第3話 半分終わった世界から②

 ライルは放課後、学校の屋上で寝転がっていた。普段、一緒に帰るはずのアリスも今日は先に帰してしまった。とにかく今は一人で居たいのだ。


 あんな約束、死ぬほどどうでもいい事だと思った。


 結局、ライルはフィリップの待つ場所へ向かわなかった。自分ではフィリップに敵わない、自分には何もできないのだからどうしようもないと、ライルは考える。一方でどうにかできてしまうフィリップの存在を呪わずにはいられなかった。


 だからこうして寝転んで、空を見上げ、鬱々としているのだろう。そう思うと少し腹が立った。ライルは嫌になって、目を閉じようとしたその時、虚空こくうに巨大な影が現れる。それはライルの鬱々とした思考を一瞬にしてさらって行った。


「……魔導兵器ワイズローダだ!」


 ライルはその機影を見て興奮気味になる。弾けるように起きて、屋上の白い柵に手を掛けて、前のめりになってそれを眺めていた。


 それは七機の隊列を成して飛行していた。人の形を模した灰色のそれは、前傾姿勢を保ったまま宙に浮いて、ライルの居る校舎の方向へ直進していた。


 全身は、はるか昔に存在した西洋甲冑を模している。顔はメインカメラの位置に横長のスリットが入り、鼻の位置が鳥のくちばしの様に尖っていた。推進源として、両足首には円盤状に展開する魔法陣があり、両腰には筒状の制御バーニアがぶら下がっていた。


「新型じゃないか! それにあの術式構成も多分、従来と微妙に違う!」


 そう口にした時には、機体は校舎の目の前まで接近していた。頭の中を貫くように、キンと音がして、同時に突風が襲って、ライルは驚いて耳を塞いで身を屈める。再び顔を上げた時に見えた光景は、ライルが今まで見てきたものの中で、最も興奮するものだった。


 校舎の屋上を掠めるほど近くで、魔導兵器ワイズローダは身を投げ出すような姿をして、上空に四肢を晒していた。ライルはただただ圧倒されていた。手を伸ばせば憧れの巨兵に届きそうな距離にいる。目の前にすると本当に大きい。通常、魔導兵器ワイズローダの平均全長は20m程だと聞いたことがある。


 そして、魔導兵器ワイズローダの隊列は、ハッとした時にはライルへ背を向け、通り過ぎてしまっていた。その間はあっという間ではあったが、ライルには永遠にも感じられた。


 まだ心臓がバクバクしている。あれだけ至近距離で魔導兵器ワイズローダの飛行を目の当たりにしたのは初めてだった。


 ライルは余韻に浸るように、その後ろ姿をぼうっと眺めていると、妙なことが起きた。編隊の中央にいた一機が急上昇、急旋回して、また校舎の方へ向かって来たのだ。


 なんだなんだとライルは思い、今度は自分がいた向かい側の柵の方へ駆け寄ってみると、魔導兵器ワイズローダはライルの目の前で静止し、校庭に足を着ける。 そして魔導兵器ワイズローダ のメインカメラはライルへ向けられていた。


 それは無機質だが、情熱的だった。思わずライルは息を止めてしまう。


 すると今度は胸部にある装甲が開いて、中から人が現れた。それは赤みがかった茶色の、長い髪を持つ女性だった。


 純白のパイロットスーツを着ている。それはウェットスーツの様な身体のラインを強調するようなデザインをしていた。その上からラフに水色のパーカーを羽織っていて、正規軍所属の恰好とは到底思えない。年齢はライルとそう変わらなそうだ。


 ライルは初めのうちは誰か分からなかったが、顔を見てようやく彼女が誰なのかを理解し、同時にハッとした。


「……髪、染めたんだ」


 ライルは以前に出会った時と変わってしまった容姿を見て、少し動揺してしまった。加えて身長も伸びた。身体も昔よりはるかに大人びている。


 ライルは少し不安そうな顔をするのに対して、現れた彼女は大きく息を吸い込んで、元気な声でこんな事をライルへ告げた。


「元気にしていますかー! 青春は謳歌おうかできていますかー!」


 彼女の声は本当によく通った。ライルと距離があるにも関わらず大したものである。


「どうもこうも! ボクの青春は、その機体のカラーリング通りだよ!」


 ライルも負けずに声を出す。顔を赤くさせて、喉を傷める程に。そしてライルの沈んだ想いも、今なら冗談で返せた。


 それを聞いた彼女は幼げに腹から笑って見せる。一方で彼女はほっとしているようにも見えた。


「それよりっ……! 良いのかよ、抜け出しちゃってさぁっ! あれ、飛行訓練じゃないのかよっ!」


「いいのよ! そんなつまらない事で私は縛り付けられるつもりは無いわ!」


 そんな滅茶苦茶な事あるか。この人からすれば軍規もヘッタクレも無いのだろうか。


 ライルはそんな事を思っている間、彼女は魔導兵器ワイズローダの手のひらに飛び乗る。その手はライルの元へと伸びてゆき、そして彼女はライルの目の前までやって来ると、手の平から飛び降りた。そしてライルの正面にまで近寄ると、微笑んでこう告げた。


