第19話 それからボクは①

 ――それからの事は何も考えていなかった。今は何も考えられなかった。嫌な事が一杯で、明日を迎えることで今は精一杯だった。


 まだ知らない次の日を迎えることに、胸を高鳴らせることができたのはいつまでだっただろうか。歳を重ねるにつれて、その感覚は消え失せて、いつしかボクは明日のために眠ることが嫌になっていた。


 恐らく、ボクが明日のことを考えられる想像力を身に付けたから、朝を迎えることが怖くなったのだろう。


 明日起こることが、やらなくてはならないことが分かって、思いつく限りの不安を抱いて眠る。この行為の虚無感と、目覚めた時の絶望感が、またボクの朝嫌いに拍車はくしゃをかける。


 だから、目覚めの時には今日の終わりが恋しくなって、その頃を迎えた時には明日への苛立いらだちと戦うことになる。その繰り返しの中で、ボクの心はすり減らされていく。けれど、そんなことはこの世界にいる誰も知るはずがなくて、理解されるはずがなくて、どんなに嫌な気持ちでも人々は同じ世界を生きなければならない。


 それでも、迎えなければならない明日があるのだから、嫌でも、起きなくちゃ。


 ライルはぐっと眠気を押さえ込んで、ゆっくりと身を起こす。


「……朝か」


 身体がだるい。随分と深く眠りについた気がしたが、疲れは取れなかった。


 嫌な夢のような出来事が、未だに継続されている。きっと明日も、明後日も、それよりも長くの間はこんな気持ちになるだろう。


 冷たい水面に顔をつけて、息を止め続ける。そんな毎日だと言えばいいのだろうか。一定の緊張と負荷がかかり続ける状態に今はある。


 その気になればいつだって溺れられる。死ぬことだってできる。


 だけれども、ライルにはそれができない。簡単に諦められない。ライルに寄り添ってすうすうと寝息を立てている彼女を、ライルは守り続けると誓ったのだから。


 ――2079年8月30日。


「らうるー! らうるはやぁーい!」


 ライルとアリスとメイスはオープンタイプのホバーカーに乗り、ユニバーサルポートから出て街に向かっていた。前にメイス。後ろにライルとアリスが座っている。


 アリスは無邪気にはしゃぐ一方で、ライルは不機嫌そうに他所を向いていた。それもそのはずで、ライルとアリスは感傷にひたる暇もなく次の作戦のためにメイスに同行させられているのだから。


「しかし、立派なユニバーサルポートに、こんなへんくつな出入口があったとはね」


 このホバーカーが道の整っていない裏山の雑木林を駆けるので、ライルは皮肉を込めて呟いた。オープンカーなのでたまに草葉が当たって社内に入り込んでくる。小さい昆虫も体当たりしてくるので、鬱陶しいったらない。


「ここは軍の人間しか知らない出入口よ。今の私たちがユニバーサルポートから出てくるのは不審すぎるから、見つからずに出るには丁度良いわ」


 メイスのもっともらしい説明に、ライルは「ふぅん」としか答えなかった。そもそも、そんな返事などどうでも良く、不満を口にしたいだけだった。


 現在、ユニバーサルポートは完全に魔法族に占領されている。


 ユニバーサルポートはこのコロニーにあるたった一つの出入口なので、住人はこのコロニーに閉じ込められることになった。同時に、このコロニーの通信機能はほとんど破壊され、ユニバーサルポートにある非常回線を利用しなければ他のコロニーや地球とは通信ができない状態になっている。コロニー『フロンティア』は完全に孤島と化していた。


 そして、正規軍の人間のほとんどは殺されたことから、指揮を失った残りの正規軍も今はまともに機能していない。つまりこのコロニーに居る人類の生殺与奪せいさつよさつは魔法族が握っているはずなのだが、


「それより……あの話は本当なのかよ」


 ライルは少し不機嫌そうにメイスに問い掛ける。


「……えぇ、この任務は私一人に任された事よ。ユニバーサルポート内にいた正規軍の人間は全て殺したの、見たでしょ?」


「分かってはいるけど、実行犯は呑気にドライブしているこの三人で、ユニバーサルポートの中に立て籠もっているのはGENだけって……やっぱりイカれてるよ」


「大丈夫よ。GENを起動できるのは魔法族だけなんだから。それに、このコロニーに残っている他の正規軍の人間は腰抜けばかり。下手に要らない味方がいるより、そいつらを上手く動かすことが得策よ」


