第17話 (シイナルート)『今日もあなたと共に』③(完)

 ――2079年9月2日


 あの日から少しだけ時が経った。コロニー内には悪魔の爪痕がまだ痛々しく刻まれ、癒えていないままだ。その復興の目処は立たず、それどころか『フロンティア』の住人は故郷を放棄するように、少しずつ別のコロニーへ移動している。


「もう、同じ生活はできないのか……」


 ライルはポツリとそんなことを呟いた。


「そうだ、お前のせいでな」


 ある男性の兵士がライルに冷たい言葉をかぶせた。ライルは「そう、か……」と言葉を漏らして、半分口を開けたままにしていた。ライルには兵士に返事を返す気力など、もうない。


 ライルは兵士に連れられて、ゆっくりゆっくりと歩を進めていた。ライルはまるで入院患者が着る服を身に付けていた。道には鉄板が敷かれていて、足元は小石が転がりや塵埃にまみれている。周囲の音も随分とうるさく、周囲は少しだけ熱い。


 ライルは歩いている間、何度も何度も小さくため息を吐いたり、うめき声を少しだけ漏らしたりしていた。目に生気がなく、視線も定まっていない。傍から見ても、ライルが健康な精神状態だとは言い難かった。


 それを見かねた兵士がこんな事を言う。


「お前には自分のやったことに反省の念は無いのか?」


 その言葉でライルは奥歯を強く噛みしめる。そしてライルは自分の感情を押さえ付けながら、絞り出すように言葉を口にした。


「…………あります」


 その言葉を口にした後、ライルは背中に強い衝撃を覚え、前に勢いよく倒れ込んだ。思い切り兵士に背中を蹴飛ばされたのだ。


「ならそれなりの態度をしたらどうなんだ、この狂人が!」


 そうだ。その言葉はその通りのことなのだ。ただ、ライルは自分が『狂人』と見なされて片づけられることが悔しくて堪らなかった。


 すると、もう一人の細身の兵士が少し笑いながらこんな事を口にする。


「こいつ、殺されるからってヤケになっているんですよ」


 ライルはその言葉で心が押しつぶされそうになった。分かってはいるけれど、それを受け入れてはいるけれど、どうにも衰弱したこころは耐え切れないようであった。


 そう、ライルは処刑されることになった。2079年9月2日がその執行日だ。


 それは魔法族の反乱が起きた当日に決定した事で、ライルは死刑を宣告された時、「そうですか」と呟いた。


 死んでしまったアリスは、お墓を立てて埋めて貰うようにした。悲しい宿命を背負った彼女は、安らかに眠って欲しいと思ったからだ。その意見を否定する人はいなかった。


 一方でボクは、魔法族と同じ様にマグマの釜で煮られることになった。本当はアリスと同じ墓に入りたかったが、きっと骨も残らないので無理な願いになるだろう。


 そして、ライルがそれ以外の事を口にすることは無かった。いや、口にできなかった。本当は経緯や心情を語りたかったが、自分の犯した罪の大きさと、自分が本当にしたかったことを貫けた達成感が混ざり合って、この複雑な気持ちを口にできなかったからだ。そもそも、こんな気持ちは理解されないと思っていたからだ。


 そして、ライルを蹴飛ばした兵士はむっとした顔をして、うずくまったライルに再び蹴りを入れる。ライルは痛みの余り、震えて動けなくなった。その兵士は険しい顔をして、ライルを指差しながらこう口にする。


「その態度が、俺は気に食わねぇんだ。こいつは心の底ではきっと、自分は悪くねぇって思っていやがるんだ」


 その通りだよ。


 そんな言葉がライルの頭を走り抜けた。しかしライルは胸元までせり上がっていた感情を、ぐっと抑え込む。自分の行いは間違っていた。しかし、想いを間違えたつもりははなかった。だから、こんなことをされても我慢ができた。死んでやると、自分が犯した罪の為に死ねると、ライルは固く決意していた。


