第四話 電波系



「あ、居た、よく居てくれました、多田さん!」

「……んぅ? この声は、すえちゃん?」

「そうです、そうです。私です!」


 自分の椅子に身を預けて、ぼうっと思い出とメランコリックに浸っていた私に、突然声がかけられる。

 開きっぱなしの教室のドアから顔を覗かせていた大声の元は、武部たけべすえという、元クラスメートの友人だった。彼女とは高校に入学してからの一年間で、一番親しくしていた女子といっても過言ではない。

 ただ、クラス替えで顔を合わせる時間が減ったせいか、偶々顔をあわせて雑談することはあっても、こうしてすえちゃんがわざわざ私を探してまで来ることはあまりなかった。それも、血相を変えてまで、というのは珍しい。


「多田さん。申し訳ありませんが、少しお時間頂けますか?」

「あ、うん。私も暇をしてたし、別にいいけど……」

「ありがとうございます! 実はレポートのことでちょっと相談が……」

「レポート?」


 まさか、何かの科目で、厄介な宿題でも出されたのだろうか。でも、それならばクラス毎に授業内容も進みも違うだろうし、同じクラスの人に相談するのが普通だ。

 ましてや、成績優秀なすえちゃんに分からない問題なんて、私に簡単に理解できるものとは思えない。

 さして座高の高くない私と、喋りながら近付いて来た小さなすえちゃんの目線は丁度合っていて、向こうも何か私の言葉を不思議に思っているような疑問が顔に浮かぶのがよく見えた。さて、私は何か間違っているのだろうか。


「オカルト研究会が毛呂山(もろやま)先生に毎月提出しているレポートのことですよ。……もしかして、その存在すら忘れていました?」

「あ……ゴメン。フツーに忘れてた」

「もうっ、確かに幽霊会員で構わないので、ということで研究会に勧誘しましたけれど、最低限の自覚がないのは困りますよ! ……まあ、今回幽霊会員の多田さんの手を煩わせるようになってしまったのは、私の失敗なのですが」


 怒り、その後に項垂れることで、小柄な体躯を包み込むように伸びた長髪が、艶やかに揺らぐ。後ろから見ると、彼女はまるで毛の塊のようある。

 そんな、見方によっては少し不気味なすえちゃんの姿も、オカルト研究会、会長の肩書きを認めた色目で見てみれば、実にらしい容姿とも思えた。いかにもお化けとか黒魔術とかに、はまっていそうな感じである。

 しかし、すえちゃんがことさら好きなものは星と占いであり、実際の彼女は人と話すことも好きで明るい方だ。だから、すえちゃんがオカルトという怪しい言葉を研究会に付けたのには理由がある。

 部活を創部するというのに占いを研究するだけだと、人の興味を集めるのにはあまりに門戸が狭いと考えた彼女は、広くオカルト研究会として人をかき集めたのだ。そして、会長として会の運営を小さい体で頑張っているである。

 その際にすえちゃんと関わった私は、そんな事情をよく知っていて、だからこそ仲良くしていたはずだった。


「ホントに、ゴメン。……でも、どうしたの、急に? 私にはオカルトとか、イマイチ知らないから、役に立てないと思うけれど……」

「いえ、別に多田さんにレポートを書いて欲しいという訳ではないのです。ただ、あの、一人だと新しい着想が生まれ難いといいますか、正直行き詰っていまして……」

「一人? 坂道くんとか、ツナはどうしたの? あ、後りょっくんも頼めば聞いてくれるだろうし、きっと私よりもお化けとか妖怪とかに詳しいよ」

「丸井さんはちょっと見当たりませんでしたし、渡辺さんには普段から手伝って貰っていて相談済みですし、平田副会長とは……話し合いにすらならなかったので」

「あー……」


 平田坂道という人物のことを思い浮かべて、私はすえちゃんが唯一理由を話し難そうになった理由を察した。

 自分のことを金星人と公言して、また誰彼構わずそのことを語りたがりしばしば奇行を繰り返すような彼と、まともなコミュニケーションを取るというのは、外見と違って普通な少女のすえちゃんには難しいものだろう。

