第4話 半分終わった世界から③

 一体、何だったのだろうか。そして、一体何が始まろうとしているのだろうか。メイスが残した嫌な感覚は未だにライルの思考の大半を占有し続けている。


「なんだ、俺の約束を無視したからよっぽど大事な用かと思えば、こんなところで逢い引きしていたのか」


 ふと、ライルの背後から声を掛ける人物がいた。これだけ爽やかな声で人を不愉快にできる人物など決まっている。フィリップしかいない。


 振り向けば想像通りそこにフィリップがいて、笑みを浮かべながらライルに手を振っていた。それを見ると、急に現実に戻ってきてしまった様で実にふゆかいだった。


 どうしてまた、よくもまぁそんなつまらない言い方をできるのか。ライルにはよく分からなかった。息をする様に皮肉を言えるようになるには、余程自分の都合通りにいかない生活を送らなければ、到底いたれないだろう。


「……で、何の用だよ」


 ライルはぶっきらぼうに答えた。


「キミと仲直りさせたい人がいるのさ」


 フィリップは藪から棒に意味の分からない事を言う。ライルはまた素っ気なく言葉を返す。


「仲直りって、誰と?」


「シイナだよ。教室で俺が言ったじゃないか、シイナがキミに話したいことがあるって」


 そんな話、マトモに聞いていなかったのでライルは覚えていなかった。それに、よそよそしく仲直りだと形式ばって行うのは、いかがなものかとライルは思った。そんなもの、仲直りでもなんでもない。どの道、仲直りの儀式などフィリップの見せ物になるだけだろう。


 ライルは真面目に取り合わない事を決めて、校舎の階段を降りる為にフィリップの真横を無言で通り過ぎた後の事だった。


 ドアをくぐったその先で、数人の男子生徒とシイナがライルを待ち構えていた。そしてシイナは怯える様に言葉を口にする。


「ライル……」


 ライルはそれを見て、不快そうな顔をする。


「……何がしたいんだ、一体」


「言ったじゃないか、仲直りだよ」


 背後からフィリップがそう答えて、ライルはぎりりと歯を食いしばる。よくもそんな事を平気で口にできるものだ。何故ならば、フィリップが告げた言葉はライルへ過去に行った事を蒸し返し、その内容を覆すものだったからだ。


「仲直りもクソも、お前がボクたちの仲を引き裂いたんだろうに……!」


「はて、そうだったか?」


 ライルからすれば、そのとぼけた態度は本当に腹が立った。


 そうだ、ライルとシイナとの今の関係を作り上げたのはフィリップだ。フィリップがシイナを彼女として迎い入れるだけならばまだ良かった。フィリップはそれだけでなく、シイナにこんな事を言わせたのだ。


『ライル……もう、私に関わらないで……』


 当時、その言葉を聞いたライルは唖然としたものだった。


 そして、その後ろでフィリップが笑っていて、シイナは泣きそうになっていた。ライルにはこの状況が全く理解できなかった。同時に、シイナにフィリップがこの事を言わせたことを知って余計に理解に苦しんだ。


 どうしてそんな事を言う。どうしてそんな事を言わせられる。


 その時、ライルはひどく傷ついた。そして付け加えるように、シイナとフィリップが付き合ったことを知って更に傷ついた。そして、こんな男と付き合える神経が理解できなかった。


 ただ、フィリップがシイナと付き合う理由は嫌と言うほどよく分かる。何せシイナの容姿はクラスの中でも上位に位置するからだ。それ以上もそれ以下もない。ただ、それだけだ。


 ただ、シイナはそれだけを理由に良い寄るフィリップと一緒に居ようと言うのだから、ライルはシイナをますます理解できなくなってしまった。だが事実としてはシイナはフィリップを選んで、ライルと距離を置くことを決めたのだから、辛かった。


 思い出したくない事を思い出して、ライルに棲みつく腹の虫の居所が悪くなった。


「……ここまでしてボクを引き留める理由は何だ」


 下らない理由だったら、手も足も出そうかと考えた。


 そうしたら、フィリップを殴るに足りる、想像を超えた下らない回答が飛んできた。


「そろそろさ、アリスちゃんとも仲良くしたいんだよね。紹介して欲しくてさ」


 それを聞いて、ライルの中で何かが弾けた気がした。まだ飽き足らないのだろうか。ボクとその周囲環境を崩すことがそんなにも愉快なのだろうか。


「…………そんなの、ボクに言わなくてもアリスに直接話しかければいいじゃないか」


 ライルは手が出るギリギリの状況で、何とか心と身体を制止する。するとフィリップはライルを煽るかのように、自分勝手な話を進めるのであった。


「そんな話じゃない。深くお付き合いしたいって意味さ。その為に、キミの協力が欲しい」


「ふざけんな! お前の自分勝手な都合で滅茶苦茶言って!」


「ごめんごめん。確かに俺の話は一方的過ぎる。だからその為にシイナを連れてきたんだ」


「……悪いけど、話が見えないな。何のために連れてきたんだ?」


「シイナをやるからそれで、どうだろう?」


「は?」


 ライルはその言葉を聞いて呆気に取られてしまった。この男は平然と何を言っているのだろう。その発言は余りに人間性が欠落していて、フィリップが得体のしれない何かにしか見えなかった。


