第11話 原点にして頂点⑥

「なんで……?」


 それをアリスと認識してから、ライルが口にできた言葉はそれくらいだった。ライルは急に脱力感に襲われてしまう。


 純白のパイロットスーツを着たアリスを見ると、もう今までの関係ではいられなくなった事をハッキリ告げられたような気さえした。


 アリスはライルの方を向く。目と目が合ったその時、ライルは思わず息を呑んだ。アリスの瞳が真っ赤になっていたからだ。涙のせいだけではなく、瞳全体が染まってしまっている。


「魔法族は夜目になると瞳が赤くなる特徴があるの」


 メイスはそんな事を口にしたが、ライルはそんな事など、どうでも良かった。それ以前に、目の前にある事実が受け入れられずにいるのだから。


「……ライル、ごめんね」


 ポツリと、アリスは呟いた。それ以上は何も口にしなかった。その後、しばらくの間静寂があって、その間に耐えられずライルは感情を吐き出した。


「何だよ……何なんだよ……何の冗談だよこれはッ!」


「びっくりだよね……ショックだよね……私、魔法族なの……」


「そんな事を言われても……じゃあ今までの暮らしは何だったんだ……? 何のためにアリスは魔法族の身分を隠していたんだ……? アリスは今までボクがパイロットになることを承知の上で一緒に過ごしていたのか……?」


 しかし、アリスは黙ったばかりで答えない。その態度がライルの胸を締め上げる。ライルは限界を感じ、アリスに近づいて、両肩を掴む。


「なぁ、頼むよ。本当のことだけを教えてくれよ……! 隠し事ばっかりしないでくれよ……! アリスはボクと今まで…………え?」


 それは、近づかなければ気が付かない事だった。それに目が向いてから、それ以上の情報が入らなくなってしまった。


 アリスの纏う純白のパイロットスーツ。その端々に赤い斑点が見えたのだ。それはデザインではなくて、まばらで不規則に彩られたそれは、明らかに人のものだった。


「…………ハハハ、なんだよ、それ」


 目眩がした。ライルはアリスの顔を改めて見つめる。人のモノではなくなった紅い瞳の奥からは、深い悲しみが感じられた。あの温かい人の色は失せ、人工的なものになっている。


「アリスお前……」


 あの優しい色が好きだったのに。


 ライルはこの瞳を誰よりも見てきた。だからこそ変わってしまったこの瞳が、ひどく悲しかった。だから、アリスはあんなこともしてしまったのだろうか。


「下の職員……どうしたのか教えてくれよ……」


 ライルは最後になって恐ろしくなって、事実を確認できなくなった。まだ、今まで通りでいたいと思ってしまった。


「私が指示したの」


 メイスはライルの後ろからそう告げた。するとアリスはびくりとしてから、両手を顔に当て、小さく情けない声を漏らしながらうずくまってしまった。


 ライルはただ、見ている事しか出来なかった。目の前で泣きじゃくるアリスは、使命を果たしただけなのだと思うと、ひどく辛く感じた。


「ごめんなさい……人らしく振る舞って、でもそんなこと全て無駄だと分かっていても……止められなかった……ライルと一緒に居る時間が幸せ過ぎて……!」


「そんな言い方しないでくれよ!」


 反射的にライルは声を上げていた。今まで過ごしてきた日々を否定された気がして、急に物悲しくなったからだ。


 子供の頃からの記憶。楽しかった日々。


 それが、虚構だと、寸劇だと言われることは、ライルの中では断じてあってならない事だった。だから、


「……アリスは……人なんだッ! 」


 ライルはアリスをきつく抱きしめて、彼女の存在を証明するようにした。互いの温かさを確かめ合うようにした。


 けれどもアリスは、


「それでも、私は産まれてからずっとライルを騙してたんだっ……!」


 自身の罪の重さを拭えずにいた。自身の存在を嘘だったと言わしめる様に、消し去ってしまう様に、厳しい言葉を自身に浴びせ続けた。


「……だから、そんな事を言わないでくれって言っているじゃないか!」


 最早、騙されていたとしても良かった。アリスの存在だけは否定したくなかった。アリスの否定は、ライルの否定にもなる。それだけ、ライルはアリスと過ごした時間が長すぎ、共有した事が多すぎた。


