第32話 真実を知るときに④

 その様子を見たフィリップは面倒くさそうに顔をしかめると、ライルの傍によって腰を落とす。そして、傷穴を確認するとそこに指を突っ込んだ。


「……があああああああっ!!」


「おかしいな。セリアはこうしたら気持ちよさそうにするんだけども」


 そう言いながらフィリップは傷穴の中でくいくいと指を動かした。ライルはしびれるような痛みを感じながらバタバタとのたうち回る。しかしフィリップはライルの身体をもう片方の腕でしっかりと抑え込んで、傷口から指を離さない。


 ライルは、もう許してくれと懇願したい位だったが、フィリップは容赦なく傷口を弄繰いじくりまわす。くちゃくちゃと音をたて、ライルの筋肉は痛みを伴ってほぐされる。フィリップの指が筋線維に当たってこりこりとした感覚が伝ってくる。その度に悲鳴を漏らすライルを無表情で眺めながら、フィリップは淡々と喋り出した。


「もうさ、面倒くさいんだよ。いちいち小さなことで口答えとか、どうでもいい人間関係とか、長ったらしいか小話とか、くだらないんだよ。もう黙れよ。それが分かったなら分かったと言うんだ」


「…………分かったよ」


 もう何もかもがどうでも良かった。このまま何もできない無力さが途方もなく虚しくて、悲しくて、痛くて、やりきれない思いがライルの中に渦巻いていた。


 するとフィリップは懐に手を入れると、何かを取り出して、ぶっきらぼうにライルの目の前に放り投げる。


「なら準備をしよう」


 いまいち、ライルにはその物体が何かわからなかった。自分にとって不利益な何かをされていると思っていた。けれども、フィリップが行ったことは想像をはるかに超える常軌を逸したもので、それはライルを戦慄させた。


「……これ、は?」


「止血剤と鎮痛剤だ」


 ライルはそれを聞いてぞっとする。フィリップは何かに執着するように、ライルへそいつを寄越した。その意味は、まだ彼は壊れたおもちゃで遊びを続けたいと言っているのだ。


「何でそんなことをするんだ……」


「お前は戦わなくちゃいけない。それでいいじゃないか。それがたった一つの未来なんだ」


 その口ぶり、本当に未来が決まっているというのか。このまま殺されるだけの未来が待っているのだろうか。けれど、


「そんなのは……嫌だっ……」


 ライルは痛みを、歯を食いしばることでぐっとこらえる。


 このまま何も分からないまま死ぬのは嫌だ。こんな悔しい思いをしたまま死ぬのは嫌だ。ただそれよりも、何よりも大切な自分の彼女アリスを守れないまま死ぬことだけは、もっともっと嫌なのだ。


 まだあきらめられないんだ。突破口とっぱこう。この絶望的な状況に、風穴を穿うがつんだ。


 考えろ。思い出せ。少し前からの出来事を。わずかな違和感でも、何でもいいから。


 家畜。決められた未来。終わった世界――


 その時、ライルの頭の中を、映像とともにある言葉がよぎる。


 暖かな髪色をしたある女性が、もの悲しそうな表情を浮かべながらライルにこう告げていた。


『私達が生きるこの世界に脚本シナリオがあるとしたら、どう思うかな?』


 それはメイスの言葉だった。GENと初めて出会い、この世の真実を知ったあの時の言葉だった。その内容は人類が安心安全に暮らすために、未来を決めごとにするものだった。当時は全く意味が分からなかったが、それは今になって、この事態を理解する鍵になりうる気がした。


 ぐんぐんと、思考が加速していく。


 そう言えば、何故フィリップは一人で行動しているのだろうか。確定した未来を知っている者たち、国のトップに立つ人びとは組織として動いているはずだ。それなのにフィリップは独断で、ライルに国家レベルの兵器を使用しろと宣言している。例えフィリップが国のトップに立つ人間だとしても、このコロニーの権限をここまで彼が一任されるはずがない。


