第二章:苦しき嫉み

「……血が騒ぐ」

「えっ?」

「……ユウがそう言っているの」

「あ、あぁ……、そうなんだ」

 心がぼそりとつぶやいた一言に光は驚くが、その真意を知って次は別の意味でひいた様子である。

「って、いや、幽霊って血がないでしょ?」

「……別に生きていても血は騒がない。比喩表現」

「まぁ……そうだけど」

 一応同意の言葉を呟いているが、それでも納得をしている様子ではない。別に無理やり納得をさせる必要性もない。

 横目でいまだに腑に落ちない顔をしている光を確認してから、今一度今回の依頼場所を見上げる。

 そこは廃病院。

 都会の喧騒を忘れさせるようにひっそりと、立ち続けている。目の前に立つだけでも、そこには何とも言えない思念が取り巻いていることを心はひしひしと感じ取れていた。

「ポルターガイスト……でいいんだよね」

 依頼内容がまとめられた紙を眺めながら確認をするように言う光に、頷きで返事をする。今回の依頼者――――雨松あままつ幸谷こうやはこの廃病院を格安で買い取り新たな工場を建てる予定なのだという。しかし、その廃病院には物が勝手に移動をする、ラップ音等……いわゆるポルターガイストと呼ばれる存在が散見されたらしい。また、雨松自身もこのポルターガイストにより怪我を負ったらしく、右腕が骨折をしていた。つまるところ、確実に害をなす悪霊がとりついていることはまぎれもない事実ということになる。

「というか、零くんは?」

「……零はクロネコで待機。何かあったときにすぐに動けるように」

「それってつまり……」

「……私たちと連絡を取れなくなったら、すぐ駆けつけられるように」

「あ、はは」

 つまり、連絡を取れなくなるような出来事に直面する可能性もある、ということだ。そのことに光も気がついたらしく、引き攣った笑いを浮かべている。

 特別なことがない限り連絡は10分区切りで、ワンコールのみの電話をかけることになっている。

 きっかりワンコール。短すぎず長すぎないそれを、零に送る。

「……お姉ちゃん、いくよ。離れないで」

「うん……!」

 最近気づいた事だが、どうやら光はお姉ちゃんと呼んでもらうことに対して妙な嬉しさを感じているらしい。今まで少し暗かった声音が跳ね上がった。しかし……それも一瞬。すぐに顔が曇る。

 光自身には霊感はほぼ皆無だが、先の事件の関係上、彼女は霊に好かれやすい体質をもつ。その為か、ここの異常性に気が付けたらしい。

「……大丈夫、ここにはいない」

「そ、そうなの?」

「……うん、あと、あんまり怖がりすぎないで。幽霊はそういったものが好きだから」

 怖いという気持ちを隠せ、というものが難しいことは心も理解している。お化け屋敷ならば所詮、人が意図的に作ったものだから怖くないよと励ますこともできるが、『所詮ただの幽霊だよ』などと励ますことはできない。逆効果もいいところである。

「私、梢さんに霊力とかそういったものがわかるって聞かされたんだけど」

「……知ってる。その説明もしながら、歩く。……低級霊は私も近寄らないとわからないから」

 こちらの話に気が向けば恐怖心も消えるだろうと、光に説明を始める。ただしくはあくまでも『クロネコ』の解釈なのだが、細かいところはいい。

 ――――話をまとめるとこうだ。

 人間は五感をもって産まれることが多い。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。しかしながら、人は時としてもう一つの感覚……第六感をもつことがある。その第六感の鋭さを、霊力と呼んでいる。基本的にその他の感覚同様鍛えることは難しいが、集中を促すことで鋭くなり、その他の感覚情報をシャットダウンする技術を持てれば大きな成長を得られる。心自身、集中をしたいときは、意識を集中させ、聴覚や触覚などを消し去る方法をとることもある。

