第25話 戦闘制御装置―阿修羅③

 ふと、昔のことを思いだす。


 毎日が楽しかったあのころを。今となっては遠いあの日々を。


 それは、ボクが十歳をすぎたころの話だ。当時、ボクは朝が早くても、ふかふかの布団をかぶっていても、その日の時間をむだにしたくなくて目が覚めれば直ぐに起きる子だった。今では考えられないけれど、ボクはそんな前向きな少年だった。


「あ、メイス姉おはよう!」


「おはよう、ライル」


 リビングに向かえば、メイスはエプロン姿で朝食を作っていた。そしてその横ではシイナが同じくエプロン姿で手伝いをしていた。どうやらもう料理はできているようで、シイナはいそいそと配膳はいぜんをする。また、ライルがやって来たことに気が付くと、顔を赤くしてから余計にそわそわしだした。


「……ラ、ライルおはよう」


 シイナは自身の銀髪を自分でなでながら、メイスに近寄ってこそこそと耳打ちする。


「……ねぇメイスおねえちゃん。ねぐせとか……ついてない、かな?」


「そんな気にしなくて大丈夫よ。安心しなさい」


 メイスは微笑んでシイナの頭をなでてあげた。それだけでシイナは安心したようだった。


 するとしばらくしてから、朝食が出来上がったその匂いにつられてなのか、セリアもアリスも起き上がってきた。アリスは寝ぼけ眼のままでいる。セリアに手を繋がれていることから、無理矢理メイスに起こされたのだろう。その姿を見て、メイスは心を打たれたらしく、アリスもまとめて抱きしめて頬ずりをする。


「セリアちゃんえらいわぁ~アリスちゃんも起こしてくれたのねぇ~」


 するとセリアは顔を真っ赤にして抵抗する。


「いつまでも子ども扱いしないでよっ!」


「はいはい、セリアちゃんはかわいいかわいい」


 そうやってメイスは手慣れたようにセリアのことをあやすようにするのであった。まぁ、こればかりはメイスのシスコンが出ただけなのかもしれないが。


 それが、いつもの朝。今思えば、本当によくできた日常だった。その生活はあまりに温かく、なにもかもが心地よかった。ただそれが虚構きょこうだとも知らずに、ボクはのうのうと生きていたんだ。


 だから今は、こんなことになっている。


『繰り返します。無駄な抵抗は止めて投降しなさい。こんなことをしても、貴方たちに明日はありません』


 メイスはそんなことを告げた。ライルからすれば、今更そんなつまらない演技をして欲しくなかった。ボクたちの関係の間にそんなものは必要なく、本当の気持ちで向かってきて欲しかった。


「最後までボクたちには本当の姿を見せないつもりなのか……」


 メイスはボクに一生懸命に魔導兵器ワイズローダの稽古をつけ、座学まで行ってくれた。そしてメイスはボクをここまで育ててくれた。ボクはその恩義を、こんな形で返すことになるとは今まで思いもしなかった。そして、メイスに対してこんな負の感情を抱きたくもなかった。


 でも、やらなくちゃいけないから。


 GENは高周波ブレードを構え、阿修羅へ切っ先を向ける。脚部には魔法陣が展開され、制御バーニアに火が入る。ライルは加速装置アクセルを踏むと、コックピットにはびりびりと強い衝撃が走り、そしてGENは翼をひろげ阿修羅のもとへ羽ばたいた。こんなにもコックピットの中がふるえるのは、悲しいからだろうか。


『分かりました……そのつもりだったらこちらも容赦はしません』


 そして、阿修羅も槍を構えてGENの攻撃に備えるのであった。ヨソヨソしい、台詞を吐いて。


 それから起きた出来事は刹那のことだったが、かわされたやり取りは複雑で高度なものであった。GENはすさまじい速さで阿修羅との距離を詰め、阿修羅を切り捨てようと高周波ブレードを横に薙ぐ。しかし、阿修羅は身体を横に向けて、背中の左上にある機械腕マニュピレータで受け止めた。もちろん、腕一本で押さえ付けられるものではなく、直ぐにその腕はみしみしと悲鳴を上げて、ひしゃげて曲がってしまう。


