第4話 美しき人狼


その頃、王宮に残されたルゥクはシグレが去った後、拘束され王のもとに引き出されていた。

 「お目覚めの状態では初対面だな。初めまして、美しき人狼よ。我はユリエス・ルインハイド。クレタス王国の王だ。そしてお前の主人でもある」

 ユリエス国王の目は完全にルゥクを見下し、蔑んでいた。どこかで見たことのある、嘲笑の顔。ルゥクは気持ち悪くなって倒れそうになる。

 「何が言いたい」

 「こら、主人にその口の利き方はないだろう?衛兵!」

 衛兵は躊躇なく鞭でルゥクの傷だらけの身体を打った。さすがの人狼も耐えられず、地に落ちる。それを国王は嗤った。

 「クックック。苦しいか?これで分かっただろ。お前は我の道具だ。口答えは一切許さん。わかったら『はい』と言え」

 「いいえ、と言ったらどうなる?」

 「どうなるだろうな。お前の大切なものが失われるかもしれんな」

 ありきたりな脅し文句だったが、今のルゥクにとってはそれこそ冗談にならない脅し文句だった。だが、こんな状況だからこそ冷静にルゥクは状況を判断する。これはルゥクが命がけで生きてきた人生で培った、生きるための知恵だ。

 左右前方に衛兵が二人。ルゥクを捕らえている兵が四人。扉に二人。多勢に無勢。勝ち目がないと判断してここは大人しく従うことにする。

 「はい」

 「言ったな?」

国王は楽しそうに嗤う。ルゥクの心の中で怒りが湧き上がる。

 「それではさっそくお前に仕事を課す」

 「なんだ」

 「これから我々クレタス王国軍は隣国ロイド王国と戦争をする。その時お前には最前線で敵を殲滅してもらう。というわけで前線に赴け」

 なるほど、国王にとって狼人間は道具ってことか。改めて国王はクズだと思う。ルゥクは心の中で国王を見下しながら承諾した。どうせ決定権はルゥクにはない。

 「明日、出発しろ」

 「明日!?国王、一つ頼みがある」

 「我の犬のくせに生意気だな。まあいいだろう、言ってみろ」

 「一度、私の住んでいた森に戻りたい。一度だけでいいんだ。なんなら見張りのための兵を連れて行ってもいい」

 「どうせお前は兵など簡単に食い殺すだろう?」

 必死の懇願に国王は興味のない顔をする。それでもルゥクには懇願するしか道がなかった。抵抗すればラオが危ない目にあうだろう。だがこのままラオに何も言わずに姿を消すわけにもいかない。ルゥクの心は荒波のごとく揺れ動く。

 そんなルゥクを救ったのは、予想外の人物だった。

 「ルゥク!」

 破壊する勢いで謁見の間の扉を開けたのは、ラオだ。その後ろには怖い顔をしてシグレが立っている。

 「ラオ!どうしてここに……?」

「俺が連れてきた。これでも国王の側近だ。国王が何をしようとしているかくらいは知っている」

 「どういうつもりだ、シグレ」

 国王の一声でこの場が凍り付く。だがシグレはそんな空気に慣れているのか、堂々とした態度で国王の前に膝をついた。

 「恐れながら申し上げます。私は国王陛下がルゥクを最前線に出すと予想しており、またルゥクが戦地に赴く前にこの子と会いたがるのを知っておりましたので、ここに連れてきた次第です」

 「ほう、ではこれで未練はないというのだな、人狼。衛兵、連れていけ」

 有無を言わさずルゥクを連れて行こうとする衛兵の前にシグレが立ち塞がる。

 「国王陛下。どうか私の立場に免じて、彼に少しだけ時間を与えてあげてください。彼にとっては最後の再会かもしれないのですから」

 「う、うむ。わかった。良いだろう」

 「ありがとうございます」

 このときシグレはどんな顔をしていたのだろう。ルゥクの位置からはたくましい背中しか見えなかったが、国王は確かに気圧されていた。

 「ルゥク、ルゥク」

 母を呼ぶ子のようにラオはルゥクの名を呼んで抱きしめる。その光景は優しく、白虹のような明るい光に包まれた聖地のようだった。  

 「なんで、ラオ」

 「シグレさんが教えてくれたんだ。ルゥクがいなくなっちゃうって。それでね、「ルゥクに会いたい」ってお願いしたら、「いいよ、連れて行ってあげる」って言ってくれたんだ」