「ん~、けどその第六感で何を感じ取ってるの。視覚は光、聴覚は音、味覚は味を感じているわけだけど」

「……これも、『クロネコ』の解釈だけど、磁場だと考えてる」

「磁場?」

 いまいちピンときていない様子だ。磁場など日常で使う場面などかなり限られ、それらを実感することも少ないため仕方がないことだろう。

「……磁場は幽霊や、もちろん人間も微量ながらだしてる。それらを受け取っている、と理解している。……私や零はその第六感による磁場を視る能力がある」

「視覚と共有しているってこと?」

「……それは分からない。だけど、第六感のほとんどは感覚とリンクがしやすい。たぶん、お姉ちゃんは触覚と深くリンクしていると思う」

「あっ……寒気とかってそういうこと?」

 コクリと頷く。

 心も零も、もちろん霊視れいし以外にも、光と同じ霊触れいしょくや、霊臭れいしゅう霊聴れいちょうも習得しており必要に応じてそれらを呼び覚ますこともあるが、一番優れているのが霊視能力だ。

「あれ……じゃあ、物が動くというのはともかく、変な音が聞こえたりとかするのって聴覚と第六感がリンクをしているってこと?」

「……その可能性もある。だけど、多くの場合は磁場がおかしくなる程度の異変が起きているのではなく、現実世界にも作用をしている、ということ。『磁場手袋』の反対を行っていると考えて」

「!!」

 何かに気が付いたようにハッと顔を上げる光。そういえば、彼女が『磁場手袋』を一番に勧めたのは母である梢だったはず。この会話すら予見していたのかと疑いたくもなる。さすがにそこまでは……と思いたいがまったくもって読めない存在である。

「……ともかく、そういった存在から私たちは幽霊と呼ばれる存在を認識している。そして、このフロアにはそういった強力な存在はいない……」

「そうなんだ……。心ちゃんは今回の怪事件についてどのような見解をもっているの?」

「……お姉ちゃんのようなややこしさはないと思う」

「じゃあ、普通にここの一番強力な幽霊か、核となるものを除霊して終わり?」

「……まだ、断定はできないけど、それも違う。今回のこれは、感覚的にいうと、怨嗟えんさ、な気がする」

「怨嗟?」

 光の疑問には答えず、個々の見取り図をナースステーションから取り出す。

 病院自体は七階建て。一階がロビー兼いくつかの診察所。二階、三階は用途別に分けられた手術室や薬剤調合室。四階以上はそれぞれの病気に合わせた病室。個々の病院は消化器内科、呼吸器科、形成外科、心療内科……様々な分野を手広く行っていたらしい。

「へー、見た目からも思ったけど、大きな病院なんだね。ちらっとみえたけどロビーとかも広いし、ナースステーションもそれなりに広そう……。それなりに儲かってたような気もするんだけど、なんでたたんじゃったんだろうね」

「……おかしいと思わない?」

「何が?」

「……お姉ちゃん、この病院――――虹総合病院について少し調べて。特に、よくない噂を」

「う、うん」

 光に外的要因に関する調査を任せている間に頭の中でいくつかの考えを羅列させていく。なぜ、母親が自分に今回の事件を任せて、そして光を連れ出したのかも含めて。

 梢は一見無駄に見えるようなことに対して、実はその奥に意味をもたらすことがある。光を近くにおいてあるのと同様になにか意味があってもおかしくない。これが本当に無意味ならば、ユウにいろいろと喰らってもよいと許可を出してけしかけたいぐらいだ。

「あっ! ここって……」

「……なにか、出たの?」

「うん。はぁ、そりゃこの病院つぶれるし、霊もでるかも……。ここはね、ある事件が原因でつぶれたみたいで、その事件というのは――――連続殺人事件」





 虹総合病院から徒歩で10分ほどのところにある、公園のベンチで座り、コンビニで買ったオレンジジュースで喉を癒す。手には同じくコンビニで買ったシャープペンシルとルーズリーフに今回の概要を書いていく。

 公園は日中にも関わらず誰も人がいない。そのことからもこの付近は寂れてきていることがわかる。いや、もしかしたら、近くの廃病院の噂をしっており、近寄りたくないのかもしれないが。

