第五章:逢いたい愛
「お願いします! どうか」
目の端に涙を込めて頭を下げる女性に少々困ってしまう。
零が家に帰ると同時に駆けつけてきた光。その奥にはすでに、今回の依頼主……
いったん光を連れ出して状況の説明をしてもらう。どうやら『クロネコ』の噂が本当であることを認識するとともに、半ば突撃するかのような勢いでやってきたらしい。なんとか宥めながら今回の依頼内容と名前などの基本情報を入手したようだ。
依頼内容は死者との再開。いや、最初の時は死者の蘇生を頼んできた。さすがの光も、その点は不可能であるという旨は伝えたものの、ならばと伝えてきたのが再開だったらしい。
「まだ、私も全てが理解しているわけではないのですが……、一体何があったんですか?」
死者との再会。基本的にそういったことを行うわけにはいかない。例外的に、未解決事件になろうとしようとしている殺人事件などを、被害者を呼び出して、といったことはある。とはいえそれを行うには様々な問題が障壁となる。おいそれと呼び出すわけにはいかない。
「ひき逃げ、されたんです」
「ひき逃げ?」
「はい……3ヶ月前、9月の時のお話です。杉並区の環七通りを歩いているときに。夜の11時の時に――――跳ねて、そのまま数メートル引きずって……」
ポロポロと涙を零して嗚咽を挟む。そのときの状況説明も支離滅裂だがなんとなく状況を察することが出来た。音羽は小さく震えて強く拳を握りしめている。
「零くん、これ……」
光が横からスマートフォンを見せる。そこにはひき逃げ事件の詳細が書かれた記事が載っていた。
「時期的にヒットしたのはこれだけだし、数メートル引きずられたという旨も合致しているから間違いないと思う」
「ありがとございます」
光からスマホを借りて事件を追っていき、ルーズリーフに簡単にメモをとっていく。
9月15日。23時20分。杉並区××にある環七で被害者、
「大丈夫ですか? 落ち着いてください」
光は霜柚子にハンカチを渡す。ありがとうと小さい返事の後、目尻をぬぐう。とてもではないが精神状態が安定しているとはいえない。そのことを念頭に置いた上で、彼女の様子を観察する。髪は乱れ、メイクもしていない。服装もしわくちゃで、アイロンがろくにかけられていないことがわかる。まるで鬱病の兆候のようだ。いや、彼女は軽度の鬱傾向と断定してもよいのかもしれない。精神鑑定の方はただの素人なので、内心するだけにとどめるが。
「今じゃなくても構いません。また、おいでになってくださればクロネコはお話を伺いますが、日にちを改めますか?」
「いえ、話させて、くだ、さい」
とはいえ、おそらく彼女の目的は一つであろう。氷華をよみがえらせたい。これに限る。では、なぜよみがえらせたいのだが、こういう場合は二つの可能性がすぐに思い浮かぶ。一つはもう一度会いたいというもの、そしてもう一つが。
「聖を呼び出して、無念を晴らしてあげたい……」
今回はそのもう一つの方だったらしい。復讐の手助けや想いをうけつぐのに、再び会いたいと願う人物は少なくない。
「失礼ですが、あなたと氷華さんの関係は?」
「恋人、です」
「恋人、ですか」
なるほどと頷いてみせる。
それにしても19歳で亡くなったとなると、志半ばであっただろう。年上の恋人もいて順風満帆であっただろうにあっけない終わりである。人の死というのは、なんともはかないものだ。
「それにしても、なぜ被害者はこのような時間に?」
「そのときは私も一緒にいたわけではないので、本当のところはわかりません。でも、近くにコンビニの袋が落ちていたので買い物にでも行ってたのだろうって」
「なるほど……しかし、なぜ私どものところに? 一般論で考えますと、私どものようなオカルト関係者より、警察の方が幾分も犯人逮捕に役立つと思いますが?」
特にひき逃げなどは計画性のない犯罪であることがほとんどを占める。偶然に人を跳ねてしまいパニックとなりそのまま逃げてしまう。そのために現場には遺留品としてのブレーキ痕、車の塗料をはじめとした破損。大抵は数日のうちに犯人を見つけ出し逮捕へと至るわけだ。
「……それが出来ていないからです。警察は本当に動いているのか問い詰めたく、なるくらいに。全く進展がなくて、それで、わらにもすがる思いで、色々調べたらココの噂を見つけて」
「こちらに至る前に、他のイタコなどにはあたらなかったのですか?」