 私に至ってはあんな変人と関わりあいになりたくもなくて、そんな彼の存在はオカルト研究会から疎遠になった大きな理由の一つでもあった。


 坂道くんは、顔だけはいいというのに、その残念な中身で全て台無しにしてしまうタイプの人間だ。それは、昔の私と似たようなものと言えるのかもしれないが、同列に扱うにはあまりに彼が頓珍漢過ぎる。

 あんなのと一緒にされたら、昔の私は泣くだろう。よく、あれで虐められないものだ。


「そもそも、レポートは陸上部の顧問と兼任されて忙しい毛呂山先生に、会に顔を出せずとも先生に研究、活動内容を知らせるためのものだったのですが……最近は内容に注意して頂けるようになりまして。流石に、毎回私の拙い文章と平田副会長の暗号文のような自己紹介だけだと……その、内容が偏って変化が少なすぎると先生に指摘されたのです」

「そういえば、今年は一人もオカルト研究会に人が入らなかったんだっけ?」

「はい……なので、私の興味外のことも調べたいのですが、占術専門の私では他のオカルトはちょっと門外漢すぎるのです。新しく始めるにしてもどういう活動や研究をすれば良いのか見当もつかないので、なら他の部員に意見していただこう、と。それに……増やすのが多田さんに興味がある分野だったら、一緒に楽しむことも出来ると思いまして!」

「そう……だね。でも、オカルトかあ……」


 にこやかに、私をゴーストからただの会員に戻そうと、オカルトの世界に誘うすえちゃん。彼女が私を友人として好いてくれるのは素直にありがたい。無理に笑わなくても大丈夫だと分かっている、彼女の隣は居心地も悪くはなかった。

 すえちゃんと一緒に好きなことをするというのは確かに魅力的ではあるし、そこにりょっくんが一緒だったら、きっと最高だ。でも、私はお化けとか怖いものは苦手だし、それ以外のオカルトは先に言葉にした通りに、興味がないためによく知らないのだ。

 それに、現実的に考えれば、最近女性の影が見え隠れしていて、近頃よく放課後に行方不明になるりょっくんが会に顔を出す可能性は低い。

 また、坂道くんという邪魔者の存在を私は無視することは出来なかった。あれは、平気で人の和を乱す奴だ。きっと、あんなに距離の測れない奴が近くに居たらすえちゃんと一緒でも楽しく出来ないだろう。


「ちょっと思い浮かばない。ゴメン。助けになれそうにないや。もう、ゲロ山も面倒なこと言うなぁ……無責任だよ」

「気持ちは分かります。けれども一応、毛呂山先生は恩師でありますから、私の前でその下品なあだ名を使うのは止めてもらえませんか……」

「ゴメンね。ちょっと、何も出来ない自分にイライラして……」


 無責任とは言ったけれども、毛呂山浩二(こうじ)先生に、特に悪い所はないとも思う。

 オカルト研究会と銘打っているのに、活動レポートに占いと変人のたわ言の詳細が書かれているだけでは、あまりに研究が手狭過ぎるものと考えるのは無理ないことである。

 元担任のあの人は、少し気安すぎるところがあっても、基本的には善人のようだった。この指摘も、新入会員がゼロの研究会の現状を憂いてのことかもしれない。


 だから、口さがない人たちが付けた彼のあだ名を言ってしまったのは、私がりょっくんが傍にいないという現実を思い出したことで苛ついてしまったという、ただそれだけのことなのだった。


「まあ、多田さんがオカルトに興味がないというのは知っていましたし、これも仕方のない事ですね。渡辺さんに負担をかけてしまうかも知れませんが、また彼と相談してみます。後でもし、多田さんに何か興味のあることが見つかりましたら、オカルト以外でも私に言って下さい。あっ、なにか占いたいことがありましたら、今直ぐにでも解決しますよ?」

