第18話 魔導動力源彼女《メインエンジンカノジョ》④(一章完)

 ――この世界は終わっている。


 始まりと終わりを抱えたこの世界は、幾重にも道が別れていても、終わりへ向けて続く道しかない。


 ただ、ボクが皆と違うのは、ボクは終わるこの世界を痛みを抱えながら歩くことになることだ。


 どうやらその痛みは、どの道を選んでも逃れられないらしい。


 だからもう決めることにした。


 この刃を振り下ろす事を。


 彼女シイナを殺す事を。


「ボクはああああああああああああっ!」


 喉が焼け切れそうになるほどライルは悲しみの声を上げる。怒りが、悲しみが、コックピットに氾濫して、ライルの衰弱し切った精神こころは溺れていく。


 生存本能の赴くまま、ライルは操縦桿を一気に正面に倒して、GENの握る高周波ブレードを虎徹弐式の腹部目がけて突き立てようとする。生きる為に害を討つ。


 GENの応答性はとんでもなく早かった。機械腕マニュピレータはライルの指令とほぼ同時に反応した。しかし、虎徹弐式の制御バーニアはもう火が吹きそうになっている。


 だからもう、決着をつけるとしよう。


 GENのコックピット内に衝撃が走る。しかしそれは虎徹弐式の制御バーニアが火を噴いたからではなく、GENがの握る高周波ブレードが虎徹弐式の腹を貫いたから起きたものであった。


 そして虎徹弐式の制御バーニア内に灯っていた光りはだんだんと弱まって、ふぅと消えた。ついに虎徹弐式はだらりと身を伸ばして、完全に沈黙したのであった。


「ハァッ……ハァッ……!」


 ライルは辛くも勝利を掴むことができた。しかし、つまりライルはある事をしでかしたことになる。


 友殺しを、犯したのだ。


「ボクは……なんて事をしてしまったんだっ……」


 ライルは必死に荒くなった呼吸を整える。動かなくなった、動けなくした虎徹弍式に突き刺さっている高周波ブレードが、この戦いの結末をあらわしていた。ただそれはあらわしているだけで、その事実を現実としてむかい入れるには次の手順を踏まなければならなくて、覚悟を決めて息を思いっきり吸い込んでから、GENの操縦桿を握りなおした。この時点で、もうライルは泣き出してしまいたい位であった。


 GENは高周波ブレードを慎重に引き抜くと、その刃にはべっとりとあかが付着していた。生々しく、てらてらと光る付着物は、見るものに吐き気を覚えさせた。それだけでもライルは声を上げそうになってしまったのだが、もっとひどいものが見えて息ができなくなってしまう。


 虎徹弐式の腹に空いた穴から、何かが見えたのだ。


 そんなモノ、認識しなくてよいものの、ライルはついそれを覗いてしまった。高解像のカメラが悪意をもってそれを拡大し、腹の中にあるモノを鮮明に映し出した。


 ――潰れた、死体を。


 友人が人の形を保ちながら、人の形を崩している。不安定なになっている。


 こみ上げてくる吐き気。それをライルは我慢できず、一気にそれをぶちまけた。何故なら、目を逸らしたくなる光景が、自分の犯した罪が、押し付けられるようにライルの視界にねじ込まれたのだから。己の手で壊したのだと分からせるように、モノを見せつけられているのだから。


 だからもう、


「あぁ……あああああああああああああっ……!」


 我慢の限界だった。


 ライルは操縦桿を握ると、GENの機械腕マニピュレーターを振り上げさせてから、


 ――――ドンッ。


 ライルはそれを思いっきり振り下ろさせた。


 同時に、虎徹弐式のコックピットは大きくひしゃげ、陥没して、中からわずかにぴゅうと紅い液体が噴き出す。恐らく、中にいるモノが潰れたのだろう。


 ライルもそれは分かっていた。と言うよりも分かっていてやっていた。


「もういやだもういやだもういやだもういやだもういやだもういやだもういやだもういやだッ……!」


 ライルは念仏のように言葉を繰り返す。歯が恐怖でガタガタと震え、息もままならない。


 今度は左腕。それをGENが振り上げてまた振り下ろす。また大きく虎徹弐式のコックピットはひしゃげてまた赤い液体が噴き出した。コックピットにできていた穴は大きくなり、より内部が分かり易くなる。


