放課後のこと
「僕が『僕』って言うの、そんなに不思議?」
彼女はクラスでは随分浮いた存在だ。
授業の三分の一は居眠りをしていて、三分の一は窓から空を眺めている。
運動は得意そうに見えるのに、ルールのある競技は苦手。
人間よりも猫と話している時間の方が、たぶん長い。もちろん猫語が話せるわけじゃない。
そして彼女は自分自身のことを『僕』と言う。
いつだったか綴が話しているのを聞いてから、それがずっと気にかかっていたけど、彼女と親しくしている子なんてクラスにはいないから誰に訊くこともできず、結局こうして直接話しかけるしかなかった。
綴が目を細めて笑う。
「僕がおかしいのなんて、一人称に限ったことじゃないよね」
「だからって、それが不思議じゃなくなるわけでもないでしょ」
「否定しないんだ、おかしいってところは」
失言だったな、と思ったけど、綴は気にした風でもなく言葉を続ける。
「素直なのはいいことだよ。お世辞を言われるよりずっと好き。それに、ひとつ分かったこともある」
「分かったこと?」
「そう。つまり君の質問の答えなんだけど」
彼女は、いいことを思いついた、と言わんばかりに身を乗り出す。
「君に訊かれるためにそうしていた、っていうのはどうかな」
「どうって言われても……。じゃあ、何? 『僕』って言い方に疑問を持った誰かに質問させるために、わざわざそういう口調にしてたってこと?」
「誰かに、じゃなくて、君が質問してきたからそういうことになったんだ」
綴は含み笑いで小さく肩をすくめる。馬鹿にされたのかもしれないけど、その表情がいたずらを成功させた子供みたいに見えて、なんだか腹も立たなかった。
彼女は楽しげに語る。
「僕が僕をどう呼ぶかに理由なんてないよ。君がそうであるのと同じくらいに。ただ、僕がどんなおかしな女の子でも遠巻きに見ているだけの君が、そのことはどうしても気にかかって、話しかけてきた。だからこの瞬間、自分の呼び方に意味ができたってこと。『私』でも『俺』でもなく、『僕』である意味。分かる?」
「……ううん、順序が逆だと思うし、正直全く分からないけど」
分からないなりに理屈をひねり出してみる。綴自身は自分をなんて呼ぼうが関係ないけど、でも、話しかけられたから『僕』が特別になった。つまり、会話のきっかけになったことが重要……。
「誰かに話しかけられて、嬉しかったってこと?」
「誰かに、じゃなくて、君に」さっきと同じ訂正をされる。「自覚はないかもしれないけど、クラスで一番僕のことを見てる人間だからね」
「あ……」
顔が熱くなる。そのことに自覚はあったのだ。自覚はあったけど、気づかれているとは思わなかったし――気づかれないなら平気、と思っている自分自身にも気づかなかった。
綴が真っ直ぐこちらを見ている。瞳を通して、羞恥の底まで見透かされそうな気がした。
「ついでだから、他に質問はない? ただ見ているだけよりは面白いと思うけど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます