4週目:⑤

「おーい浅井あさい星野ほしのー、ちょっと頼まれろー」


 ショートホームルームを終えて帰りの支度をしていたところへ、神志名かしな先生がオレたちを呼ぶ声がした。二人揃って溜息を吐きつつ、仕方なく先生の下へ向かう。


「またかよ、人使い荒いな」

「お前ら二人が有能なもんで、すーぐ甘えちまうんだ。恨むなら有能な自分を恨んでくれ」

「あたしは普通に無能な教師を恨むわ」

「同感だ」


 先生は一切悪びれることなく、びっくりするほど正直に自らのダメさ加減を伝えてきてくれる。ほぼ全くと言っていいほど良い部分が見当たらないが、なぜだか憎めない人だった。


「はっはっはー、星野は相変わらず口がキツいなぁ。俺が変な趣味に目覚めちまったら責任とってくれよな」

「教師が生徒に責任を求めるなんて最低ね」

「……突っ込むべきはそこじゃなかった気がするぞ」


 頭痛をこらえながらも、早速持ち運びを頼まれた提出物の山を受け取る。そして一緒に帰る約束をしていた結唯ゆい拓海たくみへ声を掛けた。


「というわけなんで、悪いな二人とも。先に帰っててくれ」

「りょかいですこーちゃん、ふぁいとですよー」

「また明日ね。孝貴こうきくん、星野さん」

「ああ、またな」

「油売ってないでさっさと行くわよ、孝貴」


 そう言って小夜子さよこの奴はすたすたと歩き出してしまった。別れの挨拶をするぐらい許して欲しい。あとせっかく挨拶している拓海をスルーしないでやって欲しい。


「小夜子ちゃん、ばいばーい!」

「……ん。ばいばい」


 結唯が元気よく手を振り叫ぶと、小夜子は信じられないぐらい柔らかく微笑みながら頷いてみせた。この雲泥うんでいの差は何なのだろう。いつものことながら結唯にだけ甘すぎやしないか。



     ◇     ◇



 結唯と拓海は並んで歩く。

 普段ならば、どちらからともなく喋りかける間柄だった。結唯は沈黙が苦手だからと、拓海は気を遣ってしまう性質たちだからと。

 しかし今日に限っては互いに無言だった。各々、考え事にふけっていてしまった為に。


「――……ねえ」

「――……あの」


 不意に二人して同時に口を開いた。思わず顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。


「お先、どうぞ?」

「あっ、はい。それじゃ失礼しまして……んと、あの二人、最近仲いいですよね……?」


 拓海が目を見張った。


「……奇遇だね、ぼくもそんなようなこと言おうと思ってた」

「ですよね! 学級委員ってだけじゃなくって、こう、なんていうか~……」

「うん。なんていうか、さ――」


 結唯は上手い言い方が見つからず、もどかしそうに「ん~~~」とうなる。対して拓海はわかってはいるが、それを口に出していいものかと言いよどんでしまった。

 二人の見解は、ほぼ一致していた。それを薄々察している拓海は、これ以上結唯を悩ませるのも悪いかと、躊躇ためらいながらも口を開く。


「――お似合い、だよね」


 言った拓海も、聞かされた結唯も、胸にモヤっとした何かがかすめる。その感覚の正体が何なのかは、考えるまでもないことだった。


「お似合い……うん、そうですよねぇ。なんか、お似合いです。こーちゃんも小夜子ちゃんも頭良いですし、息も合ってますし」


 ――自分達とは違って。

 心の中で、そんな想いが付随ふずいしてしまう。


「……あの二人は、いずれくっつくよ」


 それはおそらく、恐ろしく後ろ向きな性格ゆえの、ネガティブな〝妄想〟でしかなかったかもしれない。

 しかし口にしたこの瞬間、二人の間では共通の認識となり――限りなく起こり得る〝未来像〟と成り変わってしまう。


「だから、さ。ぼくたちも――しない?」

「はい?」

。丁度いいでしょ」


 それが叶えばきっと、丸く収まる。

 これからもあの二人と、友達としていられる。

 何とも自己嫌悪におちいってしまう、この上なく臆病で、卑怯な解決策だった。



     ◇     ◇



「よーっし、終わったな」


 ようやく雑用が終わった頃には、もう日も沈み始めていた。相変わらずこの先公はろくに働いてくれねえ。だがこの人に何かさせても正直邪魔なので、そこに関しては何も言わない。


