第5話 半分終わった世界から④
――それは、日が落ちた頃のことだった。
「あ、おかえりなさー……ってええええええ!」
アリスは帰宅したライルの姿を見て素っとん狂な声を出す。余りに驚いたのか、アリスは水色のエプロンを付けたままでライルのもとに駆け寄ってきた。
ライルが通う学校の生徒は皆、戦争孤児だ。つまり両親がいないので、各生徒は学校が支給したコテージに暮らすことになっている。申請すれば共同生活を営むことも可能だ。よってライルはアリスと一緒に暮らしている。
「どうしたのどうしたの! 傷だらけじゃん! 喧嘩か! 抗争か! はたまた戦争があったのか!?」
アリスはライルの全身を上から下まで見渡すと、焦った様子でライルの肩を掴んで揺らす。ライルからすれば余計に痛かったのだが、そんな事を言う前にそのまま白目を剥いてアリスの方へ倒れこんでしまった。
「ライルが死んだ!」
「……まだ死んでない」
ライルは絞り出すような声を出す。
「それより何かに巻き込まれたんでしょ! そんなになるまで、どうしたの!」
「……お前のことは守ったからな」
余りに突拍子もない事だったのでアリスはポカンとしてしまった。しかし、余りにライルが真面目な表情をしている事に気が付いて、アリスはハッとする。恐らく、ただならぬことがあったのだろうとアリスは察した。
「よく分かんないけど……」
アリスはため息を吐いてから、「ありがと」と優しい顔をして告げた。
結局、ライルはフィリップからアリスを守ることができた。
しかし、それはライルがフィリップとの対決を拒否する事によるものだった。
つまりライルは
――時は少し前に遡る。
「……本当にいいのか?」
ライルがそれを決断した時、フィリップは不愉快そうな顔した。一方でライルは少し芝居がかった様子で答えた。
「お前をボコボコにできたかもしれないが、こんなボロボロじゃしょうがない。今となっては、もう
言い切ってしまえば、せいせいした。
一方で、大事なものを守れた誇らしさがあった。そしてフィリップの顔を見ると面白くなさそうにしているので一層愉快だった。
その後、フィリップはライルを睨め付けてから蹴飛ばした。ライルは階段を転がり落ちて、踊り場で無残に倒れ込んだままで居た。ライルの瞳は力強さがあって、フィリップはそれを見てまた面白くなさそうな顔をした。
「バカは損得も勘定できないからな。お前はもう二度とあの空へ飛べない様に根回ししておくよ」
そう言ってフィリップは仲間を連れて去ってしまった。
そしてライルはボロボロになった姿で帰宅し、今に至る。ライルはしばらくの間ぐったりとしていたので、アリスは不安そうにしていた。するとライルは微かに唇を動かす。
「愉快だったなぁ……あんな悔しそうにするフィリップは初めてだった。アリスにも見せてやりたかった」
ライルは掠れる声でうわごとのように呟いた。それは今にも泣き出しそうなものだった。
こんなにも充実感があるのに、こんなにも頑張ったのに、
『お前はもう二度とあの空へ飛べない様に根回ししておくよ』
フィリップの言葉を思い出すと、これからの事を考えると、どうしても辛い気持ちが勝ってしまう。
この学校の誰よりも
また一つ、自分の大切なものが遠ざかっていく。
悔しくて、悔しくて、悔しくて、
「悪い……他所を向いててくれ」
涙が、こぼれてしまう。
ライルはそれを隠す気でいたが、それよりも感情があふれ出す方が先だった。情けない姿を晒してしまったと思った。しかしアリスは気にも留めない様子で、むしろそれを受け入れるように、
「わかったよー……っと!」
アリスはぎゅっとライルを抱きしめた。ライルはアリスに覆い被さるようになって、お互いに頭を肩に乗せる体勢になる。
「これで他所、向いたよね?」
その居心地の良さと言ったら無かった。アリスは出来事を理解できないはずなのに、それ以上の事を察してくれようとしている気がした。互いの顔を見なくても何があったか位は分かってしまう。二人はそんな仲なのだ。
そのライルの言葉で沈黙が生まれた。聞こえるのは身体を伝う互いの鼓動だけ。不思議と恥ずかしさは無かった。アリスから分けられた優しさが、ライルの冷えた心を温めていく。
「ライルは居なくならないでね」
