不思議でした

 また数日が経った。今日で補習が終わりだからか、昇降口がいつもより明るく感じた。僕は相も変わらず、容姿に反する早口で世の中への苦言を呈されるお嬢様の相手をしている。

「だからね、水を入れた容器に圧力をかけて水素を無理やり入れて封をするの。そしたら俗に言う水素水って物は確かにできてるわけよ」

「でもだからといって健康に良いってことにはならないだろ?その無理やり入れた水素だって、蓋を開けたらすぐに空気中を飛び回るわけだし」

「それでいいのよ。私は水素水なんて無いって言うのを否定したいだけなの!」

「そんな話なら、僕じゃなくてどっかのSNSでやってよ」

「わたしSNSやってないし、あんただって暇でしょう?」

 肺に溜まった重たい空気を吐くと、どっと力が抜けた。上履きを落とすと、空虚な音が耳に届いた。

 しかし、SNSをやっていないとは意外だ。以前、これまた容姿に反するような可愛らしいスマホケースを自慢してきたことがあったから、できないわけじゃないはずだけど。


 彼女が上履きに履き替えたところで、誰からかぽんと背中を叩かれた。

「ごきげんよう」

 振り返ると、そこには彼女が──いや違う、この人は隣のクラスの学級長だ。まるで人形のような微笑は、僕のどこか汚らわしい心を浄化してくれる。

「ああ、ごきげ……おはよう」

 この学級長もまたえらく美人で、どこかのわがままお嬢様とは違い、毎日高級車に乗って登校する、本物のお嬢様だ。

 昨年同じクラスだったので、彼女について色々聞いてみたことがあった。学級長は大企業の社長の次女で、こんな普通の公立高校に来てるのは社会学習の一環だそうだ。高級車で登校してる時点で学習できてない気がするが、そこは安全第一ということなのだろう。

「お二人とも、ご一緒に登校とは仲がよろしいんですね」

 川のせせらぎのような麗しい声、耳が溶けそうになる。

「仲良しってわけじゃないよ。ただちょっと縁があるだけ」

 そう言ってもう一人の美少女に目をやると、頬を膨らませて僕を睨んでいた。

「ごめん学級長、よく分かんないけど彼女怒ってるみたいだから、行くね」

 そう言うと、お嬢様はせわしく靴を入れ替えた。その所作はやはりどこか清廉された美しさがある。

「私もご一緒します」

 その宣言には少々面食らったが、それよりも頬を膨らませていた彼女がぽかんと口を開け、なんとも腑抜けた顔になっていた方が驚いた。


 美少女二人の教室前で別れ、トイレに行ってから自分の教室に行くと、扉を開けた途端にむさ苦しいカッターシャツ軍団に囲まれた。

「またお前かあ!」

「なんでお前なんだ!」

「羨ましすぎるぞ!」

「今日も手握ったのか!?触らせろ!」

 大体こんな感じだったと思う。さすがに新聞の彼曰く二大お嬢様だという二人と一緒にいたのだ。今回ばかりは、いくら説明に足掻いても無駄なことは瞭然としていた。肩を激しく揺さぶられる中、僕は心を無にすることだけに徹していた。観光地の等身大パネルみたいに。

 しかしこの連中、素は良い奴ばかりなのだ。始業のチャイムと同時に、たまに僕を小突きながらぱらぱらと席に戻る。

 いじめられないだけましか、そう心に言い聞かせて席に着く。

「お疲れ様だなあ、全く」

「……助けてくれてもよかったんじゃないか」

 まだクラス担任は来ないらしい、生徒達は静かになる様子もない。

「あれを止めれる自信はないなあ。交通整理は一人に限る」

「今回は交通整理というか、イワシの大群の中に入れられたみたいな?」

 なるほどなるほど、と首を縦に振っているけど、よくこんなのを納得できるなと、自分でも思う。


「それよかこれ見てくれよ」

 机の上に広げてあった新聞を出し、ここだと指をさす。

「『みんなの不思議体験……』またこれか。まさか、お前のが載ったのか?」

「いいや、俺のは明日くらいに他のと選考されて掲載されるんだけど」

 結局、というかやっぱり出したのか。編集者が優秀なことを望む。

「じゃなくてこれ、多分同じ人なんだよなあ」

 続きを読むと確かにそのようで、またもや記憶違いについてのことだった。

「二連続、しかも内容も被ってる。ネタが無いのか?」

 もしそうだったら明日にでも彼の書いた不思議体験が載るのか。苦情が来なければいいけど。

 彼はよっぽど気になるのだろう、記事をこちらに向けたまま、ぶつぶつと独り言を言っている。

『今まで使っていたはずの、アプリのパスワードを忘れた』か、やっぱりこの人忘れっぽいだけか、病気なんじゃないか。

「お前、彼女のMINE《マイン》のID知ってるのか?」

 MINEと言えば老若男女問わず使われている、メッセージ系SNSアプリだ。しかし彼は記事の事考えてたんじゃないのか?

「ど、どっちのこと?」

「エスコートしてる方」

「そっちなら知らないけど」

 前髪をいじる彼の仕草は、熟考している証拠だ。テストの時すらやらないというのに、なんで今やるのだろう。

「あ、そういえばSNSやってないって言ってたけど」

「スマホ持ってんのにSNSやってないのか?時代錯誤も甚だしいな」

 お前が言うな、という僕のツッコミはもう聞こえてないらしい。


 しかしよく考えると、あれだけ一緒にいるのに連絡先も持っていなかったのか。少しだけ椅子の座り心地が悪くなった。

 メールアドレスでいいから、帰りに教えてもらおう。

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