第7話 原点にして頂点②

「ど、どうしたアリス! どどど、どうしてそんな急に泣く必要がある!?」


 アリスの様子を見てライルは取り乱してしまう。今までの一連の流れでアリスが涙を流す要素など一つもなかったはずだ。しかし、アリスは悲しそうな顔をしてライルを見つめる。


「ごめんなさい……」


 どうしてだろうか。何故、涙を流すのか、ライルには解せなかった。その意味を理解しかねた。


「何も謝る事なんてないだろうに」


「ううん、あるの」


 アリスはきっぱりと告げる。ここまでアリスが言い切ることは珍しい。アリスはその細い指で涙を拭うと、真剣な眼差しをしてライルの方を向けた。


「……ライルは小さいころ、私にずっと言っていたよね。魔導兵器ワイズローダに乗りたいって、あの空を飛びたいって」


 確かに、ライルは昔からことあるごとにその言葉を口にしていた。ライルが魔導兵器ワイズローダに興味を持ったのは学校も通っていない小さな頃からだ。その頃から、ライルは周囲の人間に自身の憧れを話していたのだ。勿論、アリスもその一人だ。特に彼女はライルと一緒に居る時が多かったので、誰よりもライルの想いを理解している。


 しかし、それが何だと言うのだろうか。セリアの態度を見て涙し、ライルの想いで心を傷める必要など無いはずだ。


 無いはずなのに、アリスは少しづつ言葉を吐き出していく。苦しそうに、胃の底に溜まった思いを吐き出そうとする。


「だから私はどうにかしたくて、まだ私達が十にも満たない小さいころ、メイスお姉ちゃんにお願いしたの。ライルをパイロットにして下さいって……!」


 だからメイスはボクに稽古をつけてくれたのか。


 ライルはこの時、初めてメイスが自分を気に掛けてくれた理由を知った。


 メイスは本当に特別な存在だった。とにかく運動神経がずば抜けて良く、頭も良かった。当時、十歳で魔導兵器ワイズローダの基礎をすべて理解し、擬似戦闘装置シミュレータで正規軍の若手パイロット達を総ナメにしたメイスは、その頃から才能を正規軍から買われていた。よって、ライルはメイスが魔導兵器ワイズローダについて稽古をつけてくれることになった時は喜んだものだった。


 ただ、その理由についてはライルは理解できていなかった。擬似戦闘装置シミュレータは簡単に触らさせて貰えるものではない。機材は高く、孤児であるライル達からすれば手の届かない存在だった。何人もの人間がそれを使用することに憧れている一方で、それを触ることを許されるのは選ばれた人間だけだ。


 自分が選ばれた理由について、ライルは何も疑問を抱かなかった。ただ、ライルは自分を特別にしてくれたメイスに感謝をするだけだった。その気持ちは今も変わらない。


「何だ、そんな事は気に留める事じゃない。そのおかげもあって今のボクがある。むしろボクが感謝することだ」


「でもさぁっ! ……それが今になって、こんなにライルを苦しめて……皆との関係もおかしくなって……私、いつか謝らなくちゃって思っていて……!」


 そうしてボクの目の前で彼女は嗚咽を漏らし始めるのだから、ボクはただ唖然としてしまった。ボクは夢だけを見て、周りにいる皆を見ず、気付かずにいたんだ。


 ボクをこうしてしまった事に、彼女は責任を感じていた。


 ボクの思いもしなかった事を、彼女は気にしていた。


 ボクは何をしているのだろう。何故、ボクは何もしていないのだろう。


 ボクを介して壊れてゆく世界を、どうしてボクは手を付けないまま、平然と眺めていられたのだろう。ただ、ボクはどうしてもアリスの気持ちが分からない。


 だから、ボクが今できる事は、これ位だった。


「大丈夫だ。ボクは苦しいなんて思った事すらない。むしろ何も無いボクにアリスは夢をくれたんだから、感謝するべきことだ」


 ライルは揺らぐ世界を繋ぎ止めるための、優しい言葉を掛ける事だけしか出来なかった。アリスの両肩に手を置いてやる事しか出来なかった。その場しのぎの、つまらない言葉を口にする。