 それに、そうやって今まで生きてきた。だから、こんな事は慣れっこだ。


 誰かを守るためにボクは戦い、正しい考えを持った人にボクは止めて貰えた。


 ボクは本当にどうしようもなくて、でもそれでも大切に思ってくれる人がいて、ボクは勿体ない程の幸せ者なのだ。


 だからもう、いいのだ。


 そう、ライルが考えていた時のことだった。


「もうやめてくださいっ!」


 声が聞こえ、何かがライルの身体を包んだ。それは柔らかくて、温かくて、良いにおいがする。それはライルが久しく忘れていた優しい感触だった。


「シイ……ナ……?」


「ライル……! 大丈夫?」


 弱くて、泣き虫で、それでも彼女は強い気持ちを持って駆け付けてくれたのだ。


 ふとライルは思い出す。


 あれはライルが小さかったころ、セリアがいじめっ子の男の子に囲まれて意地悪をされていた時のことを。


 セリアは当時から無愛想なものだから、それを良しと思わなかった男の子にブスやら口なしだと言われ放題にされていた。それを目撃したライルは駆け付けて、殴り込み、男の子たちを追い払ったものだ。


 当時、アリスは助けを呼びに近くの大人を探しに行って、シイナは遠目でそれを怯えながら見つめていた。


 しかし、今となってはシイナも勇気を出して、困った人の元へ駆けつけられるようになっていた。ライルの意思を継いでいる。もうシイナは昔のままではないのだ。


「でも、お前……どうしてここに……」


「軍の人にお願いして、立ち会わさせてもらうようにお願いしたのよ。初めはダメだって言われたけれど……どうしてもってお願いしたら何とか」


 そう言ってシイナはライルに微笑んだ。


 ただ、その様子にライルは違和感を覚える。何だか、瞳の奥に強い信念の様なものが見えて、それが兵士たちに向けられている。それにライルはハッとして気が付いて、声を上げた。


「全員、ボク近くから離れるんだっ!」


 その言葉で兵士達は訳が分からない様子のまま少し後ろに引く。そしてライルはすぐさまシイナの腕を掴むと、強くそれを握り締めた。シイナは驚いたような顔をしていたが、悔しそうな顔をして他所を向く。


「シイナ……お前の考える事くらい、分かるって……!」


 するとライルの言葉で観念したのか、シイナはゆっくりと伸ばした手を懐から取り出す。するとその手の中には拳銃が握られていたのであった。


「どこでくすねてきたかは知らないけど……ボクを逃がそうとしたんだな?」


 ライルのその言葉を受けて、今まで整えていた表情が決壊した様に崩れてゆく。


「やっぱり……私、ライルが死ぬのを見過ごせないよ……!」


 その言葉を皮切りに、どんどんシイナの声はぐずぐずと崩れて、鼻水をすする音が混ざって、とめどなく涙が溢れ出していく。


「ありがとうシイナ……でもな」


 ボクの世界は終わりへと進んでいるのだ。


「もう、ダメなんだ」


 ライルはそう口にすると、また別の兵士が現れてシイナを羽交い絞めにする。シイナはバタバタと手を動かして抵抗するものの、兵士は簡単にシイナを放さない。


 一方でライルに付き添っていた兵士がライルを無理矢理立たせて、また歩かせようとする。ライルはシイナを背にして、もう振り返らないようにした。見れば、辛くなってしまうから。


 人を殺す。お前はそんな事をしちゃダメだ。罪を犯し、こんな目に逢うのは自分だけでいいのだ。


 しかしシイナもこのままでいられるはずがなかった。必死になってシイナは兵士を振りほどこうとしている。しかしそれも叶わず抜けられず、シイナは涙を流しながら悲しみの声を上げる。


「やだっ……! やめてっ! 私はライルを助けたいのっ!」


 お前はいつまでも泣き虫だな。


「そんなの嫌だよ! だってライルが悪いわけじゃないんでしょ! それをさせた人がいるんでしょ! だったら……殺すこと無いじゃない!」


 お前はいつまでも頑固だな。


「私はライル無しじゃ生きていけないよ。私は名前の通り、何もない。いままでライルがいたから生きてこれたのに……これじゃあ私が生きている意味なんて分かんないよ!」


 そして、いつまでもボクの事を好きでいてくれるんだな。


「だったらっ……私もライルと一緒に死んでやるッ!」


 だけれども、それは、それだけはダメだから。


 ライルは自分の感情を制御することができなくなっていた。一瞬のスキを見て兵士の腕を振りほどき、振り返り、シイナの方へ駆け出した。


 身体はきしみ、疲労で上手く動かない。それでもしなければならない事がある。伝えたいことがある。


 どうして、気が付いてあげられなかったんだろう。


 これだけ自分の事を想ってくれている、こんな優しい人と、ボクはどうして向き合ってこなかったんだろう。


 今となっては遅いのだけれども、今伝えなければならない。そして、ライルはシイナの目の前にたどり着く。シイナも力の限りを振り絞って自分を押さえ付ける兵士を振り払って、ライルの元へ向かう。そして二人は勢い良く抱き合い、強く強く互いの存在を確かめ合うように抱きしめた。