「暗くならないうちに気を付けて帰れよー」

「そう言うならもう少し早く帰らせてください」

「すまんすまん。ほら、今日もジュースおごってやるから」


 この上まだ引き留めるらしい。が、タダでジュースを貰える方が何倍も大事だ。どうもすっかり餌付えづけされてしまっている気がする。


「また物で釣る気? こすいわね」

「人聞きが悪いな、これは俺からのささやかなる報酬だ。で、星野。お前はいらないんだな? よし行くかー浅井」

「ごちになります」

「……別に、いらないとは言ってないでしょ」


 口をとがらせながらも、ちゃっかり付いてくる。案外現金な奴だった。

 こういう時、小夜子はいつもブラックコーヒーばかり選ぶ。オレもこの日はつい好奇心が芽生え、同じ物を選んでしまった。直後に全力で後悔した。マジかコイツ、こんなの好き好んで飲んでたのか……。


「小夜子、オマエん家こっから近いって言ってたか?」

「そうね」

「よっし、じゃ送ってくわ」

「好きにすればいいと思うけど、あなたに私が守れるの?」

「……オレよりオマエの方が強そうだな」

「よくわかってるじゃない」


 小夜子が、ふっと笑う。バカにされてるような素振そぶりではあるが、無表情よりかは幾分マシだ。

 滅多に笑わない彼女だが、この頃ではその頻度も増えてきたように思える。少しは心を開いてくれているのだろうか。しかし当たりの強さの方は、出会った頃から一ミリたりとも変化が感じられないのが悲しいところだ。

 それ以降何を話すでもなく、肩を並べて歩く。すると、程無くして――


「――あ」

「……マジか」


 ぽつり、ぽつりと、降り出してしまった――かと思うと、その勢いは一気に強まり、ザーザーと本格的な雨へと変わってしまう。

 ……天気予報、確かに見てきたはずなんだが。外しやがったな畜生。


「くそっ……雨降るなんて言ってなかったろうが」

「仕方ない。走りましょ」

「走るって、どこか当てはあるのか?」

「あたしの家。もうすぐそこだから」


 とにかく雨宿りをしなければ。その想い一つで、無心に走り続ける。

 幸い本当にすぐ近くまで来ていたらしく、一分程度走っただけで小夜子の家へ辿り着いてくれた。


「あがって」

「悪い。邪魔する」


 玄関口で雨宿りをさせて貰うだけでも良かったのだが、これが原因で風邪を引いたりしたら小夜子が気に病んでしまうだろうと思い、お言葉に甘えることにした。

 奥から持ってきてくれたタオルを受け取り、濡れた髪から拭いていく。


「はぁ、最悪」


 心底不機嫌そうに言う彼女が、一体どんな表情しているのかと気になってしまい、半ば無意識にそちらを向いてしまった。

 ……そして、見てしまった。濡れた衣服に透けて見えてしまっている、小夜子の下着を。

 それはほんの一瞬だったはずではあるが、目ざとくオレの視線に気づいた彼女は、微塵みじんも恥じらうことなく言い放つ。


「ヘンタイ」

「……すまん」


 見てしまったのは事実なので、素直に謝る。


 受け取ったのは良いが、正直これはタオルだけではどうにもならない濡れ具合だった。ワイシャツも下着もグッショリで、このままいては間違いなく風邪を引く。

 ちょうど小夜子も同様に思っていたらしく、苛立いらだたし気にタオルを投げ捨て、盛大に溜息をついた。


「そこ、浴室だから。さっさとシャワー浴びてきて」

「いや、オマエが先――」

「あんたならどうせカラスの行水ぎょうずいで済むでしょ? あたしはその後ゆっくり浴びさせて貰うから」

「……まあ、そうか。すまん、先に借りる」


 冷えてしまった身体を温めるため、普段より熱めのシャワーを頭から浴びる。

 すると今更ながら、衝撃的な問題が脳裏をよぎってしまった。

 ――着替え、どうしよう。

 家族と暮らしていれば父親の物を借りられたかもしれないが、どうも小夜子は一人暮らしに見える。他はどうとでもなりそうでも、下着だけは本気でどうしようもない。

 ……仕方がない。絞るだけで我慢しよう。多少は気持ち悪くとも、家に帰るまでの辛抱しんぼうだ。

 ――と思っていたら、


「下着、洗濯機にかけとくから」

「あ、ああ。悪い……」


 ……これは、終わるまで裸でいろと言うことか?

 いやいや、そんなバカな話があるわけがない。きっと代わりの何かを用意してくれたはずだ。例えば男の家族や親戚が急に泊まりに来たりする環境で、その際の予備の下着がたまたま運よく残っていたり――しねえよな、そんな都合よく。

 どうすんだと思いながらもシャワーを終えたオレは、とりあえず用意されていたバスタオルで身体を拭いた。そしたらその下に、これみよがしに更にもう一枚のバスタオルが置いてあることに気づく。まさかとは思いつつ、一応聞いてみる。


「な、なあ、小夜子……?」

「それでも巻いておいて」


 予感が的中してしまった。くっそ、ありがたすぎて涙が出る。

 しかし女である小夜子がコレで気にしないというなら、男のオレが動じるわけにもいかない。おとなしく腹をくくろう。

 新しいバスタオルを、腰へと巻き付ける。……やべえ、すげえ心許こころもとない。大丈夫なのかコレ? 小夜子、オマエは本当にコレでいいのか……?