急にアリスがそんな事を言うので、ライルは我に返る。気が付けばアリスの身体は僅かに震えていた。
互いに抱える不安は同じものだった。その想いを受け取ると、ライルはより強くアリスを抱きしめる。
「大丈夫だって、安心しろよ」
ライルは強く言葉を掛けた。
皆が散り散りになって、関係が希薄になって、記憶が彼方へ逃げてしまう事はライルにとって恐ろしいことだった。自分が大切にする記憶が、他からすれば取るに足らないものに扱われる事は余りに切ないものだ。まるでそれは自身を形容する根本を否定されるようで、悲しくなる。
はたまた、その脱却が大人になると言うことだろうか。そう思うと大人になる事がやけに恐ろしく感じてしまう。
一方で、皆と一緒に居られるにはどうしたら良いのだろうか。いくらライルが考えても、その考えの行き着く先はいつも
「こんなボクでゴメンな。ボクはアリスがいなかったらきっと、ロクな人生を送っていなかったよ」
ライルはアリスから身体をゆっくり離して、顔と顔を合わせる。不思議な事に少し身体を離しても、二人の間を埋める様に温もりがそこにある。改めてアリスの顔を見つめると、彼女は白地の頬をほんのり顔を赤くさせていた。
「ううん。私はライルが居なかったらどうしようもない人だから……だから……」
「アリス……」
アリスはいつもになく真面目な表情をしていた。普段見る事の無いアリスの表情にライルは少しドキリとしてしまう。その瞬間、ライルはアリスを意識してしまった。その僅かに見せたライルの意識にアリスは気が付いてハッとする。アリスは顔を一層赤くさせ、声の調子を変えて言葉を繋げた。
「だ……だから、大丈夫だよ! ごめんごめん! 柄にもなく弱気になっちゃった!」
そう告げてからアリスはいそいそと立ち上がると、手を取ってライルを立ち上げさせる。
「ホラ、ご飯食べよ! 冷めちゃうよ!」
「あ、あぁ……そうだな! 今は飯だ、それに限る」
ライルは口ではそう言ったものの、その続きが気になった。アリスは自分の事をどう思っているのだろう。一緒に居たいと願う二人にとって、互いはこのままの関係のままで居るべきなのであろうか、それとも……
「今日はライルの好きなウシガエルの唐揚げだよ」
ライルの思考は一瞬にして吹き飛んだ。自然な流れでアリスがとんでもない事を口にするので、ライルは慌てて突っ込みを入れる。
「嘘つけ、勝手に人の趣味趣向を変えるんじゃない! 急にぶっこんでくるのやめろ!」
「ごめんごめん、じょーだんだよ!」
全くコイツは何を言い出すのだろうか。まじめな事を考えていたと言うのに、一気に考える気が失せてしまった。ライルは呆れ顔で食卓へ向かうと、テーブルに並べられた光景を見て固まってしまった。
「ボクの好物の方が冗談かよ……カエルは真実なのかよ!」
見てくれは綺麗に盛り付けられているが、メインディッシュのインパクトが強すぎる。『カエルだけど何か文句あるか』と言わんばかりに、足を伸ばして主張している。
ライルがそれを眺めながら悲しみに暮れていると、アリスは残念そうにしていた。残念なのはこっちの気持ちとアリスの思考だと、強く言いたい。
「えー……だって、がんばって捕まえてきたんだよ?」
「えー、じゃない! そう言う問題じゃない! 唐揚げになった状態でもいいから自然に返してやりなさい! ウチでは面倒見切れません!」
そう告げると、アリスはしょぼんとしてしまう。さすがにかわいそうなので、ライルは咳ばらいをしてからフォローの言葉を入れる。
「……確かにアリスの飯はうまい。しかし冒険心が料理に滲み出てしまうのが問題だ」
そうだ。つまり普通の食材を選んでくれれば全く以って問題ないのに、どうしてこうなってしまうのか
そして、今までこの様な実験料理が定期的に出てはいたが、食材からアプローチを掛けられることは無かった。日々変化していく日常が恐ろしい。
一方、アリスは単純で、表情をぱぁと輝かせ、ライルに食い入るように主張する。
「だよね! ライルの大好物は私の手料理だもんね!」
「待て待て待て、超理論を展開するな! 確かに好物だが全部とは言ってない!」
そう言うと今度はアリスはしゅんとした。
「……じゃあ、ごはん食べてくれないの?」
そんな顔でそんな事いわれてもさぁっ!