「ライル……死なないでよライルっ……!」


「ボクだって生きたい……生きていたいよ……! でもっ……!」


 ボクは罪を背負った。だから死ななければならない。その想いは変わらない。だからこそ、シイナにはそれを受け入れて貰わなければならないから、ライルは意を決して言葉を続けたのだ。


「……ボクはもうダメなんだって……だからせめてっ……シイナには生きていて欲しいっ……! だからさ……」


 するとライルはシイナの両肩に手を置く。真剣な表情をするライルに対して、シイナは少し驚いたようだった。そして次の瞬間、シイナはライルにぐいと顔を引き寄せられる。そしてライルはシイナにキスをしたのであった。


「ライ……ル……?」


 突然の出来事にシイナは驚いて、そして顔を真っ赤にさせる。学校でのキスとは、また違う感覚だった。そしてライルは唇を離すと、少し微笑んで見せて、落ち着いた口調でこう告げる。


「……シイナ。もう、お前は昔のシイナじゃない。もう、大丈夫だ」


 ライルは確信していた。シイナは、良い方向へ変わる。変われると思う。


 ライルは嬉しかったのかもしれない。強大な力を持った敵を前にして、シイナは自分から戦いに挑んだ。その行為は昔ライルが行っていた事と同じだった。


 だから、ライルはシイナの胸に握りこぶしをそっと当てて、優しく語りかけた。


「いつまでもボクはここにいる。だからシイナは自信を持って生きればいいんだ」


 そう、もうシイナは何もない人間なんかじゃない。ライルの意思を継いで、そして自分自身の想いを持って生きている。シイナはそれをライルに気が付かされて、胸が熱くなって、また、涙していた。


 もう、シイナは知らないうちに自分で羽ばたくために翼を手にしていたのだ。その翼はライルが与えてくれたのだ。そして、ライルは死んでしまうけれど、ライルはシイナにただ、生きて欲しいと願った。それをシイナが断る事など、出来るはずがなかった。


 その後、また兵士が二人を引き剥がし、ライルはそのまま連行されていく。その姿を、シイナはぼうっと見つめたままで居た。もうライルをこれ以上、自分の泣き言で心配させたくなかったからだ。


 刑は粛々しゅくしゅくと行われることになった。ライルは裸になり、身の丈程ある鳥かごの様な檻の中に入る。そしてそれはクレーンで吊られて、マグマの様な液体で満たされた炉の中へ投入されるらしい。


 その間、ライルは何も口にせず、何も表情を変えないままでいた。皆にも背を向けて、顔は見えなくなっていた。


「何か、言い残すことはありますか?」


「いいえ、ありません」


 ライルは淡々と告げる。シイナとしては、何か口にして欲しかった。まだ話したいことは山ほどあるのだから。張り裂けそうな想いが胸を痛ませるのだけれども、シイナは必死にこらえる。しかし、これ以上はライルを心配させてはいけない。


 そう考えているうちに、クレーンはゆっくりと動き出す。同時に、クレーンの動作に合わせて軽快な音楽が流れだした。曲名は『かっこう』だ。歌詞は無く、同じフレーズを永遠にリピートしている。


 もう少し時間が経てば、ライルは炉の中で焼かれて死ぬ。シイナはその様子をただ眺めている。ただ、本当にそれでいいのか? ダメに決まっているだろう。


 シイナは思う。


 自分の想いを口にして失敗する。けれど、そんなことはもう怖くない。言えなくなって、風化してしまう方が、今は怖いから。


 もう、誰かの言葉を待つのはダメだから。


「…………ライルッ!」


 その叫び声は少し震えていた。ライルはその言葉に反応してくれない。シイナは少し悲しかったが、そんな気持ちも押し殺し、声をまた一段と大きくしてライルへ言葉を贈る。


「ライル……! 私たち、不器用なんだ。自分の言いたいことも言えず、やりたいこともできず、悩んでばかりで全然うまくいかない……けど」


 シイナはフィリップと付き合い、ライルに被害が出ない様に必死に立ち回った。ライルは評価を得る為に、皆と一緒に居る為に魔導兵器ワイズローダに乗ろうとした。目的とはズレた考えかもしれない。


