第30話 真実を知るときに②
「ボクたちが……家畜……?」
ライルは改めて口にしたものの、実感が湧かなかった。家畜。人類が利用するために飼育する存在。適度な餌と環境を与えられ、機が熟せば殺される。ライルたちはそんな立場にあった。
驚きも、悲しみも、怒りもあるけれども、ライルは余りに現実からかけ離れたその出来事を教えられても、何をしたらいいのかよく分からなかった。誰にこの感情をぶつけても解決されない、この壮大な事実を教えられたことは、あたかも虚無へ放り込まれたような気さえした。そして、虚無にさらされて、自分も近いうちに同化してしまうようにさえ思えた。
「気が付かなかったでしょ。まぁ、気付けないのが当たり前だと思う。これだけ豊かな生活を与えられているんだから不満なんて中々出ないだろうし……」
そしてセリアは一拍置いてからこう告げた。何かを嘲るように。何だか悲しそうに。
「考えすらできないと思う」
どうしてそんなことを口にできるのか、ライルには到底理解できなかった。腹立たしくも、切なくも思えた。あなたには分からないでしょうと言い切られたようで、今まで何も考えて生きてこなかった自分を咎められているようで、つまりは余りにセリアの態度が他人事過ぎていて嫌だった。
まさか。ふと、ライルの頭にある考えが浮かぶ。ごくりと唾を飲んでから、口を開こうとする。
「勘違いしないで欲しいから言うけれど」
すると、セリアは見計らったようにライルの言葉が出る前に自分の言葉で遮った。ライルは喉まで出かかった問いかけを詰まらせることになり、その調子の悪さにムスリとする。
だけれども、セリアが次に結んだ言葉は、
「私も魔法族よ」
ライルが恐れていた事であり、最も聞き出したい言葉でもあった。けれども、まだ分からない事はたくさんある。ライルはまた口を開こうとすると、セリアはぐいとライルに顔を寄せてこう口にした。
「残念ながら質問は後。これ以上、的の得ない質問をされたくないの。時間がないから」
そうしてセリアはライルから離れると、今度はアリスの方へ歩いてゆく。
「何だってんだ……」
全く、状況が全く掴めないと言うのにセリアの態度は横暴すぎる。いきなりやって来て、我々は家畜だなんだと言い出して、仕舞には質問も許されない始末。長年の付き合いの中で、こんなことは多々あったが、今なお、この状況でも変わらない様子を見るととんでもない奴だと思ってしまう。
「さてと……」
そして、セリアはアリスの腕を自身の肩に回して無理やり起こす。どうしたものかとライルは思っていると、今度は乱暴にアリスをライルの方へパスするのであった。そのぞんざいなアリスの扱い方に、ライルは思わず腹を立てる。
「何すんだよ! 危ないじゃないか!!」
「そうね。危ないわね」
余りに舐めたセリアの口ぶり。さすがにもう度が過ぎている。ライルは怒りのままに、セリアの方へ歩を進めようとする。
ライルはセリアの
ふとセリアからライルへ手が差し出される。何のつもりだとライルは思っていたのだが、その行為の意図に気が付いた時には、思わず目を疑った。
そう。その手は、差し伸べられたわけでも、約束を交わすためのものでもなかった。そんな生易しいものではなく、明確で、無機質な、確固たる意志を表現するものであった。
「貴方が」
一瞬、セリアが口にしたことが何を意味しているのかが理解できなかった。けれども、その台詞はライルへ吐き捨てられたものだと理解するには、そう時間は掛からなかった。何故なら、セリアの手には拳銃が握られていて、ぎらりと黒光りするそれは、確かな殺意をライルへ向けていたのだから。
「おいおいおい……一体どうしちまったんだよセリア……!」
ライルは突然の出来事に冷静さを失う。一瞬のうちに顔は青ざめて、怒りなど何処かへ吹き飛んでいた。セリアはあくまで冷静なままだった。視線も外さずにライルを見つめている。
「どうもこうもないわ。私は成すべきことをしようとしているだけ」
ライルはごくりと息を呑む。セリアに何があったのか事情も分からない。けれど、まずは話さなければ何も始まらない。ライルはセリアがマトモに会話をしてくれないことを踏まえた上で、吹っ掛ける様にこんなことを口にした。
「メイス姉の敵討ちとでも言うのか……?」
すると、セリアの表情はみるみるうちに怒りへと変わってゆく。
「違う!!」
それはいつにも無く強い否定で、ライルも思わず一歩引いてしまった。どうしてそこまで怒りをあらわにするのか理解できない。しかし、セリアは分かち合おうともせず、拳銃を力強く握りなおし、声を一層荒げて一方的に会話を進めるのであった。
「……ライルには分からない。いや、分かるはずもないし分からくていい。この世界は私がここで終わらせる!」
「全く意味が分からない……! 何だってんだよ。ボクが一体何をしたって言うんだ!」
「これからライルはすることになるのよ……とにかく、アリスさん、あなたの力が必要なの。今すぐライルに魔法を使って!」
一体何なのだろうか。今度はアリスに魔法を使えと言い出すのだから本当に訳が分からない。ライルはそうはさせまいと、アリスをぎゅっと強く抱きしめる。アリスの身体はもう限界で、これ以上はいたずらに魔法を使わせたくない。