「でも……」


「でもじゃないし、謝る事でもない! アリスらしくもないなぁ。気にすんなって!」


 つまらない笑顔だ。


「……そうだ。これ以上、弱気な事を言ったらそれこそ風呂場で洗いっこの刑だからな!」


 つまらない台詞だ。


「うひぃ! それはちょっと恥ずかしいかも……」


 アリスは少し笑って見せたけど、何でボクはこんな事しか出来ない。


 そんな言葉で良しと言えるはずがなかったが、ボクはこんな事しか出来ない。


 ボクはこんな事しかしてこなかった。だからこんな事になる。


 現にボクの世界は終わり始めている。なのにボクはぐちゃぐちゃになった夢をまだポケットの中に入れたままで居る。いつまでそれを持っているつもりなのだろう。


 今更、それを引っ張り出して相手に見せつければ、相手は目を輝かせて喜ぶのだろうか。


 そんなはずがないだろう。


 例え、それが立派なものだとしても、ボクの方を向いてくれたのだろうか。


 そんなはずがないだろう。


 ボクはボクの夢をどうしたいのだろう。ボクはボクの存在をどうしたかったのだろう。皆と居たいと思いながら、自身の世界を壊し続けるボクは何だったのだろう。


 訳が分からなくなっていく。ボクが壊れていく気がする。


「あれ……? シイナちゃん、どうしたんだろ?」


 ライルはアリスの言葉でハッとして、我に返る。ライルは既に教室の目の前に着いていたことに気が付いていなかった。


 ライルはアリスが見つめる先へ目を向けた。見れば、銀髪ショートの女子、シイナがその場で茫然と立ち尽くしている。そしてその足元には何かが無造作に置かれていた。


 それは倒れた机と、散らばった教科書だった。それはどう見ても、シイナ以外の誰かが行ったように見えた。


 ライルは、それを見て自分が受けた時よりもショックを受けていた。見ていて、酷く胸が痛むものだった。


 何があったんだ。どうしてこうなったんだ。


 そんな事を思っていると、シイナはライルに気が付いたようで、ライルの方を向く。目は赤く、腫れぼったくなっていた。頬には水の乾いた跡が見えた。するとシイナは余りにも儚い表情をしながら、彼女はライルに笑って見せた。


「……おはよう、ライル」


 その言葉を聞いて、ライルは胸が張り裂けそうになった。ライルは勢いよく教室に足を踏み入れると、他のことには目もくれずシイナの元へ駆けていった。


 ボクは何をやっているのだろう。シイナはフィリップと別れることになった後、何が起こるのか想像がついていたはずじゃないか。それに気が付いていたのにボクは真っ先に家に帰って好きな事をしていた。ボクは何を考えていたのだろう。


 今日になって、ボクが壊した世界がまた一つ、教室の隅で泣いていたのだ。そうするまでボクは何故、何もしなかったのだろう。


 ライルは直ぐに机を元の位置に戻す。こんな事をしても関係は何も戻らないとは分かっていても、何かせずにはいられない。しかし、気が付いたころには遅いのだ。


 そして、ライルが教科書を拾い上げようとしたとき、その手を踏みつけるものが居た。


「おっと、朝から掃除とは、随分と真面目になったじゃないか」


「……このクソ野郎」


 ライルは顔を上げる前に、声を聞く前にその人物が誰か瞬時に理解した。こんな事を平然としてできるのはフィリップ位だ。


 ライルは勢いよく、手の甲に乗ったフィリップの足を払いのける。フィリップはわざとらしく危なそうに振る舞うので余計に腹立たしい。


「……これもお前のせいか?」


「なんの事だ?」


 とぼけるフィリップの様子を見て、ライルは何だかむしゃくしゃしてきた。ライルはフィリップを睨め付ける。一方でフィリップは冗談交じりの態度で対応するのであった。


「まぁ落ち付けよ。別に俺は昨日言った事以外に何かしようとは思わない。ただ、こうなったのは自分のせいだって事は理解したほうが良いと思うけど」


 そんな事は理解している。ただ理解したのは今さっきで、遅すぎた。


 シイナは立場を失って、ひとりぼっちになったのだ。


 ただ、ライルはシイナに優しい言葉を掛ける資格や、シイナを受け入れる資格など無いと思っていた。自分のせいでこんな事になったのだから当然だと思っていた。だから、ライルは何をしたら良いのか分からなかった。


 自分に求められていること。自分がするべきこと。それが分からない。全く以って分からなくって、ライルは突拍子もない行動に出た。


 ライルは急にシイナの腕を掴み、強引に引っ張って、ライルとシイナは立ち上がる。


「……シイナ、こんな所から出よう」


 そしてライルはその手を引く。シイナは混乱した様子だったが、そのままライルの引く方へついて行った。


「ちょ、ちょっとライル! 授業はどうするのーっ?」


 アリスはライルに言葉を掛けるが、ライルは見向きもせず、無視を決め込んでシイナと教室を出て行ってしまった。ただ、ライルは余りに思い付きで教室から飛び出して、行く場所も考えていなかった。二人は闇雲に廊下を早足で歩く。ライルはその間、シイナの手を握って強引にリードしていた。