 よって、ライルの正面に映る虎徹弐式の中身は、より分かり易いものになっていた。まだ、少しだけ人の形を模している。


 だからライルはまた拳を振り上げて、振り下ろす。


「たくさんだッ……消えてくれよ……ボクの前からあああああああああああああッ……!」


 そう、ライルは消そうとしていた。


 まるで子供の発想。


 臭いものに蓋をするように、壊してしまったものを土に埋めて隠すように、『自分が冒した罪の跡シイナ』が跡形もなく見えなくなるように、何度も、何度も拳を振るったのだ。


 いなくなれ、いなくなれと、呪いの言葉を吐き続けるライル。その度に胸が痛くなって、脳には定期的にひゅんとパルスが走る。疲弊していく心と、とろけていく脳。


 身も心もおかしくなりそうになった、その時だった。


 ライルの頭の中に、ある映像がふと流れだした。それは色あせていて、音には少しノイズが乗っていた。


『キミは、ライルくんって……いうの?』


 幼い声。それは耳にすればどこか懐かしくて、でも何故か胸の奥がまた苦しくなる。そんな声だった。


「なんだ……これは……」


『そうだよ。キミたちの名前は?』

『私はアリス! こっちのツンツンさんはセリアちゃん。それでちょっとこわがりさんなのはシイナちゃん』


 ライルは唖然としてしまった。昔のみんなだ。それも、出会った頃の思い出。それがライルの頭の中に映し出されている。


『へぇ……そう。まぁ私はどうでもいいけど』

『…………私もちょっと……おとこのことお話しは……』


 そう、当時二人はライルに心を開いてくれなかった。けれども、


『ライルッ! お願い……セリアちゃんを助けて……!』


 当時、虐められやすい性格をしていたセリアが年の近い男の子に囲まれた時、アリスがライルに助けを求めてきた。


 あの事件からライルの評価は変わった。ライルはその男の子を何とか追い払った。勿論、ライルは当時怖がっていたし、ぼこぼこにされながらも何とか勝ったものだった。それでも、ライルは三人から称賛された。


 ライルの輝かしい記憶。しかし、今となっては辛いだけだ。何故なら今は、その女の子たちを、ライルは手に掛けているのだから。


「あの頃は純粋で……何も分からなくて……何もかもがキラキラしていてっ……!」


 もう、ライルは止めて欲しかったが、まるで亡霊が付き纏うかのように、頭の中から昔の思い出が離れない。


『セ、セリア……大丈夫か……?』

『こわ……かった……こわかったよぉっ……!』


 当時、セリアはボクに抱き付いて泣き続けたのだ。あの時のセリアは少し可愛かったのを覚えている。


『ライルくんって……すごいんだね』

『そ、そんなことないって。ただ……ほっとけなかったからさ』


 そんな台詞も、今となっては小恥ずかしい。ただ、それからシイナはボクに話し掛けてくれるようになったんだっけ。


 でも、今はもう関係ない。胸が痛いだけだ。涙が止まらなくなるだけだ。殴り続ける事を止められなくなるだけだ。


「もう止めてくれよッ! 今はもうそんなボクなんて何処にもいないんだから……今はただの人殺しなんだからッ!」


 あの時は自由だったんだ。


 ある日あんなに綺麗だった空を、穿った目で見るようになったのはいつからだろう。目の前を追うばかりで空を見上げる余裕なんて無くなって、いつかボクは自分から檻の中へ閉じこもっていたのだ。