「所詮は汎用機の延長線上だ……!」


 ライルはそんなことを呟くが、メイスもそんなことはとっくに理解していた。魔法族を殲滅した悪魔の兵器を簡単に倒せないことくらい心得ている。だから腕の一本など必要経費だと考えていた。


 阿修羅は壊れる我が身など気に留めず、GENに向けて槍を向けている。何が来ても怯えず、ひるまず、動じずにいた。


 ライルはこれを見て何となく理解した。相手に勝つことというのは、足し引きしてプラスになる、自分にとって有利な出来事を積み上げることにあるのだと。よって、勝つことが当たり前だと考えているメイスは、勝つための行為を容易に変えようとしないのだと。


 だから、こんなことをする―—


『そこ』


 鈍い、音がした。


 次に機体に大きな衝撃が走った。ライルは一体何が起きたのかと思い、メインモニターに目を凝らす。見れば阿修羅が構えている槍の先端から煙が出ているではないか。それは阿修羅が構える槍から何かを射出したことを意味していた。また、それはメイスが腕一本をててでもやりたかったことだ。それを考えると、ぞっとする。


 そして、ライルが訳もわからなくなっているうちに、今度はすさまじい爆発音がした。そしてコックピットが大きく揺れて、GENの体勢が大きく崩れる。いったい何が起きたのかと思えば、サブモニターの黒地の画面に真っ赤な文字が一気に羅列し、コックピット内には警告音が鳴り響いた。更にはアリスは今までにない大きな悲鳴を上げている。


「大丈夫かアリスッ!! クソッ、いったい何が……」


 阿鼻叫喚の状態となったコックピット内のなか、ライルは原因を確認するべくサブモニターを覗く。するとライルは、サブモニターに浮かぶ、ある一文を確認してふるえあがった。


『重故障:右脚部制御バーニア全壊』


「な……なんだって……!」


 そう、あの爆発音はメイスの攻撃によって制御バーニアが爆発した音だったのだ。それでGENは姿勢を崩し、今は阿修羅の前でひざまずいている。


 ここまでの戦いはあまりに淡々としていた。しかし、メイスはあの僅かな時間の中でGENに隙をつくり、小さく狙いにくい箇所を的確に破壊できたと考えると、それを平然とやってのけたと思うと。ぞっとする。


『次はもう飛べなくしてあげるから』


 これで、ライルとメイスの立場は逆転した。いや、魔導兵器ワイズローダに乗せてしまった時点で向こうが優位になったのかもしれない。


 そして。阿修羅は次の攻撃のために槍を真っ直ぐ構えている。このままでは殺されてしまう。よって、ライルは焦りを感じて高周波ブレードをまた薙ぐが、


『おなじこと』


 また阿修羅の背中にある、今度は右下の機械腕マニュピレータで阻まれる。それも、すぐに阿修羅は力負けしそうになるが、その僅かな間にも、阿修羅は全く動じることなくGENの身体の何処かに狙いを定めている。ジッとして、殺意を研ぎ澄ましている。あと少しすればわけもなく、いともたやすく、その命を奪う。その姿はまるで、死神のよう。


「……ばけものだ」


 ライルはぽつりとつぶやいた。ここまでくると狂気じみている。何故そんなに冷静でいられるのか、ライルには到底わからなかった。そして、これが勝つものの戦い方なのだと知った。


 ライルは狩人に襲われるうさぎと変わらない。全く、手も足も出ず、なぶられて殺される。おそらく相手は、相手を殺すために、追い詰めるために、知恵を使っていることが、この瞬間が、たのしくてたのしくてしかたないのだろう。そうでなければ危機的状況の中で、いきものを殺すことに没頭できるはずがない。そして、そんな頭のねじが飛んだ人間に到底かなう気がしないと思ってしまう。


 だからもう、この攻撃も受けるしかないのだ。それに、これは腐っても伝説の機体。一撃や二撃を喰らったところで、まだ何とかなるはずだ。


 そんなことを思い浮かべたとき、


「……うぅぅぅ……いあいよぉ」


 ライルの後ろから、アリスのうめき声が聞こえたのだ。


「……たすけてよぉ……たすけてよぉ」


 嗚咽おえつを漏らし、何かを吐き出してしまいそうな、そんな痛々しい声がした。そしてそれをうわごとのように、アリスは何度も何度も繰り返し口にしていた。


 きゅうと、胸が締め付けられる。そして思う。ボクは一体なんてのんきなことをしているんだろう、と。


 こうしている間にもアリスは確実に死に近づいている。それにライルは改めて気が付いて、脳髄のうずいから全身まで一気に冷たくなった。今、身を削っているのはアリスなのだ。だから、いい加減な気持ちで食らっていい攻撃など、あっていいはずがないのだ。