「それでも、めちゃくちゃだ……アリスが殺されたらどうするんだよ……」


「そうさせない為の私たちでしょ」


 ライルは深いため息を吐いた。怒る気さえ起きない。もう、今はやるべきことを粛々しゅくしゅくと進めるしかないのだから、文句を言っている場合ではない。


 現在、魔法族と人類は協定を結び、戦闘を停止することになっている。今はその前の休息の時だが、その間にメイスは次の作戦の段取りを始めていた。ライルたちの次の目的は、魔法族の設備を人類の手から解放することだった。その為に、今は正規軍の支部がある都市部へ向かっている所だった。


 そして、しばらくしてからようやく街が見えてきた。それを見て、ライルは息を詰まらせる。建物は倒壊し、道は踏み荒らされ、所々に赤が塗りたくられている。まるで地獄絵図。目を覆いたくなるその光景は、ライルがGENで描いたものだった。


「あの壊れた虎徹肆式こてつよんしきはボクが切り払ったヤツか。胴体の上半分が吹き飛んで、街を、人をすりつぶしたんだな……」


 ライルは独り言を口にする。他人事の様にも聞こえるが、その言葉の真意は別のところにあった。


「なぁ、メイス姉はこれを見てどう思う?」


 ライルはこの作戦の実行者の考えを、想いを聞いてみたかったのだ。


「………………」


 一方、メイスは黙ったままで居た。おかげで何もメイスの気持ちが読み取ることができないことに加えて、その沈黙は何となく気まずさを生んだ。ライルも、それ以上は聞かない事にした。メイスも一応、被害者なのだから。


 ライルは考える。


 今まで戦争をしてきた人々は、戦いの跡を見て何か思うことは無かったのだろうか。いや、思っていたに違いない。だが、それでも戦争を繰り返してしまうのは何故だろうか。


 生物が生存本能を抱えるから仕方がないことなのだろうか。はたまた遥か昔の出来事だから忘れてしまったのだろうか。それらを考えると、戦争は人々がそれを忘れた頃にやりたくなってしまうイベントの様なものなのだろうか。


 ふざけている。そんなはずがない。ライルはもっと本質を考えてみる。


 戦争は何のためにあるのだろうか。単純に考えれば資源を奪い、政治的に優位を奪うためにある。


 しかし普通ならばそんなことをしなくても、当分はやっていけそうならばそんな事はしない。やっていけないほど追い詰められているから、発狂するのだろう。戦争を起こすのだろう。


 例えばだが、いじめで受けたことを、追い詰められた子供が殺人で報復する話を聞いたことがある。ボクはそんな気までは起こさなかったけれど、身に危険が及びところまでいけばボクも同じことをしてしまっていたかもしれない。


 そして、魔法族は戦争を起こした。ボクたちは長きにわたって魔法族をしいたげた。ボクたちは彼らを家畜のように扱い、命を利用していたのだから、仕返しはしたくなるのは当然のことだ。


 しかし「なんで?」という考えが浮かんでしまうのは、ボクたちは虐げていたことを当たり前と教えられてきたからだろう。


 きっと、多くの人間が同じ意見を抱く。自分たちは関係ない。やっていない。当たり前のことをしていただけなのだ。と。ボクも、はじめはそう思ってしまっていたから、きっとそうだろう。


 そう戦争についてひとしきり考えてから、ライルは不意にこんな事を口にした。


「少しだけ、学校に寄れないかな?」


 自分がやったことを改めてこの目に刻み付けたかったことも、被害を与えた人たちの様子を見たかったこともある。更に言うと、セリアの様子も気になっていた。しかしそれよりも、この戦争の意味とそれがもたらした結果をライルは知りたかった。もう二度と、こんな事が起きないようにする為に。


「……いいわ」


 メイスは少し嫌そうであったが、ライルの言葉に承諾しょうだくする。それにライルは「ありがとう」とだけ返事をした。


「らうるー……?」


 すると、不意にアリスがライルの手を握り、そして顔をのぞき込んできた。不安そうな顔をしているからだろうか、怒っているような顔をしているからだろうか、とにかくライルの態度がアリスを不安にさせていた。