「くすんでしまったのはボクの瞳の方で……」


 あの空はいつまでもいつまでも待っていてくれたのに、ボクが勝手に空を飛べないと決めつけてくすぶっていただけなのだ。だから今は、ボクはこんな事をしているのだ。


 あぁ、また紅い飛沫が飛ぶ。


 虎徹弐式の胸部周りに、あかの飛沫がかかる。あかが流れて筋を描いて、灰色の身体は徐々に痛みで彩られていく。


 拳を下ろす度に、衝撃で 虎徹弐式 の動力装置アクチュエータが刺激されて、機体が痙攣する。無機質な機体が、感情的な挙動をする。


 ボクはそれに魅入っていた。まばたき一つできなかった。何もかもが混ざり合った感情が頭の中を渦巻いて、意識を制御できないでいる。


『もう……止めて……!』


 ボクの頭の中に声が響く。


 アリスの声だ。


 しかし、関係ない。


 ボクはボクの邪魔をする事を、誰にも許すつもりは無かった。


 何故なら、『彼女シイナ』が跡形もなく消えて欲しいと思うからだ。それが二度と見えなくなって欲しいと思うからだ。今その手を止めれば、見えてしまうかもしれないから。


『お願いだからっ……!』


 関係ない。


 ただ、殴る度にぐちゃぐちゃになっていく『彼女シイナ』を思い浮かべて、ひどい嫌悪感に襲われた。


 けれども、それも今更だ。


 コックピットの中はよく見えないが、とろとろになった『彼女シイナ』の体液が溜まっている。


 もう、そろそろだろうか。いや、まだだ。まだ、殴り続けなきゃ。


 殴る度、頭にひゅんとパルスが走って、脳が刺激される。


 次第に感覚が麻痺して、何が何だか分からなくなって、ボクは全てを流れに身を任せることにした。


 だからボクは終わりなく、何度も『彼女シイナ』を殴り続ける。


 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も 、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も 、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も 、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も 、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も 、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も 、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も――


『ライル、作戦終了よ』


 ――その言葉で、ライルはハッとして目を覚ます。


 待ちに待ったメイスからの終わりの合図。それはライルからすれば救いの言葉でもあった。


「ハァッ……ハァッ……」


 ライルはようやくGENの操作を止める。精神こころを犯され続けたライルは、まるで酷い悪夢を見ていたようだったが、現実もそう大して変わらなかった。


 目の前には腹いっぱいに紅い体液を垂れ流した虎徹弐式が倒れている。その液体は、元はライルの仲間だったものだ。もう、姿かたちはどこにもない。


『ライル。もう、戦わなくていい。一時休戦よ。だから……』


「……ハハ」


 メイスの言葉はライルのつぶやきによって遮られる。どうやら、ライルの様子が変だ。どうしたのだとメイスは思っていると、


「ハハハッ……!」


 今度はより大きな声で、ライルは笑い出したのだ。


『……ライル?』


「……お前らがぁッ……お前らが煽らなければ……シイナは死ななくても済んだはずなのにっ!!」


 すると、GENの真紅の眼光が学校の校舎へ向けられた。それを見た避難民はその意味を理解してゾッとした。『次はお前だ』と告げられた様な気さえした。


 GENはゆっくりと立ち上がる。その動作だけで、皆は恐怖の声を上げた。


 一方でライルは、その声を聞いて狂った様に笑っていた。


「お前らは馬鹿だ……何も理解しないで叫ぶだけの馬鹿が生きているから、こんな悲劇を生むんだ!」


 しかし、ライルの瞳からは、壊れた蛇口のように止めどなく涙が流れていた。


「だからシイナは……居なくなっちまったんだッ……!」


 返せよと言っても返ってこない。彼女はもうこの世にはいないのだから。


 辛くても苦しくても悲しくても、それは自分のせい。でも、自分の中で消化できない憎しみを、この世界にぶつけてやりたかった。


 しかしそれも、次の言葉で止められることになる。


『ライルは居なくならないでね』


 アリスの言葉が頭の中に響いたから。


「……ずるいよ」


 今、そんな事を言わないでくれよ。


 そんな事を言われてしまったらボクは、自分が何なのか分からなくなってしまうじゃないか。


 ボクは罪人でありながら、まだ人間の心を持てと言うのだろうか。


 まだアリスはボクにボクのままで居て欲しいと言うのだろうか。


「くそおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ライルはコックピットの中で雄たけびを上げた。やりきれないこの感情を、胸の中にしまい込んで。