「不器用だから必死になってできるんだよね……!」


 それでも、彼と彼女はあるものを頼りに、懸命に生きてきたのだ。好きなものの為に、だ。不器用でへたくそ。でも、それが彼らだから。


「だからっ……今までの行いは失敗だって思わない。そして私は失敗を恐れたくない!」


 今のままでは、この後に続ける言葉は伝わらないことは見えている。いつまでもいつまでも片思い。でも、それでもいい。自分がどうしても諦められないのなら、自分に嘘を吐くくらいなら、挑んだ方が良いのだから。


「だからっ……何度だって言える! 私はっ、私はっ……ライルがいつまでもいつまでも好きなんだって!」


 しかし、ライルは背を向けたままで何も言葉を返さない。シイナは自身の胸に手を当てて、服を強く握った。やはり、ライルには自分の言葉は届かなかったのだろうか。


 そして、時は来た。

 

『クレーンを投入します』


 良く通る、録音された女性のアナウンス音が周囲に響き渡った。その時にはクレーンは釜の上にいた。もう、あと数秒すればライルは焼け死ぬことになる。もう、ライルとの別れる事になる……その時のことだった。


「ボクもっ……!」


 ふと、声が聞こえた。


 それは弱々しく、震えていた。


 次に嗚咽が聞こえてきた。見ればライルは肩を小さく震わせている。きっと、ずっと我慢してきていたのだろう。


 口にすれば自分が後悔するだろうから。しかし、口にしなければシイナが悲しむだろうから。だから、自分の感情を必死に殺し、シイナを不安にさせない様に答えようとした。


 けれど無理だった。


 自分の感情には、嘘は吐けず、押さえ付けられず、ありのままの自分をさらけ出すことになった。だからライルは心の底から湧き上がった感情を、そのまま口にする。


「ボクも……好きだから……!」


「ライ……ル……!」


 最後の最後で口にしたその言葉。シイナはそれを一生忘れることは無いだろう。シイナの為にライルが頑張ったのだ。


「好きだっ……ボクはどうしようもなくシイナが好きだ!」


「私も……私も好きだよ! ライルがたまらなく好きっ……!」


 その言葉の掛け合いは、途切れることなく続けられた。二人の間は余りにも離れていて、死は目前まで迫ってきているのに、それでも二人は止めることは無かった。


 二人の想いは引き裂かれて、繋がって、また離れて、でもかろうじて繋がって、そして今度は永遠の終わりを迎えようとしている。


 余りにも、残酷すぎる関係だった。


 そして、檻はついに炉の中に身を入れる。そしてマグマが一気に檻の中に侵食し、直ぐライルの足が浸かる。同時にライルは悲鳴を上げた。足には激痛が走り、煙が上がり、嫌なにおいがした。一瞬にして熔けた足先の感覚は消えたが、痛みはだんだん上へせり上がって来る。


 どうにもならない痛みと、恐怖と、悲しみが同時にライルを襲う。


 この世のものとは思えない絶叫が周囲に響き渡っていた。それはマトモに聞いていられないほど痛々しく、兵士は耳を塞いでいる。


 その中でシイナは耳も塞がず、目を逸らさず、炉の中に沈んでいく彼をいとおしく見つめていた。しかし、声が響くたびに胸の底がじんじんして、気が変になってしまいそうだった。しかし、シイナは見届けなければならないと、何とかこらえながらそれを見続ける。


 もう、永遠にさよならすることになるのだから。


 本当に彼は死んでしまう。それを思うと辛くて、切なくて、とてつもなく悲しい。しかし、シイナはライルの言葉を思い出す。


『いつまでもボクはここにいる』


 そう、ライルの想いはシイナの中で生きているのだ。小さくとも芽吹いた彼の想いは、もう立派に根を生やしている。絶対に枯らさない、途絶えさせない。シイナは固く決意し、炉の中へ消えていく彼へ言葉を手向ける。


「ライル……あなたはいつまでも私の心の中にいる……! 今日も、明日も、この先もっ……! あなたと共に生きていくからっ……!」


 私はシイナ。名前の通り、実の無い子。


 けれど、実際は十分に実っていないだけだった。


 まだ私は芽を出せる。


 いつ芽吹くか分からないけれども、遅咲きになっても、私はそれまで生きる。


 だって、それを望む人が、私の心の中にいてくれるから。


 もう、私は変わった。


 私の中に根付いた彼と、私はこれからも生きていく。生きていけるのだ。


 今日も、あなたと共に。


――完(シイナルート)――

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