「やる……ってお前、そもそもシイナは……」


 シイナの方を見れば、彼女は言い返す事も無く、黙ってうつむいたままで居た。その態度はつまり、その話は済んだと言う意味だろうか。


 コイツを殴れればどれだけ気分が晴れることか。


 考えれば考える程に腹が立って仕方がない。ただ、ライルはシイナを追い詰めることは正しいと思えなかった。元凶のフィリップを咎める事にする。


「そもそも、言い方が気に入らない……やるってどういう意味だ!」


「やるってのはそのままの意味だ。そいつとはもう別れたんだ」


「お前、おかしいんじゃないか? やるとか人をモノみたいに扱いやがって、お前はマトモな奴とは思えない……!」


「魔法族をモノとして扱っている俺らが言える立場なのか?」


「…………ッ!」


 ライルが言葉に詰まった様子を見て、フィリップは一度笑みを浮かべた。悔しくて堪らなかったが、魔法族を利用し、それに甘んじている事は事実だ。


「もういいのさ。きっと人が魔法族をそんな風に扱い始めた時点で、道徳とか情とか、そう言った概念はとうに吹き飛んでいたのさ。時代は変わるように、人も進化を求められている。強いやつが弱いモノをエサに効率よく生きればいい」


 そんな事は極論だ。フィリップが述べたことは生き物が持つ基本的な行動原理で、人としての基本設計とは異なっている。だから、人とただの生き物との差異を単純比較して、あれが良いこれが良いと言うのはライルはあほらしいとさえ思った。


「……違う。それは時代に沿って進化している訳じゃない。思考や感情を放棄するのは、獣に成り下がろうとする行為で、退化だ」


「キミがどう考えようとも、どうでもいいことさ。実際に世界はそうやって動いている。好き勝手やればいいのさ」


 ライルは心の底から震えあがった。そんな事を考える人が平気で存在する。そして、その意見を持つ人間に人が集まっている実態を目の当たりにすると、この意見が少数ではないのだろう。フィリップを有難そうに囲っている時点で察しが付く。


 人としての会話が通じない。人らしい事を話しても理解してくれない。人の皮を被った獣がこの世の中を占めていく。その恐ろしさと言ったらなかった。


 ただ、どうしてそんな事を考えようと思うのか、ライルには到底思いつかなかった。それこそ人種が違うのかもしれない。そして、そこにいるシイナも、もしかしたらそうなのかもしれない。


「ただ……そうだよな。一方的に物事を押し付けたのは済まなかった。オイ、シイナ」


 するとシイナはびくりとしてから、フィリップに恐る恐る顔を向ける。その顔は真っ青になっていた。今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 しかしフィリップはそんな事、一切気に留めない様子で、淡々とこんな事を口にした。


「ライルに誓いのキスでもしてやってくれよ」


 その言葉をフィリップが言い終えて直ぐの事だった。フィリップの顔面に何かがめり込んで、フィリップはそのまま倒れ込んだのだ。


 突然の出来事で、皆黙ってしまった。


 普段は大人しくしているライルが人を殴ったのだから、驚かないはずがなかった。そんな事をするなど、周りにいる皆は思いもしなかった。そうでもしなければならないほど、ライルの怒りは頂点に達していた。


