第9話 原点にして頂点④
ライルは家に一度戻ってから支度をして、それきり家には戻らなかった。
『今日は帰りません』
そんな書き置きを残しておいた。明日以降の事は書かなかった。
アリスが不安になって、ライルの携帯に連絡を入れるだろうからライルは電源は切っておくことにした。
カバンにはタブレットPCだけを入れた。重い割りにカバンの容量に余裕があるものだから、歩いていると鬱陶しい挙動をする。
「さて、この後の時間をどうするものか……」
まだ昼にもなっていないこの時から、約束の時まで待つには長過ぎる。しかし、不思議と苛立ちは無かった。この時を一人で過ごす事に充実を感じていた。
普段は滅多に買わないブラックの缶コーヒーを買って、普段は滅多に行くことの無い、丘にある公園に行く事にした。そしてライルはベンチに腰かけて、ちびちびとコーヒーを飲みながらぼうっとしていた。
この丘からは街が良く見える。ライルの家は街の郊外にポツンと建っていて、学校はそこから少し離れた場所にある。そして、これから向かうユニバーサルポートは街の中心に、大きく構えていた。白い、ドーム状の建物だ。
ユニバーサルポートはコロニー外壁側に設備を大きく構えているらしい。ライルは今まで興味が湧かなかった事と、行く機会も無かったのでそんな事は知った事ではなかった。
そんなものを眺めるのは直ぐに止めになった。興味のある建物もなく、更に言うならば見どころもない所だと思ったからだ。
本当に暇だった。しかし、その分心には余裕ができて、その間いろいろな事を考えるようになった。その時に特に感じたのは、自分が居なくても、世界は平然と廻ることだった。当たり前の事かもしれないけれども、少し寂しさがあった。
時が経ち、この世界の明かりが、赤く、淡くなっていき、次第に光は失われていった。一日が閉ざされていく。その様子がいつもと違って見えたのは、心に余裕ができていたからだろう。
脳の余ったワーキングメモリ分だけ、視界に映った光景に過剰な演出がかかったのだろう。ご苦労な事だった。
おかげさまで、まるで世界の終末を見届ける様な気さえした。そんな大それたことを考える様になっていた。
ライルは思わず、その過剰さに軽く笑ってしまった。しかし、そんな事で笑っている今が、幸せにも思えた。少し前なんて、今にも死にたいと思っていたほどだったのだから。
明日を迎えるのが嫌だ。
全てを忘れさせて欲しかった。
今のこの窮屈な世界から抜け出したかった。
そして、それを叶えてくれるのがGENだと思っていた。
だから、早くGENに乗せてくれ。ボクをあの空に連れて行ってくれ。
それしかライルの頭の中には無かった。
だから、ライルは今に至るまで、こんな事を考えていた。
「……この世界から逃げ出すために奪ってやる。この世界から宛てもなく逃げてやる」
GENを奪う。メイスの気持ちを踏みにじることになっても良いとさえ思っていた。何もかもがどうでも良かった。このまま自分がおかしくなって死んでしまうよりは、どうにかしてでも逃げた方がマシだと思っていた。
鳥籠に閉じ込められた鳥が何度も籠に当たって、羽を折って死ぬ。閉塞と停滞は命さえ奪うのだ。だから鳥籠の柵をこじ開ける。ライルはその気でいた。
「その為のGEN。メイス姉がくれた最後の希望……」
完全に辺りが暗くなって、街灯がつき始めた。それからだいぶ時間が経ってから。ライルは温めに温めたベンチから離れることにした。またこのベンチの温もりが大気にさらされて、冷たくなって自分の熱が死んでいくと思うと、少し寂しい気もした。どうしてモノからモノが離れると、そう簡単に冷たくなれるものか、よく分かった。
そして、定刻前にライルはユニバーサルポートに到着した。ここは他のコロニーへの宇宙船が出ていく場所で、人だけでなく物資の移動もある。ユニバーサルポートの中は非常に明るく、最終便が間もなく出ていく時間だと言うのに、まだちらほら人がいた。
「待っていたわ!」