 ライルは息をのむ。一旦、ここまでの情報を整理することにした。


 未来を執筆しているシナリオライターの存在がいたとして、ここまでの脚本シナリオが人類のためではなくフィリップのために描かれているとする。だとすれば仮に、フィリップが未来を掌握する権利を持てるようにするにはどうしたら良いのか。


 その考えに至った時、ライルの頭の中に稲妻が走る。その問いは悩むより早くライルの口から飛び出して、


「セリア……お前の魔法はなんだ……?」


 ―—この場の空気を一変させた。


 そうだ。ライルの勘が正しければ、セリアに何かがあるに違いない。フィリップはセリアのことを『俺の為に創られた個体』と言っていた。セリアが魔力を備えているのであれば、何か特殊な魔法が使えるに違いない。未来を知ることにまつわる何かがあるに違いない。


「あのさ」


 するとフィリップは明らかに不愉快そうな表情をする。そして、ライルの肩の傷口からは今まで経験した事のない激痛が走った。


「うわああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 ライルは堪らず絶叫し、一方フィリップはそれでも容赦なく傷口をほじくり回し続けた。


「……何故そんなことを聞く? どうして死ぬと分かっていて下らない事を聞く? 俺は言ったよな、GENに乗れって。それだけのことがどうして分からないんだ?」


 そしてセリアに拳銃を向けた。


「お前もだ。喋るなよ。喋ればどうなるか、お前なら分かるはずだ。この拳銃だって虚仮威こけおどしじゃないことくらい知ってくいるはずだ」


 するとセリアはより一層震え出し、パクパクと何も音を出さないまま口を動かした。このままではセリアは危険な目に逢う。けれども、このまま何もしなければ何も変わらない。一方的にフィリップになぶられるだけなのだ。だから、


「セリア! いまここでそれを答えなくてどうするんだ!! このまま全員皆殺しにされるぞ!」


 だから、ライルはそう叫んだ。自分にも危害が及ぶことは百も承知で、必死の要求をした。生と死が薄皮一枚でへだたれているところを、破かれる覚悟で口にした。


 今、ライルの心臓は踊り狂うように暴れまわっている。傷口の痛みなどとうの昔に忘れ去られていた。今あるのは、僅かな希望に対する期待と、祈りだけだ。


 それを聞いたセリアは息をこらし、思わずつばをのみ込んだ。一歩間違えれば即死。そのような状況で、セリアはリスクを冒すのか否かを決断できかねていた。


「……わ、私は……!」


 するとフィリップはわざとセリアの顔の真横に、弾丸を吐き捨てる。セリアはひいと悲鳴を漏らして固くなって縮こまってしまった。


「ぐだぐだぐだぐだとやかましいんだよ! おい、ライル……そんな意味のないことをするなよ……お前は黙ってとっととGENに乗ればいいんだよ!」


 もうだめだ。こうなればセリアが喋れるわけがない。ライルがそう思いかけた、その時だった。


「……魔法の影響を……受けない魔法」


 ポツリと、弱々しい言葉が呟かれた。


 その声が聞こえてきた方を見ると、セリアがいて、彼女は茫然ぼうぜんとしていた。言ってしまったと、何でこんなことしてしまったのだろうと、後悔も、絶望もしている様だった。


 その言葉は大したことではなかったかもしれない。ただ、それはセリアがリスクを承知で、勇気を振り絞って口にしたものだった。とうじられた小石は静かな水面みなもに僅かな波紋を生んだ。それは波を生み、拡散され、約束された安定を確かに破壊した。


「なぁ」


 フィリップの表情は硬く、強張こわばっていた。驚いていたようにも、怒りで冷静さを失っているようにも見受けられた。フィリップはライルの肩から指を引き抜くと、ゆらりと立ち上がってセリアの方へ近寄る。


 セリアは近寄って来るフィリップの影を地面から眺めながら震えていた。そして、セリアは上を見上げると、そこには冷たい笑みを浮かべたフィリップがいた。


「何でだろうね」


 フィリップは倒れたセリアに覆い被さるようにして、どさりと座り込み、セリアに馬乗りになる。そして、腹に拳銃の銃口をそっとあてる。それをなぞるようにして胸の方へ動かしていった。その冷たい狂気は、セリアのほどよくふくらんだ谷間にうずもれて、ソレを吐き出そうとうずうずしている様だった。


