君の色を教えて

長月葉緒

第1話 駿と慧司編

「おはようございます、桐谷です」

「桐谷さんですね、少々お待ちください……三〇一号室の予約取れてます」

「あの、鍵は……」

「先にもう一人の方が入られましたよ」

「……そうですか。ありがとうございます」

受付嬢に軽く会釈をして、年季の入った階段をぎしぎしと上っていく。


「三〇一……ここか」

その部屋は三階の一番奥にあった。室名札はお洒落にも紅葉の形をしている。

靴を脱いで鍵の開いた襖をそっとあけると、障子を通した優しい太陽の光と、心落ち着く畳の香りが流れ込んでくる。此処こそが僕の居場所なのだと教えてくれる。

ところが、視界の端にこの場にそぐわない「あか」を見つけた。「紅」でも、「朱」でもない、「赤」だ。

その赤はこちらの視線に気付くとニヤリと笑みを浮かべた。


僕の名前は桐谷慧司。大学二年。家は装道の家元で、生まれたときから着物と畳に囲まれて育った。二人の姉と共に家業を継ぐため、大学の服飾科、和装コースで日々勉強中である。このご時世、着物男子は珍しいらしく、この和装コースに男子生徒は僕のほか一人しかいない。

それがこの赤……松葉駿だ。

奴は自分と同じ和装コースの大学二年生で、有名デザイナーの一人息子だ。ジャパニーズカルチャーを海外へ発信する父親の元で、着物に目覚めたらしい。小さな頃からちやほやされたおかげで、僕たちはお互いに、装道界ではまあまあ名の知れた存在なのである。

さて、キャンパス内でさほど仲が良いわけでもなく、会話など数回しか交わしたことのない僕らが、なぜ和室に二人っきりかと言うと……

「ねー、桐谷慧司……だよね?俺、松葉駿。気軽に駿って呼んでくれればいいから。よろしく!」

「……よろしく。」

うわ、テンション高……苦手なタイプ。

「まーこの度はさ、収穫祭のファッションコンテストでペア組まされることになったわけで……仲良くやろうぜ」

そうなのだ。大学内の着物のファッションコンテストにおいて、僕たちは学校側の選考でペアを組まされることになった。運営たちは僕らが意識しあっていることを絶対に楽しんでいる。


「どうする?このマネキンちゃん、とりあえず着物だけでも着せてみる?」

「……分かった。準備する」

松葉は真っ赤な着物に身を包み、これでもかと存在をアピールしてくる。成人式かよ、イタすぎる。僕の緑色の着物が地味に見えるくらいだ。

松葉は自分と同じ深紅の着物を手に取った。僕もマネキンに手を伸ばす。

「ちょっと衿元開けすぎじゃないのか?」

「え~?いいじゃん、エクスタシー。それにさ、今回の俺らのモデルさん、ぶっちゃけぽっちゃりさんじゃん。ちょっとくらい崩して、ふんわり見せたほうが可愛いって」

「だったら補正パット使って着痩せて見せた方がいいだろ」

「はー、評判通りね、つまんないのー……マニュアル人間、カタブツ」

「うるさい」

まあペラペラと口のうるさい男だ。

だが、喋りながらもテキパキと動く手には、経験の豊富さを感じざるをえなかった。

僕が新緑の帯を取り出すと、あいつは桃花の帯揚げを持ってきた。おいおい、赤、緑、ピンクはないだろ。帯の『たれ』も取りすぎだ。すごくやりにくい。ペースをもっていかれそうになる。僕に合わせろ。協調性を持て。


