4週目:⑥

 外はすっかり晴れ上がっていた。どうもゲリラ豪雨に近いものだったらしい。


「ほんとありがとな、小夜子さよこ。また明日、学校で」


 お陰で無事に下着も乾き終え、下手したら家を出た時よりもピシっとした服装になった。一人暮らし歴が長いのか、意外なことに大分手慣れていたようだ。


孝貴こうき


 玄関を出ようとしたところを、小夜子に呼び止められる。


「ん?」

「……」


 結論から言うと、あの後オレたちは結局――

 理由は至極単純であり、小夜子の言う通り――オレがヘタレてしまっただけだ。

 何を口走ったかはいまいち覚えていない。酷くテンパり、しどろもどろに支離滅裂な発言をした気がする。

 男側が口にする言葉じゃない気がするが、心の準備がまだできていなかった。とにかく怖かった。

 そんな具合でこの上なく見苦しく足掻あがいた結果、「バーカ」と素気無く言われて終わったのだが、その際の小夜子は……なぜか、ぷっと吹き出し、クスクスと笑っていた。これまで見た中で、最も目を疑ってしまう表情だった。


「ま、そういうところもあなたらしいけど」

「……うるせえ」

「気が変わったらいつでもどうぞ? なぐさめてあげるわ。――お姉さんが」

「だから、うるせえって!」


 このかん、小夜子はずっと笑っていた。

 オレをからかうのが純粋に楽しかっただけかもしれない。けれど、こんなにも笑って貰えるなら……そう悪い気分じゃなかった。

 この先も、小夜子とは仲良くやっていける。確かにそう思える、清々しい気分だった。


 あの時、もしオレがヘタレてさえいなければ……かもしれない。

 しかしそうしてしまえば、絶対にこんな想いは抱けなかった。そこ自体に後悔はない。でも――


 ――そう。オレはただ、なんだ。


 アイツらの顔を、寸刻すんこくたりとも浮かべてなどいない。小夜子に片想いをしている、拓海たくみの気持ちを知っておきながら。……オレが一番大事にしなきゃいけないはずの、結唯ゆいがいながら。

 あとほんの少し、勇気や欲望が勝っていたなら……おそらくオレは、小夜子と――


 ――……最低、だな。オレは。



     ◇     ◇



「ただいま」

「おかえりなさい、孝貴。遅かったわね」

「……学級委員の仕事があってな」


 少しの間が空いてしまう。けれど、悟られるほどのものではなかったはずだ。

 後ろめたさを覚えながら、逃げるように洗面所へ向かった。

 ――そこは、洗面所だった。が、同時に脱衣所もねていた。

 オレと母さんは二人暮らしであるため、普段ならばそこには誰もいないはずだった。

 ……しかし、今日は――


 ――ガチャリ。


 ……


「あらっ、こーちゃん。奇遇ですね、こんなところで」

「……あ、ああ」

「ごめんなさい、ちょと待っててくださいね。いま、なので」

「……あ、ああ」


 ……ぱたん。


 …………再び、間。


「きゃああああああああ!?」

「ああああああああああ!?」


 二人分の大絶叫が木霊こだました。


「ちょ、二人とも! なにしてんの、近所迷惑だから――って、あっ」


 慌てて飛んできた母さんが、自身の額をぺちんと叩く。そのジェスチャーの意味は「てへ、やっちまったぜ☆」だと思う。


「あははっ、ごめんごめん。言うの忘れてたわ」

「な、ななっ、なんで結唯が、家に……!?」


 ――それも、風呂入ってて。……その上さらに……裸で。


「ちょっと前にすっごい雨ふったでしょ。こりゃ帰れないだろうなってアンタに電話したんだけど……ぜんっぜん出ないから、結唯ちゃんに電話してみたのよね。そんで迎えに行ってあげたの」


 結唯もあの雨に巻き込まれてたのか。それで濡れたから、風呂に入った……と。


「……あれ? ってことは、結唯も帰ってきてからそう経ってないのか?」


 拓海と一緒に、ずいぶん前に学校を出たと思ったんだが。雨が降ってくる前に家まで到着できそうな時刻だった気がする。

 不思議に思っていると、脱衣所の扉が開く音がした。着替え終えた結唯が出てきたらしい。


「ちょと本屋さんに寄り道しちゃってましたので。気付いたらもー、外は雨がざーざーでした。脱獄困難な天然の牢獄と化していました」

「そこへ駆けつけたヒーロー、アタシ」

「まさに京子さん様様なのでした。きっと私の目はハートになってたと思います」

「よせやい、照れちまうぜ」

「きゃー!」


 ……脱獄の手引きをした者は、果たしてヒーローなのだろうか。この二人のノリには一生ついていける気がしない。


「――で、アンタどう落とし前つける?」

「……は?」

「結唯ちゃんをけがした罪を、どうつぐなうのかって聞いてるの」


 穢した……? 見てしまったことか? ……結唯の、裸を。


「お、おいなんだよそれ? 教えてくれなかった母さんが悪いんじゃ……」

「口答えすんな! いいかいアンタ、嫁入り前の女の裸を見るなんざぁ許されざる行為だぁ。市中引き回しの上、打ち首獄門されちめえよ」

「うっ、うっ……。もうお嫁にいけないのです……」


 やけに芝居がかった口調だった。絶対にコイツら面白がってやがる。


「んな、大げさな……そもそも昔は一緒に――」

「わー、わーっ!」


 突如結唯が大声を上げて、発言がさえぎられてしまう。どうやら一切の抗議を受け付けてくれないらしい。オレに人権をください。


「とにかくっ、これはもう責任を取って頂くしかありません! 五年間の交際を経て結婚して、ゆくゆくは子供をもうけるのです。理想は三人ほど! そして栄えある第一子には、『リオ』と名付けるのです!」