「久しぶり、ライル」


「……こんなことして、アンタの上官しかり妹に怒られるぞ」


「大丈夫! 上官は話せばわかるから。あの子にはライルが説得してくれる事を願ってる」


「何で上官はできてセリアが無理なんだよ! セリアもどうにかしろよ!」


「えーと……私、セリアに嫌われたら……どう生きていけば……」


 この半泣きになりかけている彼女はヤスカワ・メイス。セリアの姉である。そして、どうにもメイスには自覚がないが、妹思いが強い。俗に言う、シスコンの気がある。重度の。


「……と言うか無理だ……セリアはボクと肉体言語でしか語り合おうとしないから。まぁ、なんかあったら話してはみるけどさ。しかし、メイスねぇはセリアに弱いんだから困る」


 そう言うと、また彼女は笑って見せた。「笑ってごまかすな」と思ったが、ライルは彼女に頭が上がらない。


 何故ならメイスはライルに魔導兵器ワイズローダの戦闘を教えた人物だからだ。メイスはこの学校を首席で卒業し、パイロットの腕を買われて直ぐに人類の正規軍に入隊した程の実力があるからだ。ライルからすればメイスは憧れの人であり、師匠でもある。


「あの子も、可愛いとこあるのよ? ライルも男の子なんだから分かってあげてね」


「可愛い所ねぇ……あるの?」


 ライルは鼻で笑う。暴力の化身みたいなヤツから可愛さを見出すのは至難の業である。恐らく、インターネットの検索エンジンで『セリア』と打ち込んだ瞬間に『暴力』が検索ワードに紐づいて出てくるだろう。


 一方で、メイスは頬を膨らませながらライルにつっかかる。


「あるでしょ! だったらコックピットで読む? セリアの成長記録! かわいいんだから!」


「何を作ってんだアンタ! ってか、そんなモンをコックピットにしまうな!」


「コックピットにしまっているわけじゃなくて常備しているだけだから」


「いや、常備してるのかよ!」


 何か、そっちの方がもっと嫌だ。


「でも、最近は紙の冊子だと保存しきれなくて……ちゃんと電子化しないと」


 一体どれだけの大作を作っているのだろう。データだけでなく、愛も重そうだ。


 これだけの様子では、だんだんセリアの将来がライルは不安になってくる。ライルは思わずこんな質問を投げかけた。


「……もし仮に、セリアが結婚する事になったらどうするんだ?」


「うーんと……どうなっちゃうんだろうねぇ。そのお相手さん」


 その声は異様なまでに感情が抜け落ちていて、恐ろしかった。


 お相手は殺されるんだろうなぁ。この流れだとそうなんだろうなぁ。


 マァそれ以前にあんな武闘派な嫁を迎えるなら、恐らくは旦那の種類は、類人猿とか、類人猿とか、類人猿とか、相当限られてくるだろうなぁ。


 そんな下らない事をライルは考えていると、メイスはほっとしたような表情をする。


「でも安心した。ライルが元気そうでいて」


 一方で、ライルは愛が重くなっていくメイスが不安で仕方がなかった。しかし、底抜けな明るさと妹の愛は相変わらずでライルは少し安堵した。


 軍に入隊して、エースパイロットとして成長していくメイスの姿は、ニュースの記事や直接やり取りするメールの文章だけでしか見られなかった。何だか、遙か遠くの存在になってしまったと思っていた。


 そのパイロットスーツでさえも、着ているだけで何だか嫌な気持ちになった時もあった。その特異なデザインは、もうボク達とは違うのだと主張しているようで、嫌だった。


 だからこうして面と向かって話せたことが、ライルにとっては嬉しかった。まだ変わらないでいてくれることが嬉しかった。しかし、メイスの容姿が変わっていったように、メイスはいずれこのままではいないだろう。そう思うと少し切ない気がした。


 ボクたちは一緒にいたのだ、とライルは思い返す。


 アリス、セリア、シイナ、メイス、そしてボク。この五人はいつもでも同じで居られると思っていた。けれどボクらは大人になって、子供のままではいられなくなって、ボクたちの日常はそれぞれの道を歩むようになった。そして、ボクはまだその分岐点から進んでいないような気がした。


