はらからの天使

乙原海里

はらからの天使

 僕の肩には天使が乗っている。童話に登場する彼らのように小さくて可愛らしいものではなく、僕より少し小さいくらいのぱっと見は人間だ。

 なんでも「オレはお前の姉ちゃんだぞー」らしいのだが、信じられるわけがない。けれど、物心ついたころから彼女のことが見えていたし、違和感もなかった。僕が覚えている一番「最初」の記憶というのは、彼女がベビーベッドの柵に頬杖をついて笑っていた、というものだから笑えない。親不孝者だとは思うが致し方ない。もうどうしようもないことだ。

 彼女は「姉ちゃんはな、天使なんだぞ」と口癖のように言っているが、羽はないし、天使の輪っかも金色の光り輝くものではなく、色とりどりの野花で作られた花冠だ。「天使だってオシャレしたい!」と胸を張っているが気にしない。服だってそうだ。美しい宗教画に描かれている天使たちのひらひらとしたものではなく、ごく普通の夏のセーラー服。それは僕の中学校の女子生徒の制服だった。


 生まれてこの方、僕は彼女に何度も質問をした。なんでって、もちろん天使っぽくなかったからだ。天使にくらい夢を見させてほしかったが、僕の近くにいる天使は彼女だけ。いる、と言うのもアレだが、そりゃ疑問にも思う。彼女は想像していた天使とはあまりにもかけ離れていたのだから。

 「本当に天使なの」「天使っぽいとこ見せてよ」とせがんだ時には「十年早い!」と一喝。僕が十歳のときのことだ。あと二年で二十歳になるのだからその時は是非とも教えて頂きたい。

 他にも「なんでその服装なのさ」やら「花冠はどこで作ってるの」やら、考えてみれば多くのことを聞いた。質問にはにこにこしながら答えていた彼女だったが、その中で僕が唯一後悔した質問がある。

「君は一体いくつなの?」

 そうすると彼女は口だけは笑って「お前と一緒だよ」と答えた。僕はそれきり彼女の歳に関しては聞かなかった。彼女のあんなに悲しそうな顔は二度と見たくない。


 僕の肩には天使が乗っている。それを誰かに言ったことはない。普通じゃないってことは幼いながらも感じていた。

 物語の中では、天使は人間とは違うところにいて、天国へ連れていく役だった。それを知ったとき、僕は泣いてしまった。

「僕はここにいられないから、君がいるの?」

 泣きじゃくる幼い僕の頭を優しく撫でて、宙ぶらりんの彼女は僕に言って聞かせた。

「オレはな、お前を守るためにいるんだ。かみさまがそれを許してくれた。だからな、オレがいるかぎりお前は天国なんて行かせないさ」

 もちろん地獄なんてもってのほかだ! と彼女がぎゅうぎゅう抱き締めるものだから、僕は泣くのをやめて彼女とじゃれて遊んだ。

 それを遠くで見ていた母さんが薄く笑った気がした。多分母さんには彼女が見えているのだと僕は思った。それを彼女に言ったら、彼女は照れくさそうに笑った。

「お前は母さんが好きか?」

「大好き!」

 僕が泣き腫らした顔でそう言うと、彼女はにっと笑った。わしゃわしゃと髪をかき混ぜるものだから、僕はきゃあきゃあと喚いた。

「オレも大好きだよ」

 彼女は僕の額にキスをした。

 今思えば、傍から見れば頭のおかしな子どもだと思われるはずだった。そこを含めて、やっぱり母さんには彼女が見えていたのだ。






 僕の家には仏壇があって、唯一写真もなく名前だけ遺されている人がいるのを知っている。

 僕の双子の妹。名前は「天音あまね」。

 僕には姉はいない──彼女は僕の双子の妹だった。そうだ。彼女は僕の妹。姉ではない。歳は同じだとしてもそこは譲れないところだ。

 だってそれは僕が彼女を押し退けて、先に生まれてしまったからなのだ。彼女にそう言うと「だからな、オレはお前の姉ちゃんなんだ」と笑った。ふよふよと僕の周りを回りながら。

「オレはな、お前と一緒にいられて幸せだったよ。そりゃ、母さんを独り占めできなかったのは残念だけどさ、生まれる前からずっと一緒ってよくないか? 独りじゃないんだ、助け合ってこれから生きていけるんだって思えた。でも、生まれるときに気がついたんだ。このままならお前は生まれることができないって。オレはオレのことが大事だけど、それ以上にお前のことが大事なんだ。……だからな、オレはお前の姉ちゃんだ」

 晴れ晴れとした笑顔で彼女は言った。どうしようもないくらい、彼女は優しいのだ。けれど、あまりの生への執着のなさに僕は呆れてしまった。だからなのか、思わず空気の読んでいない言葉が漏れてしまった。

「……仏教徒なのに天使」

「おう。今や天国も人材不足だ」

 これもオレが可愛いからだな! と彼女はけらけら笑った。ああ、そうだ。彼女はとても可愛いのだ。神様に愛され、家族に愛された子なのだから。


 僕の肩には天使が乗っている。童話のように可愛らしいものではなく、女の子なのに一人称が「オレ」で、服装が田舎の中学校の女子の夏服セーラー。小さな小さな翼をぱたぱた動かしながら宙を浮いていて、頭には色とりどりの野花の花冠。

 でも、彼女は僕の大事な天使。僕の姉さんだ。

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