 いくらなんでも妄想力たくましすぎる。結唯の人生プランは一体どこまでできあがっているのだろう。実現までされてしまうのは悩みどころだが、面白そうだからちょっと覗くだけ覗いてみたい。

 ――って、いま……結唯の奴、なんて言った?


「……『りお』?」

「ええ。『りおくん』、『りおちゃん』。男の子でも女の子でも通ずる、とってもステキなお名前だと思うのです。いつか子供ができたら、絶対そう名付けたいと常々思っていたのですよ」

「そ、そう……なのか」


 例の性悪悪魔と同じ名前だが……偶然、だよな?


「あらあら。結唯ちゃんってばすっかりその気ねぇ」


 他人事のように母さんがしみじみと呟いた。その様子を見るに、結婚に反対する気は毛頭ないらしい。


「なあ、母さん。これ、どうすればいい……?」

「そんなの、結唯ちゃん本人に聞くしかないでしょ」


 確かにそれが手っ取り早いのだろうが、全てを結唯にゆだねてしまったら、どんな条件を出されてしまうのかが未知数だ。

 正直聞くのが怖い――のに。


「ねえ結唯ちゃん。孝貴がね、ってさ」


 ……おいバカやめろ。実の親にバカなんて言いたくねえのに、このバカ親は――!


「な、なんでもっ!?」

「……責任を取る、以外でならな」


 結婚はまだできる歳じゃないにしても、こんな形で交際させられる羽目になるのは……なんか、嫌だ。初めて付き合う相手とは、ちゃんとお互いに向き合って――

 ――こんなだから、『ヘタレ』た性根しょうこんになってしまうのだろうか。はぁ……。


「それじゃ~、ですねぇ~。デート、してくださいっ」

「……デートぉ?」

「はいっ。二人っきりで、お出かけ。です」


 軽く首を傾け、にっこりと微笑んでくる。


「あら、いいわねぇ。よっしお金ならアタシが出すわよ。――欲しい?」

「…………」


 『バカ野郎』と危うく口に出しかけ、歯を食いしばって何とか耐え切った。

 いやでも、ホントにバカ野郎だろ母さん。息子がで泊まるホテル代を出そうとする親が一体どこにいんだよ。


「あぁ、いえっ! お気持ちは嬉しいのですが、大丈夫なのです。お金とかは要らない場所へ行きたいので」

「……そう。ざーんねん」


 なあ、そこまでしょんぼりする必要あるか? マジでどんだけ必死なんだ……そのうち親子の縁切っちまうかもしれないぞ?


「まっ。変なとこじゃなきゃ付き合ってやるよ」

「そうよ、変なとこ行って危ない目に遭ったり、ぼったくられたりしても困るわ。アタシが知ってるトコなら安心だから、やっぱりそこに――」

「……母さん、そろそろ黙ってくれ」

「……ハイ」


 いい加減からは離れて欲しい。なんでこの親から生まれておいて、息子はヘタレになってしまったんだろう。謎過ぎる。

 ……母さん、オレぐらいの年齢の時にはもう子供作ってんだもんな。ホント信じらんねえ。


「じゃー、こーちゃん、はいっ」

「……なんだ?」

「見てわかんないですか? 『指切り』ですよ、ゆびきり~」


 言われてみれば確かに納得する。小指だけを立てた右手を、こちらへ差し出していたのだから。

 しっかしこの歳にもなって、そんなことをしたがるとは……と苦笑しつつも、おとなしく同様に右手の小指を差し出す。


「ほら」

「んっ。――ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーら、はーりせーんぼーん、のーますっ! ゆーびきーったーっ♪」


 元気よく歌い上げ、満面の笑みを浮かべる。


「今度のお休み、ですからね?」

「ああ、わかったよ」

「んっふふー。今からとーってもたのしみですっ」



     ◇     ◇



「いやー、賑やかだったねぇ」


 さあ寝ようと布団へ潜った途端、耳障りな声がする。……見られてたのか、あのやり取り。屈辱だ。


「来んな。睡眠妨害だ」

「そう冷たいこと言わないでよぉ、久々におしゃべりしようよぉ」


 こうなるとコイツは絶対に引いてくれない。オレの枕元で延々と恨み言を呟き続ける。

 某10円硬貨を使用した有名な占いの際、『お帰り下さい』とお願いしても絶対に『いいえ』にしか行ってくれないような奴だ。どうにか満足してもらって自分の意思で帰って頂くしかないのだ。チクショウ面倒くせえ。