「……そうだ、コンビニの領収書、ある?」

「あるけど?」

「……必要経費として依頼者に徴収する。とっておいて」

「この領収書、私たちのジュース代もあるけど」

「……問題ない」

「いや、問題でしょ……。いいのかなぁ」

 と、悩んだ様子ながらも領収書を丁寧に保管し始めているあたり光もクロネコの雰囲気に慣れ始めていることを感じる。そもそもこの段階でかな危険な仕事となっている為に請求される金額は大きい。今更240円ほど増えたところで問題ないだろう。

 あらゆるページを巡り調べた結果、虹総合病院の事件は光が物心を覚える前に起きたものであることが発覚したものだ。とある看護師による被害者7名に及ぶ連続殺人事件だ。発覚とあるとうり、長年にわたっての犯行であり、実際の被害者数はさらに多いと予想されているらしい。犯人の女性によると意識すら保っているか怪しい重症患者に心臓、脳血管系に影響を与える薬を投与し殺害したらしい。

 裁判では責任能力の有無が主な焦点となったが、供述がしっかりしていた点、犯行に用いた薬のある種、適切な選別、隠蔽方法等が決めてとなり、最高裁により死刑宣告をされた。現在もなお東京拘置所において収監中とのことである。

 なにより恐ろしいのは物心がつく前の犯行であるとはいえ、7名もの死者を出した事件の舞台となった場に来ていたにもかかわらず気づいていなかったことであろうか。

「それで、こんなところにきて何書いているのか。説明してくれる?」

 光には今回の事件の概要を話し終えた後に、すぐコンビニでこれらのものを買ってくるように指図された。その間に特に文句を言わなかったのは優主な助手である証である。

「……勘違いしてるかもだけど、私たちの本職は霊退治じゃない」

「えっ?」

 光自身、怪奇現象で相談を持ち掛けた身であるためか眉根を寄せている。筆のスピードは保つようにしながら仕事についての説明を再開する。

「……私たちは神霊界では呪術師に分類されている。つまり道具を使い呪術を繰り広げることに長けた存在。霊退治は仕事を遂行するために必要な過程でしかない」

「過程がとんでもないレベルだけど……確かにそうだよね。私の時もそうだけど、心霊現象打破のために幽霊を倒すだけじゃないもんね」

 特にクロネコでは素人でも扱える呪術道具をバラエティー豊かに作っており、ひどいものには『夢喰いのバグ』なんてものもある。

「……霊力は偶然にも高いだけ。もちろん、依頼を受けて動くけども」

「そ、それで?」

「……だから、基本的に私の力だけで霊を倒すことなんてできない。道具との併用が必須。……そして、今回のポルターガイストの原因にはこの連続殺人事件をひどく妬む存在」

「殺された人の悲しみとかじゃなくて? 死んだ人間が化けて~とか」

「……そんなのはオカルト」

「えぇ……」

 思いっきり引いた声音をあげられた。オカルト話をしていたにもかかわらずそれはオカルトと言われたようなものだ。太った人間に食べすぎだと注意されてるのとニアリーイコールだろう。心だって一般人の感覚を忘れたわけでないため推測できる。

「……そもそも、重要なのは意識すら怪しい重症患者を襲っているという事実。統計データ的には殺人の被害者は強力な幽霊になりやすいけど、殺される直前に恐怖などの強い負の感情を持っていることが多い。つまるところ、今回の事件においてはそういった意識を被害者が持っていたとは考えづらい。その可能性は無視で大丈夫」

「統計、データですか……」

 思わず敬語になっている様子だ。しかし、手相などの占いも緩い統計データであることも多いため間違いではない。『クロネコ』としても統計は大切にしている。

「それは分かったけど、それで何を書いているの?」

「……怨嗟をもとにしたポルターガイストならばその思いを打ち消す必要がある。想いを消す方法はいくつかあるけど、その一つがこれ」

「あっ! これ、『監獄プリズン』!」

「……なんでも閉じ込める『監獄プリズン』。その内容量を大きくすためのブースト呪文を書いた紙と、封印の方は簡易なものだから、この仕事が終わったらやり直す必要があるけど」