 そしてGENは人類に背を向け、ゆっくりとユニバーサルポートの方へ歩を進める。そしてまたGENは奈落の底へ身を沈めていった。GENはユニバーサルポートの格納庫へと移動する。


 メイスいわく、ユニバーサルポートは魔法族の手に落ちたらしい。だが、そんな事などライルの耳には入らなかった。その間、ライルはコックピットの中でずっとうわごとを呟いていたからだ。


「シイナ……どうして……お前が死ななくちゃ……」


 希望だと信じてボクが逃げ込んだ先は闇の中だった。そんなふざけた話があるかと言えば、そもそもそんなうまい話があるかと言い返されるだろう。世の中はそんなものだ。そもそも考え無しだったボクが悪いのだ。


 けれど、こうなることは決まっていたのかもしれない。


 その引き金をどの道、誰かが引く事になったのかもしれない。


 もしボクが人類の立場のままだったら、何も分からずにGENに憎しみをぶつけていただろう。だとしたら、そんな事を思うボクを、GENのパイロットは許しはしないだろう。


 誰もかもが貧乏くじを引きあって、問題が分かるまで悲劇を起こし続ける。そして根本原因は片付かず、誰かに責任を押し付ける。


「イカレてる……そんな世界はッ……!」


 ライルは歯噛みする。しかしそれが世界の摂理で、繰り返されてきたことだ。ライルはそれを、当事者になってようやく理解した。


 当たり前だけど、理解されない事。話し合いよりも責任転嫁せきにんてんかの方が早いから。


 ライルは、ふつふつとこみ上げてくる感情を押し殺し、そっと心の底に忍ばせた。


「……ボクが変えてやる」


 誰にも聞こえないくらいの声で、ライルはこの世界に宣戦布告する。


 変わらないのなら、誰も理解しようとしないなら、自分が何とかするしかないとライルは考えていた。


 そして、守り抜く。この戦いに巻き込まれてしまった大切な命を、希望の灯を消さない様に。


「だからアリス……ボクはお前を絶対に…………」


 妙だ。


 その時、ライルはふと違和感を覚えて言葉を切った。


 そう言えば妙ではないだろうか。もう戦いは終わっている筈なのに、アリスは一言も口を開いていない。


 じわりと、ライルの額に汗がにじんだ。


 まさか、まさかと思いながらもライルはコックピットの椅子から降りて、後ろにいるアリスの様子を確認しに向かう。


 そして、ライルはアリスの様子を見て青ざめる。アリスの顔は驚くくらい白くなっていて、生気が感じられない。ライルは慌ててアリスの身体を掴んで揺らす。


「……お、おいアリス? アリス……大丈夫かッ!」


 勘弁してくれよと思ってしまう。


「そんな……冗談だろ……? シイナだけじゃなくて、お前まで失ってしまったら……ボクはっ!」


 ライルはより強くアリスの身体を揺さぶるが、反応がない。ライルは全身から血の気が引いていくのを感じながら、必死にアリスの身体を揺さぶった。それでもアリスは中々目を覚まさない。


