第39話 時空の憧憬《ときのしょうけい》
目を覚ますと、まばゆい陽の光がライルのねぼけなまこを刺激した。それでライルはむくりと起き上がる。
「あれ……ボクは……」
頭がくらくらして、状況が良くつかめない。少し前とは全く違う場所にいた事までは分かる。さっきまで違うことをしていたような気もする。だがここにいる事が当然のように思える。妙な感覚だった。
「……ここは?」
辺りを見回すと、ベンチが見えて、砂場が見えて、遊具が見えた。果てに目をやると広大に広がる街の風景が見えた。ここは高い丘にある公園らしい。しかしどうしてまた、こんな所で大の字になって寝転んでいたのかは皆目見当もつかなかった。
脇に目をやると、坂道を下っていく二人の影が見えた。一人は少年で、その横で小さな黒髪の女の子が泣いていた。ライルは目を細める。
何か変だ。何故ならその少年と少女の姿は見覚えがあって、でも彼らがそこにいる事はあり得ない事で、ただライルは唖然としていた。
「あれは……セリアと……ボク……?」
間違いない。しかし、そうすると自分は何を目の当たりにしているのだろうか。何を見せられているのだろうか。すると、ライルの頭の中がぴくりとうずく。
「……そうだ、この時はメイスがいじめっ子に絡まれてそれを助けたんだ」
しかし、それが分かったところで何の足しにもならない。ライルはじっと二人が歩いていく姿を眺めていた。
「おにいさん、どうしたの?」
「うわっ!!」
ふと後ろを振り向くと、白いワンピースを着た小さな女の子がライルを見上げるようにしていた。白く透き通るような肌をして、流れるような金髪をして、くりくりとしたおっきな瞳をしていた。まるでおとぎ話に出てくるような少女だった。
同じ年代の少年のそばにこんな子がいたら、彼女の瞳を見ることもできず、まいってしまうだろう。それくらい可愛らしい子だった。
そして、ライルはその少女の姿を見て、思い当たる節があって、思わずその名前を口にする。
「……アリ……ス?」
すると彼女は驚いた顔をしてライルをまじまじと見つめる。
「ど、どうして私のことを知ってるの?」
「あ、いや……」
ライルはたじろいでしまう。しかし驚いたものだ、本当にアリスだとは思いもしなかったのだから。
しかし、こんな子が近くに居ながら当時のボクは一体何をやっていたんだろう。などとどうでもいいことと、どうしてボクは過去のアリスと一緒に居るのだろうと言うことを、頭の中でぼんやりと並列処理していた。何にせよ、どうでも良かった。
「そ、それよりもホラ! キミはあの子たちのところに行かなくて良いのかい?」
そう言ってライルは誤魔化した。とにかく今は小さなアリスの不信感をぬぐうことが先決だった。するとアリスは急にしゅんとした顔をして、うつむいて、小さくこう告げた。
「……私は……いいよ」
はて。ライルは首を傾げる。
「どうしてだい? 彼らとは友達じゃないの?」
「友達だけど……友達だけど……」
アリスはぎゅっと自分の服を握って、苦しそうにこう答えた。
「私は、どうでもいいから」
「そんなことはないだろう。友達ならキミのことも大切に思っているはずだ」
するとアリスは自身の小さな手と手を複雑に絡ませ、うぅと小さく唸って、申し訳なさそうにこう口にした。
「ライルはね、きっとセリアちゃんが好きなんだよ」
言い終えてアリスは顔を真っ赤にした。また深く俯いて顔が隠れてしまった。その様子がとんでもなく愛おしかった。そんなことを考えて彼女がいじらしく見えた。
「可愛くって……活発で……私にはきっと敵わないよ……だから私はどうでもいいの」
ライルは不思議に思う。この時はまだ、皆の仲は良かったじゃないかと思った。そんなに考え込む必要もないと思った。しかし些細なことだけれども、彼女にとっては真剣な悩みなのだろう。
「……ちょっといいか」
ライルはそう言うと、近くにあるベンチにアリスを座らせた。傍から見たら幼女を誘拐する青年の図にしか見えない。しかしライルにはそんな気は決してないから安心して欲しい。
でも、無警戒なままちょこんと隣に座る彼女を見ると、彼女に真っ直ぐな目で見上げられると、なんだか気が変になりそうになる。妙にむずかゆい。ライルはそれを振り払うべく咳ばらいをし、喋りだす。
「きっとうまくいくよ」
とまぁ、結局喋ったことは大したことなくて、その後に間の悪い沈黙ができた。胸の辺りからじっとりと汗も出てきた。もっと気の利いたことが何故喋られないんだと自分の存在を呪いたくなった。
