第21話 それからボクは③

 セリアはそれきり、口を閉ざして気まずそうにしていた。ライルは別に、それでも一向に構わないと思っていた。これ以上の会話に、ライルはあまり意味を見い出せなかったからだ。いくらしゃべっても、嘘を重ねるライルの口から本当の気持ちなんて出やしない。


「そんなにボクのことを気にしなくていいから」


 ライルは念を押すようにする。セリアは、もがくように言葉を探しているようだったが、しばらくしたらあきらめて、俯いてしまった。


 そうだ、あきらめてくれ。ボクはもう、自分が救われないことくらい分かっている。それに、中途半端に生かされるほうが、もっとつらい思いをすることになるのだから、これでいい。


「……セ、セリア!」


 すると、ライルの後ろから声がする。ライルは振り向くと、そこには倒れながらじたばたしているアリスと、必死にそれを抑え込むメイスがいた。おおかた、アリスが勝手に虎徹弐式の身体をよじのぼろうとして、メイスがそれを止めようとしたがうまくいかず、二人はここまで到達してしまったのだろう。


 その突然の来訪は、ライルからすれば自分の世界をさまたげられた気がして、ふゆかいだった。ただ、それを自分に対いて厳しく言い正すなら、感傷にひたることを邪魔されただけのことだった。


 ライルは思う。ボクは、なめらかなぬるま湯に傷口をひたしているだけだ、と。それでいて、治らない治らないと、その傷口を誰かに見せびらかしているのだから、邪魔された方が良かったのかもしれない、と。このままでは心が不健康になってしまう。だから、よかった。


「お、お姉ちゃん……!」


「……セリア……無事で安心したわ!」


 セリアの姿を見たメイスは、以前の口調を思いだしたかのように、急に明るい声を出した。ただ、それも何だか違和感があって、聞く人からすれば不安に感じるだろう。けれどもメイスはなお振る舞い続ける。優しくて、芯の強い、ヤスカワ・メイスを。


 そして、メイスはセリアの方へ駆け寄って、いとおしそうに、ぎゅっと抱きしめる。そのままメイスはセリアに頬ずりしながら髪をなでる。妹を堪能たんのうするかのようなその愛情表現は妹バカそのもの。でも、心の中ではメイスが何を考えているのかわからなくて、傍から見ているライルからすれば、複雑な気持ちになる。


「あれだけのことがあったんだもの……恐かったよねぇ……」


 ただ、


「……セリア?」


 何だか、違和感があった。


 何時いつもだったら、セリアは子どもっぽく扱われることを恥ずかしがるはずなのに。


 何時いつもだったら、セリアはすぐに可愛らしく手足をバタバタさせて抵抗するはずなのに。


 あれ、ところで、この何時いつもは、いつまでの何時いつものことだっただろう。


 あせはじめた記憶はメイスに危機感を抱かせる。それ以前に、二人とのやりとりの記憶をメイスがもう忘れてしまっていることも問題だった。


 このままセリアに触れていたら壊れてしまう。いや、もう亀裂は入っている。だから、このままじゃいけないとメイスは慌てだす。


 しかし、セリアを抱く力を柔らかくしても、その感覚は変わらなくて。いくらその力を弱めても、まだ変わらなくて。メイスの腕はもうセリアを軽く包むだけになって。そして、


「……ゴメン……もう、触らないで」


 セリアは拒絶の言葉を口にしてから、メイスの手を払った。


 気がついた頃には遅かった。もう、セリアとの関係には直すことのできないひびが入ってしまっていたのだ。


 少しの間、メイスは茫然としてしまっていて、自分が何をされたのか良く分かっていないようだった。ライルもそうだった。セリアがそんなことをするなんて、思いもしていなかった。


 なぜなら、二人は昔から仲良し姉妹なのだから。


 小さいころから二人はいつも一緒に居た。外を出歩く時だって、寝る時だって、時にはお風呂だって、いつもこの姉妹は一緒に居た。居過ぎたと言って良いくらいだった。ただ、メイスが軍に所属して遠くへ行ってしまってからは、セリアは寂しそうにはしていたけれど。


 だけれども、それでも二人の関係がこんなにも簡単に壊れてしまうなど、ライルは想像もしていなかった。アリスもよくわからなそうな様子ではあったが、不安そうにしている。そして、ライルが受けたショック以上に、本人が受けたものの方が大きかった。


「……ど、どうしたの?」


 メイスはうろたえた様子でセリアに問いかける。


「もう、嫌になったの」


 セリアの言葉は淡々としていて、冷たいものだった。ただ、それ以上に次に続く言葉の方が、メイスの心に突き刺さることになる。


「いいよ。もう、演技なんかしなくて」


 それは、核心を突くクリティカルな言葉だった。


 演技。端的ではっきりとした言葉。それはざくりと、メイスの心をえぐる。自分の振る舞いは、優しさや愛情は、全て演技に過ぎなかったと否定されたのだ。


 たしかに、偽りの姿を見せていたかもしれない。しかし、半分以上は本音が混ざっていたはずだった。セリアを、皆を、メイスが好いているという気持ちが。


 ただ、わずかな濁りは人を不安にさせる。いちど嘘を混ぜれば、もうそれから信用は生まれない。本人のことなど関係ない。相手からすれば、全てが嘘になる。


「いつまでも私たちを放ったらかしにして、都合がいい時だけやって来て……お姉ちゃんからしたら私たちってどうでもいいんでしょ。そんなこと、とうの昔から知っているから」