ライルは心の中で嘆く。アリスの言葉を承諾してしまうと今後が辛い。恐らくカエルならまだ何とか善戦できるが、そこらへんにいる昆虫とかが今後食卓に並んでしまえばどうだろう。想像するだけで気が重い。
かと言ってこの
おぉ神よ、お慈悲を下さい。
ライルは意を決して食卓に着くと、「いただきます」と告げてからカエルの唐揚げに手を付けた。もうこうなれば無理矢理でも箸を進めるしかない。ライルは口に一つカエルの唐揚げを放り込んでから、連続して二、三個口の中に詰め込んでいく。そうして
「……おいしいよ」
ライルは微妙な笑顔をアリスに向ける。
「本当! よかったぁ、やっぱり気にすることなかれ、だね!」
お前は気にしろよと思ったが、普通に食べれるように作っているから困る。あぁ、今後の食卓が怖い。そして自分がそれを受け入れられる身体になっていきそうで怖い。
でも。
ライルはふと思う。こんな日常も悪くないのかもしれない。
誰かが居て、一緒に泣いて怒って笑って、そんな当たり前のことを当たり前に過ごせることが案外幸せなのかもしれないとも思ってしまう。
それ以上の事を望むのは贅沢なのだろうか。大切にするべきなのは今で、将来に希望を持ち過ぎるのは愚かなのだろうか。ライルの心の中では想いが燻ぶるばかりで、未だに踏ん切りがつかずにいる。
『
ふと、メイスの言葉を思い出す。それはライルの気持ちを強く揺さぶった。ポケットの中に潜り込んだそれはまるで宝物のように思えて、ライルの胸を高鳴らせる。
ずるいよ。夢の端を握らせられたなら、その先について行くしかないじゃないか。
これが最後だ。これを見て最後にしよう。
ライルはそう心に決める。そしてその中身を早く知りたくて、時が経つことをこの時ばかりは強く願っていた。時間は
――夜になって。
アリスはベッドで幸せそうな寝顔をして、すうすうと寝息を立てて眠っている。ライルはそれを確認すると自身のタブレットを脇に抱えて部屋を移動する。
「……今日は大丈夫そうだな。アリスのヤツ、寝れないとボクを起こして文句を言うからな。全く子供じゃないんだから」
ライルとアリスは同じ寝室にいるが、もちろん寝床は別々だ。しかし、アリスは寝ぼけると一緒に寝ろだ何だと言い出すからタチが悪い。そして、一緒に寝たら寝たで、ライルは寝苦しさのあまり寝れなくなる。つまりはろくなことがない。
そして、ライルはトイレに入ってカギを掛けると、タブレットPCを起動させる。寝室やリビングで閲覧すれば起きたアリスに確認を受けるリスクがあるからだ。
今更、それを見たって仕方がない気はした。見たとしても虚しいだけだと思っていた。しかし、それが持つ引力は強力で、簡単には逃れられない。
ライルはその記憶媒体を自身のタブレットに接続する。タブレットがドライバを自動認識すると、記憶媒体の中身が画面に映し出される。
それはライルの胸を、強く打った。
ルートディレクトリ(ファイル階層で、最も始めの場所)にはテキストと、あるフォルダが保存されていて、ファイル名にはこう記載されていたのだ。
『GEN』
シンプルで物々しい単語。
ライルはそれを見て、一瞬でそれが何かを理解して、身体の芯が凍り付いた。
「……GENってまさか……あの
ライルは息を呑んだ。その名称は一度は誰しも耳にしたことがあるものだった。
まさかな、とライルは思いつつファイルを開くと、そこにはとんでもないものが保存されていた。