 これ以上に辛いことが重なるなんて、もうライルには耐えられなかった。


「なぁ……お前が居なくなるなって言ったんじゃないか。そう言ってくれたからボクはあれ以上の事をしなくて済んだんだぞ……」


 ライルは次第に瞳に涙を浮かべ、それが溜まってアリスの顔に落ちる。ぽろぽろと、とめどなく。


「だからこうやって一緒に生きたいってまだ思えるんだっ……なのに、こんなのはあんまりだっ!」


 と、その時だった。


「ら……う……る……?」


 優しい、声が聞こえた。そして、ゆっくりとアリスの目が開く。その後、何度も目をぱちくりさせて、ライルをじっと見つめた。 


「……ア、アリスッ!」


 ライルはその様子を見て、嬉しさのあまり声を上げる。そう、無事に彼女は生きていてくれたのだ。それだけで、もうライルは胸いっぱいだった。


「よか……よかったっ……!」


 ライルは流した涙を拭う。一方でアリスは不安そうな顔をしてライルを眺め続けていた。


「らう……るー。ら、うーるー……?」


「わかってるよ……すまないな、こんな情けない姿を見せちまって……」


「あー……らう……るー! らうーるー!」


「どうしたどうした、そんなに生きているのが嬉しいか? まぁ、そりゃそうだろうな、奇跡みたいなもんなんだから……」


「あーうー。らうる。らーうーるー!」


「……………?」


 何だか、変だ。


 いくら目覚めたばかりだとしても、こんなにアリスの寝ぼけは悪くない。流石にちゃんと言葉位は喋れる。そのはずなのだ。


「なぁ……アリス。大丈夫なんだよ、な?」


 そして、ライルは恐る恐るアリスに問い掛けると、こんな返事が返ってきた。


「らぃるー! らうーるーっ!」


 底抜けに明るい返事だった。そして、アリスはいたずらっぽく笑ってみせる。しかしその振る舞いは、ライルを戦慄させた。


「おい……まさか……GENのせいで……?」


 その事実は理解できていても、口にして確認したくなった。誰かに違うと否定して欲しかった。


 一方、アリスは落ち着きが無さそうに辺りを見回して、唸るような声を出して、そして最後に指をくわえた姿を目にした。


 まるで子供の様な振る舞いをするアリスを見て、ライルは強い脱力感に襲われる。ライルはその場でへたり込むように崩れてその場に座り込んだ。


 見るからにアリスは言語能力や知能に、支障をきたすようになっている。


「………………」


 ライルは何も言えなくなってしまった。怒りで歯噛みすることも、悲しみで涙することも無く、ただ目の前に現れた虚無感を前に呆然とたたずむことしかできなかった。


「嘘だ……これは夢なんだ……」


 取り返しのつかなくなった出来事に、ライルは酷く胸を痛めた。あの優しくて、気立てがよくて、いつもライルを励ましてくれたアリスはもう、居なくなっていた。


「らー、うぅう?」


 確実に壊れていくアリス。ライルからすれば見るに耐えなかった。


「らいる?」


 アリスの為に大勢の人を殺してきた。アリスの命をなるべく使わない様にしてきた。大切な仲間も殺してみせた。なのに――


「それでもこの結果だって言うのかよ畜生が!」


 ライルは怒りのままに声を上げ、壁に拳を振るった。そしてそのまま壁に寄りかかってうなだれる。


 ライルは自身の服の胸元を強く掴んだ。ぐしゃぐしゃになっても、引きちぎれても良かった。果てには胸をえぐっても良かった。それだけの痛みを、自分の中で処理しきれなくなっていたのだ。


「痛い……痛いよ……」


 生きるために犠牲を生む。この命の営みは、その重みは、人類が忘れ去ろうとした痛みの一つである。ライルはその痛みを覚えて、初めて重みを知った。


「らいる―……」


 アリスは不安そうにライルの顔を覗き込む。ただ、ライルにはそれが嘘か真かも分からない。


 目の前にいるアリスを守るためにライルは戦おうと思っていた。しかし戦えば戦うほどに彼女は、彼女から遠ざかる。そんな事になるのでは、本当に戦う意味があるのだろうか。


 そして、ライルは酷い事を頭に思い浮かべてしまう。


 ――お前はアリスじゃない。


 ライルはハッとしてから、慌ててその言葉を頭から振り払おうとする。しかし脳とは恐ろしいもので、一度考えてしまったことは中々頭から離れない。アリスを見詰めれば見詰めるだけ、嫌悪感が生まれてくる。