「あは、ありがと。興味か……うん。ちょっと、これから色々と気を付けてみるね」


 すえちゃんとは、スマートフォンのメッセージアプリでのやり取り以外では最近少し疎遠になり過ぎているきらいがあった。それでも、今まで通りに懐いてくれるのには、罪悪感すら湧いてくる。

 いい機会でもあるし、彼女の言葉を素直に聞いて自分の興味について考えて見つけるのも悪くないと思えた。


「そうですか、分かりました。……これ以上多田さんの邪魔をしてもあれですね。それでは、ありがとうございました」

「色々と現状を教えてくれてありがとう。じゃあね」

「はい、さようなら」


 私が手を振るのを確認してから礼儀正しくお辞儀して、すえちゃんはちょこちょこと小走りに去ってく。私は髪の毛の下から見えるよく動く足を微笑ましく思いながら見送った。

 きっと、彼女はこれから直ぐに会室に向かい、坂道くんや多分居るだろうツナと一緒に考えを纏めるつもりなのだ。それを、疑う余地はない。相変わらず、隙のない子だと思う。

 

 仮面がぴったり嵌った、可愛い子なのだ。そんな彼女だから、私は安心できる。


「さて……私はそろそろ帰ろうかな」


 もう、寂しい教室に長居する気は起きない。すえちゃんが来る前にあった、悩みに対する真剣さは、今はもうどこかに消えてしまった。他のことに悩むことで、むしろ気分転換になったのだろう。

 彼が世話している沢山の服を必要としている女性のことを、聞けない駄目な自分。相談したことで考えていたよりもりょっくんが私を見てくれていたことを理解して、期待している間抜けな自分。そんな私を今だけは無視できる心地だった。


「結局、私が興味を持っているのは【彼】だけか……」


 そう、私が惹かれているのはりょっくんにだけ、なのだろう。そんなことは、オカルトでもなんでもない、明白な事実だった。


「はぁ……」


 考え事をしながらカバンを持って下駄箱まで向かった私は、靴を履くのに少し手間取り、そこで暇を感じて空を見上げる。

 私は青い空が好きだった。別に、紅かろうとも嫌いではない。足元の暗さから、大分曇っているに違いないが、そこに少しは茜空でも垣間見ることが出来ないかと期待して、私の視線は上がる。


 しかし、そこにはあの日見た青さも今は日が斜めり陰って見ることは出来ずに、ただ黒々としたクモばかりがひしめき、蠢いていた。


 それはまるで、私の濁った心を映したかのように。


「……サイアク」


 私は何故か、その光景に吐き気を覚えた。




―――――――。


 それは、誰も知らない物語の未満。


 物語の始まりとして、源頼光らを呼び出すために、空を飛び、神楽岡に向かったはずのしゃれこうべ。

 しかしあやかしは、蜘蛛の糸にて混線して繋がりを間違えた。更に、縁を手繰られ引かれて、自ずと道中集結したのは、後の世にて脚色され四天王と呼ばれることになるだろう諸君。

 互いの武威を頼りに進むは線が歪んで時すらおかしくなってしまった長き道。その魑魅魍魎に彩られた過程を越えた結末として、彼らが端から迷い込んでしまったのは、はるか東の洞穴だった。

 哀れな餌食の残滓、人魂の炎は明るく周囲を照らす。そこには美しい女人の姿が宝のように、罠のように蔵されていた。



「う?」



 もっともその正体は、土に紛れた蜘蛛であったのだが。


 縛。縛。


 そうしてこの世にて、頼光四天王の雛形達は、物語られる前に終わってしまったのだった。


 だから、私達のお話こそが、この世に一つの土蜘蛛草紙となるのだろう。



 頑張って、殺そうね、私。


―――――――。



「うぅ……なに、頭痛? でも何か、変だ」


 そっと、私は右手を頭部から離し、そしてひと時自失していた自分に気付いた。

 私は、何を考えていたのだろう。何か、大切なことを忘れている気がする。

 でも、失くしたものを取り戻す前に、まずは私の頭の中で乱れてしまった現況を、整理しないといけない。直ぐにでも今を掻き集めないと、全部失くしてしまいそうな、そんな嫌な予感がして。