「それがあったら、どんな事件もたちまち解決じゃないの? 例えば世の中の幽霊を全部とか」

「……いい幽霊もいるし、そもそも容量が足りない。それに、神様とかの曖昧な存在も吸い込まれる可能性がある」

「うん、まず神様がいるんだ」

 それが一番の困惑ポイントだったらしい。だが、おそらくこの後の行動が一番驚くところだろう。

 カバンからカッターを取り出しだした刃で人差し指を切りつける。

「ちょっ!?」

 ツーと血が滴りその赤いしずくがブースト封印両者の紙を濁す。

「……血は契約の証。DNAの塊であるから最も簡単に異能の力を引き出す方法」

「き、急にカッターを持ち出すからびっくりしたよ」

「……あっ、ユウ。ダメ、食べちゃ。うん、匂いだけなら、いいよ?」

「何言ってるの?」

「……ユウが私の血に反応してる。血の匂いが好きなんだって」

「それって大丈夫なの?」

「……喰われさえしなければ大丈夫」

「喰われる可能性があるんだね」

 なお、仮に喰われたとしても多少精神力が持っていかれる程度なのでほぼほぼ問題はない。霧桐家のメンツならば。

「……さぁ、戻ろう。一連の事件に終止符を打ちに。依頼者の思惑通りになると限らないけど」

「どういうこと?」

「……見てたら、わかるよ」





「……うん、わかった、零。じゃあ、もしもの時は解呪よろしく」

『そのはないことを祈ります』

 その言葉には何も返事をせずに電話を切る。息を短く吐いて意識を集中させる。

「電話、終わったの?」

「……うん。いこう」

「わかった。それにしても言われた心ちゃんの言うとうりだもんね。疑いたいわけではないけども……私もこのまま終わらせたくはないかな。じゃ、私は予定通り調べてくる」

 光を見送り自分は一人、最上階へと向かう。正しくは、一人と浮遊霊一体だが。

 コツンコツンと歩みを進めるたびにホコリやカビの匂い、嫌な空気が全身をピリピリと襲う。霊触反応が顕著な光ならばひどい倦怠感と吐き気に襲われていたことだろう。感情という曖昧な存在は、その磁場を越えることが出来ずに立ち止まる。

 そして上り切ったところで、空気の異変を確実に感じる。同一の存在などではない。明らかに異なる質量をこのフロアは包んでいる。

 スッと、監獄プリズンを発動させようとした瞬間、心に感情の波が襲ってくる。



 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い




 そして、その感情は次第に明確な言葉をなくす。



 ――――――――――――!!!!????



 叫び、恐れ、不安、嫉妬、怒り、嫉み。

 人間のありとあらゆる負の感情が固まったものが心を縛る。まだ自分はここにいたいんだという感情が、反射的に『監獄プリズン』を恐れて攻撃を仕掛けてきたのだろう。

 メキメキと関節が鳴る音を感じながら重い唇を開く。

「……入れ、悪意よ!」

 ドクンという鼓動の後、高鳴っていた血が重力に従い、正しい循環を思い出していく。『監獄プリズン』に感情が吸い込まれていく。行き場をなくした感情は全て消えていき出せと道具が暴れだす。新たに封印術式を施し簡易的な封印を強固にすると、ようやくおとなしくなった。とはいえ、この封印は一時的なものだ。できうる限り早く、正式な封印術式を施す必要があるだろう。クロネコでも対処をしようと思えばできるが、ここまで肥大化したのであれば提携している神社に奉納をするのが安全だ。

「……でも」

 心は一言呟く。やはり、まだ濃く感情が渦巻いている。今回取り込んだのは肥大化した有象無象の感情。その肥大化していった感情も元をたどると小さな欲望の塊だ。生まれたてのそれは薄く、心ですら意識をしないと見落とすレベルだが、ほっておくと今と同等かそれ以上のものになりかねない。

 スマホで零あてにメールを作成しながら一階へと歩く。足音が階段に反響して鼓膜を揺らす。ポケットからチリチリとカッターナイフをを取り出しいつでも媒介用の血を扱うできるようセットする。手袋の下にはまるで自殺志願者のように幾重もの傷跡が残っていた。