「……大丈夫だから、心配するな」


 ライルはアリスを心配させない様にそう告げた。すると余計にアリスはライルに顔を寄せて、不機嫌そうな、もの言いたげな目をしている。


「うそついてるー……」


 本当の気持ちをやすやすと見抜かれて、ライルはぎくりとしてしまう。アリスはこういう所が昔から鋭い。


「……う、嘘なんか吐くものか! 」


 しかし、そんな言葉もアリスにはお見通しだ。余計にアリスは頬を膨らませて、むくれっ面になる。そうするとアリスが急にライルの腕をぐいと引いてきた。


 何だ何だとライルが思っているうちに、体勢が崩れてよろけて、ライルは倒れて頭をアリスの膝の上に乗っける事になった。


「……ア、アリスお前!」


 しかも、アリスが穿いているのはスカートだ。直接アリスの肌とライルの頬が触れて、色々とマズイ。ライルは顔を直ぐに真っ赤にさせる。一方でアリスは少しだけ顔を赤らめて、切なそうな顔をしてこんな事を口にする。


「らうるも……むい、しないでね」


 そう言って、アリスはライルの頭を撫ではじめた。


 とんでもなく恥ずかしい。しかもホバーカーのバックミラー越しに見えるメイスの目は、ゴミを見る様な視線になっている。


 もしかして、二人は普段からこんなプレイをしているの? と、メイスは視線で問い掛けている。


 やめてくれぇ! そんな趣味はボクにない!


 するとアリスは不安そうな表情をして、ライルの顔をのぞき込む。


「つかえてたらぁーいってねぇ……」


 うん、ボクつかれちゃった。


 ……と、アリスの甘い言葉に一瞬だけ心を赦しそうになったが、ライルは慌てて邪念を振り払う。


 このまま心を飲まれてはいけない。しかし、こうしている間にも少しずつ気持ちが安らいでいく。マズイ。どんどん自分がダメになっていく気がする。


「幼児退行するのもいいけれど」


 ライルのやべー様子を見たメイスが茶々ちゃちゃを入れる。


「いいわけあるか! それに誰が幼児だ!」


 全く、この光景だけを見てそんな事を口にするのは失礼な話だ。バブみを感じてオギャっている訳では無い。決してだ。


 あぁ、でもこのままでいたい。人の心は難しいものだ。


 ライルは謎の葛藤かっとうをする一方で、メイスはため息を吐く。


「ライル……この後の光景と向き合える自信、あるの?」


「ないって言ったら始まらない。向き合わなくちゃダメなんだ」


 アリスのひざまくらを享受きょうじゅし、頭をなでなでされながらライルは真剣な面持ちで答える。


「そう……」


 メイスはそれ以上答えなかった。ただ何となく、メイスがした質問の意図も、今の心情も分かる。しかし、今は向き合わなければ前に進めない。殺してしまったシイナも、報われない。


 だから、ライルは言葉を続ける事にした。この戦争から身を引こうとしているメイスに対して、伝えなければならないと感じていた言葉を口にする。


「ボクたちは戦争をしている。誰かから資源を、未来を、命を奪っている。ならボクたちはその分だけ強くなって、精一杯生きなければいけない責任があるんだ」


 しかし、その後にメイスから返事はなかった。それでも、耳に、心に届いていればそれでよい気もした。


 ライルは再び崩壊してしまったこの世界を眺める。それを見ると、胸が痛む。


 ライルの心が負った傷は未だえていないままだ。おかげで酷く苦しく、生きづらい。逃げ出したい気持ちもある。しかし、ライルは惨劇さんげきが起きた日から心に決めたのだ。


 誰かに責任を押し付け合い、人をおかしくするほど虐げ続けるこの世界を変えなければならない。


 その為にもライルはをしなければならないとも考えていた。


 その行為はこの戦いの第一歩だともライルは考えていた。


 ライルはまだ虐げられている存在だ。だからこそその根を断ち切らなければならない。だから。


 ヤスカワ・メイス。彼女を――


「殺さなきゃ」


 静かにライルが呟いたその言葉は、メイスの心を強く揺らした。別に自分に告げられたわけでもないのだが、動揺したのかメイスはハンドル操作を誤り、少し車体を揺らしてしまう。


 少し、額から汗がにじむ。身体はほてり、動悸は早まっている。メイスは不安な気持ちを押し殺しながらバックミラーへ視線をやったのであった。


 そこには、こんな光景が映っていた。


 とても澄んだ目が見えた。それはライルのもので、爛々らんらんとしている。そしてそれは恐ろしくも、真っ直ぐとメイスの方へ向けられていた。


 静かな狂気を、瞳の中に宿しながら。

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