 あぁ、またやってしまった。


 ライルは自分の感情的な性格を呪う。どうしてこうも、思いつきで行動してしまうのだろうかと。


 しかし、どうしてもあの場所にシイナを置いておきたくは無かった。シイナがあの場所から逃げ出せないのなら、それを強引にでもできるようにしてあげたかった。


 ボクと同じ様なままでいて欲しく無かった。ただ、それだけだった。


「ライルはさ、昔から変わらないね……」


 ライルはハッとして振り返ると、シイナは頬を赤く染めて、純粋な眼差しを向けていた。ライルはそれに気が付いて、つい胸の奥が高鳴るのを感じた。ずっと強く握っていた手も、急に恥ずかしくなって手を離す。


 離してなお、汗ばんでいた手の感覚はまだ少し残っていた。


「ライルは優しいよ」


「そ、そんな事ないさ。ボクも同じことをされていたから、シイナも嫌だと思っただけだ」


 ライルは都合のいい事を口にした。


「そこが、優しいんだよ」


 シイナは都合の良い解釈をしてくれた。ただそれも、本心のようだった。


 しかし、このままで良いのだろうか。聞きたいことが一杯あるのに、話したい事が一杯あるのに、何もできないままでいる。何もかもを曖昧にして、うやむやにして、優しさに溺れて、忘却によがって、本当に良いのだろうか。けれど……


「……シイナの為になら何だってするからさ、頑張るからさ、だからまた、一緒にみんなで仲良くやっていかないか?」


 今はこのままでいたかった。どうしても強い自分でいられなかった。また、都合のいい事を口にする。それでもライルは守りたい世界があった。


 すると、シイナはライルへ目を向けてから、ぎゅっと自身の胸を押さえた。その純真に輝く、期待に満ちた瞳はライルの胸を打つものがあった。そしてシイナは恥ずかしそうにライルに近寄ると、顔をぐいと近づけて、か細い声でこう告げた。


「……きて」


 するとシイナはライルの手を握って、そのまま引いていく。その細い腕に少し強く引かれるのが、何だか嬉しくも感じた。ライルはなすがまま、シイナについて行こうとして……その行先に気が付いて急ブレーキをかける。


「……待て、待て、待て。待てってば! そこってお前!」


 そう、それは男子なら誰もが入るのを躊躇う場所。女子トイレだった。


「いいからっ……!」


 何もかも良い筈がない。この展開でどうして女子トイレに連行されるのかライルには全く理解できなかった。こんな姿を誰かに見られては今以上に立場が悪くなる。


 しかし、思ったよりシイナの引く力は強く、ライルは抵抗できず女子トイレに連れ込まれてしまう。そして個室に入り、そのままカギを掛けられた。


「おいおいおい! いくら何でもこれはマズイって!」


 すると、シイナはライルの耳に口元を寄せて、小声でこんな事を言う。


「あんまり声を出すとバレちゃうよ……」


 ライルはその声で思わず変な声が漏れそうになった。くすぐったい感覚に襲われ、全身がぞわぞわする。加えてそれをわざとではなく、知らず知らずのうちにやっている様だから恐ろしい。


 シイナは昔からこうだ。少し抜けている所があって、無意識のうちに男子を意識させる行動を取る。よって学校中の男子生徒がシイナを意識しない訳が無く、同時に一緒に居るライルは、不幸にも常に怒りの矛先を向けられていたものだ。


 とにかく気を取り直して、ライルはシイナの言葉に突っ込みを入れる。


「こんな所で話そうとするからだろうが……!」


「こんな所でしかできない事もあるから」


 その言葉でライルは黙ってしまった。


 こんな所でしかできない事。それを聞いて、意味を考えて、ライルの胸の鼓動は急加速する。沈黙の中、二人の心音だけがその場にこだまする。


 そして始業の鐘が鳴った。二人は日常をて、この閉塞的な空間に逃げ込んだ。


 二人だけで完結する理想の世界。この場所を飛び出せば、二人はきっと世界の毒にてられて死んでしまうだろう。


 だからライルは、この世界に居る時くらいは幸せでいたくなってしまったのだ。

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