第43話 人と、世界の、明日のために。(完)
「キミの名前は何だい?」
「…………」
―—何でこいつは黙っているんだ。
俺は真っ先にそう思った。ウンとかスンとか口にすることがそんな難しいことじゃないだろうと思っていた。何より、そうもどかしい態度を取っているのは小さい頃の俺なのだから余計に腹立たしい。
しかし、どういったことだろうか。俺の目の前に、小さなころの俺とライルがいる。どうしてこうなったのかは、思い出せない。意識がはっきりしたころには、こうなっていたのだ。
小さな俺はふてぶてしそうにしていた。何をつまらない意地を張っているんだ。その手を差し出せばいいだけの事だろうに。
そして、じれったくなった俺は、小さな俺のそばに寄ろうとする。そして、自分の名前をちゃんと言いなさいと教えてあげるんだ。そんな事を思ったと同時に、何故か小さな俺は姿を目の前から消していた。そして目の前には小さなライルがいた。
「あ……」
そうか。小さな俺は居なくなったんじゃない。俺が小さかった頃の俺になったのだ。
「俺は……」
「おーい! ライル!」
どこからか快活な女の子の声がした。金髪のその少女はライルのそばによると、腕を引いてライルを連れて行こうとする。
「ま、待って……!」
俺は思わず声を上げていた。そう言えば、昔にもこんな経験をした記憶がある。その時は何だか悲しくて、二人を追いかけることをやめてしまった。けれど、今だったら、
「今ならできるはずなんだ……」
俺は二人の背中を追いかけるように走り出した。けれども二人にはなかなか追いつけない。次第に息切れし、足を止めてしまう。
「あぁ……」
次第に遠くなっていく二人の背中を見つめながら、俺はその場で崩れ落ちた。うつむいたまま、歯を食いしばって、ズボンのすそを握り締めて、
「俺は……俺の名前はフィリップだよ……」
俺は柄にもなく泣き出していた。ボロボロと涙が流れて、それは止まらなくなっていた。
「知ってるよ」
不意に、俺の後ろから誰かが声を掛けてきた。俺は慌てて振り返る。そこには背の高い、若い男が立っていた。
「お前も、寂しかったんだよな」
「誰だよお前は」
すると男はゆっくりと俺の方へ歩を進め、うずくまっている俺にこう告げた。
「お前の一番嫌いな奴さ」
俺は涙をぬぐうと男を睨め付けた。
「ほっとけよ……ここからいなくなれよ……!」
「お前ひとりじゃ何にもならないよ」
男はそう言ってから俺に手を差し伸べる。
とても、嫌な気持だった。お前に俺の何が分かると言ってやりたかった。昔の俺だったら、背を向けて逃げ出していただろう。
けれども、何だろう。今の俺だったら、受け入れられる気がして、気が付けば、
「……ありがとう、な」
男の手を握り返していた。
「変われたじゃないか」
男はそう言ってはにかんだ。とても、安心している様だった。彼の正体は言うまでもない、ライルだ。
「まだまだだけどな」
そう言って笑い返した時に、俺の身長は自然とライルの高さと同じになっていた。あぁ、もっとこれが早くできれば良かったと、今になると思う。
あの夏を、もっと違った姿で過ごせたかもしれなかったのに。意味もなく道を駆けて汗を流し、時に家に集まって下らない話をしながら飯を食い、冷たい床で雑魚寝でもしたら良かったのに。そんな些細なことでも胸いっぱいにできる夏だったのかもしれないのに。それをする為に、俺たちは本当に下らない事をしていたんだ。
「まだ、話せる時間はあるのか?」
俺はついそんな事を聞いてしまった。
「ちょっとだけだけどな」
ライルは悪戯っぽく笑って見せた。ちょっとだけ、苦しそうに、息を詰まらせながら言葉を続けた。
「喋りたいことはいっぱいあるのにな」
「……奇遇だな、俺もだ」
俺の声は自然と震えていた。
「もうすぐ、夏が終わる。次の季節が来る。その前に明日が来る。大丈夫か? 不安はないか?」
「バカにするな。明日を迎えるのは得意だ。どれだけ明日を迎えてきたと思ってるんだ」
俺は強がりを言って見せた。本心は怖いさ。だって、お前のいない明日は初めてだから。
「そっか」
ライルは拳をそっと、優しく俺の胸に当てる。
「じゃあ、また明日だ」
「あぁ、また明日」
俺も、ライルの胸に拳を当てやった。そして誓う。この感触を、この夏を、お前と過ごしてきた日々を、決して忘れないと。
そして互いの拳が少しずつ離れていって、託されたぬくもりが身体に溶けていって、けどその心地よさと名残惜しさを振り払って、二人は向かい合って、俺たちは最期の言葉を交わしたんだ。
「じゃあ、お前の彼女を大切にな」
「もちろん。大切な彼女だからな」
そして、二人は互いに背を向けて振り返った。気が付けばライルの横にはアリスがいて、フィリップの横にはセリアがいた。
未来がどうなるのか分からない。道を間違えてしまうかもしれない。辛い出来事と対峙するかもしれない。
それでも、ボクたちは、俺たちは、お互いの彼女とともに、明日へと歩を進めるんだ。
――2079年9月2日。
目が覚めた頃、俺はZENのコックピッドの中にいた。
モニターから外の光景を眺める限り、コロニー『フロンティア』の内部にいるらしい。そして、目の前にはGENがいた。ZENと戦った傷跡は見当たらなかった。ZENとGENは互いに頭を垂れて、かしずくようにしていた。そして、沈黙していた。
俺は日付を確認して、ほっと溜息をついた。
永く終わらなかったこの夏の日が、ようやく明けたんだ。
俺は席から腰を上げ、後部座席に回り込む。そこにはすやすやと眠るメイスの姿があった。安心しきった様子で、心なしか嬉しそうにも見える。
「ふぃいっぷ……?」
彼女は突然目を覚ます。そして彼女は俺の事をじっと見つめていた。
「もう、終わったんだよ」
俺は優しくそう口にしてから、直ぐに台詞を訂正した。
「いや、始まったんだ」
そう、これは終わりと始まりの物語。
後に続く内容が嫌な話になるのか、はたまた違った物語になるのか、分からない。分からないけれど、この世界を生き続ける。彼女を守り続ける。
人と、世界の、明日のために。
―完—
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