第22話 それからボクは④

 セリアが学校を去ってから、ライルたちは当初の目的を果たすために、ホバーカーで正規軍の支部へ向かうことになった。


 セリアとの別れは、思いのほか感傷的にならなかった。ただの、淡々とした別れとして、うっすらとライルの記憶に残された。何故だか分からないが、この出来事はどうでもいいように思えた。


 シイナだってそうだ。結局、ライルは、かつてシイナだった何かを目にしないでその場を後にした。そのことを後悔するんだろうなと思いながらも、ライルにはそれができなかった。結局は、その程度になってしまった。


 それらについて寂しさを感じないことは、人間としての機能が抜け落ちている気がして、薄情な気がして、いけない事だと思った。


 それは、感情の故障なのか、思想の劣化なのか、分からない。ただ、思わされたことは、大人になる事はきっと、当たり前の人間が持つ大切な感情を、一つ一つこぼしていくことなのだろう。


 だとしたらボクは、ちゃんと大人に向かって進めているんだな。そんな皮肉に近い考えは、思い浮かべてからすぐに、そんなはずはないと、ライルは鼻で笑って見せたけれど。


 果たして大人になると言うことは一体どういうことなのだろう。そんな掴みどころのない悩みを、延々と頭の中で浮かべては、自分の考えの幼さについて嘲笑っていた。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ……………………」


 その声は、ライルの思考を一瞬にして攫っていった。ホバーカーの後部座席からメイスの深いため息が聞こえてきたのだ。メイスは横たわってうなだれている。セリアの態度が相当こたえたのだろう。


「セリア……セリアァ……」


 メイスは死んだ目をして、うわごとのようにセリアの名前を繰り返し呼んでいた。


 まったく、こんな様子でメイスは目的が果たせるのだろうか。不安で仕方がない。


「ねーらうるー、めいしゅ、つらしょうー……」


 アリスは相変わらず舌足らずなしゃべり方をして、子どもっぽくライルの袖をゆびで引っ張る。アリスは不安そうな表情をしていて、かまってあげたいのだが、そうにもいかない。


「こらこら、今は運転中だから」


 ライルは、ダウンしているメイスの代わりに運転をしていた。だから、助手席に座るアリスが、そんなかわいらしく気を引く仕草をされても今は相手をできない。


 ライルはバックミラーに視線を移す。そこに映るメイスの姿を見てライルが思ったことは、案外、子どもっぽい所もあるんだな、と言うことだった。今まではこんな姿を見せることなど無かったのに。


 メイスは完ぺきといっていい程の存在で、ライル達にスキを見せることはなかった。だからこそ、メイスはみんなの、憧れのお姉さんになっていた。


 メイスは誰よりも強く、かしこく、そして優しかった。


 メイスを嫌う人などこの世界のどこにもいないし、この先だって現れないと思っていた。昔のボクたちは、少なくともそう考えていた。けれど、かつては誰もの憧れだった彼女は、今となってはボクだけでなくセリアからも遠ざけられている。時がそんな残酷な仕打ちをしたのか、分からないけれど、メイスをそうさせてしまった訳はそれ以外に見当たらなかった。


「……もう、お姉ちゃんなんて言ってもらうには難しいのかな」


 そんなことはないよ。なんて、メイスはそんな言葉をかけて欲しいのだろうし、ライルとしてもかけてあげたいのだが、今はぐっとこらえる。代わりにライルはこんな言葉を口にした。


「ボクたちをこうにまでして、いまさら元通りになりたいって言いたいの?」


 いくら冷たい言葉だとしても、今かけるべき言葉はこれしかない。これだけは、はっきりさせておかなければ、心を赦してしまいそうになってしまうから。


 それきりはメイスはだんまりとしてしまった。ライルはちょっとだけ胸を痛めたが、自分は正しいことをしたと何度も言い聞かせた。ホバーカーが駆動している間はずっと、わずかに湿気を含んだ風がぶつかってくる。血のかおりと、ほこりを連れてやってくる。それは自分が悪い。だからこそ、今はメイスを赦すわけにはいかないのだ。


 しばらくして、正規軍の支部に着いた。そこで出迎えてくれたのは背の高い、金髪をきっちりと整えた、真面目そうな青年だった。彼はメイスに礼をすると元気よくメイスに声を掛ける。


「メイス准尉! 無事だったでありますか!」


「…………ええ。そちらも無事でよかったわ、ニシ軍曹」


 メイスは浮かない返事をした。メイスの階級がニシよりも高い事に驚きもあったが、それよりもメイスのひどい落ち込み方を見ていて、ライルは心配で仕方がなかった。するとニシはライル達を見て、はてな、といった様子をしている。