 確か、私はすえちゃんに応えるため、自分に興味があるものについて考えて、色々とやってみていたのだ。でも、オカルトに関しては、怖いのが多かったので早々に諦めた。やっぱり、私には刺激的なものより気楽なものの方がいいと思う。

 昨日は適当な【おともだち】とカラオケに行ってみたりゲームセンターで遊んでみたりしたけれど、楽しくはあってもこれは何か違うと感じた。

 なら、昔好きだった外遊びがいいかもしれないと、そしてりょっくんに指摘された通り無理に人と関わらないものがいいかもしれないと思い、今日は昼頃から五月晴れのお陰で綺麗な緑の中でサイクリングを始めたのだ。


 予定のない日曜日ということもあって時間を気にすることなくゆっくりと、中学生の頃から使い慣れたシティサイクル、要はママチャリで、私は久しぶりの心地良い疲労感と風を切る感触を楽しんでいた。昨日よりも断然すっきりとした気分で。

 しかし、ある時からプツリと記憶は途絶えている。そして今、私は自転車のサドルに跨り、でも両足は地面について停まったまま、気づかない間に随分と遠くなった背中を見つめていた。


 そう、私は去っていく彼から目が離せなくなっているのだ。何しろ、その広くて硬そうなあの背中は、遠目にも見慣れたものだったから。


「そうだ。あれ、りょっくんだ。どうしたんだろ、こんなところ……どころか、あんなところから出てくるなんて。この先に脇道なんて、あったっけ?」


 出てきた方は右手の藪で、その先には山がある。しかし、まさかりょっくんがマウンテンサイクルで山登りして来たというわけではないだろう。そもそも登山道は、別にちゃんとある。わざわざ、草薮の中を通って行く意味なんてないはずなのだ。

 それに、彼が足に過度の負担をかけることを嫌っていることは、私だからこそよく知っていることである。


 山がそこにあるからって、彼が登ることはない。散走中に気の迷いで獣道に入った挙句に道に迷って藪から脱出してきた、という行き当たりばったりの方が平時のりょっくんの気質を考えれば一番あり得そうなくらいである。


 私は先の角を曲がってその姿が見えなくなるまでりょっくんを見送ってから、彼の残滓を探し始めた。

 ガードレールどころか車線もなく、ただ敷かれたコンクリートと草原の境すらも侵食されていてはっきりしない、そんな古くて狭い道路を、私は注意しながら辿っていく。そして、やがて私は背の高い草が左右に弾かれている様子を見て取った。


「……うあ。ひょっとして、ここから出てきたのかなー。痕跡は、轍とその分だけ雑草の間に少し隙間が出来ているかどうかってくらいだ。ホント、どうしてこんな所を?」


 今日はキュロットスカートを履いてきていた私では、こんな道無き道は通れない。これだけ狭いと、無理に分け入れば間違いなく草が素肌を切ってしまう。あれは、中々に痛いものなのだ。

 それに、これだけ豊かな緑の間を通るならば、虫が身体に引っ付くことも覚悟しなければならないだろう。

 長虫を素手で引きずったこともある昔と違って、今の私は蟲を遠巻きに見ることすら耐えられない。だから、私にとってこの先全部は通行禁止区域だった。


「あれ。でもこれひょっとしたら……やっぱり、そうだ。続いて、道になってる」


 入り口は、何度も二輪車が通ったのかある程度踏み固まっていて、そこだけ周囲の青々とした緑が省かれて土が露出している。

 そして、よくよく見てみれば、りょっくんが通った道程は日差しを受けて隆々と生える草木の間に、不自然な直線を描いていることが分かった。


「こんな道を自転車で通る人……そもそも、こんな半端で微かな脇道に気づく人なんて、フツーいるわけない。でも、実際りょっくんは、これを通って帰って来た。それは偶然なの、かな。……ううん、きっと違う。なら、ここは逆に、りょっくんが通っていたから道が出来たと考えてもいいかもしれない。その方がまだ、あり得そう。でも、もしこの先に何かがあったとして……そこへ私に黙って何度も通っていたとしたら……」


