2週目:①

 ――それじゃ、覚悟はいーい?


 『リオ』と名乗ったソイツは、そう言ってオレの頭に手をかざした。

 直後、辺りが暗闇に包まれる。何も見えなくなり、何も聞こえなくなった。

 こんな現象を目の当たりにしては、否が応でも信じるしかない。コイツが何らかの神的存在であることを。

 やがて徐々に視界が白んでいく。

 それにともない、音も――


「――……ん……ちゃん?」


 ――なんだ……声?

 誰の……いや、これは……結唯ゆいの――


「――こーちゃん?」


 二度と聞こえないと思っていた声が聞こえてくる。

 目をぱちくりさせているオレの顔を、結唯が心配そうに覗き込んできた。


「どうしました、ボーっとしちゃって。目を開けたまま夢の世界へと旅立たれてしまわれましたか?」

「アホ。お前じゃあるまいし」


 結唯が――目の前にいる。生きている。

 本当に……時間が戻ったのか。半信半疑の中、おもむろにスマホで日付時刻を確認する。どうやら昨日の朝、登校途中の時間帯らしい。


「いくら私でもそんなことできません。立ったまま寝るのが限度です、毎日の電車の中はちょっとした仮眠タイムです」

「十分すっげぇ特技だな」

「えっへへー」

「褒めてねえよ、ドアホう」

「あいたっ」


 したり顔の結唯へとデコピンをかました。そんな感じで、駅までは他愛のない会話を繰り広げる。

 結唯と別れ、別々の電車に乗る。着いた駅から学校へと向かう。そして授業を受ける。

 その全ての時間において、この日のオレは完全に上の空だった。



     ◇     ◇



「――ここは……こうして……」

「お~……? ほう、ほう……なるほどぉ」


 結唯の家にて、前回同様に勉強会を行う。

 ここまではおおむね同じ流れできている。そしてそうではなくては困る。ズレが起こらないようにと、出来る限り同じ台詞にて応対をしていたのだから。


「やっぱり教えるの上手いですよねぇ。私の専属の家庭教師になって欲しいものです」

「オレだってそんな暇じゃねえ」


 ここでも同じ台詞を言う。恥ずかしさがこみ上げてくるが仕方ない。


「でも、ま。たまになら構わないぞ」

「ほんとですか? ありがとです! こーちゃんの優しさってば底なし沼級ですねっ、湯水のように利用しても問題なさそーです!」

「よくわかんねえ例え方すんな、茶化すな。撤回するぞ」

「ごめんなさいでした」


 意味不明な結唯の発言も寸分すんぶんたがわない。何度聞いてもよくわかんねえ。


「っと。こんな時間か」


 時計を見るタイミングもほぼ完璧だ。見覚えのある針の形、十時近くを指している。

 ならば、この後――


「ねぇ、こーちゃん」

「ん?」


「今日……泊まっていきます……?」


 ――きた。ここだ、分岐点。

 ここから先は前回と同じ展開にはしない。……させない。


「いいのか? なら朝までみっちりと叩き込んでやるとするか」


 朝まで一緒にいれば、結唯が殺されることもない。

 必ずオレが――守ってヤる。内心そう意気込んでいた。……が、


「……えっ」

「ん? どした?」


 そんなオレとは対照的に、狼狽ろうばいした様子の結唯。


「いえ、あのっ……その、ね? ほ、ほら、私たち、明日も学校、ありますしぃ……?」

「睡眠の心配なら不要じゃないか? 電車の中でも寝られるようだし、どうせオマエはいつも学校で寝てるだろう?」

「あ、それは確かに。――ではなくてですね!」

「なんだ?」

「う、うぅ~~~……」


 自分から提案しておいて、何をそこまで戸惑う。

 それになぜコイツは、こんなにも顔を真っ赤に――


 ――……あっ。


 そうだ。寝ずに朝までコイツと一緒にいなければ、ということだけで頭がいっぱいで……『ソッチの可能性』をすっかり忘れていた。

 あれか? やはり泊まる、となれば……になるのか? 結唯の奴もつい口走ってしまったはいいが、すぐ我に返って尻込みしてしまったのか?

 やべえ、どうしよう。こういう時ってどうしたらいい。


「あっ、い、いや……! 別にっ、な、なにもしないぞ? オレはただ、普通に、健全に、オマエに学校の勉強を教えてやろうとしてだな……」


 如何いかにオレが人畜無害であるかを全力でアピールすればいいのだろうか。

 大丈夫か? オレの誠意はコイツに届くか……?


「……本当に、ですか?」


 ジト目をされる。完全に疑いの眼差しだ。


「あ、あぁ。しない。誓って何もしない、約束する」

「ぜったいです? なんにもしないです……?」


 くどいぐらいに念を押してくる。そんなに信用なかったのか、オレは。

 ショックは受けるが、今はどうあっても引く訳にはいかない。


「お、オレがオマエに……その、なんだ。よ……、欲情する、ようなこと……ある、わけ……」


 もう少し気の利いた台詞が浮かばないものかと悲しい気持ちになるが、酷くテンパってしまったオレではこれが限度だった。

 頼む、結唯。どうか今だけはオレのことを信用してくれ、受け入れてくれ――


「…………ばか」

「……ん? なんだ、いま何か――」

「『ばか』って言ったんです、こーちゃんのバカぁーーッ!!」

「ごふっ!?」


 願いはかなく、鳩尾みぞおちに結唯の握り拳が炸裂した。それはそれは、ビックリするほど重い一撃だった。息が止まる。視界がチカチカする。

 その攻撃手段と謎の怪力は、女としてどうなんだよ……。


「帰ってください! しばらく顔も見たくありませんっ!

「お、おい? なんだ、なぜそんなに怒って……」

「うるっせぇーですっ、実家に帰らせて頂きますからね!」

「実家ってオマエ、ここがそうだろう!?」


 結唯のキャラが跡形あとかたも無く崩壊していた。こんなにも怒ってる様は初めて見る。

 くそっ、何がそんなにマズかったんだ――これが女心って奴なのだろうか。さっぱりわかんねえ。


「それに、その言い分じゃまるでオレたちが夫婦みたいじゃ――」


 慌てて口をつぐんだ。結唯が傍にあった特大のクッションを目にもとまらぬ速度で手に取り、今にもソイツをオレへと叩きつけようと頭上に掲げていたからだ。


「とっととお帰りくださいませ」

「……ハイ」


 打って変わった冷静な声が降ってきた。ニッコリと綺麗な笑顔が余計に恐怖をあおる。コイツのこんな一面、初めて見たぞ……。

 せかせかと帰り支度を済ませ、玄関へと向かう。背後に結唯がついてくる気配を感じるところをみるに、一応見送りには来てくれるらしい。修復不可能なまでの怒りではなさそうだ。


「な、なあ」

「……なんです」

「明日。また一緒に登校しよう」

「…………ん」


 こくり、頷いてくれた。少しは機嫌を直してくれてればいいのだが。


「じゃ、また明日な」

「はい。……また、明日です」


 多少は効果があったようで、微かにだが微笑んでくれる。翌日にまで何かを引きずるような奴じゃなかったはずだし、明日にはいつも通りの結唯に戻ってくれていることだろう。


 ――無事に明日を迎えることが叶えば、の話だが。

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