「そういえば……聞いてたか? 結唯の奴、子供ができたら『リオ』って名前にしたいっての」


 喜んでくれそうな話題からチョイスしてみる。さっさと満足して帰ってくれないかと切に願いながら。

 それを聞いたリオは、初耳だと言わんばかりに目を見張る。


「へぇ、そりゃいい名前だ。とっても優しくて可愛くて、まるで天使のような子になってくれるだろうね」

「……はいはい」


 そこを聞いてなかったということは、全部は見ていなかったのだろうか。

 ならば比較的傷が浅い場面しか見られてなければ良いのだが。


「さっきの、一体どっから聞いてたんだよ?」

「んにゃ、賑やかだなーとは思ってたんだけど、その内容はほとんど聞いてなかったの」

「……そうか」

「キミと結唯ちゃんが絶叫してた場面だけはバッチリ見てたよ」

「……」


 一番ダメな場面じゃねえか。


「キミ、けっこームッツリだよね」

「うるせえ黙れね」


 これ以上のコミュニケーションを拒否するよう布団を頭から被り直す。バリアー張った、オレ無敵。

 ……オレは今何を思った。結唯の『指切り』にあてられて、オレまで童心に返ってしまったか? ……単に疲れているだけか。


「お疲れみたいだねぇ」

「……そりゃ、あの二人を敵に回したらな」


 あそこまで大げさにしなくてもいいんじゃないかと思う。

 事故なんだし。むしろオレだって被害者なんだし。……まぁ正直、結唯の裸を見れたのは役得やくとく――

 ――やっぱオレ、疲れてんな。


「しょうがないよ。裸を見られたら、神だってめっちゃ怒るんだからさ」

「そうなのか?」

「うん。見たその人を動物に変化させた上で、八つ裂きにしたりもするし」

「こええな、神」


 結唯が人間で良かった。


「こわいっていうけど、人間だってなかなかじゃない?」

「……どういう意味だ?」


「たとえばさっき結唯ちゃんが言ってたやつ、『指切り拳万げんまん、嘘いたら針千本ます』ってさ。まず小指を切って渡すことで誓いを立てて、それを破れば拳骨グーパン一万回、その上さらに裁縫針を千本、丸呑みにさせるんだよねぇ? いやぁ、おそろしや……がくぶる」


「あ、あのな。それは――」


「他にも、『煮え湯』を飲ませたりするんでしょ? しかもあれってば、が『煮え湯を飲まされる』んだよね? 騙した側への罰としてならともかくさ。おかしいじゃない、じゃない? 追い打ちとか残酷じゃない? 『泣きっ面に蜂』ってやつなの、『死体蹴り』ってやつなの?」


「いや、それも……ただの例えというか、なんというか……」


 確か……信頼してた相手に飲み頃だと言われ、いざ飲んでみたらめっちゃ熱かった。っていうような話だったか?

 つまり信じていた奴に騙されること、裏切られること――だったような。


「え〜?」

「だからお前が言ってるようなことは、本当にはやらないんだよ。……少なくとも、


 一応小声で付け足しておく。

 『指切り』の方は、昔はどうだったのかはあずかり知らぬところだが……実際どうなのだろう。

 本当にやってたとしたなら……確かに、なかなか――かもしれない。


「なーんだぁ、つまんないのー」

「面白いかどうかの話じゃない気がするんだが……というか、仮にもオマエは神だろう。優しさやら慈愛やらはどうした、おい」

「……や、やだなぁ。ちゃーんと満ち溢れてるよ」


 少しの間と、冷や汗と、口笛を吹く素振そぶりさえなかったら信じてやったのに。

 ……と思ったが、コイツの存在自体が胡散臭うさんくさいから、信じることなど一生無理かもしれない。


「そういえばさぁ、話は少し戻るんだけど」

「なんだ?」


「神はねぇ、特に『不義ふぎ』にはうるさかったりするんだよね。妻や旦那、恋人や片想い相手が何かしたら、すーぐ殺したがる。誰かと妙な関係持っちゃえば、もー血みどろ展開不可避だ、〝昼ドラ〟待ったなしだ。――特に、とか……ねっ?


「……これまた、急にきたな」


 そこも……見ていたか。先ほどは結唯と洗面所で鉢合わせしてしまったことを『一番ダメな場面』と称してしまったが、こっちの方が断然上だった。


「あんまりふらふらしないでよね。神にだって幸せにできる人数は限られてるの。まして人間ならなおさらだ。大事なものは、ちゃんと見極めようね」

「わかってるさ」


 力強く、頷く。


「オレが守りたいのは、結唯だけだ」


 それが原点であり、最も優先すべき想いだ。

 そこは絶対にブレてはいけない。今一度、胸に刻み込む。


「わかってるんならいいんだよ。ちゃーんと、最初の想いを貫いてよね」

「ああ……もちろん」




 ――――……ちゃーんと、ねぇ……?

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