま、そんなに喜んでくれたなら何よりだ」

「んっふふー」


 にんまりとした笑顔になる結唯。本当に幸せそうだった。


「また、行こうな」

「……はいっ!」


 少し驚いた様子だったが、すぐに元気よく頷いてくる。


「じゃな、結唯」

「はい。ばいばい、こーちゃん」


 ――いつでも、何度でも、行ってやるさ。

 オマエがオレの下を離れる、その日までは。



     ◇     ◇



「ただいま、母さん」

「おかえり。どうだった?」

「どう、って言われても……すぐそこの公園だからなぁ。特に真新まあたらしいものもなかったし……」

「アタシが聞きたいのはそーいうこっちゃないの! もうっ、なんでこの子はほんとーもー」

「……へ?」

「アンタに期待したアタシがバカだったのね、そーなのね……」

「えっ……い、いや、なんか……ごめんな、母さん」


 何だか知らんが、罪悪感だけは湧き上がってくる。一体オレは何を間違えてしまったのだろう……。


「はぁ……いいわ。お風呂沸かしてあるから、入っちゃう?」

「あ、ああ。そうさせてもらうよ」


     ◇


 湯船に浸かり、今日の出来事を思い返しながら……ふと、考える。

 結唯は……本当に、『幸せ』なんだろうか……?


 ――オレは特に何もしてない気がするが。


 何気なく言った自分の一言が、頭の中に響き渡る。それも、ガンガンと。

 振り返れば――オレは結唯に、何かをしてヤれたのか……?

 一緒に学校に通っていただけ。時々一緒に勉強をしていただけ。

 ただ普通に学園生活を送っていただけ。……ただ、普通に生きていただけ。

 一見して結唯に何の異変もないことに安心し切って、のうのうと自分の生活を楽しんでしまっていた。

 これでは別々の高校へ行っていた最初の世界と、一体どこに差異がある?

 もしかして、また気づけていないだけで……悲劇はもう始まってしまっているのだろうか? ……手遅れだったりしてしまうのだろうか。


「……大分、弱気になってんのかな」


 もう何度、結唯を死なせてしまっただろう。

 その事実は、じわりじわりとオレの精神をむしばんでしまっていた。


     ◇


 風呂から上がり、飲み物を探そうと台所へ向かう。冷蔵庫を開け、牛乳のパックを手に取ってコップへと注ぎ、口をつけ始めたところで母さんが声を掛けてきた。


「ああ、ねえ孝貴こうき

「うん?」

「結唯ちゃん、晩ご飯の支度がまだだったら、うちで一緒に食べないか聞いてきて貰える?」

「ああ。わかった、ちょっと行ってくる」

「お願いね」


 母さんの提案に、思わずはっと気づかされた。

 オレが隆則たかのりさんと会えていないことから想像するに、忙しくてあまり家にいないのだろう。夕飯も一人で食べる機会も多いのかもしれない。

 そういう寂しさもあったんだろうな。あんなデートでも大げさなまでに喜んでしまえるぐらいなのだから。

 ほんと、だめだな、こんなんじゃ。わかってやる、幸せにしてやるなんて意気込んでいたクセに。


 ……オレは気づくのが、遅い――


 ――ズキン。


「っ……」


 何かに違和感を覚えることは、度々あった。

 今日の公園でのように、微かな頭痛をもよおした覚えもある。


 しかし、今の痛みは――強烈だった。

 視界が揺れ、よろめいてしまう。

 ……なんだってんだ、一体。


 幸い後を引く痛みではなかったようで、ほんの数度まばたきをした辺りで、もうすっかり治まっている。気にならないわけではないが……今はそれ以上考えることをやめた。


 結唯の家の前へ着くと、インターホンを鳴らしてから声を上げた。


「結唯ー?」


 ……出てこない。返事も無い。

 明かりが漏れてないことから、一階のリビングや、二階の自室にはいないみたいだ。時間的に台所か……それとも少し早い入浴か。それとも他の何かしらの事情で手が離せない、インターホンやオレの声を聞き逃した。出てこない理由など、考えればいくらでも思い浮かぶ。


