幕間

「あなたに幸せを」

 このワードでお客様を送り出す。そのことに最初は奇妙な感じもしていたのだが、いまでは逆にこの言葉で送り出さなければむずがゆさを覚えるほどだ。慣れというのは非常に恐ろしいものであるように感じる。

「もしも幸せを計算することができたら、世界はどうなってたと思う?」

「藪から棒というのはあなたのために作られたのではないかと最近では思うようになってきました」

「その棒でつつくと蛇が出てくるわよ」

「自分で分かってるんかい」

 爪を手入れしながら話を切り出す梢さん。マニキュアの一つも塗っていないが、その爪先はのぞき込めば顔が反射しそうなほどの光沢を発していた。こまめな手入れがその爪を作っているのかもしれない。

「それで、なんですか? 幸せを計算できたら? 確かそんなのありましたよね。国民総幸福量でしたっけ?」

「うん。そういうのもあるけど、これはもっと簡単に。100円拾ったとか信号待ちを一切せず目的地にたどり着けたとかを幸福ポイント1、とか2とか。逆に出かけたら雨降ったとか、躓いたとかを幸福ポイントマイナス1とか2とかとしたとき。人はどうなるでしょう?」

「幸福を確実なポイントに……」

 ふと想像してみる。こうなるとその人が幸福であるかどうかは主観ではなく、客観で図ることができるようになるということだ。自分が幸せと思えば幸せ、不幸と思えば不幸、という世界から、あなたは幸福、あなたは不幸と刻まれることになる。

「あまり褒められたことではないですよね。ほとんどの人はアベレージが0になるのかもしれませんし」

「私も同じ意見ね。そうすると起こるのは幸福をめぐる嫉妬や差別、妬み……そして戦争。あの国は幸福ポイントが高い。うちの国は低い。それはお金がないからだ―みたいな感じでね。幸福を客観視できるようになるとそのとたんに幸福を求め始める。そしていつの間にか幸福になることが目的でなくなり、幸福を求めることが目的となってしまう。恐ろしいわねぇ」

「仮定の話なんですけどね」

 勝手に考えて勝手に恐ろしがられるのも困ったものだ。

 とはいえ、そこまであり得ない話でもない。だが、実際にできたとしても絶対にやってはいけないであろう。数値というものは主観でどうこうなる問題ではないのだ。

「そもそもお金というのもおかしなものよ? 日本の紙幣に限った話をすると、あれはもとはその金の価値を保証するというものだった。それがいつの間にかだよ? お金そのものの価値が爆上がり。今や金を持っていても意味はないけどお金を持っていたら意味を持つ。困ったものねぇ」

「金を持ち歩いて買い物するのは大変なんで、別段困ったことはないと思いますけども」

「それもそうね」

「なんなんですか、もう」

 あっさりと言ってのける。彼女らしいといえば彼女らしいけども。

「それで、何を言いたいんですか、あなたは?」

「別に~。深い意味はないよ。ただね、不幸と幸福は計算ができないほうがいい。見えないほうがいい。それと一緒で、知らないほうがよかった現実というのもあるってこと」

「知らないほうがよかった現実ですか。まぁ、確かに」

 サンタさんがいると信じているほうが毎年ワクワクできたかもしれない。サンタさんがいると知っていれば無邪気にクリスマスはプレゼントを要求できたかもしれないのに、真実を知りはじめた小学校高学年になってからは、おねだりの仕方を考えさせられたものだ。これはそんな簡単な話ではないんだろうけども。

「その通り。サンタさんを信じているほうが幸せって場合もあるわけよ。ちなみに私はサンタさんを信じているわ」

「現実にいたらロリショタ好きの不法侵入者としてあげられそうですね」

「それはそれで面白いからOKよ」

 華麗にウィンクを飛ばす梢さんは結局何を言いたかったのか不明のまま、満足げに姿を消していった。

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