「いい加減にしろよ……やっぱりお前は終わってる! いくらなんでも、人をコケに……っ!!」


 ライルの言葉は遮られた。それはフィリップの拳によるものだった。ライルは勢いよく倒れ、無惨に人垣の中に倒れ込んだ。


「殴り合いで俺に勝てる訳がないだろう」


 そうだ、フィリップの言うように元々敵うはずがなかった。ただ、敵うようになるにしても、もっとやりようがあったのではないだろうか。


 こんな事をぐちゃぐちゃと考えたものの、とどのつまり、悔しかった。


 どんなに自分が自由に生きたくても、生きることができない。


 好きな事をして生きる事ができない。


 一方で好きな事をして生きる事ができる人もいる。


 その差は何か。


 恐らくは逃げる自分のせいだ。恐らくは考えの浅い自分のせいだ。


 ただ、分かってはいてもどうしようもない自分が、情けなくて悔しかった。そして、器用に立ち回ればあてもなく生きられるフィリップが許せなくて仕方がなかった。


 あぁ、自由が欲しい。力が欲しい。生きる為に。皆と居る為に。好きな人々が離れ離れにならないように。だから、だから、だから……


 ボクはあの空を飛ぶ権利が欲しいのだ。


 ボクの生きる場所が欲しいから。ボクと繋がる人々を失いたくないから。生きる事を認められる世界が羨ましくて仕方がないから。


 今の世界は息をする事さえ苦しい。


 そんな儚いことを思い浮かべながら、この閉塞的な世界でライルはもがき続ける。


 その後、ライルはフィリップの取り巻きに囲まれたまま、足蹴あしげにされた。ボコボコにされて、ライルはうなだれたまま担がれて起こされて、フィリップの目の前に寄越された。


 フィリップはライルが付けた傷を絶えず撫でていた。フィリップの頰は僅かに赤く腫れていた。一方でライルはそれ以上の姿になっていた。顔は傷だらけで、身体中もじんじん痛んでいる。


「アリスさんを紹介するだけの事がどうしてできない? 簡単なことじゃないか」


「……確かに簡単さ。ただ、逆にお前がアリスと喋るのにボクを介さないと顔も合わせられないほど奥手だったなんて知らなかったよ」


 その言葉を聞いて、フィリップはライルの腹を蹴り上げた。


「全く、ガキの使いもできないのか。使えない」


 フィリップは露骨に不愉快そうな態度を取った。ライルは痛みより、苛立ちを見せたフィリップの姿を見れたことが何より痛快だった。


 ライルはアリスが簡単にフィリップになびかないと知っている。だからこそフィリップがライルをどうにかできなければアリスに近づきもできないことも知っている。だからこそ、ライルの言葉はフィリップによく刺さる。


「しかし、このままじゃラチが明かないな。……そうだ。今から部室に行って、アレで決着を付けようじゃないか」


「……擬似戦闘装置シミュレータでか? この事を勝負で決めるなんて、お前はどこまで下らないんだ」


「ならこれならどうだろう。キミが勝てばいつ何時でも部室の擬似戦闘装置シミュレータを使用していい。しかしキミが負ければ俺にアリスさんを紹介してくれ。この戦いを拒否すれば俺は先生にライルを一生部室に近づけないようにする。入部届を貰っても受理しない。……どうだ?」


 ライルにとってその言葉の効果は絶大だった。ライルはその言葉に耳を傾けてしまう。もう二度と擬似戦闘装置シミュレータに触れることができないことは、ライルにとって羽根をもがれた鳥同然だ。


 擬似戦闘装置シミュレータを勝手に使用している事は、悪いと分かっている。だが、擬似戦闘装置シミュレータの使用を禁止する事だけは勘弁して欲しいと思ってしまう。


 一方で、この確証できない事にアリスを巻き込むことはできない。そんな事をアリスのいないところで決定することはどうかしているとさえ思った。


「あと十秒待ってやるよ」


 フィリップはケータイの画面を見ると、そんなことを告げる。本当に嫌な奴だと思った。


「……待ってくれ! そんな今すぐ答えられるものじゃない!」


 しかしフィリップはライルを一瞥いちべつしてから、


「あと六秒」


 ライルの事を無視するのであった。そして、その際に見えたフィリップの視線の冷たさと言ったらなかった。


 とにかく、答えを出さなければならない。


 ライルは考える事に集中して、息を吸う事さえ忘れている。頭の中がじんじんして、考え事がまとまらなくなっている。カウントダウンを止めて欲しかった。まるで身を切られていくようで、生きた心地がしなかった。


「あと四秒」


 フィリップはただ答えを急かす。安全圏からの物言いは本当に腹が立った。こっちは大真面目に考えていると言うのに、適当な態度で応じるのだからこっちも適当に応えたくなる。しかし、今回ばかりはそうもいかないので、非常に悔しい。


 するとフィリップはこんな言葉を差し込んだ。


「まぁどちらにせよ、アリスさんには近づくけどな」


 その言葉で脳内の血液が瞬間的に沸騰した。そもそものルールを覆す発言。そんな事言ってしまっては、元も子もないだろうがと思ってしまう。しかし、おかげで決断がついた。


「あと……」


「分かった……分かったよ……」


 ライルは力なく口を開く。一方でフィリップはそれを見て満足そうにする。


「答えを出す気になったか」


「あぁ……ボクの答えは――」

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