第20話 それからボクは②

 しばらくして、三人は学校に到着する。その場にはもう、他に人は誰も居なかった。あれだけの出来事があったのだから、仕方のないことではあるが、少し寂しさを感じてしまう。


 ただ、それは学校だけに限った事ではない。改めて感じたが、街を出歩く人が明らかに減っている。どんな情報が飛び交っているのかは分からないが、ここにいる人々はすでにどこかへ避難を始めているのだろう。


 こんなに静かな夏の午前は初めてだった。次第に空洞化していくこの世界は、ボクたちの居場所を少しづつ削り取っていくような気がした。青く広がるこの空がとても広くて、とても、さびしい。


 しかし、きっとまだ誰かがこの世界に居る。けれど、彼らもいずれはどこかに行ってしまうだろう。まだどうにかなると、いつまで口にできるのだろうか。ただならぬ不安が、少しづつ日常を侵していく。


「……みんな、居なくなっちゃったな」


 ライルはホバーカーから降りて、辺りを見回してからそう呟いた。


 校門の前。戦闘の現場は周囲に立ち入り禁止などの処置もされず、昨日のままでいた。シイナが搭乗していた虎徹弍式も、シイナの血を流して倒れたままだ。


 つまり、ボクたちの戦いの跡は放置されていた。この機体は皆を守るために戦ったはずなのに、そんな事は直ぐに忘れ去られていた。


「もう、みんなからすればどうでもいいことなんだな……」


 ライルは奥歯を噛みしめる。


 大地に力なく横たわっているそれは、何の意味もなさず、用役ようえきを成したことからといって平然と遺棄いきされていた。


 それを見て心の奥底から静かに湧き上がってくる感情が、ライルのからだを動かす。


「……中を……見て来るよ」


 ライルはメイスにそう告げた。


「本気で言ってる?」


 ライルはメイスからの問いかけを無視した。虎徹弐式の方へ歩を進め、よじ登ろうとして機体に足をかける。


 とても生臭い、鉄のかおりがした。夏の暑さで蒸した空気はその不愉快さを引き立てる。


 ライルは臭いに負けて鼻をつまんだが、少し考え直ししてから、意を決して手を離す。自分がしたことと、向き合いたかったからだ。


 機体の所々に線を引いているシイナの血は、乾いて黒くなっていた。フレームは痛々しくひび割れている。そして、ライルが機体の腹部まで到達した時、ライルは目の前に広がっていた光景を見て思わず目を覆った。


 胸部のフレームはめちゃくちゃに破壊されていた。そこからは黒く固まったシイナの体液が広がっていた。そして、その周囲にははえがたかり、カラスが数羽たむろして何かをついばんでいた。その光景は、強烈な悪意がひとまとめに凝縮されているようだった。


 おぞましかった。こんな扱いが、あって良いものなのか。それはシイナの精神こころ冒涜ぼうとくされている気がして、ライルは悔しくてたまらなくなっていた。


「ふざけるなよ……!」


 ライルは虎徹弍式の胸部コックピットへ歩を進める。悪臭や地獄絵図がライルの心を襲おうとも、ライルは必死に跳ね除けた。ライルは、飛び回る虫を、たかる鳥をがむしゃらに払う。怒りのままに、悲しみをぶつけるように。


 そして、ライルはコックピットの目前まで近づいた。その洞穴どうけつに、深い深い闇の底に、何があるのか確かめる。分かってはいても、逃げてはいけないとライルは考える。その行為に意味があるかと問われたら何もないのだけれども、少しでも自分が変わることができると思いたかった。


 きっと、ライルを突き動かすのはライルが背負う罪の重さだろう。ライルは神や仏を信仰する気はないのだが、今はどうしても懺悔ざんげしたくて、誰かから赦しを得たかった。都合のいいことだとは分かっていても、そうでもしなければ心がもう耐えられなかった。