マネキンの着付けが終わった頃、僕は奴についてだいたい理解した。評判通り?それはこっちの台詞だ。

絶対に、金輪際、こいつとは、

「いやー、燃えるね」

「は?」

「じゃ、俺このあと女の子と予定あるから!後片付けよろしく!また明日ね、慧ちゃんっ」

「慧ちゃんじゃない!ちょっ、待てよ!」

声の方へ目をやると、もう奴の姿は無かった。

燃えるって、何がだ?僕は、マネキンの肩から滑り落ちた赤を、きっちり、丁寧に、新品のように完璧に畳むと、部屋をあとにした。



次の日、先に部屋に到着したのは僕の方だった。それどころか、あいつは時間を過ぎても一向に姿を現さなかった。

「松葉……?」

僕は携帯で連絡を取ろうとした。と、同時に襖がガラリと開いた。

「ごっめーん!寝坊した!昨日の夜盛り上がっちゃってさー」

松葉はボサボサの頭にヨレヨレのシャツという格好で登場した。

「……悪びれる気はないのか?」

「だからー、謝ってんじゃん」

この、へらへらした態度。呆れて怒る気も起きない。こんなやつに和の心がが分かるわけない。

「……はぁ、もういいから始めるぞ」


今日も、松葉と一緒に着付けをしながらデザイン案を練る。確かに松葉は見た目と性格を裏切るような技術を持っているが、僕が劣っているなんて事は全くない。

所詮、親の七光りだ。心のどこかに、性格悪く、そう思っていたい自分がいて、僕は目の前の赤が何色にも見えなかった。

「ねーねー慧ちゃん」

「……あ?」

「あ?って。いいとこのお坊ちゃん設定はどこ行ったのー?んで、ここの帯さあ、箱ひだじゃなくて三山ひだにしたほうがボリュームあっていいと思うんだけど」

「箱ひだのほうが綺麗だろ。教科書にそう書いてあるし。」

「えー、慧ちゃんさー、優勝狙う気あんの?」

「決まってる。だから効率的かつ綺麗に仕上がるデザインを探してるんだろ」

「…へえ、それは教科書に従うのが一番だと」

「そういうこと」

「お前コンテスト向いてないよ」

松葉は笑った。僕達は元々同じ土俵にいない。そんな風に。

「なんでだよ。先代達が見つけた方法をそのままなぞることが一番美しくて麗しいだろ。僕はお前みたいに適当にやってるわけじゃねえんだよ」

朝からのイライラもあって、思っていたことがするする言葉になって出てしまう。こんなに感情的になったのは久しぶりだ。

「…慧司」

今までヘラヘラしていた松葉が急に真剣な顔つきになって、此方に迫ってくる。

少し背の低い僕はそのまま壁に追い詰められた。

「な、なんだよ」

松葉が、炎が迫ってくるようで、僕は怖くて、目が逸らせない。

「確かに教科書に書いてある知識は正しいし、大事だ。けど、昔から伝承されてきたことをそのまま伝えても、現代人は見向きもしない。興味が無い人にとっては着物なんてただの古い布切れだ。現代のニーズに合わせずして装道を伝承するには、限界がある」

間延びしない、低く芯の通ったその声。

「……」

松葉は、適当に装道の道に進んだわけじゃ無かった。適当に進める道で無いことは、僕もよく知っていた。

「……帰る」

「おい、慧司」

「明日も同じ時間に来るから」

「おい!」


負けそうになるとすぐ逃げるのは、僕の悪い癖だ。



次の日、受付へ行くとまた鍵が無かった。

中を伺うように襖を開け、気まずい雰囲気のまま足を踏み入れる。

そして、マネキンの横にはあいつが……

「……松葉?」

あいつは、静かな紺色の着物を装い、正座していた。松葉は僕を一瞥すると、軽く会釈してまた前に向き直った。昨日までとは別人のようだ。今まで見たことの無い表情に一瞬戸惑った。なんのつもりだ。本当にこいつと会う度調子が狂う。僕はできるだけ平静を装いながら話しかけた。

「待たせて悪い。始めるぞ」


作業中、松葉は必要以上に言葉を発することなく淡々と手を動かした。しかも、着付けは型にはまっていて、端正で美しい仕上がりだった。

これが、僕の望んでいた装い。でも……

「うーん、やっぱりこれじゃつまんねーな」

「……駿」

「慧司、昨日はごめん。俺も色々考えたんだわ。お前のこと面白いなって思ってちょっかいかけちゃったんだよね。でも、俺のやり方押し付けんのもあれだしな〜とも思いまして」