「……どうかしたの?」


 急にメイスは不安そうな顔をする。ライルはハッとしてから笑って、表情を虚仮こけで取り繕った。心に抱えたモヤを悟られたくなかったからだ。しかしその行動も虚しく、メイスは心配そうな顔をした。しかし直ぐにメイスは髪を軽くかきあげてから笑みを浮かべて、こんな事を口にした。


「ライルは、少し変わったかもね」


 ライルはその言葉を聞いて、胸がずきりとした。喉元に汗がにじんできた。


「……それは、そう言う意味?」


「へへへ、秘密だよ!」


 はぐらかすとは、なんてズルい事をするのだろうか。ライルは「なんだよ、そりゃ」と軽く笑って見せたが、内心はモヤモヤして仕方がなかった。恐らく、メイスは悪い意味で告げたのだろうと、ライルは考えた。


 そしてメイスに取られた大人の対応が、何だかよそよそしくて切なかった。これ以上セリアと話していたら自分の不足さを、終わっている部分をとがめられる様で、耐えられない気がした。


 うまく、笑えなくなりそうになる。


 そんな時、メイスは何かを見透かしたように、こんな事を口にした。普段は見せない、神妙な表情をして。


「変わりたい?」


 呆気に取られてしまった。なんでそんな事を聞くのだろうか。聞けるのだろうか。メイスにライルを変えられるだけの力があるとは到底思えない。けれども、ライルは表情に出してしまった。自分が最も求めていることを口にされて、想いをさらけ出してしまった。


「息苦しそうだもん。何だか、今のライルはさ」


 メイスはじっとライルを見つめる。まるで心の奥底まで探りを入れるように、じっくりと。


「変えてあげようか」


「え……?」


 メイスの言葉で、ライルは一瞬言葉を失ってしまう。メイスは口を開く様子がなくて、それは試されているように思えて、ライルは仕方なしに恐る恐る問い掛ける。


「それって、どういう意味?」


「戦争をしようよ」


 心臓が、バクンと強く脈打った。どうして、そんな事を突然口にしたのだろうか。それは、ライルの事を想っての事だろうか。どこまでが本気か分からない。


魔導兵器ワイズローダに乗せてあげる。この世界を好きに変えさせてあげる」


 ついに、分からなくなった。


 魔導兵器ワイズローダに乗りたくないと言えば嘘になる。しかし、戦争までしたいかと言われれば答えは否だ。


 息がつまる。頭に酸素がうまく回らなくなって、正常に機能しなくなる。言葉が紡げなくなって、固まってしまう。今できるのは目の前にいる、悪魔のような提案を持ちかけた彼女を見つめる事しか出来なくて、ただ自分は身を委ねる事しか出来なかった。


 ふと、メイスは様子を変える。小刻みに震えて、笑みがこぼれて、それは次第に大きくなって高笑いに変わった。何だ何だとライルは思っていると、メイスは笑い過ぎて出た涙をぬぐってからライルへこう告げた。


「……なーんてことを、ライルはしたかったりして! どう? 信じた? ライル、小さいころから変わらないねぇ。すーぐ引っかかるんだから!」


「なっ! ちっくしょう! そんな言い方されたら誰でも信じるっつーか! ああもう!!」


 してやられた。ライルは余りの恥ずかしさに顔を真っ赤にさせる。


「メイス姉、そろそろ戻った方が良いんじゃない?」


 そんな事をライルは口にして、馬鹿笑いするメイスを帰そうとする。


「ハハハ、そうだね……! あぁ、面白い。まぁ、だけどさ、ライル」


 そう告げてから急にライルに近づいて、手をぎゅっと握る。余りに急な事だったのでライルは顔を真っ赤にしてしまい、慌ててその手を離そうとしたが、その手に何かを握らせるような感覚があってライルは冷静になる。


「……何だ、これ?」


「どこまでが本当か考えといてね」


 それは固くて小さな何かだった。手を開いて見て見ると、記憶媒体の様なものがそこにあった。


「……え?」


 そうして、ライルがメイスの方を向いた時には、その場からメイスは居なくなっていた。慌ててライルは柵に駆け寄ると、メイスはまた魔導兵器ワイズローダの手の平に乗って、コックピットへ戻ろうとしていた。


「じゃあ、またあとでね!」


 そう言ってメイスは手を振りながらコックピット内へ潜り込み、魔導兵器ワイズローダのエンジンを起動させた。たちまち周囲に突風が吹き、ライルは身をかがめると、次に辺りを見回した時に機影は、すでにはるか遠くへ離れて行ってしまっていた。

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