「ライル……」


 そんな時に、ふと声が聞こえた。その声は今聞くと懐かしささえ覚えてしまう。


「……セリア?」


 ライルは振り向くと、そこには制服姿のセリアがいた。シャツは少しだけ汚れている。着替える暇もなかったのだろうか。


 しばらくの間、二人は向き合って黙ったままで居た。ただ、互いに目を合わせることは無く、ただじっとしていた。何だか、もういつも通りではいられなくなってしまった気さえした。


 無事だったんだね。


 そんな一言でもかければ良かった。しかし、中々お互いに話を切り出せないでいる。


 ライルがそれを口にできなかったのは、単純に自分の気持ちに触れて欲しくなかったからだった。


 一方で、メイスがライルに話しかけられない理由も、考えればわかる。ライルはシイナの呼びかけに応えられず、こうして今になってシイナの元へやって来ている。そこだけ切り取ってみれば、メイスがライルに言葉をかけ辛いのは仕方のない事だろう。


「話したくなければ、無理に話さなくていいからな」


 ライルは少し突き放すような態度を取る。どちらかと言えば話したくないのはライルの方なのだが。


 すると、セリアは他所を向きながら、後ろめたそうに言葉を口にする。


「その中を見て、どうするつもりだったの?」


 ライルは、ずいぶんと嫌な質問をするんだなと思ってしまった。


「……様子くらいは見に来ようと思ったのさ」


 だから、ライルは他人事の様に振る舞った。あまり深いところまで話せば、自分の正体がばれてしまうから。


 だが、セリアは立て続けにこんな事を聞いてきた。


「シイナちゃん……最後までライルの事を呼んでいたね」


「……そんなことを言われて、ボクにどうしろって言うんだ」


 少し、ライルの声は怒りで震えていた。そんなライルが知らない訳がない事実を、改めてほじくり返すように問われて、心が穏やかでいられるはずがなかった。すると、セリアは申し訳なさそうな態度をとる。


「ごめん。……でも私は、それでもライルが戦わないで居てくれて良かったと思うわ」


「そうか」


 ライルはその一言だけを返す。何だかセリアの言葉は皮肉にも思えてまた嫌な気持ちになった。


 しかし、前はこんな言葉がくれば躍起やっきになって言い返そうとしたけれど、今は自然と受け入れられた。あの時とは変わってしまった自分の心情が、追いかけていた夢が、今なら否定できるからだ。


「戦いは何も生み出さないわ……」


 そのセリアの言葉を耳にして、ライルは鼻で笑う。全くってその通りだと思ったからだ。そんなことは誰でもわかるし、簡単に口にできると思ったからだ。


「そんなの、綺麗ごとだ」


 だから、ライルはあえて反抗的な言葉を口にした。誰も口にできない、自分達が想像するよりも、もっと別の人が抱える悪意を、この世界が下した結論をあえて口にしてやった。


「……なんで、そんなことを言うの?」


 ライルが想像していたように、セリアは切なそうな表情でライルにそんなことを問いかけた。聞くことは簡単だ。その回答をすることは、考えてみることは、むずかしいことだ。


「どうしてかって……?」


 もったい付けるかのように、ライルは言葉を置いた。ライルの頭の中には答えが、ある想いがあった。それをセリアに言うのは間違っていると思いながらも、ライルはつい感情に任せて想いを口にする。


「じゃあ、何で人類は誰もかもシイナを応援した? あいつが戦う事を期待した? ……結局、みんなの望みのせいでシイナは戦うことになっただろうが!」


 そして、シイナの止めを刺したのはライルだった。


「それで、何とかなるかもしれないという中途半端な考えに……シイナは殺されたんだッ! 誰もどうなるのか考えてくれないからこんな事になったんだ……!」


 ライルは自分がやったことを、自分に言い聞かせるように吐き捨てる。


「どうせ、戦わなければ誰もこの後がどうなるか分かりさえしなかった。何かをする前に『やってみなくちゃわからない』って、呪いの言葉をみんなは口にする。だから、戦争もきっとそうなんだ……」