『クロネコ』どころか『黒猫』としても、ホームページ展開もしていない。もちろん、ネットで検索をかければ『黒猫』の商品を手にしている写真などが客によってアップロードされているのがヒットされているし、マニアなどでも取り扱われていることがある。しかし、『クロネコ』に関して言うのであればその噂のほとんどがネット掲示板によるもの。オカルトと一蹴されてしまうような内容の一つとなっているため、この付近に住んでいるのでもない限り、見つけ出すのは至難の業でもあるはずだ。一部の上流組織においてはかなり真実みを帯びたものとなっているようであろうが。
それならば他の霊媒師、ないしイタコなどがヒットしていてもおかしくないはず。いや、むしろそっちの方が自然な流れでもある。
「一応調べてみましたけど……どれも高額だし、安いところは信憑性がないので。いくら逢いたくても、先立つものがなかったら」
それはそうであろう。そんなことのために借金を作るわけにもいかない。分の悪すぎる賭けであるといえよう。
「我々でもそれなりに値が張る可能性はありますよ?」
後ろで光が小さく頷いているのがわかる。彼女も一依頼者であった。現状でこそ、依頼料はすでに徴収済みだが、もしもここで働いていなかったら、未だ、依頼料の徴収は残っていたことだろう。しかし、ここで働くことによって、むしろそれ以上の収入も得ていることであろうが。
「ちなみに、どれくらいで」
「現在はお話を聞いているだけですのでお金はいただきません。そもそも、商品の購入以外は成功報酬としていただくこととなっております。値段は場合によりますが……安ければ1万程度から、上限はほぼなしと考えてください。しかし、ごく一般の方の平均としては5~8万円程度と考えていただければ結構です」
光の依頼料は道具の使用量なども含め合計7万ほどであった。コトリバコの一件は危険性なども考え40万、といった風に解決に際してかかった費用や難易度、危険性などから総合的に評価をする。
「それぐらい、なら」
成功報酬と聞いて安堵もする音羽。今回で述べる成功報酬とはオカルトとしての成功である。犯人が逮捕されようがされまいが、それは『クロネコ』の関与を超える部分の出来事。関係のない話だ。冷たいようであるが、これもビジネスである。
「じゃ、じゃあ……聖を呼び出していただけるの、ですか?」
「いえ、霊体を呼び出すと言うことは非常に危険であり難易度の高いものであります。一筋縄にはいきませんよ。まずは我々で現場を調べます。あなたには今後とも情報提供などをお願いすることとなります。また、氷華聖さんの霊を呼び出しても、問題ないかの調べとなりますので必ずしもあなたの望む結果になるとは限らないということだけ、ご了承願います」
「わかりました。それでもいいです。なにか、手がかりが見つかるのであれば」
「では、またご連絡をしますので本日は」
「はい、わかりました。えっと……」
「あっ、こちらからどうぞ」
クロネコの裏扉に動揺を見せる音羽。光は過去の自分を思い出しているように、苦笑いをかみ殺しながら彼女を送り出す。
「あなたに幸せを」
光と共に頭を下げて扉を閉める。完全に外界と遮断されるとクルリと光は回った。
「私はわからないんだけど、幽霊を呼び出したり憑依させたちってっむずかしいの? ユウだっているんだし、ダメなの?」
「えぇ、ダメです。そうですね、ユウをはじめとした浮遊霊や地縛霊など……つまりは現世にとどまっている幽霊とは対話をすること自体は比較的に容易です。私は道具の力を借りなければなりませんが、霊感がかなり高い心であれば低級霊以外であれば素でしゃべったり、視認したりすることが可能です」
そもそも幽霊という存在の定義もなかなかに難しいものがあるのだが。
「ちなみに、私も道具を使えばおしゃべりできるの?」
「道具の発動に少なからず霊感が必要となってきますし、危険性もあるので私どもが近くにいることが最低条件ですけども、対話をすると言うこと自体は可能でございます。とはいえ……それはあまりよくないことなんですよね。人は死ぬとどこに行くと思いますか?」
「どこって。うぅん」
その問いに候補をいくつか考えている様子だ。少しだけ待ってみると指を折りながら光なりの考察を述べる。
「考えつくのであれば、キリスト教的に考えるなら天国と地獄。神道だと黄泉の国。仏教だと輪廻転生や解脱。あとはヴァルハラとかもあるっけ?」
きっと少し前の彼女ならばここまで答えられなかっただろう。オカルト的な考えの手助けになると、宗教的な考えを調べるように促したこともあったが、本当によく調べている。
