第33話 夢のはじまり

 ―—彼は家にいるとき、いつも一人だった。


 父親はいつも仕事ばかりを優先していて、家には滅多に帰ってこない人だった。母親は彼に愛想を尽かして二年前に家を出て行ってしまった。まだ十歳にも満たない、未熟な彼を残してのことだった。


 だから、彼はいつも一人でいた。寂しさも、悲しさもなかった。ただ、自分はこう生きるしかないのだと、諦めていた。


「アンタはいつも一人だよねぇ」


 それでも、彼に話しかけてくれる人がいた。近所に住む女の子だった。綺麗でながくしなやかな黒髪をしていた。顔立ちも良く、凛とした表情をしていた。


 はじめ、彼が庭で遊んでいるときに、不意に彼女が声を掛けてきた。彼女は物憂ものうげにして、家の窓から彼を見つめていた。


「キミはどうなんだい?」


 彼は彼女の問いにこう返した。すると彼女はため息をついてこう答えた。


「あいにく、私もおんなじ。ほんと退屈よ。一人でいたって、何にもなりはしないわ。……ねぇ、私、家族に放っておかれてるの。この家に一人きりにされてるの。両親はおもちゃだの、おいしいご飯を準備しておくから、後は好きにしてって言って仕事に出かけちゃうの。勝手だと思わない? それって、一体何なのかしら。私にどうして欲しいって言うのかしら。私を肥やして、食べてしまおうとでも言うのかしら」


「キミはよくしゃべるね」


 不満そうに、長々としゃべる彼女の話を聞いて、彼はつい笑ってしまった。それを見た彼女は不機嫌そうにする。


「……なんか面白いことでも口にしたかしら」


「ごめんごめん。でも、その気持ち、わかるよ」


 それが、彼と彼女の出会いで、その付き合いはしばらく続いた。互いの家の垣根を隔てて、他愛のない会話を繰り返した。


 今日は暑いねだとか、庭に咲いている花の話だとか、家で何をしただとか、いつか二人でどこか遠くに行きたいだとか、そんなことを話していた。


 いつしかそれは毎日になった。この退屈な日々を乗り切るために窓の外で顔を合わせる行為は、楽しみを生むものへと姿を変えていった。それはそれきりではなく二年近く続いた。そしてきっと、二人は出会いを重ねることで、互いに求め合うようになっていたのだと思う。


 なぜなら、話し合うときに見せる彼女の顔が余りに無邪気で、彼に向ける笑顔は普段よりも輝いていたからだ。彼もその笑顔を見ることが毎日の楽しみになっていたからだ。


 けれどもある日、事件が起きた。


 彼は早朝に、けたたましいサイレンを耳にして目を覚ました。何事かと思って窓を開けば、隣の家が燃えていた。それは彼女が住んでいる家だった。


「……え?」


 彼はその光景を目にして、しばらく動けなくなってしまった。ごうごうと燃え盛るそれを眺めながら、ありとあらゆることを考えて、茫然としてしまった。


 火が消し止められてから、彼は現場に足を運んだ。周囲には野次馬がいて、それぞれ勝手に情報を垂れ流していた。


 ずいぶんと朝早くから出火した事。出火元はキッチンだったこと。この家に住む女の子が遺体になって発見された事。その女の子は紛れもなく、彼とよく一緒に喋っていた彼女だと言う事。


「どうやら、その女の子がキッチンでお菓子を作っていたらしいわね」


 ある老婆がそんなことを口にした。何故、そんなことをしていたのか彼にはすぐに分かった。


 今日は彼の誕生日だった。


「誕生日おめでとう」


 何も知らない彼の父は、家に帰って来てからそんなことを口にした。彼は何も口にしなかったし、できなかった。


「さて、誕生日と言っては何だが、これから良い所に連れてってあげよう。さぁ、身支度をしようか」


 父は仕事帰りの服装のまま、彼に荷物をまとめる様に促した。彼は父の言うままに従って、てきぱきと身支度をし、家を出た。向かった先はユニバーサルポートだった。こんなところに来る理由はひとつで、宇宙へ旅立つこと以外にない。


「……どこに行くの?」


「何をしてもいい、夢のような世界があるんだ」


 父はそう告げて一層彼の手を強く握った。その時、彼は自分がされていることの意味を直感的に気が付いた。父は心底、彼の事なんてどうでもいいのだろうと思った。彼の誕生日などどうでもよく、父の勝手な押し付けに付き合わされているようにしか思えなかった。


 移動船に搭乗してから、父はまるでおとぎ話を枕元で語るように、その世界のことを彼の耳元で語り続けた。それは父の気が狂ってしまったのかと思ってしまう程の話だった。


「食べたいものがあれば何を食べてもいい。欲しいものがあれば何を買ってもいい。お前が望むことは、できる限りのことは何でもしてやれる。女だって、いくらでもあてがえる。過ちを犯したなら、揉み消せばいい。そんなことは簡単だ。……何故ならそこに居る限り、我々は王なんだから」