 あの時は、戦うまで誰も本質が分からないままだった。だから、綺麗ごとなのだ。でも、ライルはそれではいけないと思っている。頭では分かっている。


 自分も同じようにそうだったのだ。GENに乗るまで、戦いがこんなに恐ろしいものだとは分からなかった。そして、ライルはダメ押しするようにこんな言葉を付け加える。


「戦争をしなければ何が起こるか分からなくなるほど、人の頭は腐りはじめているんだよッ……!」


 この戦争はいわば、戦争を起こさないために起こした戦争だ。魔法族に支配されることになった際の戦争訓練。この戦いで失った命も、訓練の一環だ。


 人類は適度に殺されて、ようやく目を覚ます。そして人類の意識は確実に変わっていく。


 計画的な戦争。執筆された未来。けれどこんな世界は狂っている。


「この戦争は人類にとって良い薬なのかもしれないな」


 そんな訳がないとは、ライルが一番よく分かっていた。しかし、何も分からないでいい加減な事を口にするセリアを、ライルは焚きつけたいと思っていた。


 ライルはセリアの想いを引き出したいと思っていた。この戦いについて、何か少しでも考えて欲しいと思っていた。それは、自分と同じようになって欲しくないからだった。


 ライルはひとしきり、自分の考えうるひどい言葉を並べ立てたつもりだった。言い終えてからライルは息が上がっていることに気が付く。それだけ、言い放題できたのだ。少し満足感がある一方で、とても虚しかった。


「ライル」


 ふと、セリアが口を開く。


「そんなに背負い込まなくてもいいのよ」


 ライルは一瞬キョトンとしてしまった。そんな言葉がセリアの口から飛び出すとは思いもしなかったからだ。否定的な言葉を返されると思っていたからだ。何よりも、まるでライルの心を見透かしたようなその言葉はライルを動揺させた。


「……な、何をお前は……?」


「私ね……シイナちゃんのこと、きっとライルは受け止め過ぎていると思ったの。そうしたら、やっぱりそうだったのね。でも私は、色々話してくれて、その……嬉しかった」


 どうしてボクはそんな言葉をかけて貰えているのか、よく分からなかった。何故、どうしてボクの事を赦そうとしてくれるのか分からなかった。


 ただ、今になって思い出す。セリアは真っ先にボクの事を止めてくれた人だった。ボクに戦わないでくれと言ってくれていたはずだったのだ。しかし、ボクはその言葉を無視し続けてしまった。


 そうさ、セリアはきっと、誰よりもボクとこの世界の未来について考えていてくれたのかもしれない。何もかもお見通しなのかもしれない。


 でも、それでも、


「……ふざけんなッ! お前に何が分かる! 何も知らず、ボクを遠ざけてきたお前なんかがボクの何を知っているって言うんだ!」


 それでも、ライルは不器用で、その態度に何だか苛立ちを覚えて、感情のままに言葉を返してしまうのであった。何故ならばもう、ここまでのことをして、引き返せるはずがないのだから。


 あぁ。とんでもなく、胸が苦しい。


 そして、セリアは少しくちびるを震わせて、何かをこらえるような顔をして、


「……うん」


 他の言葉を飲み込んで、何とかこの言葉だけを絞り出した。


 なんだか、ひどく悪い事をした気がした。自分の未熟さが、また誰かに迷惑をかけてしまった。


「……アリスは、戦争のショックで頭がおかしくなってしまったよ」


 ライルは思い出したようにそんな事を口にした。それは話題を変える為でも、同情をあおぐためでもあった。それを耳にしたセリアは驚いて手で口を覆う。しかし、それ以上のことはセリアも気を遣ったのか、アリスの事は聞いてこなかった。代わりにこんなことを聞いてきた。


「それでもライルは、戦おうと思うの?」


 その言葉に返す言葉を、ライルはだいぶ前から、心の中で決めていた。もう、引き返さないように。間違えてもいいように。後悔だけはしないように。


「戦わなければ、大切な人を助けられないから」

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