その言葉でライルは振り返る。そこには元気に手を振るメイスの姿があった。魔導兵器に乗っていた時のラフな格好とは打って変わって、軍の規定に則ったスーツを着ていた。
「スーツはまじめに着るんだね」
「何よ! 普段からずぼらみたいな言い方止めてくれるかなぁ」
その言葉を受けて、ライルは軽く笑って見せた。ただ、腹の底ではこれから彼女を裏切るのだと思って、少し胸を痛めていた。
しばらくして、ライルはメイスの案内について行くことになった。ライルはメイスから受け取って来客用のカードを首から下げた。ユニバーサルポートの内部は思いの外広く、どんどん奥に進んでしまってからは、もう帰りの道のりなど覚えていられなかった。
逃げる際のことを考えて、ここから出る時どうしようかと困っている時に、メイスが急に話し掛けてきた。
「それよりどうだった? あのファイル」
「びっくりしたよ。よくあんなものを手に入れたな……って」
ライルは、自分でもそう口にしてからハッとした。改めて思い出す。どうやってこのファイルを手に入れたのか、どうして自分にこれを渡したのか、未だに疑問が残ったままでいるのだ。
「メイス姉……あのさ……」
ライルは思い切ってメイスに理由を聞こうとしたのだが、
「すごかったでしょ! あんなもの、めったに見れないわ!」
メイスの言葉によって遮られてしまった。
「だからと言って、あんなものを渡すのは危険だって……!」
「信用してたから、ね」
ライルはそれ以降、何も言えなかった。そう言われてしまえばそれまでだ。しかし信用しているからと言って、決して誰かに渡していいものではない。ただ、余り
するとメイスは急に歩を止める。ここはどうやら行き止まりの様で、目の前には小さな扉があった。メイスはライルの方を見ると、少し微笑んでこう告げた。
「ライル、この先を見たらもっと驚くと思うよ」
その言葉で、ライルの胸は高鳴った。そりゃそうだ。あの伝説の機体と対面できるのだから、驚かないはずが無い。シイナは自動扉をカードキーで開けると、その中に入っていった。ライルもそれに続いた。
中は真っ暗だった。周りは、全く良く見えない。
ライルは思わず息を呑んだ。目と鼻の先に、あの機体がいるのだから。
この時が、待ちに待った瞬間なのだから。
そして、手前から順に、カシャンカシャンと音を立てて照明が点いて―—
「…………は?」
目の前に広がっていた光景を見て、状況を認識して、ライルは愕然とした。
それを見て、目眩がした。胸がバクバクした。全身から汗が噴き出した。
何故なら目の前に、『血まみれの死体がそこら中に無数に転がっていた』のだから。
「え……え……?」
誰もかもが死んでいた。何十もの、整備服を着た人々がそこらじゅうに横たわっていた。息は無く、流れた血は固まってしまっていた。死んでしまってから時間が経っている事が分かった。口を開けたままの者、白目を向けている者、色々な人がいた。
そんなモノを目の当たりにして、ライルが思い描いていた構想など、とうに頭から吹き飛んでいた。
「あ……」
ライルは思い出したように前を向く。
ライルが向けた視線の先に、それはいた。純白のフレームを持つ二十メートルほどの身長がある巨兵がそびえ立っていた。
その名は『GEN』。人類を救った、神話上の機体。ライルはそれを目の当たりにして息をする事さえ忘れてしまった。
「本当に……本当に存在したのか……!」
全身は現代の
静寂と死体と巨兵と、余りにも衝撃的なその出会いは、ライルの思考を一瞬にして奪い去った。
「けどさ、メイス姉……一体何なんだよこれは……一体何があったって言うんだよ!」
「驚いた?」
その返事に、ライルは答えられなかった。そのメイスの無邪気な言葉を聞いて、ライルは急に、振り返らないままで目の前にいるメイスの事が、恐ろしくなってしまった。
頼むから顔をこっちに向けて欲しかった。今すぐ問題ないと、安心させて欲しかった。今までのメイスだよと、言って欲しかった。これをやった張本人が彼女だと思いたくもなかった。
「『魔法』とは何か? ライルなら答えられるよね」