 ――でも。


 やはりというか、湧き上がってきてしまう。目に焼き付いてしまった光景、どうしてもぬぐえない恐怖が。

 例のごとく、鼓動が暴れ始めてしまう。息苦しさを、手が震え出すのを感じる。


 ――それでも。


「……行くしか、ない……か」


 反応が返ってこないのは、風呂に入ってるから。それならそれでいい。風呂上がりの結唯と鉢合わせて、騒がしくわめかれて、ビンタの一発でも貰って済むならそれでいい。だがさすがに握り拳は遠慮したい。

 深呼吸を大きく一度してから、取っ手を握り……玄関のドアを開ける。


「……結唯?」


 中は真っ暗だった。外は日が暮れてしまっているが、まだ真っ暗な室内になるほどの時間帯でもない。妙に暗く不気味に映ってしまうのは、オレの精神的な補正がかかってしまっているせいかもしれない。

 ゆっくりと廊下を進む。第一候補だった台所にいるのであれば、この暗さはおかしい。おそらくそこにはいないと、浴室の方向へと歩みを進める。

 ……これで本当に風呂に入っているようだったら、オレはただの変態だ。通報されても文句が言えない罪を犯してしまうことになる。

 浴室に結唯がいてほしいのか、いてほしくないのか、判然としない複雑な想いのまま……浴室へと続く、脱衣所の扉を開いた。


 ――いない。


 ドクン、と心臓が一際大きく跳ねる。

 ……これでは、もう、ほぼ……。

 最悪の可能性が浮かんでくる。そうとしか思えない。

 結唯が――またも、無残な姿になってしまっているのかもしれない。

 その姿を確認したわけじゃない。けれど、確認する勇気が無い。その意思が微塵みじんたりとも湧いてこない。足がピタリといつけられてしまっているかのように動かない。全身全霊が拒絶してしまっている。

 これでは――


「――……結唯?」


 ふと、何かの物音がした気がした。反射的にその方向へ目をやると……廊下の突き当りにある扉の一つが、半開きになっていることに気付いた。


 あの部屋は、確か……隆則さんの、寝室――?


 無意識に、吸い込まれるように足が動き出す。覚束おぼつかない足取りで、一歩づつゆっくりと……一縷いちるの望みにすがるかのように。

 近づいていくと、半開きになっているドアの隙間から、徐々に室内の様子が見え始め――


「――結唯っ!?」


 思わず叫んだ。

 そこに見えたのは――ベッドの上に横たわる、結唯の身体。


「どうした、結唯? 大丈夫か?」


 駆け寄り、呼びかける。グッタリとはしているが、息はあるようだった。


「……ん」


 微かな結唯の声。それが耳に届くと、急激に安心感が込み上げてくる。


「結唯……? なぁ、結唯……っ?」


 肩に触れ、軽く揺すってみる。


「んっ、ぅ……?」


 うっすらと目を開いた。

 眠っていた、だけ……か? あぁ、良かった……本当に。


「……こー、ちゃん……? おはよぉ、です……」


 完全に寝起きの反応だった。

 心臓に悪すぎるが、今は心からどうでもよかった。結唯が生きてくれていた喜びしかなかった。


「結唯……なんでまたオマエ、こんなところで……」

「んぇ……こーちゃんこそ、どうして――」


 結唯の言葉が途切れた。

 そして、その表情が驚愕きょうがくへと変わり――直後、恐怖に染まる。


「逃げてっ、こーちゃんッ!!」


 ――え?


 そう聞き返す前に、オレの身体が崩れ落ちる。

 突如、後頭部に強烈な衝撃を受けた――ようだった。

 誰かに、何かで、殴られた――らしい。

 頭も、身体も、動かない。

 視界が……暗転していく――

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