3週目:①

「――……こーちゃん?」


 気づけばそこは、電車の中だった。

 隣には結唯が座っていて、お互いに中学の頃の制服を着ている。


「だいじょぶですか? 目を開けたまま寝てましたよね? しっかりしてくださいね、これから運命の一戦ですのに」

「あ、ああ……」


 巻き戻された弊害へいがいなのだろうか、未だに頭がぼんやりする。なぜこんな場所にいるのか、状況を把握できない。


「……なんか珍しく本格的にダメそうですね。私たちは受験へのぞまんとしているのですよ? ――『聖煉せいれん学園』の」


 慌ててスマホを見た。表示されていた日付は……二月二日。確かにこの日付には覚えがある。結唯の言う通り、聖煉学園の受験日なのだろう。

 大方注文通りだ、やっぱりアイツは本当に心が読める――


(――『ファボチキ』ください)


「うおわぁっ!?」

「ひゃうんっ!」


 突如、脳内に直接響いた声に驚いてしまう。釣られた結唯も、オレに負けず劣らずな驚きっぷりだった。周りにいた他の乗客たちへ二人してペコペコと頭を下げる。


「わ、悪い……」

「もっ、もぉ……今日はほんとーにどうしました? いつにも増しておかしーですよ?」

「……まじ、すまん」

「私に反論しないあたり、もうダメダメです。はぁ、先が思いやられますね」

「こっちは受験の方は余裕だから、オマエは自分の心配だけしててくれ」

「……はぁい、せんせー。うぅ、余計に緊張しちゃうじゃないですか……」


(ぷーくすくすー)


 先ほどの声の主が、憎たらしいまでの笑みを浮かべながら目の前に現れる。ふよふよと浮かんでいる、見た目は天使のような奴が。

 周りの反応を見るに、その姿が見えているのも、その声が聞こえているのも、どうやらオレだけらしい。


(心は当然読めるし、こうやって語り掛けることも可能だよーって、今すぐに伝えたくなっちゃったのでね!)

(お、オマエな……)

(おっ、そうそう。そんな感じで心の中で念じてくれれば、いつでもどこでもボクと会話できるよ! やったねっ!)


 脳内に声が響くという慣れない感覚も不快だったが、それ以上にコイツと会話しているとどうにも頭が痛む。いつでも話せるからと言って、誰が好き好んでこんな奴と話をしたがるのだろうか。


(さっきの『ファボチキください』ってなんだよ……)

(脳内に直接語り掛けるっていったら、その一文が定番でしょ、礼儀でしょ)

(……なんでそんなこと知ってんだ)

(神だからねっ。知ってるよ、なーんでも)


 ここぞとばかりにふんぞり返っている。こっちから触れんのかなコイツ。丁度良い位置にある腹をぶん殴りてえ。


(ねぇ、ところでさ)

(ん?)

(『ファボチキ』ってなーに?)


 ……それは知らねえのかよ。



     ◇     ◇



 聖煉での受験は事なきを得た。オレは何度受けても落ちることはないと思うが、結唯はどうやら今回も奇跡を引き当ててくれたらしい。これで結唯が落ちてたら洒落シャレにならないところだった。