 何だか、話がおかしいと思ったころには彼は眠りについていて、目を覚ました時には目的地に到着していた。


「起きたかい」


 彼は寝ぼけ眼のままで起き上がる。周囲は移動船とは大きく異なり、ホテルの一室のようなところにいた。周囲は薄暗く、彼はベッドの中に身体を埋めていた。


「ここは……?」


「私の職場だよ」


 父は彼の傍から離れると、横のベッドにゆっくり腰かけた。そして煙草を手に取ると、火を付けてうまそうにそれを吸い始めた。彼は父が煙草を吸う事など知らなかった。


「さあ、入ってきなさい」


 父がそう言うと、向かいにあるドアがゆっくりと開かれる。そこには二人の小さな影があって、ためらうように、おびえるように、それらはゆっくりと姿を現した。


 何だか胸騒ぎがした。いけないものを見ている気がした。そして、それらの姿がはっきりと見えてから、彼は目を疑った。


「地球にいたお前が気になっているがいただろう。おっと、ほらあそこにいる彼女を見てごらん……」


 父のその言葉を聞いて彼はしばらく絶句してしまった。その二人は年端もいかない少女で、バスローブを身に纏っていた。特にその内の一人は見覚えがあった。肩までかかる綺麗な黒髪、凛とした表情、その容姿は紛れもなく彼の近所に住まう少女の姿をしていた。死んだはずの彼女が、ここに現れたのだ。


「……セリ……ア?」


 彼は思わず、彼女の名前を口にしていた。死んでしまった彼女との再会に驚きながら、彼は彼女の元に寄って手を取った。


 あぁ、色々と話したいことがある。生きていて本当に良かったと、どうやって助かったのだと、また一緒に毎日他愛のない話をしようと、そう彼が口にしようとしたときに、先に彼女が口を開いてこう告げた。


「あなたは……なんて名前なのかしら?」


 彼はそれを聞いて固まった。困惑した表情をする彼女を見て、明らかな異変を感じ取って彼は後ずさりする。


「記憶が……ないのか……?」


「残念ながら違う」


 すると父はそんなことを口にして、煙を吹かした。そして、淡泊な笑みを浮かべると彼に対してこう告げた。


「彼女はお前の言う『セリア』に似せて作り上げたんだ。もちろん名前だって同じにしてある。胎児から八歳までは特殊なカプセルの中で急速成長させ、お前のために創られた。さぁ、地球の彼女は言う事を聞いてくれなかったかもしれないが、ここは何をするにも自由だよ。そう、何をしたっていい」


 父がそう言ってセリアの顔を見つめると、セリアは怯えるようにする。すると、悲しそうにも、悔しそうにも似た表情をして、するすると身に纏っていたバスローブをはだけさせる。


「……やめろ」


 彼は思わず声を漏らした。セリアはそんな子じゃなかった。少しだけ気が強くて、生意気で、自分がされて嫌なことを人に言われてする様な子ではなかった。けれども、目の前にいる彼女は彼の目の前でそんなことをする。


「……やめてくれよ」


 だが、すでに彼女は彼の目の前で裸になっていた。彼女は今にも泣きだしそうにしていた。そして、強張った動作のままゆっくりと彼に抱き付いた。彼女の身体は、冷たくて、震えていた。


 何を言われているのか分からなかった。何が起きているのか分からなかった。彼は自分の頭がおかしくなってしまったのだろうかと思った。彼女をそんな風に扱える訳がない。それ以上に、彼女をセリアと同じように接することができない。できるわけがない。偽物なのだから。


「父さん……俺……意味が分からないよ……」


 これを誕生日プレゼントと称するには、人としての何かが欠落していなければできない事だと思った。彼が失ったかけがえのないものを侮辱された気がした。


 すると父は吸い終えた煙草の火を灰皿の中でもみ消してから、再びまじめな表情をして彼の顔を見つめた。


「俺たちは今、人間牧場の中にいる」


「……は?」


「厳密には、人間ではなくて魔法族だがな。ここはコロニー『フロンティア』。ここにいる成人以外の人の形をしたものは、みんな魔法族だ」


 そして、父の元にまたもう一人の女がやって来て、隣に座った。彼女もまた黒髪をした、綺麗な少女だった。父はその女の肩を抱き、酒をたしなみはじめた。初めのうちはその女の姿を見ても何も思わなかったが、彼はあることに気が付いてふるえあがった。


「……母さん……なのか?」


「そうだ、その姉は母さんをモデルにしたんだ。あぁ、成長するのが楽しみだ。若いころのは本当にかわいかった……」


 彼は身の毛もよだつような話を聞いて、思わず父の顔を見た。その時の父は、常人には到底見えない表情カオをしていた。


「どうだ。最高のプレゼントだと思わないか? ……なぁ、フィリップよ」

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