 ナースステーションまで戻るとひょこりと光が顔を出す。

「お帰り、心ちゃん」

「……うん、目的のものは?」

「ちょうどここにあったよ。よっぽど慌てていた様子だよ」

 光が差し出したのは目視などで分かるここの構造マップだ。しかし、丁寧に書いていくと一か所だけ不自然な部分が現れる。一部屋分ないのだ。通常ならこのような残し方はしないだろうという形で。

 こういった能力は光の方が上だ。もしも、自分一人で来ていたのならこれを割り出すのにもまた時間がかかっていたことだろう。

 光を連れてナースステーション奥の壁へと向かう。そう、ここがデッドスペースへの唯一の入り口。

「ねぇ、やっぱりそうなのかな?」

「……確定はできないけどその可能性は高い。彼らは霊力というものを甘く見たみたいだけど、無駄ということを教えなくちゃいけない。……磁場が見えるということは嘘も見抜けるということを」

 意識を集中させて視覚の共有を優先させていく。

 ――――……視えた。

 壁に手を当てたまま通常ならまず触らないであろう資料が大量に置かれている本棚の後ろにまで持っていきグッと力をかける。

 クルリ。

 少しの抵抗の後、壁が回転する。

「まるで忍者みたい」

「……いこ」

「あっ、ま、まって。ん、んー」

 自分は細い体を活かしてそのまま無理なく入り込むが、光は自分の胸が仇となり、本棚につかえてなかなか入れないようだ。

「…………」

 新たな怨嗟が産まれそうな気がしたので、努めて平静を装う。

 ようやく光がやってきたことを確認して室内に視線を移す。

 金だ。

 そこにあったのは数億に及ぶ金。

「これは、欲望も渦巻きますよね」

「……決まり。写真撮っておいて」

「うん」

 呼吸を小さくしてこの金の山を見上げる。そして依頼者に連絡をつけたという零からのメール。

 ――――……本当の闘いはここからだ。

 手首を傷つけてここに渦巻く汚い嫉妬を封印しながら心は呟いた。





 クロネコを離れて、こちらが指定した神社の離れに、今回の依頼者を呼んだ。

 神奈川県の山中にある神社はクロネコとも提携を組んでいる数少ない、信頼をしている神社であり、守秘義務もしっかりしている。

 交渉テーブルには中央に梢、隣に心が座り、後ろには零が立っている。光は雑用などどを任せ、向かいに座る依頼者に茶をだしたところで、ようやく交渉が始まった。

「ようこそおいでくださいました」

 いつものはじけた声ではない梢が口火を切る。

「それで、どうしてこんなところに? 依頼した時点で、ポルターガイストをなくしたら報告だけでいいという話だったが」

 明らかにイライラとした様子だ。人差し指でトントンと自分の腕をたたいている。

「では、まずご報告から。ポルターガイストの原因となっていた存在は封印しました。本体は既に神社内に収めている為見れませんが、写真はございます。御覧になられますか?」

「いらん」

「そうですか。さて、我々クロネコの仕事しては……一通り終えたわけですが完遂はしておりません。依頼内容はポルターガイストを完全に収めてくれ、といことでしたので、今後の再発も防止して完遂とさせていただきます」

「別にいらん。一時的でも収まればそれでいい」

「そうおっしゃらないでください。それにいずれ大きな問題となりうるものを放置するほど『クロネコ』は優しくないので」

 心ですらゾクリと背筋を撫でる悪寒が走る。これは霊感がどうこうというものではなく、人間の底に潜む本能のようなものが恐怖を訴えていることがわかる。さすがにその瞳で射抜かれてなお、ごねる様子は見せずにおとなしく黙り込んだ様子だ。

