幕間
私の人生は幸福か不幸かでいえば幸福な人生を歩んできたといえる。不運なことはたびたびあったが、それによって不幸になったわけではない。
なんとなしに左薬指を見る。そこに輝く指輪は決して高価な物ではない。高校生でも少しバイトを頑張れば買える程度の物。実を言うと絃さんからは本当の婚約指輪を渡そうかと何度も打診されてはいたが、そのたびに断りを入れていたのは私の方なのだ。理由は一つだけ。まずはしっかりとした大人となり、零や心に示しのつく存在になってから初めて受け入れようとしたからだ。
今は、私は二人にとってのお姉ちゃんという事にしかなっていない。梢さんに変わると言うことは出来ずにいるわけだ。もちろん成り代わるわけではないが、少なくとも肩を並べる存在になるまでは婚約指をを受け取るわけにはいかないと思っている。
「光? どうしたんだい?」
私がレジのところでぼーっとしていたのが気になったのだろうか。隣で道具を作っていた絃さんが私の顔をのぞき込んでくる。
「この世界って、等価交換で成り立っているのかなって思って」
「確かに……不思議な道具に頼った物を作ろうとするとどうしても等価交換になるとは思うけど……この世界がっていうと?」
「もしもこの世界の幸せという物が有限だったらどうなってたのかなって。幸福をつかめばその分他の誰かが不幸となる。そんな、世界規模での等価交換が成り立つ世界だったら少し怖いなと」
「幸福が有限か。もしかしたらそれはそこまで的の外れた意見ではないのかもしれないね」
「えっ?」
そんなことはないと一蹴されるだけの与太話。しかし絃さんは私の言葉を真摯に受け止めその上で私の考えを肯定してくる。
『黒猫』も、『クロネコ』にも訪れる客がいない。だからこそこんな会話が出来るともいえる。
「例えば光はこの世界が全て幸福に満ちていると思う?」
「そんなことは、ないと思う。どうしようもないこと、例えば戦争や紛争、テロリストといったものに巻き込まれる人だっているし、産まれながらにしてその家庭の環境で自由に生きることの出来ない人だっている。それ自体が幸福となるか、不幸となるかはわからないけどさ……でもそのせいで不幸になることもあるわけで、心の持ちようとかそんな曖昧なことじゃどうしようもないことだから……。結局は幸福な人もいれば不幸な人も出てくる。それは当たり前だと思う」
「僕も同じ意見だ。記憶を全て保持して生まれ変わるというのを100回ぐらい繰り返せば幸福の数と不幸の数は同じぐらいになるかもしれない。1回しか人生がない以上、どちらかに偏ってしまうのが普通だ。僕の人生もどちらかと言えば不幸によってるのかもしれない」
「…………」
その言葉に対して口を閉じて聞き入れる。愛した妻を先に亡くすというのは決して幸福な人生とはいえないかもしれない。それも自分のせいで死んだとなればなおさらだ。
今は私がいるじゃないなんて言葉もかけられない。そのときにふと、幸福は有限かもしれないという言葉を肯定した絃さんの真意を理解できたような気がした。
「もちろん、これは一つの仮定。不幸よりの人生を歩んでいるのは僕だけじゃなくて零や心……それになにより梢かもしれない。その分誰かが幸福となっているのかもしれない」
幸福をとるということは、誰かが不幸になることを指す。逆に誰かが不幸になれば余った幸福は誰かに振り分けられることになる。
私は霧桐家の不幸を奪い取り幸福になっているのかもしれない。誰かの不幸を私がとったからこんな幸福な人生を歩んでしまったのかもしれない。
「だけどそれに気づけたとしても私たちじゃどうしようもないんですよね」
「不思議な道具を使えば多少はこの世の理を外すことが出来るけど、全てを無に返すほどの力はないからね」
「幸せすぎて怖いって……本当の意味で使えそうな気がする」
「光が幸せなら僕はそれだけで幸福になれる。誰かをまた愛するチャンスが来たんだから」
自然な流れで彼が一つキスを落とした。これでまた誰かの不幸を吸い取ったのかもしれない。だけども、仕方ないじゃないか。私は誰かのために不幸になるほど……おひとよしにはなれなかった。
「幸せって……怖いね。だから――――」
――――同一個体のアクセスを確認。修正中。修正中…………。修正完了。新たなアクセスデータを主人各として与えます。なお、同様に元の個体を別次元に飛ばします。
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