「……僕の方こそ悪かったよ。昨日の聞いて、一理あるなって思ってたし。駿にはあっちのほうが似合うよ。なんか、その着物もお前らしく無い。」

「そーお?ギャップ萌え狙ったんだけど」

「……お前着物をなんだと思ってるんだ」

「少なくとも、お前ぐらいには大事に思ってるよ」

「……っ」

どこまでずるい男なんだ。いつだって余裕で一枚上手だ。悔しい。

「……まだ伸びるんじゃね?俺たち」

「……そうだな」

「これ、もっかい最初からやり直そ?」

「だったら、このピンクは外せよ」

「いーや、慧ちゃんの頼みでもこれは外せないね」

「なんだよそれ……じゃあせめて濃くしよう」

「了解〜」

最初にこいつと競り合ったとき、勝てないと分かった。だから、自分のペースに持って行こうと思った。

「あっ!」

「なんだよ」

「そういえばさっき、俺のこと駿って呼んでくれた!」

「……お、お前が最初に呼べって言ったんだろ」

「素直じゃないなーもー」

だけど、こいつは僕の心を見透かして、その隙間に入り込んできた。

「モデルさんぽっちゃりだけど胸大きいのかなー」

「……馬鹿じゃないの」

今、この空間を楽しんでいる僕がいた。



僕らが練習を重ねて、四日目になった。

「慧ちゃん慧ちゃん!」

「朝からうるせえよ。……何?」

「本性見せすぎじゃない?あのさ、コンテストの帯のモチーフ、これなんかどう?」

「何この写真……あ、コスモス?」

「そー!既存の帯結びも何通りかあるけど、花びらも均一で色も結構あるらしいから考えやすいかなって」

「漢字で秋桜。いいんじゃない?でも、オリジナルでやるのか?結構時間ないだろ」

「任せて!オリジナルは俺の得意分野〜」

「花モチーフなんて王道だけど。いいの?型にはまりすぎで」

「いいの!俺は慧司とつくってるんだから。押し付けるのはやだって言ったでしょ〜」

「なんだよ、それ……。僕にも現代のニーズ?みたいなの教えてよ」

「おー」

慧司は、僕と知り合ってから一番嬉しそうな笑顔で笑った。


それから、二人で一緒にデザインを考えた。帯の端と端をつかんで、お互いに主張しすぎないで、ちょうどいい長さを探す。赤い着物、緑の帯。裾に慎ましくあしらわれた秋桜はピンク色。帯揚げもピンク色。深い青の帯締めは体を細く見せる。黄色の髪留めは秋らしさを際立たせる。華やかな帯結びは黄色や紫などカラフルに、オリジナルで仕上げた。

今、帯の端と繋がっているその手に呼吸を合わせることができる。繋がれたまま絡めたり、絡められたり、ほどいたり、結んだり。やっぱり、僕とお前でちょうど良かったんじゃない?


◇◆◇◆


その日、僕たちは講堂の裏にいた。もう紅葉した葉がひらひらと舞っていて、楽しい日々の終わりを告げていた。

人を呼び出しておいて、あいつは遅れてやってきた。

「よー」

「……遅い」

「慧ちゃんが早すぎるんでしょ?そんなに俺に会いたかった?」

「……違う」

「はは。えっと。……ついに本番、だな」

「ああ。……駿、今日までありがとう。僕……

「あーあー。やめろって。まだ終わってないし」

「っていうか何。こんなところに呼び出して」

「……ん。ちょっと渡したいものがあって」

「!これって……」

「コスモス。ちなみに、この赤いコスモスの花言葉は『調和』」

「……!」

こいつも僕と同じ気持ちでいてくれたんだ。嬉しくて、寂しくて、唇を噛み締める。男から花貰って泣くとか、笑えないだろ。

「……俺、お前とペアやれて良かったよ。優勝なんてどうでもいいくらい、楽しかったよ。お互いさ、装道界を引っ張る者として頑張ろうぜ」

「だから……まだ終わってねーし」

「お前のこと結構好きだったよ」

「あっそ……」

「ちなみに、赤いコスモスのもう一つの花言葉は『乙女の愛情』」

「ばっ、ばーか!どこの誰が乙女なんだよ」

「ふっ……やっぱ面白え……慧司、行こう」

「おい…」


大講堂へと歩く駿を後ろから追いかける。一定の速度で。

降りそそぐ真っ赤な紅葉の中でも、ひとしきり鮮やかな僕の赤。

松葉駿。お前ほど赤が似合うやつに会ったのは初めてだ。

赤は、僕が着ている緑の相対色。

僕はあの部屋でお前を見たときから、ずっと目が離せないんだ。

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