いくつもの図面が階層ごとに保存されている。基本仕様書、操作説明書、システム構成図、外形図、他。つまり、これらが示しているものは、ある一体の
ライルは試しにその中の一部を閲覧して、息を呑む。
「……ヤバいだろ……このデータ」
この情報を閲覧している事がバレてしまえば大変な事になる。ライルはトイレのカギを一度開けてから辺りの様子を見回す。誰も居ない事を確認するとライルは一息ついて、再び画面と向き合った。
動悸が早くなっていく。末梢の部分から身体の感覚が冷えて鈍くなっていく。
何故、ライルがこんなにも焦っているのか。その理由はその図面に記載されている製作年月にあった。何の変哲もない情報かもしれないが、それは深い意味を持つ。何故ならその時はライルが生まれもしていない……およそ40年前のものだったからだ。
そして、その年代に製作された
「……図面の初版が2038年。……コイツ、魔法族を滅ぼした最終兵器だ。間違いない」
大戦時の遺物であり救世主。人類及び全宇宙の宝。その機密情報がこの手元にある。
「メイス姉は何を考えてるんだ……こんなものが一般人に渡ったら大変な事になるぞ……!」
モヤモヤした気持ちはあるものの、一方でライルはこの図面の中身を早く閲覧したくて仕方がなかった。これ以上確認してはいけないはずなのに、手が伸びてしまう。
とんでもない量のデータがあるものの、見たところ、このファイルにある全てがGENの全仕様を網羅している様ではなかった。しかし、これだけの情報があれば、操縦ぐらいならば、やろうと思えばできるだろう。
勿論、知識があればのことだが、
「ボクからすればこんなもの屁でもない。基本的な構成は理解できる」
「……けれど」
ライルは解せなかった。なぜこれをライルに渡したのか、そもそもどうやって入手できたのか、謎は深まっていく。
「こんなデータをわざわざ持ち出して、ボクに操縦でもさせたいのか? ……っても機体自体がこの宇宙のどこかにあるかもわからないし、誰が管理しているかも分からない」
ライルはため息を吐く。これではゲームの説明書を渡されて、肝心のソフトが無い様なものだ。お預けを喰らった様で、非常にモヤモヤしてしまう。
「どちらにせよ、GENを操縦できるなど、そんな夢の様な話は無いだろう。量産機でさえ乗ることができないボクからすれば、GENの存在など雲どころか成層圏より上の存在だ」
資料自体は面白いが、こんなものライルからすれば宝の持ち腐れだ。そもそも自分が持っていて良いものじゃないともライルは考えていた。
一通りフォルダを眺めたライルは、このフォルダを削除しようと考える。ライルはその為にルートディレクトリまでフォルダの階層を戻したが、『GEN』のフォルダと一緒に『README』と記載されたテキストファイルがある事に気が付いて手を止めた。
「そう言えば気が付かなかったな……」
ライルは試しにファイルを開くことにした。深い意味は無く、軽い気持ちで行ったことだった。
そんな事をせず、知らないままで居れば良かったのにと、後悔することも知らず、ライルはファイルを開いたのであった。
そこには、こう記載されていた。
『8月28日21時にユニバーサルポートに来たれり。さすれば――』
その一文の一行下、その言葉はライルの胸を強く打つのであった。
『GENに乗せてやる。』
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