急にメイスはそんな事を聞いてきた。優しくも、口調はどこか淡泊だった。何故そんな事を今聞いてくるのか解せなかったが、ライルは恐れを何とか呑み込んで少し震える声で答える。
「……世の中のあらゆるエネルギーを変換して別のものとして出力するものだ。補足するなら、魔法は全て式で定量的に表現できることが発表されてから、超理論的な現象ではなく、自然科学の
「その通り。ファンタジーの様な魔法を科学的にアプローチした結果、ライルが話した様な性質を持つ現象だと言う事が分かった。それを研究することで一般化された。まぁ、魔法と科学は似通った性質を持っていると分かったって事ね」
メイスの口調は変わらなかった。まるで機械の様な一貫性に、ライルは背筋を冷たくした。
「その上で、魔法族は錬金術師が生み出したホモンクルスの考え方に基づいて産み出されたのね。それに
これだけ聞いているとメイスは電波系の少女に見えてしまうが、これを科学者が大真面目に学会で発表したのだから驚きだ。
「そして『魔法石』。これの
だからこそ、魔法族と高エネルギー体を混ぜ合わせて生み出された魔法石は人類の生活を一変させた。ただ、そんな事は知っている。
「なお、魔法の行使は法律により、私達人類が使用できるものはパッケージ魔法の『ELEMENT』のみ。それ以上に術式が改変されたものは『禁術』とみなし、使用者は裁かれる。今となってはね」
そうだ、魔法は法律によって縛られている。しかし、それは今の話だ。何となくだが、ライルにもメイスの話の意図が分かるようになってきた。
「昔は適応外だったって訳か……?」
「違うわ。違ったのは昔の状況だけ。追い詰められた
ライルはまた言葉を失った。つまり、この機体は規則に抵触する、言わば存在してはならない機体だったのではないのだろうか。だが今は話を聞くしかなく、不明点が多すぎて、ライルは頭が追いつかないでいた。
「来て」
メイスは一言だけ告げてから、ライルの方を振り返る。メイスは張り付けた様な笑みを浮かべていて、それは何故か恐ろしかった。
ライルはその後ろを黙ってついて行く。メイスは脇にある死体には目もくれず、淡々とGENの方へ歩を進める。
しかし、ライルはそれが気になって仕方なくなり、ついにメイスに問いかける。
「メイス姉……この職員達はメイス姉がやったのか……」
「私じゃないわ。私より、もっと力のある人よ」
ライルはそれを聞いて安心する。『もっと力のある人』の意味が分からなかったが、ここまでのことをメイスがしていない事が分かれば、それだけで良かった。
ライルはそれが分かってからは呑気なもので、下から首が痛くなる程、ずっとGENを眺めていた。見れば見る程、40年も前に製造されたとは思えない姿だった。それだけ見た目にツヤがあり、フレームの隙間から見えるむき出しになった駆動部分や、バーニアなどを見ても、現代のものと恐らく仕様に大きな差は無いだろう。
そして、二人はGENの脇まで来ると、近くにある昇降機に入ることになった。これでGENのコックピットまで向かうらしい。しかし、この流れは本当に乗せてくれると言う意味だろうか。ライルは色々と考えていると、メイスが口を開いた。
「約一万人」
「……え?」
「GENは最古の機体にして、頂点の機体。その理由は使用しすぎた魔法石の数にある」
ライルはその言葉を聞いて、意味を瞬時に理解して、背筋が寒くなった。
「……つまりはこの機体には……一万人の命が詰め込まれているって言うのか……!」
ライルは横目でGENを見る。改めて見ると、ただならぬ雰囲気がある。どこか禍々しい、邪気の様なものを放っていて、少し気持ち悪く感じた。
「そうよ。普通の
ライルは言葉を失った。
この機体には一万人の命が犠牲になっている。余りに狂気じみていて、悪趣味な設計思想だった。かつて人類を救った英霊は、今となっては多くの犠牲の上に成り立った怪物にしか見えなくなってしまった。
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