「そうですね。おっしゃるとおり様々な形が存在します。さて、ところでクロネコが考える死後の世界というのは……無、なんですよ」
「無?」
意味がわからなかったのか聞き返す光。一つ、大きく微笑んで見せ、零は手元のルーズリーフに色々と書き込みながら頭を巡らせる。
「人は……いえ、人に限らず生命体が命を終わらせれば、そこにあるのはただのタンパク質等の塊でしかありません。しかし、少なくとも人はそれに対して強い意味を見いだそうとしてしまう。この食糧難が叫ばれている今です。人の肉体だって立派な食材となるはず。しかし、カニバリズムを行う人はかなり少ない。宗教的な意味も薄れてきましたしね。仮にクール―病――――パプアニューギニアの風土病で、脳みそを食らうことで発症し死に至る病です――――これを心配するのであれば脳みそを残せばいい。そのほかの食人による病などを心配するにしても。葬式などを行う意味がわからなくなってしまう。人の肉体など適当に燃やして伝染病の可能性をなくせばそれでいいはずです。しかし、現実はそうはいかない。自分の肉体が適当に扱われるのはいやでしょ?」
「そ、そりゃ……うん。考えられないよ。でも、そっか。だから人は、うぅん、少なくとも知的生命体には、強い意味を持ってしまうのかもしれないね」
「はい。その通りです。先ほど言ったカニバリズムなどは客観的に考えた場合。どうしても人の死に意味を持とうとするため、人は死んだ人間の気持ちを想像し、創造します。例えば、憎んでいたとか恨みを持っているとか……逆に彼は悪戯好きだから幽霊となって化けるんじゃないかとか、色々。光さんも経験したと思います。人の想いの強さが引き起こす様々な事件を」
「私自身を私が守ろうとしたり、病院を嫉妬や嫉み、私利私欲という感情で埋め尽くしたり、殺してやりたいという思いが呪いを作ったり……ということ?」
「その通り。私たちクロネコの見解は人の想いが現実化しそれが動きを持つこと、それが幽霊の存在だと仮定しているんです。そう考えると人は死んだ後どこにいくとかそういうことではなく、無であると考えることの方が納得いくわけです」
「納得いく説明のような、そうでないような……」
「まぁ、少なくともクロネコでのオカルト的考えです。我々は『あなたに幸せを』を信念に活動しております。それにあったような考えでいくわけで、私どもの考えを否定していらっしゃる同業者の方も多くいらっしゃいますからね」
零の説明に「ふうん」と、流そうとしたところでなにかがつっかかったようだ。さすが聡い。
そもそもなぜこんな話になったのか。それは今回の依頼内容に関係してのことだ。そして依頼内容は死者を呼び寄せること。しかし、光が得た情報を統合するならば生者の思いが死者に意味をもたらし幽霊とするという。ということはだ。そのときの記憶を保持した、氷華聖という存在はすでにおらず、幽霊を呼び出しても意味がないと言うことになってしまうのではないか。
「これ、意味ないじゃん!? そもそも被害者の幽霊が存在するかも微妙ってことだし」
「えぇ、そういうことです。まぁ、想いに関しては恋人ということで、あれだけ悲しまれていたのですから氷華聖の幽霊は低級霊の存在として、そこにいる可能性は十二分にありますが。しかし、そう返したところで依頼者が納得すると思いますか?」
「思わないけど……」
「それならば一応別の方法を模索いたしましょう。言ってしまえば、幽霊を呼び出さなくても犯人を見つけ出すことが出来れば、いいのですから。彼女の話を統合すればね」
東京都杉並区。23区に区分されるここは自然が豊かであり閑静な住宅地でもある。事故現場と考えられるこの場まで訪れてみると、なんの跡形もなく車が何重にも通り過ぎ去るのみである。その一角にポツンと花束が置かれているが……、これは霜柚子がおいたものであるのだろうか。彼女に対し同情をするものも少なくはないだろう。その誰かがおいたという可能性も十二分にある。
「零くん、なにか考えがあるの?」
霜柚子の相談を受けたのが金曜日の出来事。その翌日は土曜日であり学校もないため光を引き連れ事故現場の検証へとやってきた。実は光には補講が入っていたのだが友人に代弁を頼み、そっぽかしている。たいした授業でもないので問題ないだろう。ある意味授業をサボるのも学生らしいといえる。
「まだ、なんともいえませんがひとまず現場を確認しておこうと思いまして。しかし、ひき逃げが起きたとは思えないほどの日常ですね」