「こほん――――。そもそも、今回の件、依頼者様にご契約の際にご説明しましたが、何か事件が合った物件なら事前に説明をしておいてくれとお願いしたはずですよ?」

「あ、あぁ、そのことか。俺は不要だと判断していただけだ。なんだ? では違約金でも払えばいいのか?」

 全くもて反省の色を見せない。このふてぶてしさは賞賛にすら値するだろう。

「いえ、違います。そのようなことは些細なこと。私どもの力であればこれぐらいならば、ほぼほぼ問題ありません。ですが、私どもで対処できるのは今か過去のみ。未来に当たる困難は対処できないわけです」

「何を言いたいんだ?」

 明らかにいらだった様子だ。そこには軽く怒りに色も見て取れる。

「光さん」

「はい、わかりました」

 光は頷くと近づき、依頼主の前に一つの機械を差し出す。

「こちらはボイスレコーダーとなっております。この先の会話は録音させていただきたいと思うのですが?」

「録音? なぜそのようなことを?」

「録音されて困ることでも?」

「なにを――――」

「困ることがないのであればいいじゃないですか。今回録音させていただくのは先の契約違反にも関連した別の違反事項にも関わっているんです。法的処理を行いやすくるためにも、ここは素直に従っていただければ何もしませんよ? 我々としても大ごとにはしたくありませんので」

「……好きにしろ」

 たたみこまれたセリフに飲み込まれ男は録音を了承する。この流れは梢によってレクチャーされていた。大切なのは言外の部分を強く意識させることが大切だ。素直に従えば何もしないということは、従わなければどうなるかわからないということである。

 しかし、ここで霧桐家以外の人物が話せるようになったことは大きな進歩だともいえる。一応はただのアルバイトであることは誰にとっても明白なために多少は警戒意識を薄くしてくれる。『クロネコ』でアルバイトをしている時点でだいぶ異端ではあるのだが。

「さて、本題に入りたいと思います。今回の一件がすぐに終わらないのはある問題から。その問題が原因で近い未来にまた、ポルターガイストをおこすことになっています。その問題というのは強すぎる感情であることをお伝えします」

「……看護師連続殺人事件。それにまつわる感情が起爆剤となっていた」

 補完をしながら、この事件を知っていることを確認させる。さすがに事件の名前からしらばっくれるつもりはないらしく大人しく頷く依頼主。

「さて、問題があります。悪意という感情を封じ込めたわけですが、その後すぐに欲望が包んだ、という報告を受けていますが、心?」

「……うん。こびりついた欲望が渦巻いていた。」

「そして私どもで調査をした結果、ある事柄が判明をいたしました」

 零が微笑みを崩さずに続きを引き受けた。

「虹総合病院の出資者欄にありましたよ、雨松幸谷という名前が」

 出資者欄の一つに赤いペンでアンダーラインをひいてあるところをトンと示した。

「ふん、だからこそあんな廃病院を知っていたんだ。それが売りに出されると知ってな。俺ならあの土地を活用できると考えただけだ」

「一つ確認ですが、あの病院の扉の鍵はあなたしかもっていないということで?」

「それでいい。あの土地を購入したのは三年前。それ以来放置していたが……」

「なるほどだとしたらおかしいですね」

「はぁ?」

 拍子外れな声を上げる雨松幸谷を無視して話を続ける。

「雨松さん。あの病院に頻繁に出入りしていましたよね」

「さぁな」

「我々が侵入してすぐの写真です。おかしいですよね。明らかにホコリが少ない。頻繁に出入りをしていたことを示しています」

 雨松幸谷が少しだけ瞳を大きくさせる。

 光は気づいていない様子だったが、心が最初に感じた違和感はこのホコリだった。明らかに少ない。廃病院に入れば少なからずせき込むのが常というものだが、その片鱗すら一階のフロアにはなかった。もちろん、掃除されているわけではないが、何者かが歩いている様子が感じられたのだ。