「……ダメだって言っているじゃないか。お前を変に弱らせるとこの後十分に楽しめなくなるんだから」


 フィリップは貼り付けた様な笑みを浮かべて言葉を続けた。


「いいんだよ? この場で全員を皆殺しにしても」


 セリアは泣きじゃくりながら左右に首を振る。


「そうだよね……そうじゃなけりゃ、俺がつまらないままだ」


 フィリップはそう口にしてからセリアの頬を平手できつく叩いた。その後、セリアは情けない表情をして、嗚咽を漏らす。


「さあ!」


 そう、フィリップは勢いよく口にしてから、拳銃を天井に掲げて一発弾丸を射出した。


「もういいかげんな芝居は終いだ! まっぴらだ! これからは俺が、しっかりと執筆し、練りに練った脚本に従ってもらおうか」


 戦いの火蓋ひぶたを切る為の、号令が天へ放たれた。


 しかし、これでまた分からないことが増えた。セリアの魔法は未来のこととは何の関係もなかったのだ。そして、フィリップは人類だ。魔法を使えるわけがない。では何が未来を知るための鍵になるというのだろうか。


 それらの考えがまとまらないうちに、フィリップがライルのことを急かす。


「おいライル、いつまでぼさっとしているんだ! まぁ、あんまり待たせるようなら、暇つぶしにそっちのアリスだって好き放題してもいいんだけれど」


 ライルは怒りで床を拳で叩く。何様のつもりだろうか。なんでこんなことに従わなければならない。こんな奴の言いなりにならなくてはならない。けれども、逆らうことだけは絶対に許されない。この不条理が、どうして許されようか。


「お前、いい加減にしろよ……!」


「なら、戦えよ。男なら」


 もちろん、本当は嫌だ。これ以上、アリスは命を消費してはいけない。これ以上、一緒に居られる時間を短くしたくはない。けれど、それでも今はやらなくちゃいけないのだ。


「…………アリス……戦おう」


 ちくしょう。


 ライルは歯噛みする。アリスを守ると言ったのに、結局は彼女に頼ってばかりで、使ってばかりで、自分は何もできない事に腹を立てる。


「そうこなくっちゃ」


 するとフィリップはライルの方へ再び寄る。鼻歌を歌いながら、鎮痛剤をライルに打ち、傷口に止血のパットを張り付けた。そして、無理矢理にライルを起こし、アリスの方へ歩かせた。それでGENに早く乗れと手で適当に指示をした。


 言われるがままに、ライルはアリスをおぶり、共に玄関まで歩を進めていく。


 玄関につくと、熱気が扉の向こうから伝って来た。この扉は別の世界に繋がっているようにも思えた。あぁ、嫌で嫌で仕方がない、半分終わった世界がこの扉の向こうにある。その地にまた足を踏み入れることになる。


「……アリス、ごめんよ」


 するとアリスは小さくうなずいてから、けなげにも少しだけ笑って見せた。もう、アリスの命は長くない。それなのに、最後の最後まで、アリスを使いこむような真似はしたくはなかった。安らかに眠らせてやりたかった。


 けれども、やらなくちゃ。


「……ボクは戦う。奴の言う通り例え死ぬとしても……最後まで……!」


 ライルは意を決して扉を開く。同時にむわっとした熱気と、刺すような日射がライルを襲った。一瞬日光が強くて、辺りがよく見えなかったが、直ぐにそれは落ち着いた。


 目前には、神にも思える純白の巨体が灼熱の地にひざまずいていた。


 伝説の魔導兵器ワイズローダ、『GEN』。陽炎かげろうの向こうには、そいつが居た。


 そして、彼は頭を垂れ、ボクたちに決断をゆだねていた。さあ戦えとボクにささやいていた。

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