第105話 ラッカと答え

「断る!」

 私は緩んでしまった表情を必死に引き締めると、そう言い放った。


 危ない。もう少しで、首を縦に振ってしまう所だった…。

 内心、安堵あんどの息をつき、自分のペースを取り戻そうと前を見る。


 そこには、みるみる落ち込んでいく、エボニの表情。

 またしても私の心は、大波乱を迎える結果となった。


「そんな顔をしても駄目だ!駄目ったら駄目だ!」

 私は目をつむると頭を左右に振り、全力で拒絶の意を表す。

 そうでもしないと、エボニの純粋な瞳に、心を打ち抜かれてしまいそうだったのだ。


「…なんで?僕が悪いことしたから?」

 悲しそうなエボニの声が耳に響く。


「違う!エボニが悪いわけではない!私が!」

 …私が。

 次に続く言葉が出てこない。


 私が、お前を食べたくて仕方がないからだ。

 それだけを言えば、全てが終わると言うのに…。


 だから私は「シャァぁ!」と彼の目の前で大きな口を開ける。

 彼がひるんで逃げて行けばよいと思ったのだ。


「…怖くないよ」

 エボニがどこか悲しげな顔で、その小さな前足を、私の顔に近づけてくる。


 私はそれがとても怖かった。

 彼が私に触れれば、壊してしまう様な気がして。

 今までの毛玉たちの様に、食い殺してしまう気がして。


「あ!待って!ラッカ!」

 背後から彼の叫び声が聞こえる。

 私は結局、逃げ出したのだ。


 優しいエボニ。

 彼を壊してしまう事が、何よりも恐ろしかった。


 近付けば近づくほどに、その恐怖は大きくなる。

 温かさに触れた分。冷たくなった時を想像するのが恐ろしかったのだ。

 それを自分の手で行ってしまうかもしれないと思うと、その恐怖は計り知れない。


 こんなに彼を思っているのに。

 こんなに恐怖しているのに。

 こんなに悲しんでいるのに。

 収まらない空腹感が私を苛立いらだたせる。


 自分ごと、腹の虫を殺してしまいたくなる。

 …そんな勇気など、これっぽっちもないくせに。


 そう考えると、全てがどうでも良くなってきた。

 自分自身に呆れ果ててしまったのだ。


 今まで散々怖がらせて追い返してきたエボニ。

 そんな彼に恐怖し、逃げだした私。

 そんな私自身が笑えて来るほどに、頭の中は空っぽだった。


 …そうだ。このまま逃げてしまえば良いじゃないか。

 エボニのいない世界でならば、私が悩むことも無い。


 そうだ!そうしよう!それがいい!


 チクッ。一瞬、胸が痛んだような気がした。

 多分、気のせいだろう。


 私は意識を集中させると、一心不乱に、闇の中を進んでいく。

 彼の光が届かない程、深い闇を目指して…。

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