 もしかしたら、ばかりの妄想が、私の中で膨らんでいく。それによって起きた心配の多さには、追いかけて聞いてみずに、こうして隠れてりょっくんを探っているという罪悪感も影響しているのかもしれない。

 一人きりで、不安は高まっていく。何の展望もない冷めた未来に、それでも暗雲は立ち込み始めた。

 私が行けない道の奥で、何が彼を魅了しているのだろう。もし、そのままりょっくんがそこから戻らなくなってしまえば、私は一人になってしまう。追いかけることすら、もう出来ずに。


「嫌だ、それだけは、嫌……」


 しかし、悪い予感ほど、よく当たるという。そんな、マーフィーの法則のような言葉を頭から信じるのなら、私も立派なオカルティストになれるのだろうか。でも、信じたくないから、私は経験則にすら向き合えない。

 あってはならない悪い可能性を、切って捨てなければ、悲観的な私は息をすることすら出来ないのだ。


「そうだ、スマホ……わっ!」


 今にも窒息しそうな私は、早く真実を知り安堵して、息を継ぎたいと思ったのだろう。しかし、焦った私は急いでスマートフォンをバッグから取り出そうとして、傾いでいた体を転ばしてしまう。

 支えを失った自転車はアスファルトにぶつかりカシャンと音を立てる。そして、運良くその下敷きにならなかった私は、手と膝を地面に擦らせながら落ちて、何とか体をアスファルトに打ちつける前に停まった。


「あいたたた……もうっ、間抜けだなあ、私」


 でもこんなドジは、一度や二度ではない。もっとも、怪我するまで行くのは久しぶりではあったけれども、慣れていた私はむしろある程度冷静になって、自分の様子を確認する。

 手のひらは擦れて熱く燃えるように痛み、そして立ち上がる際に見てとった膝小僧からは、もう傷口から血が滲み始めていた。


「良かった、大したことなくて」


 痛くても不自由なく足は曲げられたし、両手はまた開いて閉じることができる。筋や骨にまで異常がなければ帰れるのだから、平気だ。

 血で白いハンカチを汚してしまうのは嫌だけれども、仕方ない。子供の頃は離さず用意していた絆創膏を忘れた私が悪いのだから。とはいえ、私がまたそんな転ばぬ先の杖をこれから先に必要とすることもないだろう。

 そう、この程度の傷で泣いていた昔の私とはもう違う。こんな寂しい所でわめいても、誰も助けてくれることはないのだ。りょっくんも、戻って来てはくれないだろう。それに痛みを堪えるのも、もう慣れたものである。だから、幾ら傷んでも平気なのだ。


 私は、また痩せ我慢を思い出せた。電話は、ずっと後にかけることにしよう。


「ああ、バッグから色々出ちゃって……あ、でも良かった。スマホは無事みたい。鏡も……落ちて傷ついちゃったけど、割れてはないか」


 中から何か取ろうと開いてから、そのまま落としてしまえば中身がバラバラに散らばってしまうのは当たり前のこと。用意は足りなくても、普段から無駄に色々と詰め込まれていた小物は、私に何度も痛む膝を曲げる苦労を味あわせてくれた。


「っつ。はぁ、面倒くさい。もっと手が欲しいなあ。ま、本当に手足が沢山あったらそれはキモいけど」


 草むらに突き刺さった間食用のお菓子を拾い上げながら、私はそう独りごちる。やっぱり、独りというのは色々とキツいもの。老後を怖がる人の気持ちが少し分かったような気がする。