「うん。電車とかで、人身事故による遅延もあるけど……、遅延の部分で怒る人はいても、人の死を悼む人なんてほとんどいないもん。そんなものだよ」
人身事故と違い、ひき逃げの場合は少々センセーショナルに報道されるが、それも数日の間だけといえよう。さらには犯人が捕まればそれでホットして全てが終わると考えている人間も多いが実際は違う。そこから裁判という関門もあり、さらには刑務所に収監されたとしても被害者遺族の苦しみがなくなるわけではないのだ。
「ともかく、私はこの事件気になるんですよね」
「どうして?」
「警察が逮捕に踏み切れていないと言うことです。あの記事によると遺留品などは存在していた様子です。にもかかわらず犯人が見つからないとなると……この犯人、いかに冷静にひき逃げをしていたのかという疑問があるわけです」
「もしかして、零くんはこのひき逃げを、計画殺人だと考えてるわけ?」
「その可能性も視野に入れる必要はあると思います。実際にひき逃げと見せかけた計画殺人事件は過去にありました。ただ、その場合は捜査は多少難航するとはいえ、ブレーキ痕がないことなどから逮捕まで踏み切れたりするわけですがね」
「未解決事件もないわけじゃないけど、警察って優秀だからね。そうなると、今回の犯人は全く先が読めないなぁ」
「えぇ、ですから少し裏技を使わせていただきます」
「正攻法で勝負をしたこと一回でもあったっけ?」
その疑問については特別何も答えず、どこかに電話をかけ始める零。それは普段使いのものではなくクロネコにて共同で使っている黒色のガラパゴス携帯だ。
「あっ、もしもし。お世話になってます。えぇ、クロネコの零です。先日ご連絡した件はわかりましたか? えぇ、ひき逃げ事件ことです。はい、はい……なるほど、しかしそうしますと、あぁ、そういうことで。えっ? あぁ、それもそうでございますね、失礼をいたしました。ふふっ、そうでございますね。では情報提供料は…………そうですか、では甘えさせていただくことといたします。はい、それでは、また」
携帯を閉じて光にほほえみかける。
「睨んだとおりでしたよ」
「ある程度推測は出来ているけど、誰と電話してたの?」
「この前もお話ししましたとおり、私は警察の一部の方ともつながりを持っております」
「ですよね」
呆れが少し入っているように思えるが、それは勘違いではないだろう。
「魚のことなら魚屋に、交通事故のことなら警察に、です。このひき逃げについて何か知らないか尋ねてみたんですよ。まぁ、彼は交通課ではないので少々無茶をさせてしまいましたが」
「へー、それで、現状の捜査段階とか聞けたんだ」
「いいえ」
「はい?」
きっぱりと言い切る零に対して腑抜けた返事が返ってきた。
事件の進展具合や、情報提供料云々から事件のことを多く聞き出せたと考えたのだろう。しかし、零は決して嘘を言ったわけではない。いろいろ尋ねてみて、そして操作が一切動いていないということが分かったことが大切なのだ。
「正しくは、動きは聞けていないということですよ。なぜならそもそも動いてなんかいないわけですから」
「えっ? もう事件が片付ついていると言うこと?」
「いいえ。最初から動いてなんかいなかったんですよ、この事件」
「ますます訳がわからないんだけど」
困惑気味に声を漏れた。とはいえ、自分の考えも完全ではない。零は小さく首を振ってから鞄を探る。あった、これだ。
「光さん、今から道具の方を使いますので一応フードの方かぶっておいてください」
「あはは、めだつなぁ、これ」
笑い声をあげながらもローブを被るヒカル。クロネコの調査衣装でもある全身黒づくめのローブはどうしても目立ってしまう。その上フードまでかぶるとどこか怪しい人物のようでもある。しかし、道具を使うのであれば、この近くの磁場が乱れ、霊にとりつかれる可能性も考えられるため、致し方のないことだ。
「今回使うのは過去を映す映写機。『フィルムデータ』です」
「最近はCD‐ROMを使う映画も少なくない……むしろ主流化してきているような気もするけどね」
「それならなおさら過去を映すという意味では、最適な名前です」