 ライルは人とは異なるモノを抱きかかえながら胸を痛め、アリスは人の温もりを感じながら泣きじゃくった。


「本題に移っていいかしら」


 そして、改めて思い出す。人ならざる者の運命は、どうなるものなのかを。


「さっき話した通り、GENには動力源として生きた魔法族が要るの。勿論、動力源なのだから、言いたい事は分かるよね」


「GENを動かす為に、アリスの命を消費する……」


 ライルはそれを口にして、アリスをより強く抱きしめる。


「ダメだ……例えアリスが魔法族だとしても、GENの動力源だけにはできない!」


 一方でメイスはこんな事を口にする。


「……でもさ、ライル。私達、普段から魔法族を使い続けているよ? 仮にライルはGENの動力源が魔法石だとしたら普通に乗れたんじゃないかな?」


 メイスの言葉を聞いて息が詰まる思いがした。モノにしてしまえば、家畜として扱えば、気は楽になる。いままで人類はそうして、から目を背けてきた。


 しかし、いざ自分の大切な人がの対象になった時、ライルは割り切れなくなっていた。今までできていたことが、いともたやすく行えていたことが、いかに責任を負う事になる行為か認識して、圧が責任と言う重しとしてライルにぐっとのしかかってきた。


「それは……生きる上では仕方のないことで……」


 歯切れ悪くライルは答えた。


「仕方がない。思考を停止させる割り込み処理インターラプト。そうやって私達は目を閉じて、耳を塞いでいたから……来るべきところまで来てしまったんだよ」


 メイスは少し切なそうに答える。確かにその通りで、今まで何も考えていなかった自分をライルは恥じた。一方で、その認識が標準で共通化されている事にもライルは改めて知って、恐ろしくなった。


「どちらにせよ、このまま学校に帰ればアリスちゃんは魔法族として処分される。それについて、ライルはどう考える?」


「それは……」


 ライルは考えもしない事を突かれて、言葉を詰まらせた。確かにここから逃げ出しても、このまま今まで通りの生活に戻れるはずがなかった。そして、アリスをこのまま見捨てられるはずが無かった。


「ライル聞いて、GENの動力源にできる魔法族なんてほとんどいない。それに残念ながらアリスちゃんは適合者なの。厳密に言えば、適性者を選んで学校に送り込んだのだけれども」


 そう、全ては初めから仕組まれた事だったのだ。


 更にライルは今朝の出来事を思い出す。アリスが突然涙した、あの時の事を。


「そして、アリスが……メイス姉にボクをパイロットにするようにお願いしたんだったよな……」


 だから、あんなに悲しそうにしていたのか。今になってようやく、ライルはその出来事について理解に及んだ。


 ライルは全身から力が抜けていくのが分かった。こんな事、嘘だと思いたかった。


 また、目の前で胸が詰まるほど苦しそうにしているアリスは、震えた声で必死にライルに事情を離す。


「メイス姉が苦しんでいる姿を見て、耐えられなくて……! それで私、馬鹿だからっ……安易にも魔導兵器ワイズローダに乗りたがっていたライルにパイロットを譲るようにお願いしてしまったの……!」