でもボクは答えを知っている。ボクの隣にいる彼女は、この先ずっとボクと一緒にいることになる存在なのだと。だから悩まなくていいんだよと。そう声を掛けてあげたかった。けれども、そんなことを今のボクが昔のアリスに言ったところで信じてもらえるはずがない。
どうしたものか。ライルは悩んでいると、アリスは不意にこんな事を呟いた。
「意味、ないんだよ」
ライルは驚く。まさかいつも明るく、元気なアリスがそんなことを考えるとは思いもしなかった。
「そんなことは……」
ライルは言葉を続けようとして、すぐにそれはか細い声に遮られた。小さくとも、その言葉は確かな重みを持っていた。
「私ね、戦争の道具なんだって」
息が止まってしまう。言葉が紡げなくなってしまう。
「そんなこと言われても困っちゃうよね。分からないかもしれないけれど、私そういう運命みたい」
この時から彼女はその事実を背負って生きていたんだ。こんなに小さな身体に、何もかもを背負いながら、恐怖を必死になって押し殺していたんだ。そう考えると、胸が、苦しくなる。
「いつかね、私は戦争のために命を使わなければいけないの」
彼女の声は震えていた。この年齢にして終わりと向き合って生きていくことが、どんなに苦しいものなのか、悲しいものなのか、無意味に感じるものなのか、想像もつかない。ただ、終わりが分かっている彼女なら、自分が何をするべきなのか、決断するべきなのか、分かってしまっているはずだった。だから彼女はこんな事を口にした。
「だから私はね……ライルとは一緒に居られないんだよ……」
ボロボロと彼女の大きな瞳から涙が次々にあふれて溢れてゆく。顔をぐしゃぐしゃにして、まぶたを泣き腫らして、嗚咽を漏らす。好きな人と一緒に居る。たったそれだけの些細なことが、終わりを宣告されるだけでできなくなってしまう。
だからこそ、口にしなければならないと思った。生きることが幸せになるように、彼女を笑顔にできるように、彼女にこう、告げなければならないと思ったのだ。
「良い事を教えてあげようか」
その言葉を耳にしたアリスは、ふと泣き止んで、ライルの顔を見た。ライルはやけに神妙な面持ちをして、真っ直ぐとアリスの方を見つめていた。
「キミはいつかライル君と二人きりで一緒に住むようになる」
「……え?」
アリスは不思議そうな顔をした。
「そして毎日キミはライル君とご飯を食べ、学校へ向かい、夜は近くの布団で眠るんだ」
アリスは前のめりになってライルの話に耳を傾けていた。その事実を真実としてとらえようとしているようにも見受けられた。ただ一方で不安げな表情もしていた。
「おにいさんは……だれなの……」
しかしライルはアリスの問いに答えなかった。言葉が熱を帯びて、気が付けば止まらなくなっていた。自分でもわからなくなる位に感情的になっていた。
「それでね、ライル君はきっと一人ぼっちになる。寂しい思いをする。皆から虐められるようになる。何度もキミに情けない姿を見せることになる。それでもキミは……アリスは……」
「おにいさんは……」
「一生懸命にライル君のことを勇気づけてくれるんだ」
「どうして、泣いているの?」
アリスに言われて気が付いた。自然と一筋の涙が頬を伝っていた。ライルはそれをそっけなく拭った。
「ボクが、ライルだからだよ」
ライルは思い切った回答をした。信じてもらえるか分からない。信じなくても構わない。でも、言いたかった。言ってあげたかった。そうでもしなければ、アリスが救われないと思ったからだった。
アリスはありえない事が起きたかと言うように、口を開いてぽかんとしていた。そしてまた、ライルは口を開く。
「それでね、アリスは本当にすごい子だって分かったよ。すごく優しくて……こんなボクのために戦ってくれるんだ……それで……」
ライルは一度言葉を止めてからアリスをじっと見つめた。アリスは妙に緊張した様子だった。口を僅かに開いたまま、金縛りにあったように固まって、次の言葉を心待ちにしている様だった。だから、ライルはそれに応えるように、そっと言葉を贈るのであった。
「ボクはキミに告白するんだ」
ボクと彼女の間に一陣の風が吹いた。アリスは一瞬あっけに取られたような顔をして、次に頬を赤く染めて、そして驚きの声を上げた。
「……えええええええええええええ?!?!?!!」
アリスはどうしたものかとおろおろした様子をしていた。それで、幸せそうな表情をしていた。こらえきれない笑みがこぼれていた。みずみずしい瞳をしていた。ほんのりと紅く染まった頬をしていた。こんなにも人は幸せな顔をすることができるのだと、ライルは初めて知った。
ライルはそれを見て、いたずらっぽく笑ってから追い打ちをかける。
「ちゅーもするよ」