映写機のような形でありハンドルをくるくると回すことで時間を設定。その時の様子を知ることができる便利な道具。その時に何があったのかを映し出す機械だ。それならばひき逃げ犯を探し出すことが簡単にできるのではと思えるが、ことはそう簡単に進まない。というのは、画像が非常に荒く、またデジタルのものでもないため加工などもできない。細部を観察することができないのだ。さらに今回は相手が車ときており事件は夜に起こっている。車種を見つけ出す程度ならばできるかもしれないが、運転手の顔やナンバーまではわからないだろう。そもそもナンバーが本物であるか否かという問題もある。この点に関しては改善の余地はある。
日にちと時間を設定して二人でのぞき込む。もちろん、事故現場はあくまでも推定時間であるということから、その少し前に設定をしているのであるのだが。
しばらくの間、閑静な住宅地と、そして通り過ぎる車があるだけで人が歩いている様子もみられらない。音が聞こえないのが難点ではあるが、もし音が聞こえていたとしても、鼓膜を震わすのはエンジンの音程度で、他は何の賑わいもみられないであろう。
そして時間は進む。画面はほぼなにも動かない、なにも起こらない。そして数分、数十分と待ってみるが、とうとうひき逃はおろか、人が無理な横断をしようとしたりする描写もなかった。
「ここじゃ、ないの?」
「いえ、ここで間違いないはずですよ。その証拠、というべきか最初に確認したとおり、あそこに花束がおかれております」
「あっ、そうだよね。ということは……機械が壊れているなんてこと、もないよね」
「えぇ、動作確認は家でしてきましたので、大丈夫のはずです。そもそも実際に写っていましたし、ちょうどひき逃げの瞬間だけ壊れていたなんて言う、器用なことはないでしょう」
自宅で確認をしたときは、光がきちんと『黒猫』で日中働いている様子が映っており、まさにそのままの動きをしていたこともユウからの証言とおりだ。
「そうなると、考えられるのは……まさか」
「えぇ、一つだけです。ここでひき逃げなんて起こっていなかった、というわけです」
依頼者、霜柚子音羽にもう一度クロネコへと訪れてもらう。彼女は何かわかったのかという問いかけをしてきたが、そのことについても『クロネコ』で話すと言ってごまかしていた。
光に彼女にお茶を差し出して一度部屋を出てくるように頼む。扉を出たところには、零と心が待っている。最後の打ち合わせだ。
「私は特別何もしなくていいんだよね?」
「えぇ、それで大丈夫です。心はもしもの時を考えいつでも外部にコンタクトを出せるように、しておいてください」
「……わかってる。それと、私は今回そんなに関わってないけど……零の見解はあってる自信があるの?」
「それをはっきりさせるためにも今日彼女を呼び出したわけですからね。しかし、偶然にしてもよかった。幽霊に取り憑かれやすい光さんがこちらにいて」
「嬉しくないなぁ」
「……私だとあの幽霊を取り込むと霊力で殺してしまうと思うから、お姉ちゃん頑張って」
「わかってるけどさぁ、はぁ」
光から一つため息がこぼれた。そんな光を励ましながら、彼女のいる部屋に戻る。
そういえばと、自分の母の姿を探してみるが、今日もどこかへと行っているらしい。ただその前に、彼女は言っていた。嘘の意識のない嘘ほどややこしいものはないと。これが一つのヒントになったのは言うまでもない。
「お待たせしました。さて、霜柚子さん。今回の依頼について、その答えを提示していけたらなと思います」
「じゃ、じゃあ聖を呼び出してくれるんですか!?」
「えぇ……。そのためにもあなたの存在が必要不可欠でした」
小さく笑って見せ、ちょいちょいと光を招く。光も光で細かく息を吐いた後、一礼をしてから椅子に腰をかける。
「幽霊を呼び出すのは様々な形があります。フォログラムのような要領で写し出す映像型、人形などに憑依をさせる依り代型、そして一番ポピュラーでしょう、人間に幽霊を降霊させる、口寄せ型。今回お見せするのは口寄せ型です。ただし、通常であれば自身の体を使うのが普通なのですが、今回は少々面倒なこともあるので口寄せに使うのは『クロネコ』のメンバー、凪杉光を使わせていただきます」
「わかり、ました」
その言葉の後、口寄せの儀を行う。光に氷華の霊を降ろす。その行為自体は難しいこともない。霜柚子が近くにいることで彼女の考える氷華聖がまっすぐに下りていく。
「宿りしものよ、この者の口を借り、声を借り、意識を借り、想いの言葉を吐き出せ」
実を述べると、光に霊を降ろすことには、先述の面倒なこと以外の理由もある。幽霊と被験者となる人間性が同じであるほうが拒否感も少ないのだ。
「音羽……。音羽」
「聖! やっと、お話できる。やっと、あなたの無念を、晴らせる」
