悪夢の始まり

 彼らは僕が学級長と付き合ってる、そう思っているのだ。ただそれだけなんだと、今まで勝手に裁定してきた。

 今日から一週間、また補習が始まるのだが、今朝は彼女には会わなかった。あの日以来彼女からメールが来なくなったことを思い出すと、あの夜の胸騒ぎが蘇る。


「おはよう」

「あら、ごきげんよう。一週間、がんばりましょうね」

 佳麗な微笑を、学級長は返す。軽く拳を握り、一つ、訊いてみた。

「今日僕、何かおかしくないか?」

「いえ特に……。あ、髪をお切りになられたのでしょうか」

「いや、いいんだ」

 この質問ではまだ分からないか……。安心半分、不安半分だ。

 それじゃあ、と彼女の先を行こうとしたところ、腕を掴まれた。

「き、今日は一緒に教室まで行ってもらえないのですか」

「ん? ああいいよ。でも珍しいね、去年は結構一緒に行ってたけど。今年はこれで二回目かな?」

 そう言うと、彼女は悲しそうに僕から目を逸らして呟く。

 いつも一緒だったじゃないですか。

 僕は息を呑んだ。


 教室に入り、新聞を読んでいる彼ににじり寄った。

「なあ、この学校でお嬢様と言ったら誰だ?」

「そりゃ隣の学級長しかいないだろ。それよかこれ見てくれよ! この前言ってた不思議な蝉の話、ちゃんと載ったんだぜ!」

 彼は透明なクリアファイルから、切り取られた新聞紙を一枚出す。

「……なんだよその話、蝉?」

「ああ……前教えただろ? 真っ黒な蝉がいたって」

「知らない……ていうか」

 うちの学校にお嬢様は一人しかいないって言うのか?

 彼は不思議そうに頷く。

 美少女は?

「隣の学級長と、二年生に一人いたかな」

 僕は勇気を出して、わがままな彼女の名前を口にした。

 一瞬の静寂が全てを物語る。

「誰だ、それは」

 言い終わる前に、僕は走った。隣の教室、扉は開いている。

 僕は学級長を呼んだ。間抜けに口を開けてこちらを見る者、指をさしにやにやと笑う者がいる中、彼女は眉を曇らせながらもまっすぐに僕の元へ歩を進める。

「どうしたのですか? 何か忘れ物でも……」

「彼女、いない?」

「と言うと?」

 もう一度、あの明朗快活な彼女の名前をなんとか声にする。

「このクラスにいるでしょ? 君も、知ってるよね?」

 数少ない頼りの綱。そして、これが最後の一本。

 学級長は、首を横に振って一言、ごめんなさいと言った。

 後ずさりをすると、足が止まらなくなった。壁に当たって、すとんと重力に逆らうことなく腰を下ろした。

 やっぱり、やっぱり彼女はもう……。

 金切り声が廊下中に響く。何事かと、廊下に生徒がわらわらと出てきた。

 ほとんどの人間が遠巻きにこちらを眺める中、どうしたんだ、何があったと肩を揺さぶりながら叫んでいたのは、新聞の……親友の彼だった。

 いつの間にやら結んでいた手を開く。三日月形の爪痕から、紅い液体がじわりと滲み出た。

 僕は、呼吸の仕方を忘れた。

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