第107話 エボニとブライダルベールと言う男

「…まだですか?」

 男…。ダルさんに、半ば強引に手を引かれて、しばらく。

 流石に疲れ、冷静になった分、不安もつのってきた。


 目的地について聞いても「ついてからのお楽しみだ」と、いう事で、教えて貰えないし…。


「そうあせりなさんなって。ほら、あの穴の向こうが目的地だからよ」

 確かに、目の前の壁には僕達がやっと通れるほどの小さな穴が開いていた。


「おらよっ」

 ダルさんは四足歩行になり、身をかがめると、器用に穴を潜った。

 僕もその後を追おうと、身を屈める。


「わっ!」

 丁度その時、穴の向こうから、見知らぬ同族が顔を出した。


「チュチュゥイ!」

 挨拶と言わんばかりに、大きな鳴き声を上げた仲間。

 ダルさんの「おめぇがそこに居ちゃ、通れねぇだろ!」と言う声が響いてくると、彼女は直ぐに顔をひっこめた。

 僕は再び、穴の中をのぞくと、安全を確認して、ゆっくりと穴を潜った。


「うわぁ…」

 恐る恐る潜った穴の向こう。

 僕は目の前に広がる風景に、感嘆かんたんの声をあげた。


「どうだ。すげぇだろ?」

 穴の横で待ち構えていたダルさんが得意げにそう言う。


 …確かに凄い。

 そこには沢山たくさんの同族が暮らしていた。

 それも、十や二十じゃない。百人は軽く超える勢いの人口密度だ。モフモフだ。


「チュチュゥ!」

「チチチチチチッ!」

 先程穴から顔を出した子が、別の子と追いかけっこをしながら、人ごみの中に消えて行く。


「あいつはやんちゃもんだよぉ。すぐに外に出ようとすんだ。大人になったら嫌でも出なきゃいけねぇつうのに、物好きな奴だぜ」

 ダルさんは人ごみに消えて行った子を見送ると、改めてこちらに向き返った。


「と、言う訳で、ここが俺たちの街。毛玉街さ。一応、俺はこの街の長もやってんだ。宜しくな」

 彼から差し出された手を、僕は夢見心地で掴む。

 その感触と、彼の軽快な笑顔は、確かにここが現実だと、教えてくれているようだった。


 僕は改めて、周囲を見渡す。

 何処どこを見ても、仲間、仲間、仲間。


 建築物のような物も、間々まま見られるが、これだけの人数を収容できる家などは見当たらない。

 皆、自由気ままに、その辺りで寝たり、食事をとったりしているようだった。


「…みんな、自由なんですね」

 僕の言葉に、彼が苦笑する。


「あぁ…。実を言うと、ここは街と言うより、家だからな。それに、皆、頭が良くないせいで、全くもって、文明的じゃない」


 …頭が良くない?

 それは一体どういう事なのだろうか?


「チチィ!」

 そんな事を考え始めた僕の下に、一人の仲間が駆け寄ってきた。


「は、初めまして…」

 僕は挨拶をするが、仲間は返事を返さず、僕の匂いをいだり、体を突いたりしてくる。


 戸惑う僕。

 しばらくすると、仲間は飽きたと言うように、駆けて行ってしまった。


「…アイツは珍しい匂いがしたから見に来ただけだ。多分、匂いを覚えられるまでは、他の奴らにもからまれるかもな」


 えぇ…。

 僕がなんとも言えない表情をすると、ダルさんは「しばらくの我慢だ」と、言って歩き始めた。

 どうしてよいか分からずに、僕もその後を追う。


「基本的に、ここの奴らは言葉を話せない。軽い意思疎通は可能だが、あまり記憶能力がないせいで、複雑な事や、物事を頼むことは難しい」

 追いついた僕に、唐突に説明を始めるダルさん。

 成程。それで彼は話せる仲間がいないと言っていたのか。


「…皆話せないんですか?」

 僕の問いに、ダルさんは「あぁ」と答えた。


「そもそも、喋れる俺たちが特殊なんだ。こいつらには言葉を教えてたところで、記憶力も、理解力もねぇから覚えられねぇ。おまけに自分で考える事もしねぇからお手上げ状態だ」


 ダルさんは疲れた声でそう続けると、最後に両手をあげて見せた。

 きっと、色々な方法を試した結果なのだろう。


 …それにしても、僕達が特殊か…。

 それは考えた事がなかった。


「…見た目は同じなんですけどね…」

 僕は考え無しに呟く。

 その言葉に、ダルさんはしみじみと首を縦に振った。


「だから放っておけねぇんだ」

 彼の軽薄で、自嘲的な笑みは、とても温かくて…。

 

 何故か、その表情を見ていると、とても安心した。

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