「あはは。私ったら、昔はあんなに死にたいとか思ってたのに、そんな先のこと…………あ、スマホ震えてる」


 私は慌てて、手の中のスマートフォンを弄りだす。素直に私はりょっくんからの電話ではないかと、期待した。しかし、その考えが落胆を誘う。


「……あー、坂道くんから、か」


 しかし、私がよく知っていた通りに、現実は無情。スマートフォンの液晶画面に表示されている名前は、よりによって【平田坂道】だった。

 気分は正に、泣きっ面に蜂といったところ。私は、無警戒のまま安心を求めることの愚かさを、身に染み付かせるように理解する。


「……それにしても私、彼をフルネームで登録していたっけ?」


 私なら【金星人】とか、登録名をあだ名で遊んだりする筈なのに。ひょっとしたら、一年生のまだ彼のことを奇人としか認識していなかった頃に、登録したまま放置してあったから、なのかもしれない。

 それでも、幾ら思い返しても電話帳に坂道くんの名前を見た覚えがないのがまた不思議だ。そこまで、目どころか記憶にすら入れたくないほどに私は彼のことが嫌いだっただろうか。確かに、あまり関わりたくない相手ではあるのだけれども。

 何だか不憫に思えてきた私は、スマートフォンの震えが収まる前に、出てあげる事にした。


「もしもし。坂道くん、何か用?」

『ん。君か。確か……ヒカリさん、だったかな』

「名前登録してなかったの? そうだよ。私。多田光だけれど」

『なるほど、この電波はヒカリさん、だったんだね。金星産のものと隣り合っていたにしては、地味な波だね』

「わあ……」


 電波に、金星。日常会話に使用し辛い言葉を奇妙な論理が並べていく。そう、これこそが、坂道くんといったところ。不明こそ、彼の代名詞だ。とはいえ、何時もはもう少しマシなのだけれど、今はどうにも調子が良いみたいだった。

 そして、私の呆れの声を余所に、良く分からない、は更に続いていく。


『波を見抜かれたことに対する感嘆の声かい? まあそれはいい。端的に言おう。つい先程、僕は僕と同じ金星人のような電波を捉えることに成功したんだ。是非会いたい。出来るならば、協力してくれないかな?』

「ええ……」


 愛想笑いは、苦手である。だから、こんな冗談地味た言葉に直ぐに頷くことは出来なかった。けれども、困惑のその空隙を金星人は、肯定と取った。嬉しそうに、坂道くんは言う。


『ええ。つまりは肯定だね。ありがとう。それでは、つい先程君の近くを通り過ぎた人物の名前を音に出してくれないかい?』

「通り過ぎた人物、って……りょっくん?」

『りょ……なるほど。リョク、緑か』


 通り過ぎた。それは恐らく一人だけ。少しばかり、どうでもいい自称金星人を忘れて、大好きなりょっくんのことを思う。ああ、どこに行ってしまったのだろうかと。


『漢字だと縁と似ている色。この場合は、取り憑かれていた彼のこと、なのだろうけれど……』

「取り憑かれていた?」


 そして、丁度耳元に届けられた私はヒントに対して、思わず疾く訊き返す。穏やかではない言葉に、何らかの意味があると信じてしまい。

 だから、思いやりの欠片もないヒトモドキから発された、次の言葉に絶句した。



『おかしいんだよね。本当ならリョク君とやらは死んでいなければおかしいのだけれど』



 電話を、握る。おかしい。けれどもどうしてか判らなくても、心臓が早鐘をうち始めていく。

 死。それが、私の中で消えたりょっくんへと糸を合わせたかのように繋がる。だから思わず、私はこう、乞うのだった。


「教えて」


 知ることが、全て良いわけではない。それが断片ならば、尚更に。そして坂道くんから零されるのは、最悪の欠片。



 私は、これが崩壊の始まりだと判らなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

透き通るような、蜘蛛の下 茶蕎麦 @tyasoba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