「おや、彼らはどちら様でありますか?」


「彼らは私の弟分みたいなものよ」


「ほほう、そうでありますか」


 ニシはそれ以上、何も聞かなかった。それより、ニシもメイスの様子の方が気になるようだ。彼の目に、メイスがぐったりした様子がうつったからか、こんなことを提案する。


「それより、さぞお疲れでありましょう。支部ココに泊っていかれては?」


「よしておくわ。今日は彼らと一緒にいるから。それに、ここに来た用事もちょっとのことなので」


「そう言わずに。シバ大佐もいますよ?」


 するとメイスはハッとした様な顔をして俯いた。ライルにはその態度の意味がよく分からなかったが、みるみる顔を青くしていくメイスの顔を見てただ事ではなさそうだと感じ取った。すると、ニシは苦笑してこう告げる。


「大佐に緊張するのも分かりますが……。どちらにせよ、休憩程度でいいのです。ゆっくりしていただければこちらとしても十分でありますから」


 ニシはメイスをエスコートしようとする。するとメイスはそれにぎこちなくついて行った。そりゃあ、これから上官に合うのだから緊張もするだろう。ライルは納得して、そして怖がるメイスを見て内心で面白がっていた。


 そして、ライルとアリスは、別室で待機することになる。そこはメイスが入ろうとしている部屋の向かいにあった。その別室に入る前、メイスは別れ際にこう告げた。


「ライル……すぐ終わるからね」


「あ、あぁ……」


 メイスがやたら深刻そうな表情をするので、ライルもつられて不安げに返事をする。緊張しているだけだろう。たぶん。


 狭い応接室で待っている間、ライルとアリスはニシに相手をして貰った。ニシは真面目な男で、部屋にいる間はずっとライルの話に耳を傾けてくれた。彼は物腰おだやかで、口調も随分と丁寧である。思わず、どっちが年上か分からなくなってしまう程だ。


「なるほど。お二人は准尉にとって家族のような存在なんでありますな」


「えぇ、まぁそうなんですけれど……メイス姉が軍人になってからは疎遠そえんになってしまって……」


「そうでありますか。ただ……私もよく知らないですが、准尉は最近まで相当お忙しそうでありました……としか。力になれることをお話しできず恐縮であります」


「いえ……仕方がないことだとは、分かっていますから」


「我々は今、例の機体の襲撃によって疲弊してしまって、加えてトラブルがあると我々は暇なしであります。だから、また准尉は忙しくなってしまうでありますが、君たちのお姉さんの力をまた借りることをご容赦いただきたいのであります」


「……そうですか」


 そういう話を聞くと、心が痛む。真摯にライルの気持ちに対して向き合ってくれているのに、自分のせいで彼らが苦労していると思うと、自分は今こうしていることが、まるで彼らを弄んでいるようでいやだった。


「それに、大佐もこうして准尉と顔を合わせて話をすると……きっと安心するのであります。准尉はいつも出ずっぱりでありますから」


 そのシバ大佐はニシの上官にあたるのだから、きっと相当年上なのだろう。その年になればきっと、若い人と話せば辛さも紛れるものなのだろう。メイスがこうやって温かく軍に迎え入れられている話を聞くと、何だか胸が温かくなった。そんなことを考えていると、アリスがライルの袖を引っ張りながらダダをこねる。


「らうる~……ちゅまんないよぉ……」


「失礼なことを言うんじゃないよ……ガマンだ、ガマン」


 ライルはアリスの肩に腕をまわし、なだめる様にぽんぽんと肩をたたく。それでもアリスは不満そうに小さく唸っていた。


「すいません。この子……戦いのショックで、こうなってしまって……」


「気にすることはないのでありますよ。市民を守れなかった身としては……申し訳ないのであります」


 そう告げてから、「飲み物を淹れなおしてくるであります。茶菓子もなくなってしまったでありますからな」と口にして、ニシは立ち上がって部屋を出ていった。


「戦いがあると、どうしてこんな事ばかりになってしまうのでありますか……」


 さらに、そんなことを呟いて。


 あんなにしっかりとしたニシでも、どこか不安そうにしている。哀愁あいしゅう漂う背中を眺めていると、何だか切なくなってしまう。


「ニシさん、きっと苦労をしているんだろうなぁ……それと比べてボクは…………ん?」


 ふと、ライルは横にいるアリスがいなくなっていることに気が付いた。慌てて辺りを見回すと、向かいにあるメイスが入っていった部屋の正面に立っているではないか。


「こ、こらアリス!」


 ライルは慌ててアリスの方へ駆け出した。しかし、アリスは既に扉のノブに手を掛けていて、もう扉は半分開かれている。そして、アリスがそこに顔を覗かせたとき、


「だ、だめでありますよ!」


 ニシが血相を変えた様子でやって来て、強引にアリスを扉から引き剥がした。しかし、なぜかアリスはその扉に戻ろうとねばるので、ライルも一緒に取り押さえる。


「本当にすいません!」


 ライルはニシに必死に頭を下げる。だがアリスは抵抗をやめず、じたばたしたままだ。


「ねぇっ……ねぇっ……!」


「だからダメだってば! 大人しくしなって!」


 しかし、アリスは抵抗をやめない。一体どうしてしまったのだろうか。ここまで意地になるのは、何か理由があってのことだろうか。


 とにかく、ライルはアリスの注意をこっちに向けようと、顔をライルの方に向けさせると、何故か、アリスは涙目になっていた。白い肌は紅潮し、それは興奮してなのか、怒りによるものなのか分からないが、何かを強く訴えかけていることだけはよく分かった。