光からの目は終点を失い、声音も変わる。その意識はまぎれなく光のものではない。声紋から変わっている。
「聖! あなたを跳ねたのは、あなたを殺したのは誰なの!?」
「私、殺し……いない。私、いない」
「えっ? どういう……」
「限界ですね。解」
零の言葉の後ガクンと頭を落とす光。思いっきり体がずり落ちたので心配になる。
「んっ……ん」
瞼が震えたと思うと、ゆっくりと周囲を確認する。自我を取り戻したことを確認する。きっと全体を襲う倦怠感と闘っているところだろう。
「光さん、そのままそこで」
「うん、ありがと」
光はあくびを噛み殺しながらゆっくりと椅子に体を預けた。今回の降霊には彼女がもってこいだったとはいえ、危険な橋を渡らせたのは事実だ。母に頼み今回の報酬は色を付けてもらうことにしよう。
一方の霜柚子は何が起きたのかを理解していない様子で、目を白黒としながら、いないというワードだけを繰り返していた。そこに含まれる言葉の意味に何かを見いだしているのか、少し頬を引きつらせている。きっと最初からある程度気が付いていたはずだ。
「さて、ここで我々が行う降霊術についてお話いたしましょう。我々が行うのは想いの具現。生者の想いを統合して出来上がるのが一つの幽霊だという仮定のもと、降霊を行います。つまり思われる人数が多いほど、その人物の統合的な人格、記憶を引き継ぐことができるというわけなのですが……それは逆説的にあることが可能であるといことを示すのです。最初からこの世に存在しない人物を降ろすということが」
「この世に、いない? 聖はいる、聖は……」
「いないんですよ、氷華聖なる人物はこの世には」
その言葉に瞳に涙をためて訳が分からないと、言葉にならない声を張り上げる彼女。
「―――――――――!!」
次第に叫び声に近いものへと変質して、そして声が枯れどこかへと消えていく。
同情はしないでもないが、依頼は確実に実行させてもらう。
「想いの統合、それが幽霊の正体。失礼ながら、霜柚子音羽さんについてはいろいろ調べさせていただきました」
隠していた資料を出して読み上げ始める。霜柚子は赤くなった目で『クロネコ』の人々を眺めていた。
「あなたはLGBT、そのうちの一つ、レズビアンだったのですね。近頃そういった性的少数者に対する差別は減少傾向にありますが、それでも差別を行う人物も少なくはない。霜柚子さんのお宅もその傾向があった。レズビアンは悪いことであると、してはならないことであると認識させ続けられていた。その結果、せめてと空想の世界に頼ろうとしたのでしょうね。ため込んだものを空想で発散しようとして、その空想がいつか妄想へと変わった。自身には氷華聖という同性の恋人がいると。その妄想の肥大とともに、やはり周りに認められてもらいない悔しさから、架空の氷華聖を殺し、そしてそれを裏付けるために自分で嘘の記事も作ってしまった」
あのニュースサイトにかかれている内容は全て嘘であった。コネを総動員さてIPアドレスなどを調べた結果、発信元は彼女の携帯で間違いなかった。
「嘘嘘! 聖はいる! 聖は、いる……」
頭を振り回す。子供のように泣き叫ぶ。
「それについては、私は否定をするつもりも肯定をするつもりもありません。妄想であると仮定をしていただいて、あなたが妄想の中の恋人をどうして殺してしまったのか、そのことは私どもは分かりません。が、一つ確実に言えるのは、『クロネコ』でできることはここまでです。一応、あなたにはこちらの番号をお伝えしときます。私どもが懇意にさせていただいている心療内科のものです」
「嘘だ、嘘! 聖はいる! いるんだ……」
「納得の有無はあなたにお任せいたします」
「嘘、なんだ……」
その後も嘘嘘嘘という言葉をつぶやきながら一向に視線を合わせようとしない霜柚子。その姿は哀れにも思えていくが、彼女はいたって真面目なのだ。嘘なんて一つも、誰もついていない。少なくとも彼女の中で氷華聖という人物は生きており、そしてひき逃げにあい、殺された。
音羽はやおらに立ち上がり、そのままふらふらと頼りない足取りで帰っていく。
「零くん、これで、いいんだよね」
「クロネコは仕事を全うしました。これ以上、我々ができることはありませんよ」
零は小さく呟いて、心療内科の電話番号書かれたメモ書きをゴミ箱に投げ捨てながら呟く。
「あなたに幸せを」
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