傀儡姫の決断 2【完結】




 すべてが落ち着いた翌々日。丸一日の眠りから覚めたあたしは、宮殿の敷地内にある屋敷――つまりあたしが寝泊りしていた場所の露台でセトとお茶をしていた。


「――帰りたいのでしたら、故郷に帰ってくださって構いませんよ」


 披露宴の結末を聞き終えたところで、不意にセトが告げた。


「え?」


 あたしは思わず聞き返す。


「君は気付いていたようですが、宮廷医の話では父はそう長くないとのこと。近いうちに僕は皇帝の座につくことになるかと思います。そうなると、君にも父のしてきたことの火の粉がかかることになりましょう。ましてや、君はわが国が攻撃した国の姫君だ。望まぬ結婚をする必要はありません」

「ですが……」

「あの式はすべて偽り。なかったことにすることは可能です」


 ――なるほど。彼がその気になればすべて白紙に戻せるのか……。


 陶器に注がれた紅茶の水面に視線を移したままあたしが黙っていると、セトは続ける。


「僕は自分で動き出すことに協力してくれた君から自由を奪いたくありません。母国のためだと言うのならなおさらです。――君はエンシさんを愛しているのではありませんか?」

「な、何を根拠にそんなことっ……」


 唐突な指摘にあたしは動揺し、顔を上げる。


「隠さなくて結構ですよ。君がエンシさんの話をして聞かせてくださったとき、エンシさんと再会したとき――君は一国の姫ではなく、歳相応の少女の顔をしていましたよ」

「!」

「愛しているなら、その愛を貫けばよいではありませんか。彼は国でも有名な絡操技師。身分違いだとはいっても、そう反対されないのではないでしょうか?」


 セトは優しく囁く。あたしの心をかき乱す。


「あたしは……」


 そこまで告げながら、先を続けられない。迷いが彼への視線を外させる。

 おそらく彼が言う通りなのだろう。セトよりもずっと信頼を寄せ、エンシのそばにいたいと願っているだろう。

 でもあたしは、そんな一個人の感情で好き勝手できる身分ではない。アスター王国の第一王女なのだ。このままセトの言う通りにしてしまったら、あたしはロゼット帝国の内側から変えてこれ以上の侵略戦争を行わせないという想いを捨てることになる。


 果たして、彼一人でロゼット帝国を変えることができるだろうか。任せることができるだろうか。信じることができるだろうか……?


「いかがです? このまま国に帰れなくなるよりは、今、ここで戻る決断をしてみては」

「――それはつまり、あなたにとってあたしは不要だということですか?」


 視線をセトに真っ直ぐ向ける。セトはあたしの気持ちを探るように見つめ返してきた。


「包み隠さずはっきりお答えするなら、今回の件での利用価値はなくなりました。君の貢献の対価として、国に帰ることを提案していると考えてもらって結構ですよ」


 なかなかに正直な言い方だ。そういうのは嫌いじゃない。セトの瞳からは温かみが消えている。微笑みにも冷たさが宿り始めていた。


「――でしたら、あたしはその提案はのめないわ。あなたの妻の座に納まってやるわよ!」


 あたしはきっぱり言い放つ。セトは一瞬きょとんとして、そしてやんわりと笑った。


「何がおかしいのよ?」

「いえ……エンシさんがおっしゃっていたとおりになったな、と思いまして」


 言いながら、くすくすとセトは笑う。


「どうしてそこでエンシが出てくるのです?」

「君にお会いする前に、エンシさんと話をしたのですよ。彼にはこの国に残ってもらわねばならなかったので」

「え? ……どういう……」


 問うあたしの後ろに影が立つ。


「つまりだな、ロゼット帝国はお前をこの国に縛ってアスターの戦力を殺ぎ、アスターにあってロゼットにない絡操人形技術を手に入れたかったわけだ」

「エンシ!?」


 解説をしてくれたのは意外にもエンシだった。朝から姿が見えないと思っていたが、セトと話をしたのは本当らしい。彼の手に古書が何冊か抱えられているのを見ると、セトの申し出を受け入れたということが想像できる。


「しかし、あんたもいろいろ考えてくれるな。強制するつもりになればいくらでもできただろうに」


 面白くなさそうな目でエンシがセトを見下ろす。セトはやんわりと微笑んで返した。


「自分の意志でなければ困ります。そういうことが後々に敵を産むのですから」

「えっと、では……」

「表向きは僕の妻ということでよろしいですね、メローネさん。エンシさんはわが国の絡操技術研究員ということで話を進めておきましょう」


 言って、セトは立ち上がる。


「それでは公務がありますので。明日からは宮殿で生活していただきますから、そのつもりで」


 ひらひらと手を振ると、セトはあたしの台詞を聞かずに去ってしまう。


「――ちょっと、エンシっ!」


 あたしが困惑したまま睨むと、彼はあたしの頭に手を置いてぐりぐり撫でた。


「安心しろ。俺がそばで守ってやる。あの男が道を踏み外しそうになったら、そのときは俺たちがどうにかすればいい。――つーか、その役目を負うように言われている。お前はずいぶんと皇太子様に好かれているようだな」


 言いながら、撫でる勢いが増している。


 ――な、なんで自分で言って不機嫌になっているのっ?!


「そんなの知ったことじゃないわよ!」





 こうしてあたしは、ロゼット帝国での新しい生活を始めたのだった。


【了】

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パペット・ブライド ~傀儡姫のお輿入れ~ 一花カナウ・ただふみ @tadafumi

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