3週目:⑥
放課後。トイレから教室へと戻ると、何やら声を掛けられた。
「あぁ、
その顔にはうっすらと覚えがある。
確か、隣の席の――
「あー、えーと……」
やべえ、名前が思い出せない。
「うっそでしょ? まだ名前も覚えてくれてなかったの?」
ソイツは呆れ切った様子で目を見張る。最もな反応だった。
「わるい」
「
佐久間と名乗ったその相手は、オレのフルネームすら覚えてくれていたらしい。心なしか言い方に若干トゲがある気がする。ニッコリと笑っているはずなのに、微かな恐怖を覚えてしまう。
「お、おう。よろしく」
「まさか六月にもなって、いまさら自己紹介とはね……」
「ははは……マジでスマン」
こればっかりは全面的にオレが悪い。
佐久間の奴もオレと同様の感想を抱いたらしく、非難めいた口調で言ってくる。
「いくらなんでもクラスメイトに興味が無さすぎる気がするけど……ずっと彼女さんにべったりだったもんなぁ、君は」
「彼女? ああ……結唯のことなら、ただの幼馴染だぞ」
「へ?」
佐久間が間の抜けた声を上げ、先ほどよりも大げさに目を見張った。
「君たち、付き合ってなかったの? やたら親密だったから、てっきり付き合ってるものと思ってたよ。ぼくだけじゃなく、たぶんクラスのほぼ全員がそう思ってたはずだよ」
「そ、そうかあ……?」
「うん。だって事実、嘆いてる人もそこそこいたし」
「……なげく?」
「知らない? 結構モテるんだよ、彼女」
ポカンとしてしまう。何を言われたのか一瞬わからなかった。
「……モテる、だぁ? 結唯が……?」
そんなオレの反応に、佐久間はわざとらしく溜息をつく。
「まさかとは思うけど……君は、
「いや……正直、アイツをそういう目で見たことが
「……? どうかした?」
「い、いやっ、なんでもない」
――あったな。思い出しちまったな。
あの時の結唯の表情が浮かび、あの時の声で……『今日……泊まって――』まで再生されてしまったあたりで、慌てて首を左右にぶんぶんと振り、その映像を掻き消す。
な、なるほど……。悔しいが納得してしまった。
不意に黙り込んだオレの顔を覗き込んできた佐久間が、からかうような笑みを浮かべながら、こんなことを言ってくる。
「まだ水瀬さんがフリーだって知られたら、狙われるだろうね」
佐久間としては何気ない一言だったのかもしれない。
しかしオレにとってはなかなかに衝撃的な一言だった。――中でも特に、『狙われる』というのは。
すっかり忘れかけていたが……結唯は高校に入って、誰かとヤったかも――付き合っていたのかもしれないんだ。そして死因が『自殺』だというのであれば、人間関係のもつれ――特に恋愛関係、いわゆる痴情のもつれというのは……十分に有り得る話かもしれない。佐久間が口にしたものと、また違った意味で『狙われる』可能性も捨てきれない。
結唯へ向けられる『周りの目』というものにも、もっと関心を持つべきだったか……?
「ぼくは言いふらす趣味もないからいいけど、あまり大っぴらに『ただの幼馴染だ』って言わない方がいいかもしれないよ。余計なお世話かもしれないけど」
「いや……忠告、素直に助かるよ。サンキュな」
それは紛れもない本音だった。佐久間にそう言われなければ、オレは誰彼構わず平気でそう言ってたはずだから。
今日初めてまともに言葉を交わした仲だというのに、なんて人が良い奴なのだろう。
「あ、そうだ、用件を忘れるところだった」
「うん?」
「
「ああ、それでか……わかった。ありがとな、佐久間」
「うん。また明日ね、浅井くん」
「おう。また明日」
◇ ◇
担任から名指しでの呼び出しとは、あまり嬉しくない
「おーう、探したぞ浅井」
そう言った割には、休憩スペースで悠然とタバコをふかしていた。本当に探していたのか怪しい。
「オレになんか用ですか?」
「明日、ちっとばっかし早く学校に来い」
「なんでですか?」
「ちょっとした雑用だ、手伝え。お前委員会も部活もなーんもしてないだろ、たまにはなんかしろ」
「は、はぁ……」
「入学式の日に言ったろ? ダメだぞー浅井。いっくらテストの点がよくても、ガッコのお勉強ができても、それだけじゃなぁ」
「すんませんさっぱり聞いてませんでした」
「おまっ……! せっかくの俺のありがたーい言葉を……こんにゃろう」
神志名先生が片手で自らの顔を覆い、天を仰いだ。「オーマイガー」と言い出しかねないポーズだった。
「学校イコール勉強するとこ、って考えは絶対に後悔するからな? ソースは俺」
先生はコホンと一つ咳ばらいをしてから、オレの顔をじっと見つめつつ口を開く。
「俺は昔、学校のお勉強だけに人生の全てを捧げてたんだよ。テストで良い点取って、良い大学に入ることだけ目指してな。そしたら何が手に入ったと思う? 気軽につるめる友達もいねえ。青春時代の思い出もねえ。大学卒業したところで夢もねえ。俺に残ったのなんか、一流大学卒業っつーどうでもいい肩書きぐらいだった」
「……」
「お前さんも俺と似た状況に
思わず、聞き入ってしまっていた。呆けているオレの頭へ、ポンポンと手のひらを当ててくる。
「明日。忘れんなよ?」
振り向きざまにそう言い残して、すたすたと去って行ってしまった。
……って、ああ。いつの間にやら雑用が確定してしまっていたのか。
「――いいこというね、あの先生」
なんか湧いた。
この頃ではすっかり慣れてしまい、もう全く驚かなくなっている。
「広げなきゃ役立たずなんだよねぇ。視野も、傘も」
「オマエもなかなかうまいこと言ったな」
「でしょでしょ。神様によるありがたーいお言葉だよ、聞いておいて損はないよ。――とは言っても、キミたち人間の言葉をパクっただけなんだけど」
「……そうかい」
感心して損した。やはりコイツの話にまともに耳を傾けるべきじゃないな。
「元々の言葉はこう。――『人の心はパラシュートのようなものだ。開かなければ使えない』……ってね」
「……」
「今のキミにこそ聞いておいて欲しい言葉かな、ってさ?」
隣の席である佐久間の名を今頃になって知り、初めてまともに言葉を交わした。
入学式の日、神志名先生の言葉を一切聞いてなかった。
結唯に向けられていた周りの目にも気付かなかった
確かに、視野が狭かった。結唯のことしか目に入ってなかった。
確かに、心を閉ざしていた。自分では気づけなかった部分を、他の人が教えてくれた。
「……ああ。胸に
「ん。そりゃーなによりだ」
視野は、広げなければ。心は、開かなければ。
認めざるを得なかった。
確かに、その言葉はオレの胸へと響き渡り……深く刻み込まれたことを。
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