 ――そして本日は四月十日、入学式当日。


「おーい、結唯ー?」


 結唯の家まで出向き、インターホンを慣らしてから呼び掛ける。中学の頃は結唯の方からこっちの家へ来てくれていたが、この日は予想通り来なかった。

 それも当然だろう。結唯の奴は、今日からは別々の学校へ通うことになると思い込んでいるのだろうから。


「んえ……どしました、こーちゃん?」

「まだ寝ぼけてそうだが、準備は済んでそうだな。ほら、さっさと学校行くぞ」

「えっ、えっ……? あっ、は、はい! しばしお待ちを!」


 どたばたと慌ただしく荷物を取りに行った。非常に危なっかしい、見ててハラハラする。

 やがて戻ってきた頃には、せっかく整えてあった髪が乱れていた。それを指摘すると、小さな悲鳴を上げながら手櫛で直し始める。


「にしても、珍しいですね。こーちゃんの方から呼びに来るなんて」

「オマエが来ないから来ただけだ」


 相変わらず結唯の歩く速度は鈍い。新しい道のりに慣れていない入学初日ぐらい、余裕を持って速めに歩いて欲しいものだが。


「はっはーん。さてはこーちゃんってば、私がいないと学校にも通えないのですか? 一人は寂しいのですか? そんなんで大丈夫ですかねぇ」

「ああ、寂しいな。オマエがいないとダメだな」


 結唯の足がぴたりと止まる。その顔がみるみる真っ赤に染まっていく。


「えっ、あ……ふぇっ!?」

「冗談だ」


 金魚のように口をパクパクさせていた。オマエごときがオレをからかおうなんて十年早い。


「もぉー! 高校生になっても成長しませんね、あなたって人は!」

「そっくりそのまま返すわ」

「む、むぅ~~~……」


 ……オレとしては、結唯は結唯らしいままの方が安心するんだけどな。

 さすがにそういう考えでいるのは――女々しいか。


「そいえば今更ですけど、こーちゃんってどこの学校にしたんですか?」

「本当に今更だな」


 聖煉学園の合格発表の日を最後に、それから一度も会っていない。オレの受験戦争はまだまだ続くのだろうから、邪魔しないようにと距離を置いてくれたのかもしれない。

 だが、今日この日になるまで会わないというのは、オレたちの間柄としては少し妙だった。なぜ春休みの間も会わなかったのだろう。まさか結唯は、意図的にオレを避けていたのだろうか。……それは無いか。結唯に限って。

 しかし……そうして前回はそのまま疎遠そえんになってしまい、半年もの間、一切顔を会わすこともなかった。結唯が抱えていた何かに気づいてやれず、みすみす死なせてしまった。

 もうそんなことには……させない。


「見てわからないか?」

「……んぃ?」

「制服」


 結唯は首を傾げつつ、オレの姿を上から下までたっぷりと観察する。そこまで注意深く見る必要もないと思うのだが、とりあえず自力で気づけるまで待ってやる。

 やがて何かに気づいたようで、慌ててバッと自らの制服と見比べ始めた。デザインだろうか、校章だろうか。


「そっ、そそそれは、まさか……?」

「ああ。お察しの通り、聖煉の制服だな」

「えっ……でもこーちゃんなら、もっと上のとこ……」

「ここでやりたいことができたんだよ。それとも何か? オレがいたら不都合でもあるのか?」

「う、ううん! 嬉しいです、試験地獄への恐怖感が少し和らぎます!」

「……最初っからオレ頼りかよ」

「いえっ、決してそのようなことは~……あは、あはは」

「あんまり甘えたことばっかぬかしてたら即刻見捨てるかんな」

「高校生になっても変わらず手厳しいせんせーです……」


 そんな他愛もない会話をしつつ、通学路を進む。その途中でふと悪戯心が芽生え、試しに結唯に進む先を任せてみることにした。

 オレと一緒じゃなくとも、ちゃんと一人で辿り着くことができたのだろうか。さすがにもう高校生なのだから、結唯の奴もしっかり――

 ――問題外だった。何度か利用したことがあるはずの、最寄り駅までの道すら覚えてなかった。コイツ、オレがいなかったら確実に迷子になってたな……。


 その後、これから毎日のようにお世話になる路線の名称や、交差点を曲がる際の目印になりそうなもの。それらを結唯に逐一ちくいち指差し確認をさせながら、何とか聖煉学園まで無事に辿り着く。


「これが、新しき学び舎なのですねぇ……!」

「こうして見ると感慨かんがい深いものがあるな」


 通っていた中学と比べてみると、校舎や体育館は大きく、校庭も広い。敷地面積の差は歴然としていて、外観からして綺麗だ。内部設備もかなり充実している様子が伺える。自ずと心が沸き立つ感覚があった。


 ――こんな気持ちで、ここに通う日が来るなんてな。


 不意に違和感を覚えた。立ち止まり、校舎を見上げる。

 こうしてこの行程を歩んだのは――かれこれ何度目になるのだろうか。

 電車の乗り換えはやたらスムーズだった。学校からの最寄り駅に着いてからも、一切迷いのない足取りだったように思える。

 オレの記憶が確かなら、五度目のはずだ。前回の受験の日、今回の受験の日、それぞれの合格発表の日、そして今日。五度目ともなれば、そうおかしな話でもないか……?

 しかし通学路にも、こうして見上げる校舎にも、ずいぶんと慣れ親しんだような既視感きしかんがあった……ような気がする。

 ……気のせいか?


「こーちゃん? そんなとこで立ち止まってたら、入学早々遅刻しちゃいますよ?」

「あ、ああ」


 結唯の言う通りだった。そんな恥ずかしい目立ち方は遠慮したい。

 釈然しゃくぜんとはしないが、今は先を急ぐべきだった。

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