「いい加減にしろよ! 理由も、訳も分からないままどうして勝手に話を進めようとする!!」
「理由を話せば殺させてくれる訳?! そんなハズが無いでしょ……? それに、もうそんな悠長なことを話す事さえもうイヤなのよ!」
セリアは錯乱状態にあった。ぐしゃぐしゃに泣きながら意味不明な事を叫んでいる。ライルもどうしたら良いか分からない。
しかしながら、その意味不明な言動は、本当に意味不明だからこその物ではないだろうか。つまりは本人も行っている事が分かっていないのではないのだろうか。自分の思考とかけ離れた行動が出力されて、セリア自身も混乱してしまっているのではないのだろうか。果ては、セリアの言っている事には想いがなく、彼女にとんでもない悪意を吹き込む、何者かがいるのではないのだろうか。
「もう、終わらせましょう……もうこんな世界はもう嫌なのよ……!」
よく聞けばセリアの声は震えていた。ライルはごくりと息をのむ。よく思考を働かせれば働かせるほど、精神を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、セリアを突き動かす何か強い意志を感じてしまう。崖の淵で谷底の方へ背中を押し続けるような、死を促し続ける邪悪な意思を。セリアの背後にある、きっと目にすれば震えあがるような、存在し続ける影を。
ライルはふと思う。ここまでセリアを追い詰めて狂わせる者、絶対的な支配権を握る者、そんな人物がいるとすれば、きっとそれは人ではなく、悪魔かもしれない。
その結論にライルが至った、その時の事だった。
「そうはさせないさ」
ふと、男の声がした。
その口調は鼻に付く不愉快なものだった。その台詞は張り詰めたこの状況を楽しむかのようなものだった。また、どこかで耳にしたことがあるような声質だった。そして、その声を聞いたセリアの表情は一変するのであった。
「アリスちゃん、早く魔法を!」
セリアの身体はガタガタと震え、言葉にも余裕がなくなってきている。まるで、その声の主に怯えるかのように。強烈な
「無駄だろう。何も知らない奴らがそんなことを決断できるわけがない」
また、セリアの必死な様子をあざ笑うかのような台詞がどこからか聞こえてきた。セリアはそれを聞いて、ひぃ、と声を漏らす。仕舞には、何かにすがりつくような声でセリアはライルとアリスに懇願する。助けてくれと言わんばかりに、表情を悲痛なものに歪めながら。
「……お願い……お願いだからっ……魔法をライルに使ってよッ!」
しかし、その声は虚しくも費えることになる。セリアは背中に突然強い衝撃を感じて、地面に叩き付けられた。そして、次にセリアが握っていた拳銃は奪われ、それはセリアへと向けられる。
「全く、余計な事をする」
その
「マツシタ・フィリップ……!」
ライルはぎりりと歯を食いしばる。どうして彼がここに現れたのか疑問も驚きもあったが、それよりもセリアへ対する行為について湧き上がる憎しみの方が先行していた。
一方で、フィリップは何事も無かったかのように振る舞う。
「やあ、ライル。久しぶりだね」
さわやかに彼は笑って見せると、今度は地面に横たわっているセリアを強く踏みつけた。その行動にはためらいも何もなかった。セリアは苦しそうな声を出しているのに、一方でそれをフィリップは満足そうに行っている。
「お前……!」
「人の心配をしている場合かよ」
フィリップは拳銃を今度はライルの方へ向ける。ライルはひるみさえこそしたが、怖気づくつもりはなかった。
「何が何だか分からないけど……その汚い足をどけろよ」
「別にいいじゃないか。家畜なんだから」
そうして、フィリップはセリアをより強く踏みつけた。
それを見て聞いて、ライルは唖然とするばかりであった。
端的に吐き出されたその台詞は、込められるだけのありったけの悪意が詰められていた気がした。相手を見下し、存在自体を
ただ、一方で、フィリップがそんなことを平気で口にできると言うことは、ある一つの考えに結び付けざるを得なかった。
「……お前は違うって言いたいのかよ」
すると、ライルの言葉を受けたフィリップはにたりと笑う。よく分かっているじゃないかとでも言いたげに、言い当ててくれたことを喜ぶように。だから、彼は自信たっぷりにこう告げた。
「あぁ、そうだ。俺は人類だよ」
「ちくしょうめが」
フィリップの腹立たしい回答を聞いて、何となく彼がここに現れた意味が理解できた気がした。ライルは心の中で舌打ちをする。きっと彼は重罪を侵した自分たちを、人類の立場として始末しに来たのだろう。それを理解して、胸の鼓動が一層早くなった。
そして、その沈黙の中で、日ごろやかましく窓の外で騒ぎ立てていた
あぁ、もう夏の日が間も無く終わるんだ。こんなにも切ない気持ちになるのは、この夏の夕暮れに溶けきれなかった寂しさが、ボクの胸に流れ込んでくるからだろう。きっと、そうだ。そうに違いない。
けれど何故だろう。ボクはあの蝉の様に、この季節をもう二度と見れなくなる気がして、知りようのないボクの明日を想像して、ひとり勝手に胸を苦しめていた。
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