 茫然としたままライルはアリスを抱きかかえる。視線は空を見つめたままだった。


 アリスはずっとライルの胸の中で泣きじゃくっていた。壊れたレコードの様に、ごめんなさい、ごめんなさいとしきりに呟いている。


「ライル……逃げるなら今のうちよ。ライルはどうするの?」


 今まで言わなかったことを、良くこのタイミングで言えたとライルは思った。奥歯をぎりりと噛みしめて、覚悟を、決めた。


「……そんな事、もう決まっている」


 これ以上、皆を失うのはもう嫌だった。ボクは大切な人のために、人類を裏切ることになる。


「ボクは……GENに乗るよ」


 悪意は孵卵ふらんした。またボクたちは、変わることを強いられて、今まで通りでは居られなくなったらしい。


 ほら、あのGENが人を落とせと告げている。人類を潰せとボクらにささやいている。


 ボク達はいつまでもこの鳥籠コロニーに閉じ込められたままで、いつまでも自由に羽ばたけないままだ。


 ――その後、ライルとアリスはGENのコックピットの中で一夜を過ごすことになった。


 魔法族でもないライルが、魔法族として人類へ反旗をひるがえす。余りにも滑稽で、ふざけた脚本に沿ってライルたちは反逆者を演じることになる。


「出撃は夜明けとともに。詳細はその時に話すわ」


 メイスから受けた指示は、おおざっぱなものだった。


 暗いGENの腹の中。アリスはライルに抱きかかえられるようにして、一枚の毛布を掛けて、眠りにつこうとしている。


「アリス……もう寝れたか?」


「……起きてるよ」


「そうか、ボクもだ。朝が怖くて、眠れないよ」


 二人は寝ようとしてからだいぶ時間が経ったのだが、結局二人は寝れずじまいでいた。


「アリスは、今までずっとこんな気持ちでいたのか?」


「少しだけ。でも、ライルと居る時は、忘れられたんだよ?」


 アリスはそうして少しはにかんで見せたが、いつもと違って少し声のトーンが落ちていた。


「……ライルは、パイロットになった事をどう思った?」


「ボクは……そうだな、今朝の答えとあまり変わらないのと、正直パイロットに選んでくれて嬉しくも誇らしくも思っている。アリスが選んでくれたんだ、間違いないよ」


「そっか……」


 そこで、会話は途切れてしまった。


 しかし、ライルは少し前まで気にもしなかったが、一緒にアリスと眠るのは久しぶりのことだ。こうして見るとやはりアリスは大きくなっている。小さかった頃が懐かしい。


 アリスの頭がライルの顔の正面にあり、何だか甘くて優しい香りがした。今まで意識はしていなかったが、それに気が付くと何だか今やっている事が恥ずかしくなってきた。


 もう、子供じゃないのだ。


「……ライル、何やってんの?」


 アリスはライルの方は振り返る。アリスはジト目になっていて、頰が少しだけ赤い。


「へ? 何のこと?」


「……心臓が早くなってるんだけど……何を考えてるの?」


「い、いや、朝の事を考えるとだなぁっ……」


「……下の方も朝が怖くて固くなってるのかなぁっ!」


 ライルはその言葉で気が付いて、慌てて腰だけ後ろへ無理矢理ずらした。今までこんな事は無かったはずなのにと、ライルは思う。


 一方で、アリスがこんな反応を示すとは思いもしなかった。アリスは頰を赤くしたままで、少しふてくされたような、照れた様な様子でいる。


 ただ、初めはぶつぶつと文句を垂れていたのだが、次第に声は震え、掠れていき、そして、


「ご……めん……やっぱ辛くて……ライル……助けてっ……」


 ぼろぼろと涙を流しながら、そんな事を口にした。その時にはもう、アリスの身体は冷え切っていて、ぶるぶると身を震わせていた。そのアリスの様子は、いつも明るい彼女から考え辛い、今までに見た事がないものだった。


 そうだ、恐ろしいに決まっている。これからアリスは命を削られる。そんな事が平気で受け入れられるはずがない。


 だから、ライルは一生懸命、アリスにこんな事を言い聞かせる。


「……大丈夫だ、ボクがいる。いつも通りでいるから。いつまでもどこにも行かないでいるから。だから、安心してくれ」


 すると、アリスはライルに聞こえない位の声で、こんな事を呟く。


「ライル、あのね……私がライルをパイロットに選んだ理由はね……」


「……? どうしたアリス? 良く聞こえ……」


 そして、その言葉は途中で遮られた。


『ライル、アリスちゃん。時間よ』


 もう、夜が明けてしまった。


 ライルはアリスの頭にポンと手をやる。


 それで、アリスはしばらく俯いたままでいた。少し寂しそうな表情をしていたが、またライルに向けた時には、健気な笑顔を見せていた。


「私も、頑張るから」


 ライルは「そうか」と告げ、笑顔を返してやった。そうしてからライルは操縦席へと向かう。


 アリスも自身に与えられた席へ腰を下ろす。アリスは座席の周りにあるプラグを自身のスーツにあるアダプターに接続していく。


「……ただ、ライルには最期まで、一緒に居て欲しかったんだ」


 アリスはそんな独り言を口にした。まるでそれは、別れの言葉にでもなるかの様な言い回しだった。そして小さく息を吸って、ポツリとこう呟く。


「好きだから」


 ただ、その言葉は届かなかった。その声は瞬時に大きな音でかき消されてしまったからだ。それはまるで獣の叫び。全身の駆動装置ドライブユニットが唸る音だ。


 ライルは魔導動力源メインエンジンを起動させ、GENが、ついに目を覚ます。

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