「違う……違うのにどうしてだっ!」


 言葉で否定しても、脳はライルの思想を犯し続ける。汚い言葉と、酷い想像がライルを襲う。アリスを見るだけで嫌悪できるように、ライルは心を捻じ曲げられそうになったその時、


「らぅるー……」


 儚い、小さな声が聞こえた。その声は震えていて、表情は不安げで、怯える子供のようだった。


 するとアリスはあろうかとかこんな言葉を口にした。


「こんなー……すあたに、なぁって……」


 その言葉に続くものは容易に想像がついた。きっと、ライルの表情に嫌悪が映ったことが分かってしまったのだろうか。


 やめろ、やめてくれ。そんなつもりは無かったのだ。そんなことを言わすつもりは無かったのだ。


 しかし、ライルがそう思った所でもう遅い。アリスは今にも泣きだしそうな表情で、ポツリとこう呟いた。


「ごめん、ね……」


 もう、胸が張り裂けそうだった。


 一番辛いのはアリスのはずなのに、どうしてボクはあんな態度をしてしまったのだろう。


 誰のせいでもないアリスを誰が責められるだろうか。誰も居るはずがない。


 そんな事は、自分が一番分かっていたはずなのに、どうして受け入れてあげられなかったんだろう。


 だから、ライルは持てる全ての力で、アリスを抱き締めた。


「ごめんよ……ごめんよっ……!」


 涙が止まらなかった。悲しくて、辛くって、何もかもの感情が混ざり合って、これまでにないくらい泣いてしまった。


 しかし、本当に恥ずかしい話だ。おかしくなったアリスを守りきれる自信が無かったのだ。想像つかない未来に、怯えてしまったのだ。でも今はもう違う。


「……大丈夫だっ! ボクは……お前が大切だからっ! 大好きだからっ!」


 思わずライルはそれを口にして、ハッとする。思いもよらず、自分の感情が自然に漏れていた。そしてライルはアリスからすこし身を引く。でももう顔を真っ赤にして、少しだけ照れていて、ライルの心など誰が見たって分かる。


 ただ、アリスはそれ以上に顔を真っ赤にさせて、目をキラキラさせて、ライルの瞳を真っ直ぐに見つめていた。こんな顔を、ライルは見たことがない。


「ら…………らうるー……らうるっ!!」


 よく見れば、アリスの頬には一筋の涙が流れていた。


 そして、今度はアリスがライルに強く抱き付く。それを、ライルが受け止めないはずがなかった。


 好きだから。好きだから。どうしようもなく好きだから。


「ボクが好きなのはヒダ・アリスだ。どうなっても、いつまでもヒダ・アリスが好きだ!」


 だから、ライルはこの言葉を口にした。


 次の瞬間、ライルはアリスを強引に引き寄せる。アリスは驚いた顔をしたが、直ぐにそれを受け入れた。


 そして、唇と唇とが触れ合って、舌と舌が絡み合って、所在しょざいの解らぬ愛を探り合いながら、


 ――二人は天使GENの腹の中で結ばれたのであった。


 そうさ、


 ボクの彼女は兵器の消耗品だ。


 しかしそんな事は関係なく、ボクも彼女も人として生き続ける。


 この後のことは想像もつかない。ただ、どんな悪夢だろうが、地獄だろうが、生き抜く事だけが、これまで殺してきた、これから殺すことになる人類への手向けだと信じている。


 だから、ボクたちはGENに乗る。


 嫌な話が続くとしても、この世界の悪意に抗い続ける。


 ボクたちと、この世界の為に。


――完(一章)――

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