「ちゅーもするの?!?!」
アリスはさらに驚いて、はずかしそうに照れて、顔を真っ赤にして左右に振っていた。アリスはもう、ライルのことを疑う様子など全く無い様子だった。アリスはライルに向かって、張り切ってこう答えた。
「私ね、ライルのためだったら何でもできるんだよ!!」
「どうして、かな?」
「ライルはね、いつでも私のことを……ううん、私たちのことを守ってくれるから!」
今度はライルが言葉を失ってしまった。
今となっては忘れてしまった想いだった。
時が経って、自分は結局自分のために生きようとしていた。自分を強く、立派に見せようとしていた。そうすれば皆と一緒の生活が戻って来ると信じていた。
けれどもそれは間違っていた。
わがままで、自分勝手になっていく自分を正当化する理由に成り下がっていた。だから、その姿になる事だけを考え続けていた。だから、
「あのね、ライルは……って、あなたじゃなくて今のライルだけど、『みんなのことを助けたいんだ』っていつも言ってるよ!」
そうだ、本当の結末は誰かを助けたいと言うだけの、単純な事だった。思い出すのが、気が付くのが遅すぎた。
「ちゃんと昔の自分は口にできていたんだ」
そう考えると情けなかった。ようやく掴んだ答えは、昔の自分が知っていたのだ。ただ、昔の自分は間違っていなかったと思うと、すこしだけ胸が熱くなった。
ライルはゆっくりと立ち上がる。
「もう、行っちゃうの?」
「あぁ、助けなくちゃいけないヤツがいるからな」
そう言ってライルは歩を進める。ゆっくりとゆっくりと。そして、その先には大きな木があって、そこで歩を止めた。
「なぁ」
ライルはそれに語りかけるように、気さくに声を掛けた。
「……なんだ」
すると、木から返事があった。正確には、その木の裏に誰かがいた訳で、わずかに地べたに座り込んでいる人の影が見えた。ライルはフッと笑って、言葉を続ける。
「お前も、寂しかったんだよな」
「誰だよお前は」
ライルはまたゆっくりと歩を進めて、木の陰を覗くようにする。そして、そこでうずくまっている少年を見て、ライルはこう告げた。
「お前の一番嫌いな奴さ」
そこには金髪の少年がいた。彼は涙をぬぐうと、ライルを睨め付けた。
「ほっとけよ……ここからいなくなれよ……!」
「お前ひとりじゃ何にもならないよ」
ライルはそう言ってから彼に手を差し伸べる。
「ひどいことして悪かったな。お前も皆と一緒に居たかっただけなんだよな。でも大丈夫さ。お前を救ってくれる人がいつか目の前に現れる」
金髪の少年は何も言わなかった。じっとライルを見つめ、手を伸ばそうとした。だがライルの柔らかな表情を見て、直ぐにそれを払って、立ち上がって、その場から逃げ出した。
ライルはそれを追おうとはしなかった。ただ、小さくなっていく彼の背中をじっと眺めていた。
「お前を助けなくちゃ」
誰かを助ける。皆を助ける。それが自分のしたいことだった。それだけ忘れなければ、もう間違えない気がした。
「……ライル、どうしたの?」
するとライルのそばにアリスがやって来た。
「何でもないさ。やらなくちゃいけない事を思い出しただけだよ」
そして、ようやく分かった気がした。自分が今ここに来た意味が鮮明になって、頭の中がクリアになっていく。だからライルは、アリスを見つめ、こう口にした。
「ありがとうアリス。最後にこんな景色を見せてくれて」
すると、アリスは儚げにはにかんでこう告げた。
「最後まで、一緒だからね」
「あぁ。当たり前だ」
淡泊に返事を返したつもりだった。しかし、声は少しだけ震えていた。
「やっぱり、ライルは優しいな」
そんな言葉がライルの胸をあたため、そしてしめつける。
気が付けば夕焼けに染まっていて、美しい景色をバックに、彼女はそこに存在していた。切り抜かれた一枚絵のように、その光景は鮮烈さをもっていて、そして、
「大好きだよ。ライル」
彼女はライルへこう告げた。
この夏はもう来ない。分かっている。でもそれが正しい。正しいのだ。また同じくらいに美しい夏を迎えるために、今を懸命に生きることが、未来を創ることが、正しいのだ。
だから、
「ボクも……アリスが好きだ……」
言葉を返す。
これが、最期の言葉だと分かっていても。
すると、視界にかすみがかかってきて、目の前にいたはずの笑顔が見えなくなっていく。だんだんと意識がはっきりとしてくる。
そして、胸に満ちていたあたたかみだけを残して、アリスが見せた夢から、ボクはまた目を覚ました。
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