「今ここでうごかなくちゃ……」


 ライルの背中には、守りたい大切な命がある。それを失うわけにはいかない。だから、ライルはこの絶望的な状況の中でも生きるための選択をする。


「……ボクはいつまでもッ、このままになってしまうからッ!」


 たかが一発。されど一発。この一発を喰らってはならない。


 この瞬間、ライルの頭は高速で回転をはじめる。現状のGENの体勢のままでは、阿修羅の弾丸から逃げることはほぼ不可能だ。だとしたら、やる事は一つしかない。


 GENはとっさに高周波ブレードを握る逆の腕、左腕を構える。そして、即座に魔法陣を展開した。そう、ライルはメイスが撃ち込もうとする弾丸を、魔法で灰にしようとしているのだ。


『そんなの今更!』


 今更なのは分かっている。しかし、なにもやらないのは間違っている。いつやるのか分からないまま、先延ばしにする方が間違っているから。カッコ悪くても、泥臭くても、諦めたらもっと後悔するに決まっているから。このままでいいわけが無いから。


 死んでいったニシは言った。私のようになってはならないと。こんな大人になってはならないと。


 だからライルは、阿修羅が構える槍の先へGENの手の平を向ける。一歩間違えればこの腕はダメになる。でも、やらなくちゃダメなんだ。


「間に合えぇぇぇぇぇッ!」


 そしてライルの叫びの後に、また鈍い音がした。


 万事休す。またGENの身体は壊され、身を切られ、敗北する。そう思われていたのだが、最後の最後で、GENの手のひらはまばゆい光を放っていたのだ。


 詠唱時間は短かった。魔法陣も一重しか展開できていなかった。けれどもそれは小さくも、力強く、熱いともしびで、阿修羅が放った弾丸を消滅させるには十分だった。


「間に……合ってくれた……」


 しかし、被害を免れただけでライルは済ます気はなかった。集中の糸を切れば、メイスに殺される。だから、


「このままッ!」


 GENは残った片足の制御バーニアを点火する。そして、そのまま阿修羅の方へ突進し、光りを放ったままの手のひらで槍の先端を掴んだのであった。


『……やるわ……けど、詰めが甘い!』


 そのメイスの声のあとに、阿修羅の背中にある二本の機械腕マニュピレータがGENに襲いかかる。もちろん恐ろしい。しかし、ライルはそれごときで手をゆるめる気はなかった。


「……だからッ……どうしたってんだよ!」


 そして、阿修羅の機械腕マニュピレータの刃がGENの肩と脇腹に突きささる。しかし、そんなことは関係なくて、メイスと同じ様に、勝つために掴んだものは決して放さない。それを握りつぶして壊すまで。殺すまで。


『……どうして』


 身体に刃がささっても、メイスが必死に攻めても、決して揺るがない。その姿を見てメイスは動揺しているようだった。


 けれど、死と向き合い、立ち向かう。それがメイスの教えてくれた戦い方だから。


「だからもう……ボクは逃げたりなんかしない!」


 その言葉の後、GENは呼応するようにして、顔のスリットからより一層強く、紅い光を放つ。次に唸り声のような音を出すと、腕にある魔法陣がグンと大きくなった。すると、とんでもない事が起きる。槍の、GENが掴んだ箇所はみるみるうちに色を失っていき、そこからその現象は全体に広がっていった。


『……なっ!』


 阿修羅は慌てて槍から手を離すが、それは少し遅かった。僅かに阿修羅の手の平にまでその現象は伸びているではないか。ただ、メイスの判断はとんでもなく早かった。即時に阿修羅は背中の機械腕マニュピレータから伸びる刃により、腕をひじの部分から切断するのであった。


 そして、地面に落下した槍と自切りした腕は真っ白になり、直ぐに風化して、風に吹かれて消えてしまった。それから、メイスは言葉を発さなくなった。

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