 零がさらに一歩近づいていくつかの書類と写真を取り出す。

「さらに、私の調査ではこの病院の封鎖により慌てた様子が見られました」

「それは、そうだろう。あの看護師が慌てるのは当たり前だ」

「誰もあの看護師が慌てたとはいっておりません。そもそも、彼女はサイコパス度がかなり高い様子。裁判での姿からもそのことは顕著に現れました」

「私どもは明らかにしたいのです。なぜ、あのような、おかしな部屋があったのかを」

「お前ら!!」

 焦りを含めた怒声が放たれる。

「私どもの推測はこう。ある部屋に入りたいがために虹総合病院を購入。しかしながら、そこに大きな問題が。それがポルターガイスト。そのせいで部屋への侵入をすることが難しくなっていた。困っていたところに見つけた『クロネコ』の存在。その部屋に入りたいがために私どもに頼んだ」

「何を見た」

「えぇ、心が言うには大量にあったらしいです」

「はっ! まどろっこしい。てめぇらの推測は半分しかあってねぇな。あそこは物を隠しておくのにはちょうどいい舞台装置だ。もとより病院経営は適度なところで終わらせる予定だったが、看護師に予定が一部狂わされただけ。その後ばかげたことが起き、おかしな噂がたったり、プールした金を残しておきたかっただけだ」

「……なんで、あんなに大量に残していたの?」

「あれだけの金を隠し持つにはちょうどいい。私文書偽造やらもろもろの時効は迎えたが、そこから他にも足が付くこともある。それで数億の金を無駄にするのは馬鹿らしいだろう? お前らも馬鹿じゃないならおとなしく要求金額をいえ。1億か? 2億か?」

「……何を言っているの? 私達が言っているのは個人情報の乗った書類をなぜ大量に残していたのか、ということ」

「っ!?」

「……個人情報にうるさい今。出資者のあなたにも火種が来ないとも限らないから隠そうとしていたものだと思っていたけど」

 そこでようやくはめられたことに気が付いたのだろう。目の前には録音テープ。これは確実な自白だ。

 雨松幸谷は乱暴にその録音機を床に落とすと革靴で一切の迷いもなく踏みつけ、破壊する。

「失礼。手を滑らせてしまった。賠償金だ」

 サッと財布から万札を何枚も取り出し放り投げる。

「てめぇらの目的などしらねぇが、こっちとしてはあの場所さえ確保できればいいだけの話だ。お前らに見つかった以上場所を移動させればいい。黙ってりゃ痛い目見なくて済むんだよ。この件はこれで手をひけ。さもなければ、殺すぞ?」

 威圧した声でにらみつけてくる。だが、そこに返るのはおびえた了承お声ではなく光の冷静な声だった。

「先ほどの発言、撮らせていただきました。立派な脅迫罪ですね」

 懐からもう一つの録音機を取り出す。

「ぐっ……!」

「交渉術としては割と有名どころだと思いますが。私は一言も一つの録音機といってませんよ?」

「ちなみにですが、光ちゃん以外にも私たち全員の懐に録音機は入っています。いえ、懐だけでなく様々な場所に。無理に手を出そうというのであればその証拠もバッチリとられることでしょう」

「も、目的をいえ! 警察に言うとでも? なら半分だ。あそこの金をやるよ。足が付くのが怖いというのならしばらく待ってくれればマネーロータリングしたうえで渡してやる」

「……そんなのいらない。私たちの目的は任務の完遂。想いの連鎖をなくすべく欲望の元となっているあなたを止めたいだけ」

「…………」

「……クロネコは契約をどのような形であっても必ず完遂する。もしも、まだ虹総合病院に固執するというのなら、あなた事封印すればいいだけの話」

「なっ」

「……それが契約だから」

 いきり立っていた雨松幸谷が顔面蒼白させ、椅子につく。

「……ちなみに、虹総合病院にとりついている想いには捕まりたくないというものもあった。それを消すためにはあなたの逮捕以外の結末はない。……近くは大丈夫。だけど、いずれこの感情がおおきくなろうものなら、依頼完遂のためにあなたを『監獄プリズン』に閉じ込める」

 雨松幸谷は話を聞いているのか聞いていないのかぼんやりとした目で心たちを眺めている。これ以上話すことはない。梢の退出をきっかけに次々に退出していく。最後に残った心が振り向き、絶望に染まったその声に挨拶する。

「……あなたに幸せを」

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