青い瞳は

【僕は、ただのガラス瓶だったんだよ】


 白い回廊で、僕は立ち止まった。

 廊下の洗面台、その上の方に設置された透明の窓に視線がいった。

 外は青く晴れ渡っている。窓の横からひょっこりと伸びた華奢な木の枝には黄色い葉がついていて、風に吹かれる度に揺れていた。


「秋……アキ……秋華。

 うーん。

 秋に華って、なんか違うよなぁ……」


 誰もいない廊下にそう残して、再び歩みを進めた。

 真っ直ぐに伸びた二階の廊下を歩き、突き当たりで右に曲がる。

 左の壁には、スライド式の扉が2つ設置されている。

 僕は奥の方。

 雑な作りの観葉植物が置いてある方の扉に大して、緩慢な動作で手を掛けた。

 扉を開ける前に、深く一度深呼吸をする。

 ……緊張する。

 喜ばしいことだけれど、同時に心臓が激しく鼓動していた。

 ふっ、と息を一気に吐き出して意を決する。

 決意の輪郭が滲まぬうちに、扉をガラリと開けた。


「……あ、来た来た」


 扉の奥には、一人の女性がベッドに身を預けていた。

 微笑みを浮かべながら、僕を見る。


「……よく、頑張ったね」


 意識したわけでもなく、そんな言葉が口から漏れる。

 彼女は朗らかな表情で頷きつつ、腕に抱いた小さな命を僕に見せてくれた。


「ほら。赤ちゃん、だよ?」


 白いタオルに包まれた小さな命が、そこで眠っていた。

 予想以上に小さくて、驚きの声が漏れる。


「うわ、ちいさぁ……」


「そうでしょ? ねぇ……やっと、生まれてきてくれたね」


 愛おしそうな目で赤ん坊を見る彼女は、今まで見てきた彼女の顔と全て違っていた。

 これがいわゆる母親の顔、だろうか?


「ねぇ、抱っこしてみない?」


「えぇ……? う、上手く抱けるかな?」


 困惑しつつも、本当は抱き上げたい気持ちでいっぱいだった。

 彼女はそんな僕を見透かしたように微笑んだ。


「首、まだ据わってないから支えてあげてね」


「う、うん……」


 言われた通りに、ゆっくりと優しく抱き上げる。


「か、軽い……」


 び、びっくりした……。

 赤ん坊とはいえ、産まれたばかりの命がこんなに軽いだなんて……思わなかった。


「ね、可愛いでしょ?」


「……うん。すごく、ね」


 顔が綻ぶ。

 眠っているけれど、小さく弱々しいけれど。

 たしかに呼吸をしている、この子は今生きている。

 そう思うと、強く抱きしめたくなった。

 もちろんそんなことはしないけれど、たまらなく愛おしかった。


「ねぇねぇ」


 見ると、手招きをする彼女がいた。

 どうやら耳を貸せ、ということらしかったので、ゆっくりと耳を彼女の方に持っていく。


「あの、 実はね……」


 囁き声で、彼女は言った。


「――――」


 最後のピース。

 そしてようやく、僕は真相を知った。




 夜中。

 静寂に沈んだ病院内にいても、気持ちは昂ったままだった。

 仕方なく、僕は病院の屋上へと足を運んだ。

 街の郊外にある病院というだけあって、満天の星空が夜を背景に輝いていた。

 少し歩いて、柵に体重をかける。

 秋の始め、風は冷たい。

 熱くなっていた頬の熱が、少しずつ収まるのを感じる。

 ある程度冷めたところで、後ろのポケットに手を突っ込む。

 そしてゆっくりと、翠のペンダントを取り出した。

 月光の入り込んだ宝石は、月白の色を呑み込んで淡く光る。

 その様を、僕はしばらく眺めていた。


「……ようやく、気づいたかな?」


 途端、聞き覚えのある声を背後に聞いた。

 ハッとして、そして笑う。


「うん。

 ……ようやく、わかったよ」


 振り返ると、いつかのメシアがそこは居た。

 あいわからず、瞳は青い。


「まさか、自分の子供の目が青いだなんてね。ほんっと、驚かされたよ、全く」


 先程、囁き声で聞かされた真実を思い出す。

 生まれた子供の目が、青い。

 そんなまさか、と疑うことはしなかった。

 むしろ分からなかったことが突然腑に落ちて、笑いが出たぐらいだ。


「いやー、ごめんね?

 でも流石に、未来から来たあなたの子供です。って言っても信じなかったでしょ?」


「うん。自分の子供の目が青いって、まさか思わないし」


「でしょー? だから仕方なかったんだよう」


 彼女は悪戯っぽく笑って、その後すぐ、朗らかな顔をした。


「でも……ありがとね、父さん。


 ――生きてくれて」


「いいや……そんなの、僕はなにもしてない。

 僕はなんにもしてないよ。

 君が助けてくれたんだ、君に助けられた結果だったんだよ」


 僕は言った。

 あのまま彼女に会わなければ、僕はきっとここにいなかった。

 間違いなく、死んでいた。

 彼女は無言のまま、僕の言葉を咀嚼するように何度も頷いた。


「……ねぇ、父さん」


「ん、どうかした?」


 彼女の発した言葉が妙にぎこちなく感じて、僕はたづねた。

 見ると、恥ずかしげに視線を逸らしながら、彼女はモジモジしたように指をつんつんと付き合わせていた。


「いや……その……、た、大したことじゃないんだけど……さ」


 そして、意を決したように彼女は言った。


「あの……えと……。

 ほ、褒めて……くれない、かな?」


「……え?」


 あまりに突然の事だったので、思わず聞き返してしまった。

 いや、彼女の言ってることは当然だ。

 子供は、親に褒められたいと思って当たり前だ。


「あ、あぁ……うん、いいよ。

 よく頑張ったな」


「いや、そうだけど……そ、そうじゃなくて!」


 あれ、間違っただろうか?


「えっと、じゃあ……どうすればいい?」


「……頭」


「え?」


「あ、頭! ……撫でて欲しい」


 ……一体、未来の僕はどれほどこの子を溺愛したんだ?

 自分で自分に呆れる……まぁ、赤ん坊はすごく可愛かったのだけれど。


「う、うん。わ、わかった」


「あ! わ、笑わないでよー!」


「い、いや。笑ってない笑ってない」


 言ってゆっくりと、彼女の頭に手を置いた。

 触り心地の良い髪を、優しく撫でる。


「ん…………」


 嬉しいのか、彼女はほほえんでいた。

 しばらくして頭から手を離すと、彼女は満足気な表情をしていた。


「……ふふっ。ありがと、とーさん!」


「いや、いいよ。こちらこそ、ありがと」


 僕は笑った。

 彼女も笑った。

 僕は今、幸せだ。

 一時は、たしかに苦しかった。

 悲しかった。

 つらかった。

 けれど今の幸せを作っているのは、あの時の僕達だ。

 つらかった僕に、悲しかった僕に、つらかった僕。

 そんな僕たちがいたからこそ、今。

 僕はいる。

 それに気づいた今、僕はまた強くなれた。

 これからの災難も、災厄にも屈することなくやって行ける。

 そんな気がした。


「あ、そう言えばさ。父さん」


「なんだい?」


 思い出したようにいう彼女に、僕は訊ねた。


「あの日、父さんはさ。

 どうして死のうって、思ったの?」


 あぁ……そう言えば……、そうか。

 僕は思い出して、そして答えた。


「さぁね。もう、忘れちゃったよ」


 僕は精一杯の笑みを浮かべて、そう答えた。


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群青の瞳 チョコレートマカロン @Bsk

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