 ずきりと、メイスの胸の奥底が痛む。


 そう、この演技ふるまいは今に始まったことではなかった。メイスは軍に所属してから、皆と接する機会が少なくなっていた。交わしていた携帯端末でのやり取りも少なくなって、今ではほとんどメッセージを送らずにいた。


 だから、こんなことを言われるのも当然だ。メイスは頭の中でそれをなんとかして割り切ろうとしていた。


 そして、メイスはこう考える。これからはみんなと一緒にいられるようにしたい。また昔のようにいられるよう、頑張ってやり直したい。今それを受け入れるには難しいかもしれない。けれど、口にしなければ始まらない。


 セリアにかける言葉をつむぎ、口を開こうとしたときだった。次のセリアが発した言葉でメイスはもう何も言い返せなくなる。


「どうしてこんな時だけ、妹の私よりライルを真っ先に探そうとしたのかな?」


「あ……」


 ぶぁっと、メイスの身体中から汗が吹き出した。何も知らないセリアが、どうしてライルとメイスの関係を指摘することができたのか、その鋭さに、メイスは余計に驚いてしまう。


 メイスは表情に動揺を隠しきれず、一方でそれを見たセリアはわずかにため息を漏らす。失望にも似たその態度が、余計にメイスの心を揺るがせる。


「……ライルに何か吹き込まなかった?」


 あまりにも適切な問い掛けだった。この言葉で、セリアは全てお見通しなのかと思ってしまう。メイスからすればそれはまるで、急所を外して弾丸で身体を撃ち抜かれるようだった。セリアが喋るたびにその感覚におそわれる。


「ねぇ、お姉ちゃん」


 メイスは息を吸うことさえ忘れていた。考えもまとまらず、じりじりと追い詰められて、頭に浮かぶのはセリアに対する恐怖感だった。セリアの凄みを受けて、メイスは思わずこんな事を考える。このまま油断すれば――


「ライルを……利用しようとしたんじゃないの……?」


 ――殺されてしまう。無感情のまま、なぶるように責め立てるセリアを見て、そんな気さえした。


「うそ、つかなくていいよ。ほんとのことを教えて」


「…………」


 メイスが本当の言葉など口にできるはずがなかった。言えば全てが壊れてしまう。このまま何も言えず、息も吸えず、窒息してしまいそうだ。視界がゆがみ、少しだけ意識が遠のいていきそうになったその時だった。


「……そうだ。ボクはメイスに誘われた」


 ライルが突然、こんな事を口にしたのであった。


「ラ、ライル?!」


 メイスは驚いて声を上げる。しかし、考えがある以上、口を出すことはできない。メイスはライルが何を喋り出すかと思いハラハラしていると、ライルは想定外の事を口にするのであった。


「ボクは次の戦いでこのコロニーに残された虎徹に乗る。……ボクがあの、化け物を殺すんだ」


 そんなの全くのでたらめだ。そして、物怖じせず堂々とそんなことを口にするライルを見て、メイスは思わず唖然としてしまう。これが嘘だと分かれば大変なことになる。胸の鼓動が更に荒ぶりだして、しかし焦る気持ちをぐっと抑え込んで、メイスはセリアの様子を静かにうかがう。


「……やっぱり、そんなとこだと思ったわ」


 心底、メイスはホッとした。納得した様子のセリアを見て、メイスは一安心するのであった。今すぐにでも、疲労でうなだれてしまいそうなほどであったが――その瞬間、メイスは気を抜きかけてから再び、戦慄する。


 ふと横目で見えたセリアの瞳の奥に、覗けば飲み込まれてしまいそうな深淵しんえんが見えたからだ。


 メイスは焦って再び身構える。深い憎しみが込められたその眼差しは、メイスの心を辛く苦しく、そして切なくさせた。もう、昔通りではいられないことが何より悲しかった。ライルを戦いの為に利用するメイスは、もうセリアからすれば悪にしか見えない。そして、そのことは何にせよ事実なのだから。


 それから、セリアは他所を向く。セリアは、信じられないほど綺麗な姿をした夏空にむけて、これからの事を口にした。


「……じゃあ、私は避難所へ行くわ。そこに緊急ハッチがあって避難艇が出ているんだって。ライルがどうするかは自由だけど、ライルはそれでもこのコロニーで戦い続ける気?」


 やけにさっぱりとした口調だった。顔こそ見えないが、その後ろ姿には寂しさが見えた。だからきっとこの問いは、ボクらの今後の関係を聞きたいのだろう。別れるかどうかを知りたいのだろう。


「あぁ……」


 ライルはかけられる言葉もなく、ただ、言葉を漏らす。ライルは、こんな時にうまく話せない自分が嫌で仕方がなかった。


「そっか。忠告……したのにね」


 セリアは寂しそうな表情をした。同時に、ため息を吐く。それは何かを諦めたようにも見えた。


「じゃあ、ね」


 その言葉を最後に、セリアはそのまま虎徹の身体から降りていってしまった。セリアは振り返らず、足も止めず、崩壊した街並みの中へ消えていった。ライルもメイスも、ただそれを見守っている事しかできなかった。

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