「……アリス? 一体どうしたんだ?」


 だから、思わず聞いてしまった。アリスが、何を見てしまったのか。その必死になる理由は一体何なのか。


 何だか、嫌な予感がした。胸がざわめくようになった。ライルはごくりと息をのみ、アリスの証言に耳を傾ける。


 そしてライルは、アリスが口にした言葉で、唖然としてしまった。


「……めいしゅ……なんれ……になってりゅの……?」


「…………え?」


 はだか?


 その言葉を耳にしてから、サァっと、ライルの血の気が引いた。


「……ねぇっ……なんれ……? なんれなのっ……!」


 何で、か、こっちが聞きたい位だった。ただ、その言葉の意味など一つしか考えられなくて、この部屋の向こうで行われていることが容易に想像できて、愕然としてしまう。


 今向こうで行われていることは、メイスの力を借りるとか生易しいものでは無くて、メイスは玩具おもちゃのように扱われている。そうとしか考えられない。


 とんでもない憎悪が、ライルの心の奥底から湧き上がってきた。顔も知らない大人に、自分の家族が好き放題されていることを、ライルが赦せるはずがなかった。


「どういうことだよ……ニシさんっ!」


 ライルはニシに突っかかるが、それをニシは必死に取り押さえる。ニシは扉の向こうへと通さまいと必死になっている。


「大佐は……疲れてらっしゃるようであります……」


 だがライルはニシの言葉を無視する。


「どけ……今すぐ……その扉の前からッ!」


 するとニシはライルとアリスをそれぞれ両腕で取り押さえる。そして、苦しみに満ちた声でこう告げた。


「……申し訳……ないッ……!」


「なんだよ……なんなんだよその言葉はっ!」


 申し訳ないで済んだらこんなに怒るはずがない。ライルは怒りのままにニシを押し切ろうとするが、ニシの力もそうとう強い。


「私は、キミに一生恨まれても構わない覚悟であります……何故なら、こうしなければキミは一生後悔することになるからであります……今を耐えることの大切さが、今に分かるからであります……!」


「訳分かんねぇよ! それより……その扉の向こうでは、本当にッ……!」


 その言葉で、ニシは一層苦しみを表情に浮かべた。つまりは、ライルが言った通りだと白状したようなものだった。


 ただ、それでもニシは懸命にライルを説得しようとする。


「……ライル殿、キミにはすばらしいきばがある。だからこそ今はその牙を、絶対に相手へ向けてはならないのであります……!」


「そんなことに何の意味がある! 相手を喰い殺すために生えた牙をどうして無駄にする必要がある!」


「違うのであります。その牙を折らないことが、抜かないようにすることが何よりも大切なのであります! 本当に向けるべき相手が現れる、その時までッ……!」


「それは今じゃないってどうして言えるんだよ! 何が分かるんだよっ!」


 もう、ライルも頭に血が上って、止められる様子ではなかった。もうライルの心も限界だと、ニシも分かっていた。だから、だからこそニシは、ライルを止めるために、振り絞ってこんな事を口にする。


「私の妹も同じ目に逢って、軍人である父は大佐に歯向かって……目の前で殺されたであります! だから、ライル殿は父と同じ様に歯向かってはならないのであります……!」


 頭を、がん、と殴られたような衝撃だった。その言葉は、このニシの全てを物語っている様だった。ニシは言葉を続ける。


「ライル殿はまだ若い。私の気持ち分からなくていい。でもいつか分かる時が来る。私を信じて良かったと思える時がくる。ただ、私がハッキリ言えることだけは、ライル殿は私の様なになってはならないと言うことなのであります……!」


 そう言ってから、ニシは悔しそうな顔をしたまま、ボロボロと泣き出してしまった。泣きたいのはこっちだと、ライルは思ったが、もう、ライルは抵抗することを止めていた。


 この軍人が、どうしてこんな情けない姿を自分に見せたのか分からない。けれど、少なくともその想いは、ライルの心に触れるものがあった。だから、もうやめにした。


 ライルは、大人になれば分かることがニシの行動につながるならば、大人になりたくないとも思ったし、一方でこんな大人がいるからボクたちは道を間違えずにいられるのだろうとも思った。


 扉越しに、かすかにメイスの声が聞こえた。よく聞けば、その言葉の端には、ライルの名前が混じっていた。

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