第118話 ラッカ of view

「…よう」

 私は背後からの声に驚き、すぐさま振り向く。

 しかし、そこには何もいなかった。


 私は警戒し、しきりに、舌を出して、辺りを確認する。

 何の匂いも、温度も感じられなかった。


 ……体も心も、限界だとは感じていたが…。

 とうとう、幻聴まで聴こえ始めたらしい。

 私は自分自身に呆れると、視線を戻し、歩みを進める。


 「……ったく、知能があってもこれか」

 !!!

 今度は間違いなく聞こえた!背後、右上!

 私は臨戦態勢で、音のした方向を向く。


 「遅い!」

 「シャッ!!」

 振り向いた途端、顔に何か、布のような物が覆いかぶさり、辺りが見えなくなった。


 私が、それを振りほどこうとしている内に、一瞬、何かが頭の上に乗った感覚。

瞬間、首元が、紐のようなもので圧迫される。

 私は必死に、それを振りほどこうと、頭を振るが、どう藻掻もがいても外れない。

 どうやら、頭に被せられている布のような物を、首周りの圧迫で、固定している様だった。


 このままではらちが明かない。

 私は、一旦その場を離れようと、素早く移動する。


 「シャッ!」

 首周りの強力な圧迫で、一瞬息が止まる。

 首に巻かれているであろう紐が、私の勢いそのまま、首を絞め上げた様だ。

 ぐ、ぐるじぃ…!息が、息ができなっ!


 「おいおい!大人しくしろよ!そんな巨体で暴れられちゃ、助けるどころか、こっちが殺されっちまう」

 近づいて来た声は、暴れる私の首元に来て、圧迫を緩めてくれる。


 私は透かさず、逆の方向へ逃げようとするが、再び首が締め上げられるだけと言う、結果に終わった。


 「やれやれ。馬鹿すぎるだろ…。一言も喋らないし、人違いか?」

 そう言って、声の主は、再び首元の拘束を緩くしてくれる。

 その頃には酸欠で、首の痛みを感じない程に、意識が朦朧としていた為、声の主の、されるがままだった。


 「お前さんが、ラッカか?」

 頭に掛かった覆いを外されると、そこには一匹の毛玉がいた。

 私は咄嗟に噛み付こうと、首を伸ばす。


 「おっと、危ない」

 しかし、牙が毛玉に届く前に、首が絞まるだけ、と言う結果に終わった。

 またも、藻掻く私を見て、飽きれたような表情をする毛玉。


 「…言葉、分かるか?次やったら、このまま絞め殺すからな」

 そう言って、再度、私の拘束を緩める毛玉。

 拘束を緩められた私は、疲れから、その場に伸びる事しかできなかった。


 「言葉分かるのか?…暴れ疲れただけか?」

 私はその問いに答えず、後ろを振り返り、紐の行方を捜す。

 …如何やら、太い柱に括り付けてある様だった。


 「……答えないなら、このまま絞め殺して、食うぞ?」

 先程までより、ドスのきいた、不機嫌そうな声。

 私は毛玉から距離を取りたい欲求にかられ、紐が結びつけてある、柱に身を寄せる。

 これなら首が絞まらずに、かつ、移動スペースを確保でき、毛玉も迂闊に近寄れなくなるはずだ。


 「……ふむ。また、反対側に向かって逃げないのを見ると、やはり、お前には、知能があるのか」

 やはり、毛玉は、私が首を伸ばせる、最大距離のギリギリで、足を止めていた。


 …怖い。あの毛玉が怖い。エボニとはまた違い怖さだ。

 頭のどこかでは、死んでも良いかもしれない。なんて、考えたりした事もあった。

 しかし、いざ、死が目の前にあると、体がすくんで動けない。


 「…なんだ?喋る気はねぇのか?」

 毛玉が一歩踏み出す。ギリギリこちらの攻撃が届く範囲だ。

 もう一歩踏み出す。この範囲なら、しっかりと攻撃が届く。…ただ、首が絞まるリスクがある。

 これ以上は…。と思っていたが、それでも、毛玉は足を踏み出してきた。

 もう、いつでも襲える範囲だ。


 毛玉はもう一歩、踏み出してくる。…頬に嫌な汗が流れた。

 もう一歩近づいて来る。私は思わず、身を引いた。


 「シャァァッ!」と、威嚇する私。

 それでも、毛玉は一歩一歩踏み締めるように、確実に近づいて来る。

 その姿は、エボニに似ており、私は、また別の恐怖を覚えた。


 いける!今ならまだ殺せる!

 「シャァァッ!」

 私は、尾を使って、毛玉を囲い込むと、口を大きく開けて、突撃した。


 …毛玉は微動だにしないどころか、歩み寄ってくる。

 そして、私の大口を前に、ニヤリと笑った。


 それだけで、私の口は動かなくなる。

 何かされた訳ではない。ただ、私が動かせないだけだ。


 毛玉は、私の大口を前に、「クックックック」と、小さく笑う。

 理性を取り戻してしまった時点で私の負けだったのだ。あのまま勢いで殺せていれば、一人も二人も……。


 「クワッハッハッハ!」

 毛玉が、豪快に笑う。

 私はその異様さに、口をつぐみ、顔を引っ込めた。


 「いやぁ!ドキドキした!心臓に悪いぜ!」

 その後も、狂ったように笑い転げる毛玉。

 それをどうしたものかと、見つめる私。

 あまりにも笑い続けるものだから、段々とイライラしてくる。一層の事、このまま飲み込んでやろうか。


 「ひぃ、ひぃ…。……いやぁ、悪い、悪い。我ながら、馬鹿なことしたな。と、思ってな」

 やっと、笑いが収まったのか、息を荒らげながら、私に向き直る、毛玉。


 「…本当だ」

 私は、飽きれたように答える。


 「…お。やっと観念したか。…あんたが、ラッカで間違いないよな」

 私は、短く「あぁ」と、答える。


 「俺はブライダルベール。…エボニの父親さ」

 「あぁ……」自然とため息が出る。が、なんとなく、納得はできた。


 「それで?あの小僧のお父様が、こんな危険まで冒して、何の用だ」

 呆れた様に聞く私に、毛玉は「耳を貸せ」と、言ってくる。

 私は、ゆっくりと、頭を下げると、悪魔の囁きに、耳を貸した。

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