「あ、上がったぞ」

「そ。じゃ、代わって」


 そう言って平然と脱衣所まで踏み入ってくる。オレの姿に一瞥いちべつすらくれない。変に意識してしまっているオレの方がおかしかったのか? 色んな意味で恥ずかしすぎた、死にたい。


 肩を落としながら、ソファへと腰を掛ける。

 あまりジロジロと眺めるのも失礼かと思いつつも、他にできることもなく自然と視線を彷徨さまよわせてしまう。

 ここはオレの家より一部屋だけ少ない、1LDKのようだった。一人暮らしならば十分に広い……むしろ広すぎるかもしれない。なかなかに裕福な家庭環境なのだろうか。

 室内は小夜子らしいというかなんというか、非常にシンプルだった。置かれている家具類のほとんどは白やベージュを基調としたものであり、必要最低限の物しか視界に無い。

 正直、もう少し何か遊び心があってもいいんじゃないかと思う。これではあまりに人となりが見えないというか……味気ない。普段どんなことをしているのかとか、どんな趣味を持っているのかとか、何だか余計に気になってしまう。

 しかし――それもまた、小夜子らしいのか。そんな風にも思った。ミステリアスなところも、確かに彼女の魅力の一つではあるのだから。

 一見何も無いと思われるこの部屋にも、探してみれば彼女のイメージとは到底結びつかないような何かがあるかもしれない。それを見つけた時、気づけた時のよろこびは、また一段と感慨かんがい深いものがあるだろう。


 いつも結唯に見せてくれる、優しさのように。

 ふとした時に見せてくれる、微笑みのように。


「――ふぅ」


 脱衣所の扉が開く音と共に、小夜子の声がした。

 反射的にそちらを向いてしまったオレの――身体が固まる。

 上にはあまり小夜子には似つかわしくない、ダボっとした大きめシャツを着ていて……下には下着がチラリと見えており、その二つの他には何も身に着けていないようだった。

 その少し無防備に見える格好にも驚いたが、それだけじゃない。


「どうかした? いつになく間抜け面さらしちゃって」

「……」


 反論もできず、ただただ目を見張る。


 入学初日――小夜子と初めて言葉を交わした日、どこかで彼女と会っていた気がした。

 その時は思い出せなかった。しかし今は、はっきりと思い出した。

 を目にした瞬間、薄れていたオレの記憶を落雷のごと凄烈せいれつな衝撃が襲い掛かった。

 普段は高い位置で結んでいた、小夜子の髪。シャワー上がりの今、それは真っ直ぐに降ろされていた。

 そして、目の当たりにする。


 ――を。


 今となっては遠い昔のように感じる。

 夢の中で、オレと――女性。その女性の髪と、小夜子の髪が、あまりにも酷似していた。

 オマエが……あの時、夢に出てきた、女……なのか……?


「……孝貴?」

「わ、悪い……ボーっとしてた」


 ……わからない。あれは本当に小夜子だったのか……もしそうならば、なぜ夢に出てきたのか。混乱ばかりが加速してしまう。


「あたしに見蕩みとれでもしたの?」


 いつの間にやら、ほうけているオレの正面に立っていた小夜子が、オレの顔を覗き込んでくる。それもからかうような……心からたのし気な表情で。

 こんな表情――男に向けるような奴じゃなかったはずだ。


「図星? 光栄ね」


 オレの隣へ座り、クスっと妖艶ようえんな笑みを浮かべる。

 そんな表情――だから、なんで、オレに見せてくる……?


「あなた、結唯とは付き合ってるの?」

「いや、オレたちはただの幼馴染で――」


 とっさに、そう答えてしまった。

 拓海が以前に忠告してくれたことなど――拓海のことも、さっぱり忘れていた。

 今しがた名を出された、結唯のことも……すぐに、忘れてしまった。


「そう。だったら――私にしておく?」


「……は?」


 小夜子の顔が、徐々に近づいてくる。

 こんなにも至近距離で、誰かの顔を見つめた経験なんてなかった。

 風呂上がりだからか、微かに上気する頬。見るからに柔らかそうな唇。長い睫毛まつげに、潤んだ瞳。……その瞳に、オレ自身の顔すら反射して見える距離。互いの吐息すら触れ合う距離。


「あなたがその気なら――構わないけど?」


 …………オレ、は――

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