 ラオは喜々として話す。ルゥクは部屋で衛兵たちに撃たれたとき、「シグレも敵なのではないか」と疑った。シグレはもともとこちら側の人間だったし、今までの経験から人間で人狼を受け入れる人などいるはずがない、と思っていたからだ。だがどうやら違うらしい。このときばかりは心の底からシグレに感謝をした。

 「シグレ、ありがとう。会わせてくれて。でも、もう十分だよ。ラオ、もう俺は行かなきゃいけないらしい。今までありがとう。もし、これから先会えることがあったら、その時は笑って俺を迎えてよ」

 「もういいのか?」

 「ああ」

 「では国王陛下、ルゥクを連れていく命令をくださいませ」

 「うむ。今度こそ衛兵、連れていけ」

 衛兵はラオを引き剥がし、それでも縋ろうとするラオを一時的に拘束してルゥクを連れて行った。その時のルゥクの表情を、シグレもラオも忘れない。

 あの、寂しそうに笑う、優しい顔。

 そこにかつて『西の森の獣人』と呼ばれた獣の威はどこにもなかった。

 「どこが獣人だ。まるで人間じゃないか……」

 拳を握りしめ、シグレはつぶやく。それは空気の一部となって謁見の間に溶けた。


             * * * 



 次の日、ルゥクは獣のごとく檻に入れられて戦場に運ばれていた。昨日の傷はまだ完全に塞がっていなかった。ルゥクを運んでいた車が急停車をし、傷が悲鳴をあげる。

 「着いたぞ、人狼。降りろ」

 檻が開かれ、ルゥクは乱暴に外に出される。こんな最悪な日でも、空は青く、時は流れる。昨夜の真夜中に出発したので、かなりの距離運ばれていたのだろう。昨日は一人残されたラオのことを想って一晩中泣いた。あれだけ泣いたというのに、空を見上げたらラオのことが思い出されて一筋、涙が流れた。

 「なあ、もしこの戦争を生き抜けたら、俺はラオに会えるのか?」

 「さあな。生きることを考えるだけ無駄だと思うぜ。お前は死ぬまでここでこきつかわれるんだからな」

 兵隊たちは昨日の国王と同じように嗤う。それでもルゥクはここで死ぬつもりはさらさらなかった。

 「来たぞ、敵軍だ。ほら、突撃しろ」

 ルゥクを縛る手足の枷が外され、最前線に立たされる。いつもだったら人殺しなどしないルゥクだが、今はもはやそれを判断することなどできないほど心を悲しみに支配されていた。ふらふらと、一人で敵軍に向かう。もう少しで接敵するという瞬間に、ルゥクは狼になって敵軍の中心にまで駆け抜けた。

 「狼だ!殺せ!」

 噛み千切り、引き裂き、踏んで、蹴って。顔に血がかかる。悲鳴が聞こえる。だがもうどうでもよかった。ラオに会えれば。ラオの元に戻れれば。

 中心にたどり着く。そこでやっと、ルゥクは立ち止まった。

 『ウオオオオオオン』

 時が止まる。ルゥクは自分の今の気持ちをすべて乗せて空に叫ぶ。青空の下、敵陣の真ん中で哀しみを叫ぶ黒狼の姿はすべての人を釘付けにした。

 「人間みたいだ……」

 「いや、人間よりも純粋で美しい……狼とは到底思えない」

 誰かがそう言う。叫び終えた狼は血にまみれていても美しく、ただひたすらに空を仰ぎ見ていた。そしてふと、人間たちを見回す。その瞬間の出来事だった。

 一人、また一人と血を吐いて倒れていく。いつか敵陣の誰も起き上がることなく、地に伏した。

 「嘘……だろ?」

 「こんなこと、あり得るのか?」

 クレタス王国軍は腰を抜かしていた。目の前には人の死体と血だまりの中に一匹の黒狼が立つという異様な惨状が広がっていた。

 「これが、人狼?」

 ルゥクは味方の気持ちなどつゆ知らず、血を滴らせながらクレタス国王軍の元へ戻っていった。疲弊し、もう立つのもやっとだ。

 「これで……いいか?」

 かろうじて声を発するも、答えはない。顔を上げると、さっきまで自分をバカにしていた人間たちが、恐怖の目でこちらを見ている。

 (どうせこうなるんだ)

 ルゥクは心の中で嘲笑した。

視界が暗転し、黒く染まった。

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